第三十三章:光粒集まりて、雫となる
三十三章です。挿絵はイメージです。
白亜の間を後にし、静まり返った王宮の回廊を進む。先ほどヒョーバルと刃を交じらせんばかりの緊張感でエルフ語の応酬を繰り広げたエルキアに対し、りっちゃん(リッチ)が「主様、さすがの脅し文句でしたね」と滑らかなエルフ語で賞賛を送った。
「さっきのエルフの男…ものすごい剣気をまとっていた。剣で戦っていたら、俺とアルトが二人がかりでも勝てそうになかった」
「うん、すごい強そうだったよ」
「あいつはな、『セレスティアル・サーバント』というエルフの戦闘集団の一人、ヒョーバルだ。よく覚えておくんだ。お前たちの『敵』になる男だ。世界各地で暗躍し、この世界に都合の悪いものを自分達の勝手な尺度で捻じ曲げている恐ろしい集団だ」
「せ、戦闘集団!?ということは一人じゃない?あんなのがうじゃうじゃいるんですか?」
「うじゃうじゃ…と言っても20人はいないはずだ…あいつはその中でも強い方だ」
エルキアは足を止め、目を見開く。
「りっちゃん……貴女、いつの間にエルフの言葉を?」
「……敵を知ることは、復讐の第一歩ですから」
りっちゃんのぬいぐるみの瞳が、鈍い光を宿す。
「かつて、我と我が祖国を灰に変えたのは、貴女の同胞……エルフ族の軍勢でした。奴らを根絶やしにするため、長きの間、我は文献を読み漁り、その言語体系を完全に会得したのです」
「……そう。直接的な仇でないことを祈るわ」
エルキアは短く答え、ふと自分の腹部に手を当てた。そこにはもう、先ほど感じたはずの『命の拍動』はない。りっちゃんの『マナを感じない』という無慈悲な正論によって、彼女の魔法は解けてしまったのだ。
「……悔しい。私は、アルトとの子を授かることができなかった……」
絶望に暮れるエルキア。
やることやってないなら当然だろ、と心の中で毒づくりっちゃん。
(わかったわ! 帰ったらすぐに『妊活』をすればよいのです!)
何を言いだすんだこのエルフは!?と思うところだが、一定の羞恥心を持ち合わせて念話にしたことを褒めるべきか…。
(妊活……? 何をするのですそれは)
エルキアは胸を張って答えた。
(簡単です! アルトに滋養強壮に効く、精のつく食事をこれでもかと与えます。そして、同じ布団で共に眠るのです! そうすればある夜、空から不思議な鳥が飛んできて、霊体を咥えて運んできます。それが私のお腹に飛び込めば受胎完了です!)
(……え!?チューするんじゃないの?)
(チューで子どもができるなら、世界は赤ん坊だらけですよ。まぁ、私はそんなはしたない真似はしませんが)
(霊体を霊体の鳥が運んでくるの!?)
(そうです、鳥が運んでくるのです!)
(……知らなかった!我にもまだまだ知らないことがあった!!)
…エルフとリッチは絶望的に性に関する知識が足りなかった。後日、アルトは食事の内容が変わってから、夜になってもなかなか眠れないという相談をラッシュにしたところ、「おまえは狙われているから気をつけろ」と言われている。
一行が重厚な扉の前に着くと、待っていたサーガイル王子が晴れやかな、しかしどこか含みのある笑みで出迎えた。
「おお、諸君! 祝賀会はどうだったかな。輝ける歴史の一ページ、その舞台に立っていた気分は!」
「あー、目立つの好きじゃないんで……。それより国王陛下の祝辞、あれは凄まじかったですね。あんなの、喧嘩売ってるのと変わらないですよ」
ラッシュのぼやきに、王子の表情がわずかに曇る。
「うむ……私も父上があれほど過激なことを言うとは思わなかった。『調整された』筋書きの、ギリギリつま先が外に出たような内容だ。だが、今はそれを議論している暇はない」
サーガイルはオルダの瞳の奥を射抜くように見つめた。
「オルダ殿、アンジュから聞いている。月の蝕、そして特効薬の件……すべて話してもらいたい。父上と、室内に控える二人は、国を憂う真なる国士だ。……身内よりもよほど信頼のおける者たちだ……隠しごとなしで頼む」
皮肉まじりに困った顔で思いの全てを語った。
オルダは小さく息を吐き、頷いた。
「……分かりました。表舞台にアルトを立たせた以上、もう隠し通すのは無理でしょうからな」
シュナイゼルが扉の前に立ち、入室を告げる。「うむ、入れ」という低く重厚な声。
室内には国王が座しており、彼は入室するなり、サーガイルの命の恩人であるエルキアに対し、立ち上がり、深々と頭を下げた。一国の王がそこまで頭を下げる姿に、控えていた一人の騎士の肩が、驚愕でわずかに震える。
「父上、改めて紹介を…」
サーガイルは一同の紹介を行う。そして最後にりっちゃんを紹介する。
「このぬいぐるみはリッチ……不死の王が宿っております」
「なっ……!?」
室内の魔術師風の男が、反射的に杖を掴んで立ち上がろうとするが、サーガイルが手で制した。
