第四十二章:器を満たす、濁る真水(マイルドですが百合です)
四十二章です。題にも記載致しましたが苦手な方すみません。
湯桶の湿った熱気から逃れるように移動した寝室で、エルキアはエネアウラの肌に触れていた。最初は純粋な、疲れを癒やすためのマッサージだった。浴室での肩揉みに続き、寝室では腕、そして腰へと、エルキアの手は迷いながらもその領分を広げていく。
エルキアの指先が、くすぐったい場所に不意に触れた、その時だった。
「ひゃっ……!?」
エネアウラの身体が、まるではじかれたように大きく跳ねた。予想もしなかった可愛らしい悲鳴に、エルキアは思わず小さく吹き出す。
「ふふ、どうしたの? エネアウラ。変な声を出して」
「も、もう! エルキア……っ。そこ、すごく弱いのよ……! お返ししちゃうわよ~?」
エネアウラは顔を真っ赤にし、恨みがましくエルキアを見上げる。二人は寝台の上で、キャッキャと声を上げながら、互いの身体を突き、くすぐり合った。この無邪気な時間は、『アルトの保護者』という重荷を降ろされたエルキアにとって、現実の痛みを忘れさせてくれる唯一の救いだった。
やがて、エネアウラが降参するようにエルキアの膝の上に頭を預け、穏やかな吐息を吐く。膝枕の体勢で、エルキアは彼女の柔らかな髪を優しく撫でた。
「……他に、エネアウラの弱そうなところ、どこかな」
エルキアは『もっとこの子を慈しみたい』という無意識の独占欲に駆られ、再び指を動かし始める。耳の後ろ、首筋のくぼみ。エルキアの指が彷徨うたび、エネアウラは幸せそうに目を細めた。
「……こんな私を見せられるのは…世界中で、あなたしかいないの。あなたの手が触れるだけで、私は……満たされるのよ」
エネアウラの潤んだ瞳が、エルキアを射抜く。その言葉は、何者でもなくなった彼女にとって、拒絶できない聖痕となった。自分しかいない。自分がやらなければならない。その強迫的な「献身」が、彼女の心を支配していく。
エネアウラは、その微かな接触に対して、まるで極上の宝物に触れられたかのように、大きく、愛おしそうに身体を震わせる。
「……っ、ああ……エルキア……。あなたの手は、なんて温かくて……素晴らしいの……」
「……そう? ただ、触れているだけなのに……」
エルキアの声には困惑が混じる。だが、エネアウラが頬を紅潮させ、陶酔しきった瞳で自分を見上げ、漏らす吐息のひとつひとつが、エルキアの空っぽになった心を埋めていった。
(私が……この子を、こんなに幸せにしている)
すべてを失ったエルキアにとって、エネアウラの過剰なまでの「悦び」の反応は、唯一の自己肯定の拠り所だった。エネアウラはそれを理解した上で、エルキアの献身を一身に受け止める。
「いいのよ、エルキア。あなたは何も怖がらなくていい。……あなたが私を慈しんでくれるたびに、あなたは私の『特別な人』に戻っていくのよ……」
エネアウラの吐息が、エルキアの耳朶を濡らす。
エルキアは、自分が抱いていた虚無感さえも、エネアウラの「もっと触れて」という切実な願いの中に溶かしてしまった。
エルキアは、自ら進んで、エネアウラという底なしの「信頼」の中へと没入していく。
「私がいなければ、この子は生きていけない」という、甘美な使命感に支配された、新しい共依存の形が完成されつつあった。
そして、視界を揺らぐ甘い香の香りは、エルキアの肺を満たすたびに、彼女を縛り付けていた「聖女」としての義務感や、守らなければならないという使命感を、淡雪のように溶かしていった。
エネアウラは、陶酔しきった瞳で自分を見つめるエルキアに、神聖な儀式を執り行うようにゆっくりと向き合う。
「……気づいたのね、エルキア。あなたが、誰よりも『愛されること』を待ち望んでいることに」
「……あ、……ええ。……もう、隠せないわ」
かつては他人が触れることをあれほど忌避していたエルキア。だが今、エネアウラを前にしてエルキアの口から漏れたのは拒絶ではなく、切実なまでの甘い溜息だった。
