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ンードラロギア  作者: ああああ


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幕間:人狼の眼、金色の檻

二章に登場するワーウルフ、ラッシュの視点で幕間を作ってみました。まぁ、別に「幕間」でなくてもよかったのですが…。

ガキの頃から、鼻(嗅覚)と勘だけは異常なほど鋭かった。この時ばかりは、忌々しいワーウルフの血筋に生まれたことを感謝している。風に乗って運ばれてくる湿り気で雨の刻を知り、土の匂いの変化で地中の獲物の位置を当てる。群れから外れ、貧しい暮らしを強いられてきた俺の一家にとって、この「獣の遺産」こそが、凍てつく冬の飢えと死神の指先から逃れ続けるための唯一の武器だった。


だからこそ、ヤプールの村に現れたあの「商人一家」を見た瞬間、俺の喉元には正体不明の冷や汗が流れた。

村の連中は、オルダ様を聖者のように崇めている。泥を啜っていた村を豊かな黄金の麦畑に変え、清潔な水を与えてくれる救世主だと。だが、俺の鼻は別のものを嗅ぎ取っていた。


オルダ様から漂うのは、砂金と香料の匂いの裏側にこびりついた、拭いきれない「鉄と硝煙」の臭気。 エルキアさんから放たれるのは、春の草原のような芳香の奥に潜む、獲物を一撃で屠るための「冷徹な殺気」。 そしてアルト……あいつだ。あいつからは、この世のものとは思えないほど高密度で、どこか懐かしくも恐ろしい「深淵」の匂いがした。


アルト、お前は気づいていないのか?

こののどかな「陽だまり」が、あまりにも完璧に、そして緻密に作り込まれた人工の庭園だということに。


例えば、あの塾だ。オートン先生が教えているのは、ただの読み書きじゃねえ。あのアブラの下がった狸親父は、授業の端々に巧妙な「毒」を混ぜ込んでいる。教団が絶対的な真理として説く「月の救済」や「洗礼の義務」といったドグマ。それを直接否定するのではなく、論理という名の解剖刀で、ガキどもの頭の中に「疑念」という種を植え付けているんだ。 「神が救うのは魂であって、腹を満たすのは己の耕した麦だ」とな。エルキアさんもそうだ。夜な夜な彼女が村の境界を歩き回っているのを、俺の耳と鼻は見逃さない。 あれは村人が信じているような、はぐれ魔物除けなんて生易しいもんじゃない。村全体を巨大な「認識阻害」の膜で包み込み、教団の「監視の目」からこの村の存在そのものを、あるいは隠したい何か、「特異点」を完全に逸らすための、恐ろしく高度な隠蔽魔術の術式だ。


彼らは、辺境村を丸ごと買い取り、飲み込んで、教団という巨大な化け物の胃袋からアルトを隔離し、守ろうとしている。そのために、オルダ様は金と権力を惜しみなくバラ撒き、エルキアさんは鋭い牙を隠して聖女を演じているんだ。


「……ま、おめでたいアルトには一生気づけねえだろうがな」


俺は、アルトのあのアホ面が好きだった。自分が世界の秩序を狂わせるような非常識だとも知らずに、「恩返しがしたい」なんて青臭いことを抜かして、エルフの師匠に抱きついているあの純粋さが。……そして、種族の壁なんて最初から見えていないかのように、屈託のない顔で俺に接してくるあの真っ直ぐさが。


そんなある日の夕暮れ。

重い木剣を振り回した稽古の帰り、村外れの古びた石橋の上で、あの「動ける岩」のような男が一人、俺を待っていた。


「よお、ラッシュ。少し話をしようか」


オルダ様だ。欄干に背を預け、手にした酒瓶を傾けている。 夕日に照らされたその影は、橋を飲み込むほど長く、不気味に伸びていた。俺の勘が、最大級の警鐘を鳴らす。 目の前にいるのは、気前の良い商人の旦那じゃない。幾千の死線を越え、死体の山を築いてきた本物の「捕食者」だ。


「……俺に、何の用っすか。商売の話なら、うちは親父が担当ですよ」

俺は努めて平然を装いながら、脳内で最悪のシミュレーションを繰り返す。これまでの隣近所のように、「ワーウルフは不気味だからわが子に近づくな」と釘を刺されるのか? いや、この人に限ってそれはない。じゃあ、一体なんだ?


