第二十九章:代謝と渇望
二十九章です。すでにストックはありません。昨日から掲載を始めて、予想以上のアクセス履歴だったので急いで新しいエピソード作りました。2日に1エピソードの目標で頑張ります。
王都での祝賀会に参加するための旅支度に追われる中、全身骨格となったりっちゃんの扱いが大きな課題であった。全身を包帯で巻くなどの案も上がったが、時間の関係から、エルキアによってふたたびウサギのぬいぐるみに入れられることになった。
「まぁ、これが一番マシだな。骨、人前で動くんじゃねぇぞ。」
オルダはウサギのぬいぐるみの頭をポンポンと叩く。
『わかっております、主様の主。」
「時間があればなぁ…その内に人形を用意してやるよ」
『おぉ、それはありがたいです。生前の頃のボン!キュッ!ボン!な人形を所望致します。』
りっちゃんの瞳をキラキラさせている。
「なーに言ってんだ。あの全身骨格から、ちんちくりんのつるぺた体型だと容易に想像できるぞ」
荷造りをしながらも、絶妙な間でラッシュはりっちゃんに毒づいた。
『ふ、ふん!機能美というやつだ。現に生前の我は一部では「あいどる」という現人神として信奉する連中もいたのだぞ。…盛りに盛られて過大評価されていたが…』
「なんだよ、その怪しい邪教集団は…魔王信仰よりも不気味だな」
「ねぇ、エルキアー、塩漬け肉はどれくらい持っていくのー?」
地下の貯蔵庫の中からアルトの声がリビングに向けて響き渡る。どうやら食べ物を物色しているようだ。
「必要ないわ。今回は野営もしないし、街道沿いの宿場町で食事もできるわよ。もし持っていきたいなら腰袋に入る程度にしなさい。…聞こえていないわね、りっちゃんアルトにそう伝えてきなさい」
「御意」
ウサギのぬいぐるみは軽やかにリビングを駆け抜けていった。
「はーい。わかったよー」
またアルトの声が響き渡った。
リビングの使い古された革のソファに、オルダは深く背を預けてふんぞり返っている。その手にはいつもの酒瓶。琥珀色の液体が、窓から差し込む午後の光に透けて揺れていた。視線の先では、ラッシュが不器用な手つきで荷造りに追われている。
「……しかし、あいつの胃袋はどうなってんだ?」
ラッシュが手を止め、呆れたように息をついた。
「ん?」
「アルトの奴ですよ。最近の食いっぷりときたら、見てるこっちが不安になる。あの細い体のどこに、あんな量の肉が収まってるんですかね?」
オルダは喉を鳴らして笑い、酒を煽った。
「ガハハハ! 気にするな、ラッシュ。食った分が血となり肉になる。それが生物の摂理だ。強くなりてぇんなら、まずは食う! そして死ぬ気で鍛える! アルトの奴、ようやく男としての『自覚』が芽生えてきたってことさ。喜ばしいじゃねぇか」
ラッシュの瞳に火が灯る。彼は荷物の隙間に、自分の保存食とは別に大きな包みをねじ込んでスペースを作る。
「俺も負けてらんねぇ! 俺も肉、持っていきます。スタミナ切れでアルトに遅れを取るなんて、俺のプライドが許さねぇ」
「おうおう、どんどん持っていけ! 貯蔵庫を空にする勢いでな!」
煽られたラッシュは、勢いよく立ち上がると地下の貯蔵庫へ向かおうとした。ちょうどそこへ、食材を物色していたアルトが階段を上がってくる。
「あ、ラッシュ! 今から肉、取りに行くの?」
「おう、アルト。お前の胃袋に負けないように、俺も補充しに行くところだ」
二人が連れ立って再び地下へ降りようとしたその時――。
「そうだ、お前ら」
オルダの声が、それまでの喧騒を切り裂くように低く響いた。二人が足を止めると、そこにはソファに座ったまま、見たこともないほど真剣な眼差しを向けるオルダがいた。酒の酔いなど微塵も感じさせない、鋭い眼光。
「前からアルトにも言ってることだが、もう一度刻んでおけ。お前らが口にするものは、すべて元々は『命』だったものだ。そして、お前ら人間はそれを喰らわなきゃ死ぬ。傲慢になるな。食い物への感謝……それだけは、何があっても忘れるんじゃねえぞ」
空気がぴりりと引き締まる。アルトとラッシュは顔を見合わせ、居住まいを正して深く頷いた。
