第二十五章:朝の陽光と後悔
二十五章
窓の隙間から差し込む朝の陽光が、寝室の床に細長い黄金の帯を描いていた。
エルキアはおもむろに目を開ける。視界に飛び込んできたのは、すぐ隣で無防備に寝息を立てているアルトの横顔だった。
「……ふふ」
思わず口元が緩む。まだ幼さの残る頬、微かに震える長い睫毛。かつて自分の命を削ってまで救い出した少年が、今こうして腕の届く距離にいる。その事実にエルキアが至福の吐息を漏らした。
(あぁ…このままずっとこうして眺めていたい)
その成長を慈しむように眺め甘い充足感に浸っていたエルキアだったが、アルトが寝返りを打ち、彼女の指先に彼の体温が微かに触れた瞬間、昨夜の記憶が防壁を突き破って脳内へと逆流したのだ。
(――待って。私、昨日……何をしたの……!?)
理性の欠片もなく喚き散らす阿鼻叫喚の光景、「現実」という名の断頭台が振り下ろされたのだ。
旅に出たいというアルトの真っ当な自立心に対し、「死んじゃうわ」という呪いのような卑怯な泣き落とし。それだけではない。あろうことか、あの場にいたラッシュに圧をかけ、アルトを裏切るように差し向けたのは……他ならぬ自分自身だった。友を裏切る引き金を引いたのが自分であるという事実が、今さらながらマグマのような羞恥心となって内側から焼き尽くしていく。
多感な時期に差し掛かった息子同然の少年に、「罰」と称して添い寝を強要し、屠殺場へ引かれていく子羊のように彼を無理やりベッドへ引きずり込んだ、あの狂気の連行劇。
(死にたい。今すぐこの場で泡となって、歴史の闇に完全消滅してしまいたい……!)
布団の中で、エルキアは絶叫したい衝動に駆られた。
自らの独占欲をアンジュの前では『母親ごっこ』という名の美しいオブラートで包み隠し、あろうことか強引な「圧」によって、彼から自由を奪った。昨夜の自分は、保護者でも魔法の師でもなかった。ただ執着して正気を失い、周囲を恐怖で支配した「悍ましい女」そのものではなかったか。
自分を置いていこうとした彼への寂しさが暴走した結果、自分が作り上げたのは「温かな家庭」を「逃げ場のない檻」に変えたのではないか。
「……ん、おはよう、エルキア」
不意に、アルトが目を覚ました。
寝ぼけ眼でこちらを見上げ、昨夜の地獄などなかったかのような、一点の曇りもない笑顔で挨拶を寄せてくる。
そのあまりに純粋な「普通」の態度が、逆にエルキアの罪悪感を鋭く抉った。彼は私を責めることすら忘れてしまったのか? それとも、あまりのショックで心が防衛本能を働かせ、昨夜の恐怖を記憶の底に封印してしまったのか?
「お、おはよう、アルト……。よく、眠れたかしら……?」
声が裏返るのを必死に抑え、エルキアは頬を引き攣らせて、「偽りの微笑」を顔面に張り付けた。
「え、僕……もしかしていびきとか、変な寝言とか言わなかった? やっぱり、ちょっと恥ずかしいな……」
アルトが気まずそうに、けれどどこか愛おしそうに頭を掻く。
彼は、自分を拘束した私の狂気を糾弾するのではなく、あろうことか自分の寝相を心配している。その健気さが、エルキアのなけなしの良心をズタズタに切り裂いた。
(なんていい子なの……! こんな天使みたいな子を、私は威圧して、親友を脅迫してまでベッドに縛り付けて……!)
だが、ここで謝罪の言葉を口にすれば、昨夜の「罰」という唯一の防衛線が崩壊する。己の歪な独占欲を白日の下に晒すことになる。『師』としての、そして『保護者』としてのプライドが、彼女に最悪の開き直りを選択させた。
「ええ……。私も少し、恥ずかしかったわ。でも、たまにはこうして……絆を再確認するため一緒に寝るのも良いものね」
「うー……う、うん。そうだね。ラッシュも普通だって言ってたし……」
(ラッシュ君……本当によく言ってくれたわ。あとでたっぷり、お礼を言わなきゃね……)
親友を土壇場で売ったラッシュへの、感謝とそうさせた罪悪感が複雑に混ざり合う。エルキアは爆発しそうな心拍数を抑え込み、努めて冷静に言葉を継いだ。
「さあ、朝ご飯にしましょう。その前に、お外の井戸からお水を汲んできてもらえるかしら?顔も洗うのよ、よだれの後が残っているわ」
「わわ!見ないでよ!?水汲み行ってくるね!」
弾むような足取りで部屋を飛び出していくアルト。その背中がドアの向こうに見えなくなる。エルキアは枕に顔を埋め、「あーーーー!!」と声にならない絶叫を上げた。手足をバタつかせ、シーツをひっかき、己の醜態を上書きするようにのたうち回る。
――数十分後。
何事もなかったかのような、涼しげな顔でリビングへ向かうと、そこには別の地獄が顕現していた。
床には、震える筆跡で『起こさないでください』と書かれた、まるで遺言のような伝言板。その傍らで、オルダとラッシュが互いにしがみつくようにして、泥のように転がり、眠っていた。
「……アルト。この二人は、そっとしておいてあげましょう。昨夜は随分と遅くまでお酒を飲んでいたみたいだから」
これだから酒飲みは…と言わんばかりに『動かぬ二つの肉塊』を蔑むような視線を投げかけながら、エルキアはいつもの気品ある微笑を取り戻そうと、必死に自分自身を欺き続けた。
こうして、一人の少年の自立心が「独占欲」という名の執着で圧殺された夜は明け、また歪で、けれど表面的には穏やかな「いつもの毎日」が始まろうとしていた。
二十五章読んでいただきありがとうございます。今回ボリューム少なくてすみません。




