第三十五章:棚ぼた拷問と非情な死神
三十五章です。後半はワルサス視点で書いております。
別室での王との密談を終えたオルダは、エルキア、サーガイル、アンジュを前に、事の重大さを噛み締めるように説明を始めた。
「……なるほど。そしたら、オルダ様と私でサクッと二人の王子を暗殺すれば解決ね?」
エルキアが、紅茶の砂糖でも選ぶような気軽さで、とんでもない物騒な提案を口にした。その瞳には、かつて数多の命を刈り取った「冷徹な処刑人」の輝きが宿っている。
「確かにこのまま国王が暗殺されたとしても、二人の王子を処刑する筋書は変わらないが…だめだ。王子たちを排除すれば当座の危機は去るが、それだけじゃ足りん。背後で糸を引いている勢力を野放しにすれば、何度でも同じことが起きる」
「……それじゃ、二人の王子を誘拐して、拷問で口を割らせる。その後始末する……というのはいかがかしら?」
慈愛に満ちた聖母のような微笑みを浮かべながら、提案される内容はえげつない。同席していた魔大師シリウスは、その圧倒的な圧力に喉を鳴らした。
「……こ、これが伝説の『死神エルキア』……!?」
その瞬間、室内の空気が爆発した。エルキアから放たれたドス黒い殺気がシリウスを直撃する。
「ぎ……っ!」
シリウスは白目を剥き、声も上げられずにその場に崩れ落ち、失神した。
「オルダ様! その二つ名はやめてくださいとあれほど言ったではありませんか! アルトが聞いたらどうするのです!? イメージが悪すぎるわ! どうせなら『慈愛の戦女神』とか……あ、この二つ名、良いかも!」
「すまん!つい力が入って口が滑ったんだ」
オルダが、珍しく冷や汗を流して平謝りする。この場にいる全員が「死神」という単語が彼女の絶対的なNGワードであることを、恐怖と共に刻み込んだ。
「後、私も『軍神ガナーブ』ってことは、アルトとラッシュにはまだ内緒だぜ」
オルダは指をハサミのように動かし、口封じのジェスチャーをしてみせた。
「エルキア殿…私の今後の身の安全も考えてのことだろうが、できれば、できる限り誰も死なない方法で頼むよ」
すがるような声で懇願するエルキア
「わかりました、サーガイル王子」
(手っ取り早く消したほうが楽なのに)という本音を、エルキアは優雅な一礼で覆い隠した。
「しかし、王宮内で大捕り物を起こすというのは王国の沽券に関わることではないですか?月の蝕に備えて国内を一致団結すべき時にそのような…」
アインザックが恐る恐る口を開く。だが、それを制したのは国王だった。
「よいのだ。内外に対して、引き締めを行おうとしているのだ。まずは王宮内の膿を出す…王族として率先垂範する姿を見せるからこそ、民の信を得られるというものだ。サーガイルよ、よく覚えておきなさい」
「はい!父上!」
計画は迅速に練られ始めた。エルキアがアインザックに、王宮の間取り、護衛の交代時間、動きに関する詳細な情報の収集を命じる。
「あの…今から何が始まるのですか…?」
戦術的な単語が飛び交う中、アンジュが不安げに尋ねる。
「二人の王子の拘束をできる限り被害を少なくするように突入経路や時間を計画するんだ。まぁこちらはもう内部に侵入しているし、情報も取れる…これほど楽な仕事はない」
「念のための確認だがエルキア、今回二人の王子による国王暗殺の企みが計画されているとした場合、セレスティアル・サーバントが絡んでいると思うか?」
「いいえ、彼らは関与していないわ。枢密院が王国に来たという事実は公になっている。足がつく可能性をもっとも恐れるはずよ。もし王子の後ろに誰かがいたとしても、王国内のマルムーン教か貴族…他には隣国の謀略ね」
