第二十二章:建て前と本音
二十二章です。
朝靄の静寂を切り裂くように、重厚な蹄の音が響き渡る。それは、一つの事件の終わりと、新たな旅路の始まりを告げる別れの合図だった。
村の入り口には、王国近衛騎士団の白銀の甲冑が整然と並び、朝日にその威容を誇示している。
「……それでは、我々はこれで行くよ。名残惜しいが、王都で帰りを待つ者も大勢いる。村長、世話になったな」
サーガイルが、村長に労いの挨拶をし、馬車に乗り込む。その隣では、アンジュが所在なげに、しかしどこか慈しむような視線をアルトへと向けている。
「アルト殿、ラッシュ殿、そしてエルキア殿。そなたたちの勇気と力に心から敬意と感謝を表する。今回の考古学調査の結果は、単なる古びた遺物の発見ではなかった。私一人では、到底殿下をお守りしきれなかった」
アンジュの視線が、エルキアの腕に抱かれた不思議な生物――りっちゃんをチラリと掠める。
(あー……。でも主様が居なければ目覚めるつもりはなかったけどな、我は)
りっちゃんが内心で毒づいていることなど露知らず、サーガイルは芝居がかった仕草で胸を叩き、快活に笑った。
「まぁ、遺跡の調査結果である『月の蝕』の対策を議論することが最優先だが、王都で盛大な祝賀会を開くつもりだ。君たちはその主賓だよ。近いうちに正式な招待状を出す。アルト一家、そしてラッシュ。必ず王都へ来てくれ。……いいか、これは約束だぞ? 断ったら私が陛下に叱られてしまうからな!」
「ははっ、それは困りますね。……はい、楽しみにしてます!」
アルトが元気に手を振ると、サーガイルは満足げに頷き、騎士団を引き連れて去っていった。
馬車の中で、サーガイルはニヤリとして「昨晩はもう少しだったね…似合うよ、銀のネックレス」とぼそりとつぶやく。
「何を…!?ご覧になっていたのですか!?見えてませんよ!」
アンジュは一瞬で顔を赤くし、声を荒げて服の中に隠してあることを確認する。
「あれは護身用具を渡すという純粋な意図ですよ! 変な勘違いをしないでください。……それに、昨夜の対話で分かったこともあります。アルト殿は、かつての『ティアズ国』の出身でした。あの凄惨な政変の折に、ご両親を亡くされオルダ殿とエルキア殿が保護したそうです」
「へぇ、そうなんだ…」
オルダの正体につながる手がかりに、サーガイルの目が少しだけ真面目な色を帯びる。
「アルト殿は私を友人だと思ってくださっています。多分。……ですが、もし次にお会いした時に『ユキシロハナ』を贈られたら……話は違ってきますが」
「……ん? なぜそこでユキシロハナが出てくるんだい?」
「私が所望したのです! エルキア殿にあれほど喜んで渡した花を、今度会う時に私にも贈ってくれと。そうしたらアルト殿、彼女に渡したのがユキシロハナだということさえ忘れていたのですよ! だから自分で調べろと意地悪を言ってやったんです」
アンジュは『してやったり』とばかりに胸を張ったが、対照的にサーガイルの顔からはスッと色が引いていった。彼は深い溜息をつき、憐れみすら含んだ目で側近を見つめる。
「アンジュ……君は僕の執筆している歴史資料『愛すべき残念な生き物図鑑』のトップを飾る女性になるかもしれないな」
「殿下? 何を失礼なことを」
「考えてもみたまえ…アルト君がユキシロハナを調べたらどうなる? 彼は生真面目だ、当然『花言葉』も調べるよね。それをあえて所望した君のことを、彼はどう思うだろうか? そして……無自覚にエルキアさんに渡してしまったことの意味に気づいた時、責任を取ろうとして彼女への愛を深めたとしたら? それは……君の望む結末なのかい?」
「………………あっ」
アンジュの顔が、今度は青白く染まった。
ユキシロハナの花言葉は――『貴方の背負う運命は、今日から私も共に引き受けます』。
自分の愚かさを悔いるよりも前に、今すぐ発言を取り消したいという衝動が彼女を突き動かす。アンジュはガタガタと揺れる馬車から身を乗り出し、もはや豆粒ほどになったアルトの影に向かって必死に叫んだ。
