幕間:王都イルファーン
幕間です。王都の雰囲気を共有していただこうと思っただけのエピソードだったのですが、脱線に脱線して思った以上に時間がかかってしまいました。
夕暮れ時の王都。それは一日の内で、もっとも人の往来が多く、街が生命の脈動に満ち溢れる時間だった。
足早に家路に向かう群衆、ベンチに腰掛け待ち人に胸を躍らせる若者。道端にキャンバスを立て、移ろいゆく光の色を必死に追う画学生。そして、テラス席で、もはや何杯目の乾杯なのかも判然としないほど陽気に杯を掲げる酒飲みたち……。
馬車の外から聞こえてくるのは、石畳を叩く無数の蹄の音、露店の店主の威勢のいい声、そして人々の笑い声が混じり合った重層的な喧騒だ。
それはまるで、これから大演奏が始まる直前の、オーケストラの調律のようだった。
一人一人が、バラバラの目的を持ち、バラバラの音を立て、別々の人生を歩んでいる。しかし、その無数の不協和音も、高所から俯瞰してみれば「人間の営み」という名の、不思議に調和した一つの旋律へと収束していく。
雑多でありながら、整然としている。混沌としていながら、一つの生き物のようにまとまって見える。そんな都市という巨大な機構が放つ特有の魅力が、そこには確かに存在していた。
「うわぁ…こんなの見たことないや、すっごいなぁ。今日はお祭りがあるの?」
アルトは初めて見る王都の風景に目をキラキラさせる。
「いや、今日は祭りじゃない。これが王都イルファーンの日常の風景だ。」
【解説】
王都イルファーン、この都市の輪郭が形作られたのは、今から約170年前まで遡る。現国王から数えて九代前、後に『賢王』と語り継がれることになるスーブス・ジオ・フォン・アルブールが、即位二年目に構想した一大遷都計画。それがこの都市の始まりだ。じつに30年の歳月を費やして完成された。
当時、大都市における上下水道の完備は技術的に不可能とされていたが、スーブス王は「結晶池」を動力源として利用する画期的な揚水・濾過システムを考案。広範囲への安定した給水と、効率的な排水処理を同時に実現したのである。
この革命は、当時の都市環境を劇的に変えた。
それまで路地へ排泄物を投棄することが常態化していた不衛生な街並みは一掃され、さらに王は、浮浪者たちを、排水から「液肥」を生成する施設へと雇用し、生活を厚く保障した。生産された肥料を農民に無償支給することで、国内の衛生・雇用・収穫量のすべてを飛躍的に向上させた。これこそが、彼が後世にまで『賢王』と謳われる所以である。
しかし、これら偉大な治世の原動力は、単なる慈悲の心ではなく、王の度を越した「潔癖症」にあったという説が有力だ。スーブス王は常に耳を髪で隠しており、あまりの清潔好きから、民衆の間では「実は王はエルフの血を引いているのではないか?」「王様の耳はエルフの耳」と囁かれるほどであった。事実、彼の潔癖症にまつわる奇行とも取れる逸話は、枚挙に暇がない。
「おい、アルト。あまりキョロキョロしていると田舎者だと思われるだろ?平静を装うんだ」
(ワーウルフよ、どれだけ平静を装うが、その似つかわしくない服の着こなしで田舎者だとバレておるぞ)
声が出せないりっちゃんは静かに心の中で毒づく。
「スーブス王がいなければ、人間が集まる街なんて絶対に好んで行きたくなかったわ。以前の都市は地獄よ…肥溜めの街だったわ。臭いも鼻に染みついちゃうんだから…」
エルキアは過去の嫌な思い出がよみがえり、身震いをする。
「そうか、エルキアさんは昔の都市も知っているんですね…。このイルファーンが出来立ての頃にも訪れたんですか?」
悪臭をイメージし、ラッシュも嫌そうな顔をする。
「ええ、任務で…建設中の都市の様子もみたことがあるわ。完成した頃は今とは比べ物にならないほどとてもキレイだったわ。」
(かつて我がいた魔法大国も低級魔法を使える奴隷によって上下水道を完備させておったが、この都市は少し違うのだな…)
「よーし、今晩の宿に到着したぞ。俺は馬車を預けてくるから、部屋の手配をして荷物を押し込んでおいてくれ、さっさと飯にしよう」
「はーい」
オルダの指示にそれぞれ荷物を持って宿に向かう。
「エルキアの荷物は僕が持つよ」
「あら、うれしいわ。ありがと、アルト」
「ここが今晩泊まる宿!?まるでお城じゃねーか…!」
「イルファーンが世界に誇る、最高級5つ星ホテル『ハッスル・キャーッスル』ね。
相変わらずネーミングセンスは最悪だけど…」
「本当だ…ゲスなオヤジギャグにドン引きだぜ…」
ラッシュは宿の初代創立者の宿に込める情熱を読み取ってしまう。
「……エルキアさん、マジでここなんですか? 冗談抜きで、引き返すなら今だと思うんですが」
『世界をハッスル、心にキャーッスル。最高級宿ハッスル・キャーッスルへようこそ』『キャッチー』の意味を取り違えたような看板を見てラッシュは狼狽える。
「宿名とこの看板のセンス以外…宿の施設、サービスは大陸随一と言われているのは事実よ。お城のような外観は旧王城を再現していて、各国のVIPも常宿として宿泊されるわ」
門番に扮したドアマンが宿の扉を開け、執事の恰好のベルスタッフが荷物を預かり、宿泊代表者名を告げると、アルト一行はフロントへと誘導されたのだった…。
-フロントオフィサー、メイドルの極限アナライズ-
メイドルは連日からの祝賀会による宿泊者への対応に追われていた。
「いらっしゃいませ……」 フロントデスクの奥で、メイドル・アッシュフルトは完璧な45度の角度で頭を下げた。この道十年のベテランである彼女の脳内では、ベルスタッフとのアイコンタクトを合図に、猛烈な勢いで演算が開始されていた。
(来たわ……。先頭のエルフの女性、あの歩き方。踵を鳴らさず、空間そのものが彼女に道を譲っている……。着ているのは間違いない、王家御用達『アトリエ・シルヴァン』の特注品。知る人ぞ知る王族がお忍び用に使うという高級品……この女、王族以上の何かだわ!…できる!!)