「「はい」」
重なる声。オルダは満足げに目を細めると、表情を少し和らげた。
「あと、いつもその命を最高に旨い料理に変えてくれるエルキアにも感謝を忘れていないよ!」
台所で旅の準備をしていたエルキアが、ふっと伏せていた顔を上げた。
「ふふふ……ありがとう、アルト。そう言ってもらえると、作り甲斐があるわ」
「あ、そうだ。ねぇオルダ」
アルトがふと思い出したように首を傾げる。
「オルダは今、お酒ばかり飲んでるけど、子供の時はたくさん食べてたの?」
オルダは自嘲気味に笑い、広げた両手で自分の体を指し示した。
「ああ、お前らくらいの頃は、そりゃあ山のような飯を平らげてたさ。だが、成人して……そうだな、十年くらい経った頃か。少しずつ食う量が減っていって、今じゃご覧の通りだ。酒さえあれば、腹の虫も黙りやがる」
「僕の腹の虫はすごいよ、いつも何かくれー!って叫んでいるよ。飛んでる鳥も捕まえて食べろー!て叫んでる」
「それは流石にヤバいやつだろ…」
「そしたら、エルキアは?」
アルトの純粋な好奇心は止まらない。
「エルキアも昔は小さかったよね。その時はやっぱり、僕みたいにたくさん食べてたの?」
エルキアは手を止め、遠い空を見るような瞳で答えた。
「エルフは……人とは少し違うのよ、アルト。私たちは幼い頃から、ほとんど水しか口にしないの。それでも、勝手に背は伸びていったわ。恐らくは――マナで『代謝』をしているのだと思うわ」
「たいしゃ……?」
「あなたが食べ物をエネルギーに変えるように、エルフは周囲に満ちるマナを糧にする。だから、よほどのことがない限り、他の命を直接奪ってエネルギーにする必要がないの。もちろん、マナが枯渇した場所や、特殊な状況では食事をすることもあるけれどね」
「へぇー……すごいなぁ」
アルトが感心した声を上げる横で、ウサギのぬいぐるみに入れられた「りっちゃん」が、エルキアの豊かな胸部を恨めしそうに見つめていた。
(……授乳の必要もないというのに、あの重力を無視したような形、大きさ……一体何のために付いているのだ。なぜ我には、生前から……その、必要かもしれないものが無かったのだ……。不公平、不条理。これが世界の真理だというのか……)
ボタンの瞳が呪詛を吐くように、エルキアの曲線を射抜いている。
(あら、りっちゃん。悔しさが念話で漏れているわよ。私の胸がそんなに羨ましいのかしら?私、完・全・勝・利、ね)
(わぁぁーーーー!!聞かれた!!そしてあの時のこと根に持ってるよ!!)
しかし、アルトはそんな雑念など露知らず、純粋な憧憬を口にした。
「でも、いいよね。他の命を奪わなくても生きていけるなんて。エルキアが羨ましいよ。僕も、誰も傷つけずに生きていけたらいいのに」
エルキアの肩が、目に見えて跳ねた。
持っていた布巾が床に落ち、彼女の白い指先が微かに震える。
「……アルト、それは……」
今、目の前でキラキラとした瞳を向けている少年は、自分を「清らかな存在」だと信じている。その純粋さが、鋭い刃となって彼女の胸をえぐった。
(私は……違う。私はあなたの想像するような綺麗な生き物じゃない。私は、誰よりも多くの命を奪い、それを正義だと信じ込もうとしていた、血塗られた化物なのよ……)
唇が震え、真実を……いや、醜い告白を吐き出してしまいそうになったその時。
「エルキアっ」
オルダの鋭い制止の声が飛んだ。
エルキアは弾かれたようにオルダを見る。オルダはソファから立ち上がることもなく、ただ静かに首を横に振った。
その眼差しは「今ではない」と告げていた。
ここで罪悪感に負け、取り繕うような嘘を重ねれば、もう二度と戻れなくなる。あるいは、今のアルトにその重荷を背負わせることは、エルキア自身の自己満足に過ぎない。オルダは、彼女が自身の過去と向き合う「刻」を、無理やり繋ぎ止めたのだ。
「……そうだ、アルト。人はエルフに比べて業が深い。でも、罪深いからという理由で食べずにキレイなままで死ぬのがいいと思うか?生まれる前…少なくとも生まれた直後から、お前の命は既に誰かの命によって生かされているんだ。だからこそ、食った命の分だけ、精一杯生きなきゃならねぇんだ。お前が、いつかエルキアを守ってやれるほどの男になる。それが、奪った命への一番の供養になるんじゃねぇか?」