「アルト殿――っ! 私が貴方からユキシロハナを贈ってほしいと言ったことは無しにしてください!調べなくていい! 絶対に調べないでくださいましーーーっ!!」
しかし、その悲痛な叫びは風に消え、アルトに届くことはなかった。代わりに、何事かと振り返った騎士団全員の耳にその「絶叫」が刻まれるという新たな惨事を招く。サーガイルの咄嗟の機転と慈悲による「箝口令」により、アンジュの騎士としての威厳は首の皮一枚でつながることとなった。
遠ざかる馬車の窓から、身を乗り出すようにして必死に何かを叫び、手を振り続けるアンジュ。その必死すぎる姿に、ラッシュは肩をすくめて笑った。
「あの騎士様、よっぽど別れが惜しいのかねぇ。すごい必死だぞ。まるで今生の別れでも告げてるみたいだ」
砂塵がゆっくりと沈み込み、街道に静寂が戻る。アルトはその場に立ち尽くし、消えていった馬車の轍を見つめながらポツリと漏らした。
「行っちゃった……ね」
ポッカリと胸に穴が開いたような、そんなアルトの肩を、酒臭い息と共に大きな手がポンと叩いた。
「まぁ、祝賀会でまた再会できるだろ、それまでは…修行だな」
オルダは朝から迎え酒を煽り、腰の革袋を揺らしながら気怠げに鼻を鳴らした。だが、その濁った瞳の奥には、親馬鹿な野望がギラリと宿っている。
(いいかアルト、次に会う時だ。今度は確実にあのお嬢ちゃんを落とし、囲い込むんだ……。外堀は俺が埋めてやるからな、息子よ!)
そんなオルダの「邪な親心」など露知らず、アルトは「うん、頑張るよ」と殊勝に頷いた。
しかし、その穏やかな空気を切り裂くように、ラッシュが一歩、強く地面を踏みしめた。乾燥した土が、彼の覚悟を象徴するように鈍い音を立てて弾ける。
「……オルダ様。折り入って、お願いがあります」
声は緊張で震えていたが、その瞳は真っ直ぐにオルダを見据えていた。
「お……? どうした?」
オルダが酔いの回った頭を振り、わずかに眉を寄せた。
その横では、エルキアが静かに、しかし敏感にラッシュの殺気にも似た「意志」を察知する。彼女の持つ聖女としての、あるいは女としての直感が、この後の展開が自分たちの「平穏」を脅かすものであると告げていた。
エルキアが何かを察し、その場を収めようと口を挟もうとした刹那――。
「……待て」
オルダが、それまでの酔いどれの顔を消し去り、鋭い制止の手を向けた。ラッシュの瞳に宿った火が、本物であることを認めたのだ。
「言ってみろ、ラッシュ。お前のその目が何を求めてるのか、俺に聞かせてみろ」
「俺を、あなたの旅に同行させてください。……昨夜、俺は自分の無力さを知りました。俺は、あなたのような強さが欲しい。各地を旅して、あなたの戦い、あなたの生き様をこの目に焼き付けたいんです。剣の稽古も……死ぬ気でやります。どうか!」
オルダは無言でラッシュを見つめた。その眼光は鋭く、ラッシュの魂の奥底まで見透かそうとしているようだった。やがて、オルダは低く、突き放すような声を出す。
「……甘えるな。旅は遊びじゃねえ。お前、本音を家族に話してねえだろ? 逃げようとするガキを連れては行かん。お前の正直な気持ちを、まずは親に伝えてこい」
ラッシュは奥歯をギリリと噛み締め、必死に声を絞り出した。
「……わかりました」
ラッシュは家に戻ると、向き合わなければならない両親の前に立った。
「父さん、母さん。俺、家を出ようと思うんだ」
「帰ってきた途端に家を出る? 何を言っているんだ……?」
父親は驚き、母親も料理の下ごしらえをしていた手を止めた。嫌な予感が部屋を満たす。ラッシュは強く目をつむり、長年抱えてきた「ヘドロ」をすべて吐き出した。
「聞いてくれ、俺の本当の気持ちを! ……今日まで育ててくれたこと、本当に感謝している。ワーウルフのこんな俺を、実の息子のように大事にしてくれた。すごく幸せだった。でも、新しい命が生まれることを知って、俺……俺は! この家にいない方が、みんなが幸せになれると思ったんだ! せっかく待ちに待った本当の子供だ。その家族の中に、俺という異物は異物にしかならねえ! 生まれてきた子にとって、兄が人食いのワーウルフであることが幸せなわけがねえんだ!! だから俺は――!」
パチンッ!