『あー、主様の主よ。名前や出自を言えばよいのだな?』
腹話術のように喋り出したぬいぐるみに、サーガイルとアンジュも絶句している。いつの間に喋れるようになったのか。
オルダは静かに頷く。
『我はリリアーノ・ビーツ・ソードアイス。1900年前、魔法大国バシュートにてその名を轟かせた美少女天才魔導師にして、不死の王である!』
(……だから自分で『美少女』言うな、痛々しい。しかしそれ以外はカッコいい自己紹介のはずなのに、見た目のせいでシュールなぬいぐるみ劇にしか見えねぇ……)
ラッシュの毒舌が冴え渡る中、魔術師は口をパクパクさせ、国王も「う、うむ……」と困惑を隠せない。
サーガイルは気を取り直し、同席する二人の側近を紹介した。
「親衛隊長アインザック・パドウォルチ、そして魔大師シリウス・コツポンドだ。真の国士、国の宝だ」
アインザックとシリウスはもったいなき言葉と深々と頭を下げる。
「さあ、今日は無礼講だ。食え、飲め。アインザック、貴殿もたまには街の酒場の空気というものを味わえ。多少の粗相は大目に見てやろうな、わっはっは!」
王子の言葉に、アルトとラッシュは待ってましたとばかりに豪華な料理に食らいついた。
食事が一段落した頃、国王の問いから始まり、エルキアが静かに語り始めた。話題は、今まさに世界を揺るがしている「月の蝕」と「ブラッディアイ」についてだ。
「月の蝕そのものは珍しくありません。年に一度は起こる現象です。月の全てが隠れるのはアルブール王国で言えば大体3年間隔で起こっています。また、今晩、完全な月の蝕がここアルブール王国で起こったとしても東国のザオーカ国で見られるわけではありません。月の蝕はピンポイントで観測されるものです。しかし、なぜか数十年、あるいは百数十年の間隔で、それが『災厄』となるのか。その理由は不明でした」
エルキアは卓上の天球図と地図を使い説明する。
「私の仮説ですが……因果関係は月そのものではなく、月の周囲を回る『衛星』にあります。この『ンードラ大陸』の中心で完全な月の蝕が起こる瞬間、その時の衛星の位置関係によって、災厄がもたらされると考えます。そして衛星が月の円心に重なる……その時こそが、災厄を引き起こす『ブラッディ・アイ』の正体と考えられます」
沈黙が広がる。しかし、エルキアの言葉はそこで終わらなかった。
「恐ろしいのは、この計算を元に過去へ遡ると……ブラッディアイが最後に起こったのは、三十万年も前になるということです」
「三十万年……!?」
シリウスが思わず声を荒らげた。
「魔王侵攻など、つい昨日のことのように思えるほどの遥か昔だ。そんな過去のことを、なぜ人類が『伝承』として記憶しているというのです!?」
「……私にも分かりません。考えられるのは三つ」
エルキアは指を三本立てた。
「一つ、記録にすら残らぬ未曾有の危機が、魂に刻まれるほどの恐怖として伝承に残ったか。二つ、『誰か』が何らかの意図を持って、人々の記憶にこの知識を植え付けたか。三つ……そのどちらでもないか」
彼女は冷徹なエルフの瞳で国王を見据えた。
「エルフ族が動き出したという事実が、私の仮説の裏付けでもあります。オルダと私は、一部の『誰か』の都合で踊らされるのではなく、世界がただあるがままに、人々が平穏に暮らせるように願って動いているのです」
エルキアの言葉は、華やかな会食会場の空気を一変させた。
国王は狼狽し、視線を泳がせる。
「なるほど……。しかし、そなたもエルフだ。なぜそこまで人間に肩入れする……。エルフ枢密院との繋がりはないと言い切れるのか?」
その疑いの眼差しに、今まで静かに酒を煽っていたオルダが、ふぅ……と長いため息をついた。
(……この隠居生活も、なかなか悪くなかったんだがな)
彼は椅子を鳴らして立ち上がった。その所作一つに、今まで隠していた「強者の威圧感」が滲み出る。
「……国王陛下。それがしの顔、お忘れになりましたか?」
オルダが真っ向から国王を見据える。その鋭い眼光。
「……お、おぉ!? そなた……まさか、生きて……いや、そんな姿に!」
国王が椅子から転げ落ちんばかりに驚愕する。
「国王陛下、積もる話は山ほどありますが、今は時間が惜しい。……別室で話をしましょう」
オルダは有無を言わせぬ口調で告げた。
「こちらからはこのリッチを。そちらからはアインザック様とシリウス様も同席願いたい。……アルトたちの運命を、そしてこの世界の『揺り戻し』をどう止めるか、本当の評議を始めようではありませんか」
「うむ、別室の用意を」
国王は静かに命じる。
華やかな白亜の間の裏側で、ついに歴史の歯車が本来の音を立てて回り始めた。
三十三章読んでいただきありがとうございます。アインザックとシリウスの身体的特徴を考えてませんでした。次章でご紹介します。