「そうだな…フックヴェリス国が関与してしていたら…やっかいだな。芋づるが途中で切れずに全て収穫できると良いのだがな…」
重苦しい沈黙が一同を包む。――だが、その静寂は、場違いなほど元気な声によって打ち破られた。
「サーガイル王子!エルキア!大変なんだ!!」
バァン! と勢いよく扉が開き、ボロボロになったアルトとラッシュが、何か大きな白い砂袋のようなものを二人で担いで入ってきた。
「アルト、血がたくさん服に付いているわ!どうしたの!?」
エルキアが悲鳴に近い声を上げて駆け寄る。アルトの稽古着は、あちこちが真っ赤に汚れていた。
「これはただの鼻血だよ、拭くものがなかったから…」
「ん…どうしたんだい?え…大司教!?」
サーガイルが、二人が担いでいる「砂袋」を凝視し、絶句した。
「シュナイゼルさんとはぐれちゃって、廊下を全速力で走っていたら角でこの人とぶつかっちゃって…」
「もう、廊下を走ってはいけませんっていつも言っていたじゃないですか」
「そんなことよりも、そこのソファに休ませようか…アルト君、ラッシュ君、もう一度持ち上げてくれるかな?」
「あぁ、よし、アルト、せーのっ!」
大司教をもう一度持ち上げようとしたところ、懐から数枚の紙が落ちた。
オルダがそれを拾い上げ、一瞥する。次の瞬間、彼の目つきが変わった。
「ん…なんだこの紙は?ん!?これは暗殺計画の血判状!?」
そこには、暗殺計画の首謀者全員の名、時刻、突入経路、そして暗殺方法が詳細に記されていた。偶然にも、最強の証拠と情報を「鼻血を出した少年」が手に入れてしまったのだ。
「「これは使える」わ」
オルダとエルキアの声が重なった。
気を失っている大司教を見つめる二人の瞳には、暗い影が落ち、眼光が獲物を定めた猛獣のように光る。口角は耳元まで裂けるかと思うほど吊り上がっていた。そのあまりの邪悪なまでの「笑顔」に、サーガイルと国王は本能的な恐怖で戦慄した。
「ラッシュ、その血がついたボロい稽古着、貸してくれー」
オルダの低い声が室内に響く。血に汚れた服と、手元にある暗殺計画書。
地獄よりも恐ろしい「死神」と「軍神」による、反撃の舞台装置が整おうとしていた。
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暗い、冷たい、そして鉄の錆びたような匂いが鼻をつく。
大司教ワルサスの意識は、頭蓋をかち割るような鈍痛と共に、泥のような眠りから這い上がった。
(ん…なんじゃ、頭が痛い…眠っておったのか?)
記憶の澱みを掻き分けようとするが、思考がまとまらない。
廊下を曲がった瞬間、何かに、そう、巨大な岩石にでも衝突したような衝撃があったはずだ。
意識が鮮明になるにつれ、ワルサスは自分の身体に異様な不自由を感じて愕然とした。
「ふ!?ぬ~~~~!!」
(声を出すことができない!目隠しとさるぐつわをされているのか!?)
もがけばもがくほど、手首と足首に食い込む縄の感触が現実を突きつける。椅子に完全に固定されているのだ。聖職者として権勢を振るってきた彼にとって、これほどの屈辱と恐怖は生まれて初めてのことだった。
「ようやくお目覚めね、…ん。」
鼓膜を震わせたのは、鈴を転がすような、それでいて背筋が凍りつくほど冷徹な女の声だった。
(……女の声!? なんじゃ、ここはどこなんじゃ!?)
不意に視界を遮っていた布が剥ぎ取られた。
網膜を刺すような蝋燭の灯り。目が慣れるに従って、そこが湿り気を帯びた拷問室であることを理解し、ワルサスの心臓は早鐘を打った。
(!!)