(その後に続くのは……え、何? 栄養満点のジャガイモみたいな少年(顔立ちは整っていて好みではあるわ…)と、……ワーウルフ!? しかもワーウルフが肩に担いでいるあのトランク、あれも最高級の一品じゃない! ギャップが激しすぎて脳の処理が追いつかないわ!)
(落ち着くのよ…メイドル・アッシュフルト…。最高級ホテルの一流フロントオフィサーとして当然のことをすれば良いだけなの。)
『ただならぬ客がきた』スタッフに万全の備えをするよう全員に目くばせをするメイドル。
「遠路お疲れ様でした。本日ご宿泊予定のエルキア様…でよろしいでしょうか」
「ええ、そうよ」
エルキアの返答は短く、その声音には一切の感情が乗っていない。
(くっ、短い! 一流の客ほどフロントに弱みを見せないものよ。……落ち着けメイドル。あんたはこれまで、酔った公爵にワインを浴びせられても笑顔で領収書を切った女でしょ!)
「かしこまりました。私、当ホテルのフロントオフィサーのメイドルと申します。本日は当ホテルにお越しいただきましてありがとうございます。ご予約内容を確認いたします。女性用シングル一室、男性用トリプル一室でお間違いないでしょうか」
メイドルは社交辞令のように既に決まっていることを、何万回と繰り返してきたこのやりとりにプロのホスピタリティ精神を込める。
「あら…困ったわ」
(な…に?)
「このシングルルームに、この子と二人で泊まっても良いかしら?」
(!!!!!)
メイドルの脳内で、非常事態の鐘が乱打された。
(出た! 無理難題! 規約では男性禁止のフロア……! 背後でルームマネージャーが死にそうな顔で首を振ってるわ!…本来、こんな事態に備えて、空きの部屋を確保しているのだが、今日に限ってそれも満室!明日の祝賀会と警戒事態宣言によって宿泊を延長されたお客様がいらっしゃるのが原因か…)
(ん…?男女部屋で空いている部屋があるじゃない!ここはどうなのかしら!?)
メイドルはルームマネージャーに殺気のような鋭い視線をおくる。
(…え?だめ!?前の宿泊者様が『ハッスルキャーッスル』しすぎて清掃が間に合わない!?あぁ!もう、ほんとに宿名変えてほしいわ!)
(副支配人!あなたもこのエルフのご婦人のオーラを感じているでしょ!?どうするの!?)
メイドルは副支配人にも鋭い視線をおくる。
(…まずは当ホテルの説明をしろ!?なんかあったら責任とれや!?ゴルァ!!)
この間、時間にして約2秒のことだった。
「お客様、大変申し訳ございません。女性用のお部屋がある建物は、女性が安心してご利用いただけるように、男性のお客様の立ち入りを固くお断りさせていただいております」
「そう…この部屋を予約したのがどなたか教えていただけますか?『親子』として予約されてますよね?」
まずい、気だるげな雰囲気…後で予約者を血祭りにする目だ。
「えー…近衛騎士団のアンジュ・ド・ヴィランシィ様…ですね」
(え!?今一番近衛騎士団で勢いのある、あのアンジュ様が予約者!?サーガイル殿下お気に入りの!これはまずいわ。確かに親子という扱いで予約されているわ)
メイドルは副支配人を射殺する勢いで視線をおくる。
(おい!予約者はあのアンジュ様だ!!粗相があってはならない相手だ!「親子」予約されてる!ここは特例を適用すべきだ!!……何?そのご婦人と少年は雰囲気が親子のそれじゃない?不祥事につながる!?だったら代案だせや!!でなきゃその椅子から下りて荷物まとめて出て行けよ!この無能が!)