「いや、お前とだ。お前は賢く、鋭いからな。この村で起きていること、俺たちが何者か……薄々感づいているだろ」


心臓が大きく跳ねた。喉の奥がカラカラに乾く。オルダ様の瞳は、酔いなど微塵も感じさせないほど氷のように冷たく、俺の魂の裏側まで透かし見ているようだった。逃げ場はない。この男の前で背中を見せれば、その瞬間に首が飛ぶ。本能が、生存の限界を告げていた。


「……アルトを守ってるんでしょ。教団から。……それくらいは、分かりますよ」

俺が絞り出した言葉に、オルダ様はわずかに眉を動かした。

「話が早くて助かる。単刀直入に言おう。ラッシュ――『アルトのために、お前のすべてを捧げろ』」


オルダ様が懐から、ずっしりと重い革袋を取り出した。 無造作に放られたそれは、欄干の上でジャラリと重厚な音を立てる。口から覗いたのは、夕日に鈍く、けれど禍々しく光る、見たこともない紋章入りの特級金貨の山だった。


「お前をアルトの『影』として雇いたい。これからの人生、お前の時間のすべて、命の最後の一滴まであいつのために使え。これは前払いだ。お前の一族が、一生遊んで暮らせるだけの額を今ここで出す。その後も、報酬は望むままに支払おう」


その言葉は、俺の誇りを、土足で踏みにじるものだった。

これまでの「頼れるオルダ様」のイメージが、一瞬で瓦解していく。


「……ふざけんなよ」


俺の喉から、野獣の低い唸り声が漏れた。

自分でも驚くほど、激しい怒りが胃の底からせり上がってくる。


「……金? 報酬だと? オルダ様、あんた、商人としちゃ一流かもしれないが、人間としちゃ最低だ」


「ほう?」

オルダ様の眼光が鋭さを増す。だが、俺は引かなかった。


「あいつは、アルトは……俺のダチだ。売り物じゃねえし、金で買えるような安もんでもねえ。あんたの金で、俺の友情に値札をつけようってのか!? 俺が、金を積まれなきゃあいつを助けないような、薄情な獣に見えるかよ!」


――ふと、数ヶ月前のあの泥だらけの帰り道を思い出す。


王都の商人のガキどもに「獣臭い」と罵られた俺の前に、あいつは当たり前のような顔をして割り込んできた。

『友達を侮辱されたら、怒るのは当たり前だろう』

マナを暴走させかけながら、本気で俺のために怒ったあのアホ面。


種族の壁も、教団の教えも、あいつの瞳には映っていない。ただ目の前の俺を「ラッシュ」という名の友人としてだけ見ている。この歪な世界で、その境界線が見えていないことがどれほど危うく、そして尊いことか。


あいつを「守らなきゃならない」と思ったのは、オルダ様に脅されたからじゃない。あの曇りなきアホ面が、世界の泥に染まって消えてしまうのが、たまらなく癪だったからだ。

俺は金貨の袋を、オルダ様の足元へ叩きつけた。ジャリッ、という虚しい金属音が、静かな橋の上に響く。


「俺があいつを助けるのは、俺があいつを気に入ってるからだ。あんたに命令されたからでも、金をもらったからでもねえ! ……二度と、そんな汚い取引を持ちかけないでくれ。今ならこの話を知っているのは俺だけだ。……気に入らねえなら今すぐ俺を殺せ。でも、家族には手を出さないでくれ」


肩で息をしながら、俺は眼前の怪物を睨みつけた。脚が震えている。殺されるかもしれない。だが、ここで折れたら、俺はもうアルトの隣を歩く資格を、俺自身の魂から剥奪される。