目の前に立つ男に、ワルサスは息を呑んだ。
目隠しを解いた男…薄手の服には、おぞましい量の血痕がべっとりと付着している。あちこちが引き裂かれた布の隙間から覗くのは、無数の傷痕と、鋼のように隆起した筋肉だ。
(こ、こやつ……!! 拷問官か、あるいは人殺しの類か!? こんな化け物のような男、王宮にいた覚えがないぞ! こいつらは一体誰なんじゃ!?)
すると拷問官は表情一つ変えずに背後でゴソゴソと何かを準備し始めた。鉄の触れ合う嫌な音が響く。やがて、同じように椅子に縛り付けられた男が、目の前へ引きずり出されてきた。
(…神殿長っ!!)
「ぶはっ!!…大司教様!!大変なことです!!我々の悪だくみが全てエルフの耳に…」
「ダマレ!!」
拷問官の怒声と共に、丸太のような拳が振り下ろされた。ドゴォッ! という鈍い音を立て、神殿長は案山子が折れるように首を垂れ、意識が途切れた。
(なんということじゃ……高貴なあの方々に、私の悪事が全て……バレたというのか!? もう終わりじゃ、私の人生は、ここで……)
絶望に打ちひしがれるワルサスの前に、女の影がぼんやりと現れた。
漆黒の鎧を纏い、月光を反射するような銀髪。そして、その側頭部から突き出た、紛れもないエルフの耳。
(ま、まさか……セレスティアル・サーバントなのか!? あの、枢密院の手足となる死の集団が……!?)
女は死神のような無機質な眼差しで、静かに語り始めた。
「私は『月の尖兵』、『この星を導く神の剣』…この意味は、貴方ならわかるわね?騒ぐ度にまずは爪を剥ぐ。次に指を折る。……真実のみを答えなさい」
(本物だ!! 本物のセレスティアル・サーバントじゃ!! 隠し通せるわけがない、奴らは地獄の底まで追いかけてくる!!)
あまりの恐怖に、ワルサスの股間から温かいものが漏れ出した。教団の重鎮としてのプライドは、霧散して消えた。
拷問官が猿ぐつわを力任せに外し、低く、地を這うような声で尋問を開始した。
「オマエ、ダレノサシズデ ウゴイテイル」
「わ、私の独断です!! 全て私が、私腹を肥やすために計画したものです!! 誰の差し図でもありません!」
「カクスト タメニ ナラナイ」
拷問官がワルサスの震える人差し指を掴んだ。みしり、と骨が軋む音が聞こえる。逆方向に、一気にへし折らんとする力が加わる。
「ぎゃーーー!! 本当です!! 私欲のため、教団の金を着服するためにやったのです!!」
「……枢密院からの指示以外のことをしては困るわ。枢密院の『真の指示』を、貴方は理解しているの?」
漆黒の女が近づく…顔は見えずその豊かな胸の美しさが、今は何よりも恐ろしい。
「はい…!月の蝕までは王宮と足並みを揃えて、静かに布教活動を行うことです!!そして後ろ盾となる貴族や商会を味方につけることです!」
「それで、現在の進捗はどうなの?」
「ひっ…!?数名の貴族に賄賂を持たせて、取り込みました。商会勢力については……」
「ハヤク コタエロ!!」
拷問官がさらに指を絞り上げる。ボキリと鳴りそうな臨界点。
「言います!! 言います! 商会勢力は、王家への忠誠心が厚く、取り込めませんでした! 無理だったのです!」
「その後はどうしろと言われている?」
「はい……! 月の蝕の後に、被害に遭った国民を救済して心を縛り、王政を転覆させる『革命の火』を起こせと……そう、枢密院からは言われております!!」
ワルサスは心臓を吐き出すような思いだが、目の前にいるエルフの騎士は枢密院側の人間、これは秘密を暴露しているわけではないと思い込むワルサス。
「……そうだ。お前たちは静かに、長い期間をかけて実行するのだ。今回のような手荒な暗殺計画など、足がつく。枢密院も望まないわ。この計画は、私の独断で収束させる。……もし、この一件を枢密院に報告したり、情報を漏らしたりしてみなさい」
女の目が、冷たく光った。
「我々は世界各地に潜んでいる。お前と、愛する妻、そして二人の娘を見つけることなど、風の音を聞くよりたやすいことよ」
(娘のことまで知っているのか…!?)