「お子様とは言え、もうすでに体型もがっしりされた男性ですからね…あは…は」
(ムキー!こんな苦笑いする仕事なんてしたくないのよ!!)
「それでは、明日の祝賀会で直接予約者の飼い主をしつけなければいけませんね…」
エルフのご婦人はおもむろにフロントテーブルに祝賀会の招待状置く…こ、これは!?サーガイル王子の直筆!?アンジュ様を飼い犬のように扱い、サーガイル王子殿下を飼い主!?それをしつける!?あぁ…思考が焼き切れる!!
メイドルは最終魔法『支配人召喚』を発動した。もはや一介のフロントオフィサーが触れていい領域ではない。
すかさず『支配人』アールゲマインがフォローに入る。
「エルキア様! 私は当ホテル支配人のアールゲマインです!」
背後から飛び出してきた支配人が、床にめり込まんばかりの勢いで頭を下げる。
「お連れ様もお揃いではないご様子なので、もしよろしければ専用ラウンジでチェックインの手続きをさせていただきます。」
(お!!支配人が『専用ラウンジ』をいきなり使ったぞ!私の目に狂いはなかった!副支配人、お前のツラを見るのは今日で最後だ!ははは!あばよ!さて、私は支配人とともに最後までこのお客様に全力で対応するぞ)
「お、ここにいたのか…」
低く、重厚な地鳴りのような声。オルダが、使い古された「行商許可証」を無造作に指に挟んで現れた。
(……王!?なんだこの圧倒的な風格は?まるで数々の戦場を駆け抜け、圧倒的なカリスマ性で民心を指導するかの如き真の英雄だけが持つオーラ…只者ではない!)
メイドルは、気当たりで逃げ出したくなる気持ちを、プロ根性で耐えようとする。
「馬車を置いてくるのに手こずっちまったぜ。お?アルト、美味そうなジュースを飲んでるな」
「あ、オルダ。ソファがいっぱいだから立っててくれる?」
アルトはストローをくわえたまま、さらりと告げた。
「はいはい、どうせすぐだろ。構わねぇよ」
(なにぃ!!コンシェルジュめ、馬車を預からなかったのか!?…しかしこの少年は、この歴戦の英雄のような者を『立っておけ』とぞんざいな扱いができる存在なのか!?神子か何かなのか?どんなパワーバランスよ!?、支配人の様子は…支配人!?顔が土気色よ! 泡吹かないで!)
メイドルが恐る恐るアールゲマインに目をやると、そこには滝のような汗をかいて、失神寸前の状態となっていた。
「お客様!この度は大変失礼致しました。当ホテル自慢のVIPルーム「鏡の間」をご用意させていただきます。完全防音の仕様となっており、当ホテルは各国の要人をおもてなしさせていただくホスピタリティ!徹底した秘密厳守のスタッフ教育を行っております。旅の疲れを十分に癒しておくつろぎください」
(出たぁぁぁ! 支配人の捨て身の切り札! 各国の要人ですら予約に数年かかる『鏡の間』に無償アップグレード!?これで、これで矛を収めていただけるはず…え?一同の雰囲気が何か「ざわ…」としている!?どうしたというの!?)
「なぁ、やっぱりそこらの空いている宿にしねぇか…?」
オルダという男が狼狽えている。
(待って!待って!!待ってください!!!ここでお客様に他の宿に移ったと近衛騎士団、サーガイル王子殿下、国王陛下に知られた日には、ウチのホテルはクソみたいな看板だけ残して更地、従業員は投獄されるに決まっている…)
「いいえ…ここにしましょう。ここが良いわ。支配人の心温まるホスピタリティに感謝するわ、このことはあの変人王子にも伝えておくわ。それとルームサービスの手配をよろしいかしら…?」
(あぁ…奇跡が…)
「エルキア!!それは…!?」
「せっかくのVIPルームですもの…それにお二人はどうせ酒場に行きたいのでしょう?さぁ、行くわよ、アルト…」
歴戦の英雄すら黙らせる、圧倒的な「圧」がそこにはあった…支配人は魂が抜けたようにその場に崩れ落ち、メイドルはもはや「無」の境地でバトラーたちに指示を飛ばした。明日の祝賀会…荒れるんじゃないの……!?
メイドル・アッシュフルト…彼女は後に『伝説のフロント・マネージャー』と呼ばれるようになる。彼女は語る、国家崩壊の予兆すら感じさせる悪夢のような接客に立ち向かい、生き延びたあの日以外、全ては取るに足らないことだったと…。
幕間読んでいただきありがとうございます。間接的にカスハラしちゃってますね、エルキアさん。
誤字チェックの合間にキャラ設定をAIに読み込ませて、りっちゃん、エルキアさん、画面の見過ぎで目がショボショボだから励ましてってチャットすると、本当に思った通り、その斜め上の返しが返ってきてびっくりします。それを見て思わずニヤリとしてしまうこんな作者にラッシュ、きついの一発毒づいてくれとチャットしたりして遊んでます。




