第四十五章:パンクロック・ヴィーナスの誕生
四十五章です。
アルトの涙が乾き、一行の間に穏やかな空気が流れ始めたその時。林道の先から軽快な蹄の音が響き、視察を終えたオルダが姿を現した。
彼は馬を止めると、エルキアとアルトの間に漂う、これまでとは違う「対等な空気」を敏感に感じ取り、ニカッと不敵な笑みを浮かべた。
「おぉ、ちょうどよいタイミングで合流できたみたいだな……エルキア、良い面構えになったじゃねぇか。憑き物が落ちたような、いい女の顔だ」
相変わらずの傍若無人な物言いに、エルキアは静かに一歩前へ出た。
「オルダ様……。二か月もの間、私の身勝手な理由で休養をいただき、ご迷惑をおかけしました」
「何言ってるんだ。俺たちの関係はそんなビジネスライクなもんじゃねぇだろ? ともに苦楽を分かち合う、運命共同体の仲間だ。水臭いこと言うなよ」
オルダは快活に笑い、馬を降りる。その言葉に、エルキアの隣にいたエネアウラも静かに歩み寄った。
「そうですか……仲間の、苦楽を、分かち合う……」
エルキアが呟く。その声のトーンが、わずかに、けれど決定的に冷え切ったことに、能天気なリーダーは気づかない。エネアウラもまた、無表情のまま、エルキアと並んでオルダの前に立つ。
「ん……? どうしっ……」
オルダが違和感を覚えて身構えようとした…瞬間だった。
「ぶほぉっ!!」
エルキアの拳が、オルダの脳天を激しく揺らす顔面への強打として炸裂した。流麗な動作から放たれた一撃は、まさに「死神」と呼ばれた時代の精密さを思わせる。
ほぼ同時に、エネアウラの鋭いボディーブローが、オルダのみぞおちを正確に捉えた。
「ごふっ……げほっ、ぁ……!」
オルダは糸が切れた人形のように倒れ、痙攣している。
「し、師匠――っ!!」
ラッシュが悲鳴を上げて駆け寄るが、エルキアとエネアウラの放つ凄まじい威圧感に、それ以上近づくことができない。
「……オルダ様。今の私が『戦力外』かどうか、この拳でおわかりいただけましたか?」
エルキアは見下ろす瞳に冷徹な光を宿し、指の関節をパキリと鳴らした。
「お望みならば、さらに魔法の威力も味わってみます? 霊体の芯まで響くやつを」
「この方は、昔から言葉数が少なすぎるのです」
エネアウラも、普段の物静かさが嘘のような冷淡な声で追撃する。
「その言葉足らずのせいで、周囲がどれほど苦労し、心を削っているか……。その身に染みて、猛省していただかなくてはなりません」
「いやいやいや! 勘弁してくださいよ、お二人とも!」
ラッシュが師匠の気道を確保しながら、必死に弁明する。
「師匠は記憶が飛んでいるんだから、今何を言っても聞こえてないですよ! 死んじゃう、本当に死んじゃいますから!」
目を開けたままピクピクと震えるオルダ。その背中を見つめながら、エルキアはふっと息を吐き、先ほどアルトに見せたものとは違う、晴れやかな、けれど少しだけ意地の悪い微笑を浮かべた。
こうして、『本当の意味での再会』は、オルダの受難という形で幕を閉じた。
オルダが地面の土を味わっている間に、一行の空気は一気に弛緩し、新たな出会いの時間へと移り変わった。
エネアウラは乱れた毛並みを整えるようにゆったりと歩み寄り、アルトの目の前で足を止めた。その琥珀色の瞳には、好奇心と慈愛が入り混じったような、年長者特有の余裕が浮かんでいる。
「そういえばアルト君、自己紹介がまだだったわね。初めまして、私はエネアウラ。見ての通り亜人種で、人狐族よ。エルキアとは腐れ縁の友人……といったところかしら」
アルトは少し緊張した面持ちで、彼女を見上げた。その耳や尻尾の質感に、かつてエルキアから聞かされていた話を思い出す。