長い沈黙。

やがて、オルダ様の口角が、ゆっくりと愉悦に満ちた形へと吊り上がった。それは冷徹な商人でも、無慈悲な殺し屋の笑みでもなかった。


「……合格だ」


オルダ様は愉快そうに高笑いしながら、地面の袋を拾い上げた。

「すまんな。試すような真似をして。だが、これで確信した。アルトの隣にいるべきなのは、お前のような馬鹿で、真っ直ぐな奴だ」


男の瞳に、ほんの一瞬だけ、親としての不器用な信頼と、深い安堵が宿ったのを俺は見逃さなかった。


逆立っていた全身の毛が、しおれていく。生きた心地がしねえ。生存権を得るってのは、これほど疲れるものなのか。


「悪かったな。お詫びと言ってはなんだが、金を払うから、エルキアの稽古をアルトと一緒に受けてくれ。…待て待て、そんな嫌そうな顔をするな。金はあっても困らんだろう? 家族を守るためなら、力も必要だ。俺が本当に悪徳商人なら、お前は今頃、無力にも全てを失っていただろうしな」


そう言われると、悪い話じゃねえ。俺は、渋々その提案を引き受けることにした。

「……まあ、いいですよ。あいつの放っておけなさは異常だし。でもオルダ様、俺が言うのもなんですが、アルトのやつ、知識の吸い込み方は凄いのに、たまにびっくりするくらい歪ですよ。特に、異性に関する知識とか」


「あー、それな! そうなんだよ! あれは全部エルキアのせいなんだ。俺も陰ながら心配して、なんとか異性に興味を持たせようと、グラビア本をこっそり書斎に置いてアルトに読ませようとか頑張ってるんだが……」


「……たんこぶと青あざと引き換えに、ですね」


「そうだ、よく分かったな! 俺の命がけの教育が、あのエルフの皮を被ったオーガの鉄拳に阻まれてるんだ!」


オルダ様が涙ぐましい顔で肩を落とす。何を言っているのか少し分からねえが、とにかくこの父親に情操教育まで任せると、アルトの人生がさらにこじれることだけは理解した。


「……分かりました。そういう方面も含めて、あいつの面倒は俺が引き受けます。あんたはもう、変な本を置くのはやめておきなよ」


「おお、恩に着る! これで俺の頭も安泰だ。いやあ、アルトに良い友ができて、本当によかったよ」


オルダ様は本当に晴れやかな顔で、俺の肩をバシバシと叩いた。

夕日に染まる川面は、まるで流れる血のように赤く、不吉なほどに美しかった。俺はその揺らめく光を眩しげに目を細めて見つめ、己の肺の底にある重苦しい空気をすべて吐き出すように、長く、深い溜息をついた。


これから始まるのは、ただの子供の遊びじゃねえ。オルダ様のあの冷徹なまでの覚悟と、エルキアさんの悲痛なまでの献身。その二人がかりで作り上げた「偽りの平穏」という薄氷の上を、俺はアルトの隣で歩き続けなきゃならないんだ。あいつが「恩返しをしたい」と笑いつづけられるように、その純粋さが闇に侵されないように、俺はこの鋭すぎる鼻で嗅ぎ取りながら生きていくことになる。


「影」として、あいつが覗き込もうとする闇から目を逸らさせ、「親友」として、あいつが背負わされた重すぎる宿命を少しでも分かち合う。それは、この忌々しいワーウルフの血を持ってしても、あまりに険しく、気の遠くなるような旅路だ。


「……たく、とんだ貧乏クジだぜ」


口ではそう毒づきながらも、握りしめた拳には熱い力がこもっていた。あのアホ面と笑いあえるために、その笑顔を守るためなら、勝ち目の無いケンカも悪くない。川のせせらぎに混じって、遠くからアルトが俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。俺はもう一度溜息をつくと、重い足取りながらも、決して迷うことのない確かな歩調で、陽だまりの残る我が家へと歩き出した。


幕間読んでいただきありがとうございます。アルトは家庭内のことをベラベラとラッシュに話す、という前提で読んでいただけますと幸いです。

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