「いいのよ、エルキア。……今まで、あなたは十分に誰かを守ってきた。……今日からは、私の熱だけに溺れて。あなたが感じたものを新しい世界にしていいの……素晴らしいでしょう? ここにあるのは、あなたの『悦び』という名の、純粋な真実だけ……汚れなんて、どこにもないわ……」
押し寄せる快感の濁流。それは、エネアウラに「与えていた」時には決して知ることのできなかった、自分自身が消失していくような圧倒的な受容の悦び。
(……ああ。私は、これを、ずっと待っていたんだ……)
「……もっと、……壊して、エネアウラ。……私を、あなたの熱で……全部、溶かして……!」
その瞳に宿るのは、もはやかつての凛とした峻厳なエルフの姿はなかった。
ただ一人、自分を愛し、汚し、そして全肯定してくれるエネアウラという名の深淵に、自ら飛び込んでいく、一人の淫らで無垢な女の顔だった。
互いの境界線が曖昧になるほどに密着し、汗と香が混じり合い、視界が白く塗り潰されるような感覚。二人は、先ほど到達したはずの頂点を軽々と超え、さらに深く、何度も、何度も、名前を呼び合いながら、快楽の深淵へと突き進んでいった…。
外の世界のこと、アルトのこと、守るべき正義。そんなものは今となれば、この燃え上がるような肌温の前では、塵芥にも等しいものとなった。
夜通し続いた狂乱の末、二人は文字通り、指一本動かせないほどの疲労と充足の中で余韻に浸るも、エルキアはもつれる肢体をゆっくりとほどき、膝をついた姿勢でエネアウラを正面から見つめる。その瞳には、もはやかつての絶望の影はなかった。
「エネアウラ……。ありがとう。本当に、ありがとう」
エルキアは、祈るような手つきで親友の身体を抱き寄せる。それは欲情からくる密着ではなく、魂の底からの、剥き出しの感謝がこもった抱擁だった。
エネアウラはその腕の強さに息を呑む。エルキアの肌から伝わる熱は、先ほどまでの快楽の余韻を超えて、力強い鼓動となって彼女を揺さぶる。
「……エルキア? あなた、そんなに強く……」
「わかっているわ。今の私はあなたとの汚泥のような快楽と、自分勝手な欲望……。たくさんの『混ぜ物』が入ってしまった」
エルキアはエネアウラの肩に深く顔を埋め、歓喜に震える声で続ける。
「でも、不思議ね。その濁りこそが、私に重みを与えてくれた。空っぽで、ただ透明だった頃よりも、ずっと……自分が『人間』であることを誇らしく思えるの。これでようやく、私は戦える。誰かのための虚像ではなく、一人の女として、外の世界に戻れるわ」
エネアウラは、その言葉を聞いて、自分が植え付けた毒(快楽)が、エルキアを壊すどころか、彼女をより強固な、実体を持った存在へと作り変えてしまったことに激しい衝撃を受ける。
「ああ……っ、エルキア……!」
感極まったエネアウラの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは、計画通りにエルキアの器を満たすこと叶えたことへの達成感か。それとも、あまりにも眩しく再生した親友への、狂おしいほどの恋慕か。
エネアウラはエルキアの背中に爪を立てるほど強く抱き返し、その首筋に顔を寄せる。
「ええ……そうよ。あなたはもう、独りよがりの聖女じゃない。私と共犯関係にある、欲深い女性。……さあ、世界に見せつけてやりなさい。あなたがどれほど美しく、そして『汚れ』を知って強くなったかを」
「ええ……。外の世界で、私は私のために戦うわ。……また、ここに戻ってくるために」
朝光が、抱き合う二人を照らす。
「ねぇ、エネアウラ…」
少しはにかんだ表情をエネアウラに向ける。
「…なぁに?私も言いたいことがあるのよ。せーの…」
「「もう一回!」」
…再び二人は、シーツの海に沈み込んでいったのだった……。
四十二章読んでいただきありがとうございます。実はこのエピソード、今まで一番気を遣いました…。15禁扱いにしていますが、初稿は思いっきりアウトでした。出来がよかったので、そのまま深夜小説に引っ越しも考えました。泣く泣く表現をマイルドに…削って…書きたいことがしっかり伝わるといいなと思います。




