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ンードラロギア  作者: ああああ


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第四十四章 卒業

四十四章です。

国境へと続く林道は、去りゆく夏の湿り気と、忍び寄る秋の乾いた冷気がせめぎ合う過渡期にあった。

高く透き通った空には、ちぎれた綿雲が速い風に流されていく。道端の夏草はまだ青さを残しながらも、穂先だけがわずかに黄金色を帯び、馬蹄が土を蹴るたびに、熟し始めた草の香りが鼻を突いた。


その風を切って、エルキアは愛馬を駆らせていた。

視界の先、木漏れ日が揺れる街道の開けた場所に、二つの人影を捉える。先行していたオルダを待つ、アルトとラッシュだ。


二人の姿がはっきりと網膜に焼きついた瞬間、エルキアの胸を貫いたのは、再会の安堵よりも先に、鋭く刺すような「痛み」だった。


(……アルト。私は、あなたにどんな顔をして……)


手綱を握る指先に力がこもる。

岩場に腰を下ろしていたラッシュが、近づく蹄の音に気づいて勢いよく立ち上がった。その表情にいつもの余裕はなく、これから始まるであろう二人だけの対峙を予感して、硬く強張っている。隣に座っていたアルトもまた、弾かれたように顔を上げた。


エルキアは速度を落とし、アルトの目の前で馬を止めた。

鞍から滑り降りるようにして地上に降り立つ。一歩、また一歩と、まだ青みの残る葉がわずかに混じる土を踏みしめて、彼へと近づいていく。


背後に控えるりっちゃんとエネアウラも馬を止めたが、誰一人として声をかける者はいない。森の静寂の中に、荒くなった馬の呼吸と、微かな風の音だけが響いていた。


アルトと正対した瞬間、あの夜の生々しい記憶が、熱を伴ってエルキアの脳裏に蘇った。

アルトからの突然の口づけ。そのあまりの衝撃と、彼を「子ども」の枠に留めておきたいという防衛本能が、反射的に突き動かした自分の牙。

愛しんでいたはずの彼の舌を、噛み切らんばかりの勢いで拒絶した、あの瞬間の血の味と絶望的な感覚。


眼前のアルトは、かつて自分が背を見せて逃げ出したあの夜よりも、ずっと大人びた眼差しでエルキアを見つめていた。

沈黙の中、エルキアはゆっくりと口を開く。その声は、秋の入り口の冷たい空気に触れ、かすかに震えていた。


「……アルト」


震える声でその名を呼ぶ。振り返ったアルトの瞳には、かつて馬車の荷台で怯えていた少年の面影はなく、一人の男としての決意が宿っていた。しかし、その視線がエルキアとぶつかった瞬間、二人だけの間に、あの夜の続きの時間が流れる。


「……エルキア」


歩み寄ったエルキアは、まず深く頭を下げた。白銀の髪が地面へと流れる。


「謝らせて、アルト。……あの時、あなたの舌を噛んだこと。そして、あなたの気持ちに向き合わず、一方的に突き放して離れようとしたこと。……本当に、ごめんなさい」


喉の奥が熱い。八百年の時を生きてきたエルフが、わずか十六歳の青年に向けて放つには、あまりに不器用で、惨めな謝罪だった。

アルトは一瞬呆然としたが、すぐに困ったように眉を下げ、自らも頭を下げた。


「僕の方こそ、ごめん。……エルキアの気持ちも考えずに、身勝手なキスをした。……怖がらせてしまったよね」


二人の間に流れる沈黙。それは拒絶ではなく、積み上げすぎて歪んでしまった「保護者と被保護者」という関係の軋みだった。


「アルト、私は……過保護すぎたわ。あなたを『無垢な子ども』のままでいさせようと、世界の汚れから遠ざけることばかり考えていた。……でも、それはあなたを信じていなかったからじゃない。私が、私自身の過去に怯えていただけなの」


