第十九章:不死の王の試練
十九章です。
ヤプールの北集落。いつもは穏やかな風が吹き抜けるこの開拓村に、文字通りの「天災」が舞い込んだのは、日が傾き始めた頃だった。黄金色に染まり始めた空を背景に、若者ラッシュが息を切らせて村の広場へ駆け込んできた。その背後には、優雅な足取りで歩くエルキアの姿がある。
「む、村長!ラッシュが、エルキア様を連れて戻られました!」
「おお、無事だったか! それはよかったのう……」
収穫物の検品をしていた村長は、安堵の表情で身を乗り出した。しかし、エルキアが放った言葉は、村長の安穏とした日常を木っ端微塵に粉砕する一撃だった。エルキアから話を聞いた瞬間、その顔から血の気が引いた。
「村長、急な知らせで申し訳ありません。……今夜、サーガイル第三王子殿下が、この辺境の地を深く愛し、この村に一泊されることになりました。一刻も早く、最上級の歓待準備を整えてくださったほうが良いかと存じます」
「…………なんじゃと?」
村長は、自分の耳が物理的に腐り落ちたのではないかと疑った。あるいは、あまりの重労働に幻聴を聞いているのか。
王子。王都の、あの雲の上の、絵本の中にしか存在しないはずの高貴な血筋が、干し肉と酸っぱい麦酒くらいしか娯楽のないこの泥臭い辺境の村に泊まるというのだ。
「……お、お、おうじ……? 第三、殿下……?」
「左様です。殿下は非常に慈悲深いお方ですが、礼失すれば国の法が黙ってはおりますまい。さあ、時間は一刻を争いますわ」
「ひ、ひぃ、ひぃいいいいい! 全員動け! 掃除だ、いや酒だ! 猪を狩ってこい! 誰かオルダ殿を呼んでこい! 命が惜しくば、一秒も休むなーっ!!」
村長の絶叫が、静かな集落に木霊する。村人たちはパニックに陥り、鶏は逃げ惑い、女たちは家中の綺麗な布をかき集め始めた。まさに「天災」である。
「ああ、村長。オルダは現在、重要な所用がありまして、今は表に出てこれません。代わりに私が蔵の鍵を預かっております。中の高級食材もワインも、すべて自由に使って構わないとのことです。王子様に最高の一夜を捧げよ、と」
エルキアの嘘は、もはや芸術の域だった。実際にはオルダは家でくつろいでいるだけなのだが、報告が待っている。村長にこう言えば村の予算を削らずに、オルダの私財で体裁を整えられる。
村長の絶叫がこだまする中、ラッシュは「じゃ、俺は一度家に戻りますんで」と、嵐のような騒ぎを背に足早に去っていった。
一方、エルキアは、アルトの腕から解放された「りっちゃん」を抱え、集落の奥にあるオルダが待つ我が家へと向かっていた。
(……主様よ。我、先ほどから震えが止まらんのだが。この村、何やら恐ろしい気配が満ちていないか? 磁場が狂っているのか、それとも我の霊的感覚が壊れたのか?)
りっちゃんが、ウサギの短い尾を小刻みに震わせながら念話を送る。
「あら、わかるの? さすがはリッチね。……いい、りっちゃん。これから会うのは、私の『主』よ。粗相のないようにね。絶対に逃げ出したらだめよ」
(ぬ……!? 主様の主……!? 主様を従える存在だと!? それは……邪神か? あるいは、太古の魔王か何かなのか!?)
「ふふ、まあ、会えばわかるわよ」
エルキアの微笑みには、どこか緊張と、深い信頼と、そして「これから起こる惨劇」を楽しむような、わずかな加虐心が混じっていた。
屋敷の扉が開く。そこには、旅装を解き、暖炉の前で安楽椅子に深く腰掛けた大柄な男がいた。
アルトの父、オルダである。
「戻ったか、エルキア。……アルトはどうした?無事なのか」
地響きのような低い声。エルキアは恭しく膝をつき、アルトの無事と今回の考古学調査の報告を始めた。
「はい。今はサーガイル殿下とともに、北集落に向かっております。サーガイル殿下との接触は上首尾に終わりました。殿下はオルダ様にも会ってみたいと深い関心を持っており、今後の外交的足がかりとしても十分な成果と言えるでしょう。……そして何より、アルトが一度も魔力暴走を起こすことなく、自らの意思で魔法を顕現させました」
「……そうか、大儀であった」
エルキアはさらに深く頭を下げる。
オルダの口元が、わずかに綻ぶ。それは、紛れもないアルトの成長を喜ぶ慈愛に満ちた表情だった。
「…で、その横にいる『予定外』の客は何だ? 子猫を拾ってきた、というツラではないな」
オルダの視線が、りっちゃんを射抜く。
その瞬間、部屋の温度が氷点下まで叩き落とされたかのような錯覚に、りっちゃんは襲われた。
「ひっ……!」
(な、なんだ……この、霊体を直接握りつぶされるようなプレッシャーは……! 人間? これが人間だと!? 嘘をつけ!恐怖でひび割れそうだ!)