「あ……アルトです。お名前は、聞いていました。アルブール王国に住んでいて、エルキアが会いに行っていた……。……女の人、だったんですね」
その言葉に含まれた微妙な「ニュアンス」を、鋭い人狐族の耳が逃すはずもなかった。エネアウラは一瞬きょとんとした後、耐えきれないといった風に肩を震わせた。
「ぷっ……!あははは! もしかしてアルト君、エルキアの『昔の男』か何かと勘違いしていたの!? それは傑作ね、焦ってもしょうがないわ。なになに?エルキアは私と会うのがそんなに嬉しそうだったの?」
「もうっ、やめてよ。エネアウラ!」
エルキアが横から茶化さないでと言わんばかりに怒る。
図星を突かれたアルトの顔が、耳の付け根まで真っ赤に染まる。
傍らで見ていたラッシュとりっちゃんは、合点がいったように顔を見合わせた。あの夜、アルトがなぜあんなにも無謀な背伸びをしてまでエルキアに唇を重ねたのか。謎だったパズルの最後のピースが、今、はまった気がしたのだ。
(なるほどな……。取られるのが怖くて、必死で『男』になろうとしてたってわけか)
(若さってのは、時に眩しく、時に残酷だな……)
そんな二人の視線に気づく余裕もなく、アルトはただただ縮こまっている。そんな彼に、エネアウラはさらに追い打ちをかけるように、いたずらっぽく小声で囁いた。
「安心なさい。私の知る限り、エルキアは八百年生きてなお、未だに『男』を知らないわ……。頑張りなさいよ、アルト君」
そう言って、歓迎の意を込めてしなやかな手を差し出す。
だが、その言葉を聞いたりっちゃんの脳裏に、数日前の宿屋での「狂乱」がフラッシュバックした。
(……いや、エネアウラさん。確かに主様は『男』は知らない。……知らないが、だがしかし……!)
エネアウラとエルキアがあれほどまでに蕩け合い、理性をどこかに置き忘れたかのような、あの夜の光景。そしてその渦中に巻き込まれた自分…りっちゃんは複雑な表情で天を仰いだ。
「え……あ……は、はい。よろしく、お願いします……」
アルトは返事こそしたものの、差し出された手を取るどころか、弾かれたように距離を取った。握手を拒もうとするその動きは、本能的な防衛反応に近い。
(あら……? もしかしてこの子、エルキアとの一件でちょっとした女性恐怖症にでもなっちゃったかしら? ……まぁ、ガードが固いのはエルキアにとっては好都合ね)
エネアウラは面白そうに目を細め、引っ込めた手で自分の尻尾を撫でた。
そこへ、空気を変えるようにラッシュが身を乗り出す。
「あ! そうだ、エネアウラさんって、あの『玉藻』さんだったんですね! 全然わからなかったっす! さっきのボディーブロー、マジで痺れました!」
伝説の暗殺者としての名を聞き、ラッシュの瞳が輝く。エネアウラはそんな彼に、年上の淑女らしい柔らかな笑みを向けた。
「ラッシュ君。ルリちゃんと仲良くしてくれて、本当にありがとうね。あの子からあなたの話、よく聞いていたわよ。アンゾールマも殿方にとって良いお店は沢山あるけど…あまり羽目を外しすぎているとルリちゃんにチクっちゃおうかしら…?」
「もう勘弁してくださいよ~、自発的には行かないっす!」
「あはははは!」
こうして、一行に『最強の苦労人』であるエネアウラが加わった。
エルキアとアルトの新たな関係、オルダの不憫なリーダーシップ、そして若者たちの成長。
国境の林道に響く声は、出発前よりもずっと、賑やかで力強いものに変わっていた。
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