オルダの言葉に、アルトはハッとしたように顔を輝かせた。
「……うん! わかった。僕、もっと強くなるよ。……ラッシュ、もうすぐ準備終わるよね? 出発までの間、少しだけ稽古しよう。体を動かしたくなった」
(…)
りっちゃんはオルダとエルキアの空気に触れ、深く考える…主は自分と同じく、重い何かを背負っているのではないか…と。
「え、今からかよ?」
ラッシュは苦笑しながらも、アルトのやる気に絆されたように荷物を置いた。「しょうがねぇな。……すみませんエルキアさん、庭で稽古してます。出発の時に声をかけてください」
「あ、りっちゃんも来て! 僕らの稽古、見ててよね」
アルトはウサギのぬいぐるみを脇に抱え、脱兎のごとく庭へと駆け出していく。
『え……ちょ、アルト! 我も行くのか!? 振り回すな、綿が寄るではないか!』
バタバタと騒がしい足音が遠ざかり、屋敷の中に、不自然なほどの静寂が戻ってきた。
風に揺れるカーテンの音だけが聞こえる中、エルキアは力なく壁に背を預け、ずるずるとその場に崩れ落ちそうになった。
「……オルダ様。……申し訳、ありません。あそこで止めていただかなければ、私は……」
声が震えている。彼女は、聖女のような微笑みの裏に隠した、どす黒い罪悪感に押し潰されそうになっていた。
「謝るな。お前をこの平穏な日常に引き込んだのは、俺だ」
オルダは酒瓶をテーブルに置き、彼女の元へ歩み寄った。
「……だがな、エルキア。もう少しだけ耐えてくれ。あと一年だ。アルトが成人した時までにお前がどうしたいか、ゆっくり考えればいい。真実を話すのか、墓まで持っていくのか。それを決めるのは、お前自身だ」
「……はい……」
エルキアは深く、深く頭を下げた。視界が滲み、床に一滴、透明な雫が落ちる。
「オルダ様……」
「なんだ」
「あの子と過ごしていると……『あと一年』が、ものすごく長く感じます。あの子の一日の成長が、私の1年よりも重い……。なのに、振り返ると、あのティアズでの惨劇が、まるで昨日のことのように鮮明なのです」
エルフにとっての永遠に近い時間は、時として残酷なほど鮮明な記憶を焼き付ける。
「そうだろうな……」
オルダは窓の外、庭で木刀を振るアルトの姿を、眩しそうに見つめた。
「お前にとって、それはただの月日じゃない。かけがえのない「刻」をきざんでいる証拠だ。苦しみも、慈しみも……全部ひっくるめて、お前が生きている証拠だ。だからこそずっと閉じ込めているお前の気持ちも、過ぎ去った日々とともに置き去りにするんじゃねえぞ……」
オルダは静かに外に出て行った。
「……」
エルキアは、庭から響くアルトの幼くも力強い気合の声を聞きながら、そっと胸元を押さえた。
そこには、大気のマナをいくら吸い込んでも決して満たされることのない、空虚な穴が開いている。……いや、空虚なはずのその穴の底で、今、何かがおぞましく蠢いていた。本来、清廉なエルフの身には宿るはずのない感覚――それは、どろりと濁った『飢え』に似た渇望だった。
(……これが、オルダ様の言う『閉じ込めた気持ち』が上げた産声だとでもいうの?)
意識を向ければ向けるほど、内側から突き上げてくる熱と蠢きに、眩暈がする。
視界が揺れ、窓の外で無防備に笑うアルトの姿が、鮮明な「生命」の塊として網膜に焼き付いた。
気づけば、彼女の瞳は冷徹な捕食者のそれへと変じていた。
その視線が、瑞々しく躍動するアルトの首筋を『狙った』ことにハッと気が付き、エルキアは己の指が白くなるほど強く胸をかき抱く。
この悍ましい蠢きを鎮めるものが、慈しみなのか、それとも略奪なのか。
今の彼女には、知る由もなかった。
二十九章読んでいただきありがとうございます。りっちゃんをアイドル化したい意図はなく、次のエピソードのネタにしようと思って書きました。感想とかいただけると励みになりますのでお待ちしております。