エルキアの瞳に、暗い影が差す。彼女が「死神」と呼ばれ、少年の首を落とすことすら辞さなかった頃の冷徹な光だった。


「聞いて、アルト。これが私の、本当の姿よ。……私は約十年前まで、百年にわたってエルフの戦闘集団『セレスティアル・サーバント』の一員だった。…私は『死神』と呼ばれていたわ…。エルフ枢密院が描く『グランドデザイン』――彼らが理想とする世界を維持するためだけに、私は剣を振るった。そこには正義なんてなかった。罪のない女も、子供も……枢密院が『不要』と断じれば、私は無慈悲に殺戮を繰り返した。……私の手は、洗っても落ちないほどの血で汚れているの」


アルトが息を呑む音が聞こえる。エネアウラも、ラッシュ(りっちゃん)も、エルキアの告白の重さに動けない。


「ずっと疑問だった。何のために殺すのか、この世界のどこに救いがあるのか。でも、任務を遂行することしか知らなかった。……転機はティアズ国だった。オルダ様の暗殺任務を受けた私は、そこで彼と、そして昔お世話になったエルフの先生に出会った。……彼らの生き方に触れ、私は初めて、自分がどれほど歪んだ世界にいたかを知った。……私は組織を抜け、全てを捨てて逃げたわ。……その直後に出会ったのが、炎の中にいたあなただった」


エルキアは自嘲気味に微笑む。その表情は、アルトが見たこともないほど脆く、崩れそうだった。


「私はね、アルト。あなたを育てることが、自分が犯してきた数え切れない罪の『償い』になると……そう信じ込んでいたの。あなたの成長を願う気持ちに嘘はなかった。けれど、その根底には、あなたという純粋な存在を利用して、自分の業を浄化しようとする汚いエゴがあった。……無関係なあなたを、私の過去に巻き込んで、縛り付けていたのは私の方だったのよ」


すべてを吐き出したエルキアは、裁きを待つ罪人のように目を伏せた。

だが、返ってきたのは、温かく、力強い言葉だった。


「……話してくれて、ありがとう。エルキア」


アルトの声は、少しだけ震えていた。


「エルキアが何を背負っていても、僕を救ってくれた事実に変わりはない。……僕はもう、守られるだけの子どもじゃない。成人になったんだ。……七年間、僕を育ててくれて、本当にありがとう」


ヤプールの陽だまり、石切り場での過酷な訓練、温かいスープの味、そして寄り添って眠った夜。走馬灯のように巡る思い出が、アルトの決壊を招いた。成人の儀を終えたはずの青年は、顔を覆い、子どものように嗚咽を漏らして泣きじゃくった。


「あらあら……成人になったのに、まだ泣き虫さんなのね」


エルキアは、慈愛に満ちた、けれどどこか寂しげな微笑みを浮かべた。彼女は最後の一歩を踏み出し、アルトの大きな体を、かつてのあの日と同じように優しく、けれど強く抱きしめた。


これが、保護者として行う、最後の抱擁…。


「……エルキアだって……」

 アルトが、涙に濡れた顔を彼女の肩に埋めたまま、精一杯の反撃を口にする。

「……エルキアだって、八百歳にもなるのに、……泣いているじゃないか」


指摘されて初めて、エルキアは自分の頬を伝う熱いものに気づいた。

「……エルフは、涙もろいのよ」


その光景を見ていたラッシュは、「よかった…ほんとによかった!」と言いながら顔をくしゃくしゃにして鼻をすすり、りっちゃんは情けない声で『主様ぁぁ~!!』と叫んでいる。


(保護者卒業…おめでとう、エルキア。そして…お疲れ様でした)

エネアウラは何も言わずに静かに涙を拭った。


エルキアの腕から離れたアルトの瞳には、依存のない、対等な「光」が宿っている。

それは二人の別れではなく、共に行き、共に罪を背負い、共に運命に抗う、新たな「旅」の始まりに過ぎなかった。



四十四章読んでいただきありがとうございます。

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