「遺跡におりましたリッチです。りっちゃんと呼んでください。私の従僕として、アルトの側に置くことにしました」
エルキアの言葉を遮るように、オルダが立ち上がる。その巨躯が影となり、りっちゃんを覆い尽くした。彼は一歩、また一歩とりっちゃんに歩み寄り、その巨大な手で小さなウサギの頭を掴み上げた。
「……いいか、骨。貴様がどれほどの化け物だろうと知ったことではない。だがな、アルトの生気を奪うような真似をしてみろ。あるいは、あの子に呪いをかけるような素振りを見せたら……」
オルダの瞳の奥に、深淵よりも暗い「何か」が宿る。
「……貴様の霊核を、塵ひとつ残さずこの世から消してやる。……わかったな?」
(ひ、ひいいいっ! 承知つかまつりましたぁ! 滅相もございません! 忠実なる下僕として、この命に代え…命はないので、存在のすべてを賭してアルト様を粉骨砕身の覚悟でお守りいたしますぅ!)
あまりの恐怖に、りっちゃんは念話で絶叫しながら失禁せんばかりに震えた。
「オルダ様、不死者なのですから、この世から消すのは生ぬるいです。裏切りがあった際は、半永久的な苦しみを与えるべきです。」
(主様!?助け舟どころか、死体蹴りですよそれ!既に死んでますが!)
「む…?そうか。死ぬより後悔するな、それ」
「オルダ様、ご安心ください。既に私の術式でりっちゃんは完全に服従させています。そしてりっちゃんがいなくなると、あの子が悲しみます」
それを聞くとオルダはふっと殺気を消し、いつもの豪快な商人の顔に戻った。
「がははは! まあ、エルキアがそう言うなら信じよう。上下関係もわかってくれたみたいだしな。家族が増えて賑やかになっていいじゃないか。よろしくな、りっちゃん!この家のことはエルキアに色々聞いてくれ」
オルダは高笑いしながら、りっちゃんをバシバシと叩いた。
(死ぬかと思った……我、一度死んでるのに、二度目の死を覚悟した……)
オルダが「最高の酒を持ってくる」と地下室へ向かった隙に、りっちゃんは床に突っ伏して、ウサギの目からボロボロと涙を流した。
(主様……ありがとうございます……。主様が庇ってくださらねば、我、今ごろ霧散しておりました……)
「あら、良かったわね。これであなたも『家族』の一員よ」
エルキアが優しく(?)諭していると、外から地鳴りのような歓声が聞こえてきた。
「サーガイル様万歳!」「ヤプールの誇りだ!」
集落の入り口では、村総出の歓迎式典が始まっていた。
たいまつが焚かれ、村長が必死に用意したレッドカーペット(ただの赤い布)の上を、サーガイルが優雅に歩いていく。
「いやあ、素晴らしい。実に素朴で、温かみのある村だ」
サーガイルは、白馬(実は村で一番足の速い馬を急遽洗ったもの)にまたがり、優雅な手つきで村人たちに手を振っている。その一挙手一投足に、村の娘たちが「きゃああっ!」と黄色い悲鳴を上げ、屈強な農夫たちが「お、王子の手、白っ!」と感動の声を上げる。
その横を歩くアルトは、あまりの熱狂ぶりに目を丸くして驚いていた。
「すごいな……サーガイル様、本当に王子様なんだね……」
「ははは、アルト君。『義務』としての人気だよ。私のような『変人王子』は民にとって無害だからね。だが、この村の熱気は本物だ。エルキア殿が事前に手を回してくれたのだろうが、それにしても歓迎の心が伝わってくる」
サーガイルは、村長が震える手で差し出した泥臭い自家製ワインを受け取り、躊躇なく口にした。
「……美味い! 都会の洗練された酒にはない、大地の息吹を感じるよ!」
「お、おおおお……! 王子殿下が、私の、私の不浄な酒を……! もったいなや、もったいなやーっ!」
村長は感極まって地面に平伏した。それを見た村人たちのボルテージは最高潮に達する。
「サーガイル様! 次は我が家の猪肉を!」「殿下、うちの娘を側女に……!」「馬鹿言え、まずは俺の作った特製パンだ!」
「これ、押し寄せるでない! 殿下がお疲れだぞ!」
村長が必死に群衆を抑える中、サーガイルはアルトの肩を叩いた。
「さて、アルト君。これからの饗宴が楽しみだ。後で君の家でもゆっくりと語り合おう。この村の誇り高き『賢人』……君の父上にも、ぜひ挨拶をさせてくれ」
「うん! オルダもきっと喜ぶよ」
アルトは、父が先ほど家の中でリッチを脅しつけていたことなど露知らず、誇らしげに胸を張った。
ヤプールの北集落。かつてない熱気に包まれたこの夜は、後に「赤い布の奇跡」として村の歴史に刻まれることになる。そして、暖炉の前で震え続ける一匹のウサギを除いて、誰もがこの「天災」のような幸運に酔いしれていた。
十九章読んでいただきありがとうございます。りっちゃんはこのエピソードを書いている時、気に入っていました。