「はい!! この件に教団は関わりがなかったものとして報告します!! 家族だけは……どうか、家族だけは助けてください!」
「……そう。他にはないの? 教義に反する、貴方の『不浄』をすべて吐き出しなさい」
「そ…それは…」
「ハヤクシロ!」
「ひっ!ひぃ!!あります!!信者の女子更衣室を覗いています!いつも女性の胸ばかり見ています!夜中にこっそり、教義を無視して肉を、夜食を食べています!」
ワルサスは涙と鼻水にまみれ、魂を切り売りするように叫んだ。
国家転覆の陰謀という「大きな罪」はとうに吐き出した。だが、目の前の『月の尖兵』を名乗る女の眼光は、それだけでは満足していない。蛇に睨まれた蛙のように、ワルサスは自分の内側にある「不浄」をすべて曝け出すしかなかった。
(……これで、これで許してくれるはずじゃ。こんな矮小な罪、神の尖兵も興味はないはず……!)
ワルサスは縋るような目で、血塗れの拷問官を見上げた。
一瞬、拷問官の動きが止まった。
その鋼のような指が、ワルサスの腕から離れそうになる。
(……お? 指を離した!? そうか、あまりにくだらなすぎて、呆れておるのか! 助かった、助かったんじゃ……!)
希望の光が見えた。血塗れの怪物は、どうやらこの程度の「男の悪癖」には寛大なようだ。心の中で神に感謝を捧げようとした。
「おい……三本だ」
背後に立つ『尖兵』の声が、地下室の空気を氷点下まで叩き落とした。
その声には、怒りすら入る隙のない、絶対的な「処刑」の響きがあった。
「エ…?」
拷問官は一瞬、声を発し、背中がビクリと跳ねるのを見た。
拷問官はなぜか、すぐには動かなかった。仮面の奥で戸惑っているのか、あるいは何かを言い淀んでいるのか……。その怪物が背後の女の機嫌を伺っているようにさえ見えた。
(ま、まさか……あやつ、本気なのか!? 覗きや胸を凝視するくらいのことで、指を折るというのか!? そんな理不尽なことが……!)
「早くしろ!!」
女の冷徹な一言が飛んだ瞬間、拷問官の迷いが消えた。
彼はワルサスに、同情とでも言うべき、ひどく哀れみのこもった(と感じられた)視線を一瞬だけ向けると、迷いなくその太い指でワルサスの右手を掴み直した。
「これからは無心になり、静かにゆっくりと布教に励むのだ……。わかったわね?」
今生の戒めの呪文のように言葉が突き刺さる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 覗きは一回だけ、肉もそんなに高いやつじゃな……ひぃ…やめ…」
地下室の石壁を震わせる絶叫。意識が遠のく中、折られた指の激痛よりも恐ろしかったのは、その様子を、ゴミでも見るような冷ややかな目で見下ろしている女の立ち姿だった。
ワルサスはこの夜、自分たちがどれほど巨大な存在に逆らったのかを、その骨身に刻み込まれたのである。壮絶な痛みの中で意識が遠のく中、ワルサスは誓う…教義を守り、憧れていた司教になろうと…。
三十五章読んでいただきありがとうございます。怖いですねー、世の男性の方々のほとんどが1本は確実に折られてしまいますね。それくらい見逃せよ…と言いたげなオルダ。そんなワルサスに同情の声が集まるなら聖人となって再登場させてもいいかな…って思えます。