乾いた音が響き、ラッシュはハッとして目を開けた。目の前では、母親が右手を上げたまま、大粒の涙を流していた。
「ラッシュ! なんてことを言うのよ!! あなたがそんな悲しい気持ちでいることが、私たちの幸せだと思うのですか! この親不孝者!!」
「母さん……」
「お父さんもお母さんも、今日まであなたが私たちの子供として居てくれたことが、本当に、本当に幸せだったのよ! お腹に新しい命が宿った時、あなたに弟か妹ができて、みんなで笑っている光景しか思い浮かばなかったわ。種族の違いが何よ! ……あなたは私たちのかけがえのない息子なのよ。二度と、二度とそんな寂しいこと言わないで!」
「……ごめんなさい、母さん……っ!」
ラッシュは崩れ落ち、母親の膝に顔を埋めて号泣した。父親は、震える二人を包み込むように強く抱きしめた。
「ラッシュ、お前は賢い子供だったが、一番大事なことがわかってなかったな。……お前は俺たちにとって、何にも代えがたい宝なんだ」
日が暮れるころ――
家族との涙の決別を終え荷造りを終えたラッシュは、オルダの屋敷の扉の前で立ち止まった。腫らした目を一度強く閉じ、フゥッ! と長く息を吐いて気持ちを切り替える。その拳で、迷いなく扉を叩いた。
「おう、開いてるから入ってきな」
奥から響くオルダの投げやりな声。ラッシュが中に入ると、そこには椅子に深く腰掛けたオルダと、その傍らにエルキアとアルトの姿があった。
オルダはラッシュの顔を見るなり、口角をわずかに上げた。
「……いい面構えになったな」
「はい。ばっちり親子の絆を感じてきました。だから、改めてお願いします! 俺を弟子に……あなたの旅に連れて行ってください!」
ラッシュが深く頭を下げると、オルダは鼻を鳴らす。
「不合格ならそのまま置いていくつもりだったが……まあ、そのツラなら合格だ。連れてってやるよ」
「ありがとうございます!」
その光景を、横で見ていたアルトの瞳がパッと輝いた。
「すごいよラッシュ! ……だったら、僕も! 僕もオルダの旅についていきたい! 外の世界を見て、もっと色んなことを学びたいんだ! エルキア、いいよね?」
その瞬間、エルキアの腕の中にいた「りっちゃん」が戦慄した。
(な、何!? 少年、貴様という唯一の緩衝材がいなくなったら、我と主様の二人きりになるではないか! あの気難しい主様と四六時中一緒など、神経をすり減らして毛が全部抜け落ちてしまう! やめてくれ! 行かないでくれ!)
内心で必死の抗議を叫ぶりっちゃんだったが、その叫びが届くよりも早く、部屋の空気が劇的に凍りついた。
「……ダメに決まっているでしょ、アルト」
エルキアの声は、低く、氷点下の冷たさを帯びていた。先ほどまで聖女のような慈愛を湛えていた瞳からはスッと光が消え、代わりに底の見えない澱のような暗色が広がっていく。アルトは食い下がる。
「魔法の修行も頑張ってやるよ。オルダの言いつけも守る。オルダだって魔法の修行に付き合ってくれるよね?」
「ん~……まあ、そうだな」
オルダは気まずそうに頭をかき、視線を宙に漂わせる。それがエルキアの火に油を注いだ。
「だめなものはだめです」
アルトの言葉を遮るその声には、拒絶を超えた「支配」の響きがあった。エルキアの脳裏には、アルトがいない静まり返った屋敷の光景が、耐え難い恐怖と共に浮かんでは消える。彼女にとってアルトは、単なる預かり子ではない。自身の欠落した魂の破片を埋める、唯一無二の「光」なのだ。その光が、自分の手の届かない外の世界へ、濁った風の吹く場所へと去っていく。それは彼女にとって、自身の存在そのものが霧散するのと同義だった。
「え!? なんでさ。僕もラッシュと同じ気持ちだよ。離れていても、僕はずっとオルダとエルキアの子供みたいなものだもん。だからいいでしょ?」
するとエルキアは、あろうことか矛先をラッシュに向けた。
「ラッシュ君。やっぱり旅はダメです。家に居づらいというなら、今日からウチで寝泊まりしなさい」
「え……!? いや、これまでの感動の親子の別れシーンが全部ぶち壊しなんですが……」
ラッシュはトホホと肩を落とし、天を仰いだ。だが、エルキアの暴走は止まらない。
「どうしても行くと言うなら、私もついていきます。それで旅をするならいいでしょう?」
「ダメだよ! エルキアはこの家でお留守番だよ! そうじゃないと、僕が一人で旅をする意味がないじゃないか!」
アルトの「自立」を求む正論が、彼女の神経を逆なでする。エルキアの視界が、嫉妬と独占欲で真っ赤に染まった。
(私を置いていく? 私の手を振り払って、あんな薄汚れた外の世界へ? そこで誰があなたを守るの? どこの馬の骨ともしれない女が、あなたに触れたら……? そんなの、許さない。絶対に、指一本触れさせない……!)
「まあ、この子ったら! なんで私と一緒なのがそんなに嫌なの!? ダメよ、私がいないと、夜な夜なオルダ様と一緒に酒場に通ったりして、そこで色んな女の人の誘惑とかがあるんですから! ぜーったいにダメです!!」
もはや「教育」の域を完全に超え、ただの嫉妬と独占欲が入り混じった言い争いが続く。ラッシュはあまりの熱量に引き気味で、オルダに小声で助けを求めた。
「オルダ様……そろそろ止めに入った方が良いのではないですか? アルトの気持ちも分からなくないですよ。これ、青少年の一人立ちってやつじゃないですか」
「……ラッシュ。お前が持ち込んだんじゃねえか。弟子になった途端、そういう面倒を師匠に押し付けるな。弟子としての初仕事だ、お前がどうにかしてみせろ」
「無理ですよ! 家族のことは家族でケリをつけてくださいよ!」
二人が押し問答をしている間にも、エルキアの感情はついに臨界点を超えた。
「だめなものは、だめなの!!!」
エルキアが絶叫し、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。しかしその手は、獲物を逃さない蜘蛛のようにアルトの服を掴んで離さない。
「アルト、あなたがいなくなってしまったら、私は寂しくて死んじゃうわ…一人にしないで。本当に、死んじゃうんだから! だからずっと一緒よ、一緒じゃなきゃ嫌なの!!」
「アルト……あなたがいなくなってしまったら、私は寂しくて死んじゃうわ……。本当に、心臓が止まってしまうの。あなたがいない世界に、私の居場所なんて一寸だって無いのよ。ねえ、わかるでしょう? 私を、たった一人にするなんて……そんな残酷なこと、あなたができるはずないわよね……?」
彼女は激しく泣きじゃくりながら、アルトを壊さんばかりの力で抱き寄せた。アルトの抵抗を、全身の重みと狂信的なまでの腕力で封じ込める。
「ちょっと……! エルキア、苦しいよ……!」
アルトの顔が、彼女の豊かな胸の中に深く、深く沈み込んでいく。それは安らぎの揺りかごというよりは、一度入れば二度と出られない甘美な「監獄」のようだった。エルキアはアルトの髪に指を絡め、その耳元で呪文のように、甘く、粘つく声で囁く。
「ねえ、アルト……? 私を守ってくれるって言ったわよね?」
「うん……約束したよ。だから強くなるんだ」
「……だったら、ずっと一緒にいて? 私を一人にしないで……?」
アルトを見つめる彼女の瞳には、もはや理性のかけらも残っていない。そこにあるのは、愛という名を借りた「完全なる所有」への渇望だった。彼女の瞳の奥でゆらりと揺れた闇は、かつて彼女が封印してきたはずの、どす黒い孤独の残滓そのものだった。
「うん……わかった……」
アルトが力なく呟き、エルキアのわがままに屈した。その瞬間、彼女は満足げに、しかしひどく歪な微笑みを浮かべた。
「そう、よかった……。ふふ、本当にかわいいアルト。もう二度と、私を困らせるようなことは言わないでね……? ずっと、ずっと、一緒よ……」
その異様な光景を目の当たりにし、オルダとラッシュは数歩後ずさった。ラッシュが引きつった顔で、震える声で耳打ちする。
「……オルダ様。これ……マジなやつです。さっきの魔法の修行云々は全部、体裁のいい建て前です。マジで……ガチの狂気を感じます……」
オルダは額に流れる冷や汗を拭い、どんよりとした顔で天を仰いだ。
「……何か対策が必要だな、これは。本気で……。下手に引き剥がそうとしたら、この村ごと消し飛ばされかねん……」
(前言撤回だ! 少年が居ればよいと考えた我が間違っていた! 主様の主! ワーウルフ! 我も旅に連れて行ってくれぇぇぇ!)
りっちゃんが内心で必死に悲鳴を上げる中、目の前で息子を窒息させんとばかりに愛で締める「聖女」の深淵に、オルダは本気で背筋を凍らせるのだった。
二十二章読んでいただきありがとうございます。完璧主義の歪んだ保護者×純粋少年…こうなってしまいました。すみません、こういう展開がお嫌いな方には申し訳ないのですが、しばらくお付き合いください。




