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ンードラロギア  作者: ああああ


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第十七章:不死の王、魔法の深淵に綿となる

十七章です。

馬車の窓からのぞく外の景色には、見慣れたヤプールの城塞がその威容を現し始めていた。帰るべき場所、安らぎの地が近づいてきたことを知らせるその光景に、車内の空気はどこか安堵の色を帯びている。


「……ん、んぅ……。あれ? お母さん……?」


膝の上で丸まっていたアルトが、パチパチと瞬きをしながら身を起こした。まだ夢の淵を漂っているのか、その瞳はとろんとしていて、状況が飲み込めていない様子だ。


「あれ……僕、いつの間に寝ちゃってたの?」


「あらアルト、起きたのね」


エルキアの優しい声に、アルトはハッとして自分の手足を確認した。

「あれっ、ごめんなさい! 魔法を使ってたら、なんだか急に眠くなっちゃって……」

アルトが記憶を読み返し、恥ずかしそうに目を擦る。


馬車馬の休憩も兼ねて一行は休憩をとることに。

その一行を取り巻く空気はどこか「奇妙な緊張感」が居座り続けていた。

ラッシュは引きつった笑顔で項垂れ、アンジュは神への祈りを捧げるかのように指を組み、サーガイル王子に至っては、何事か重大な国家機密でも記すような真剣な面持ちで手帳を握りしめている。


「アルト、ちょうど良かったわ。考古学調査隊に新しいメンバーが加入したから紹介するわね」

エルキアが、いつもの慈愛に満ちた笑みを浮かべて宣言した。

「紹介します。ウサギのぬいぐるみの『りっちゃん』よ。仲良くしてあげてね。ほら、りっちゃん! ご挨拶は?」


エルキアの手元には、ボタンの目をした愛くるしい、しかしどこか質感が「精巧すぎる」ウサギのぬいぐるみが鎮座していた。

「ウッ……ウサ……」

ぬいぐるみが、ぎこちなく、錆びた歯車が回るような動作で首を垂れる。


(……ッ! なぜ「ウサ」しか喋れぬのだ!? 我は古代の魔導書を読み解き、幾種の言語も操る不死の王だぞ! 主様! これはどういうことなのですか!?)

りっちゃんの魂の叫びが、魔力念話となってエルキアの脳内に届く。


(今はまだ貴方が喋ると都合が悪いの。この遺跡オタク王子がお前を考古学的価値で見定め、欲しいと騒ぎだすに決まっているわ。幸い、お前は魔力念話が使えるのだから不自由ないわ。このまま大人しくしていなさい)

エルキアの冷徹な、絶対零度の念話が返る。


(もう、どうにでもしてください……屈辱だ……)

ぬいぐるみの中に封じられた伝説のリッチは、すべてを諦め、虚無の目をして遠くを見つめた。


その様子を、三人がアルトから隠れるように声を潜めて話し合う。

「しかし、『りっちゃん』という名前は……あまりに安直、いや、シンプルすぎるのではないかな?」

サーガイルが深刻な顔で呟く。どうやら彼は「リッチに相応しい真名」を考案すべきだと考えているようだ。


「殿下! 名前以前の問題です! あのぬいぐるみの中身は『リッチ』なのですよ!? 災厄の象徴ですよ!? ペットのように扱える代物ではないはずです!」

アンジュが『リッチ』の部分を、喉を震わせるほどの小声で叫ぶ。


「アンジュ、落ち着きなさい。我が国の法典には、リッチを愛玩動物にしてはいけないという項目は存在しないよ。エルキアさんが飼い主として管理しているなら、問題はない。合法だ」

「殿下、それは屁理屈です!」

「だが、もし万が一、他の国民がこれを真似してうっかりリッチを飼い始めたら国家存亡の危機だね。今後のために『高位不死者の飼育に関する法整備』の検討は必要かもしれないな」


「リッチをペットにするデタラメなこと金輪際起きねぇから、その必要はないですよ……王子様」

ラッシュが呆れたように吐き捨てた。

「それよりもアルトだ。あいつ、起きたら『動くぬいぐるみ』が増えてるんだぞ。普通の子供なら腰を抜かす――」


「すごいよ、お母さん! これ、お母さんが作ってくれたの!?」

アルトが目をキラキラさせて「りっちゃん」をひょいと持ち上げた。

三人は、盛大にずっこけそうになるのを必死に堪えた。


「えっ……ええ、そうよ。アルトのために心を込めて作ったのよ。気に入ってくれたかしら?」

予想外の純粋な食いつきに、流石のエルキアも一瞬だけ目を泳がせた。


「うん! すごい可愛いよ! 自分で動いたり『ウサ』ってお返事もしてくれるなんて、まるで魔法みたいだ! よろしくね、りっちゃん!」

アルトがぬいぐるみをぎゅっと、親愛を込めて抱きしめる。


「ウサ! ウサウサウサ!」

(やめろ! 貴様、気安く抱き着くな! 我の尊厳が、伝説の魔導王としての誇りが摩耗していく――!)


ピクッ。

エルキアの額に、一本の血管が浮き出た。

(この子に抱かれることの、何が不満なのかしら……? 聖水でその性根を洗濯する必要がありそうね……)

エルキアの念話には、リッチの魂すら凍りつかせるドス黒い殺気がこもっている。


(ヒェッ……!? ち、違います! 何も不満などございません! むしろ光栄です! 温かいです!)


「しかし、この様子だとエルキアさんは勿論、アルト君も良いとして、旦那様は……」

サーガイルが言いかけた瞬間、『旦那様』という言葉にエルキアの笑顔がピキリと不自然に固定された。

「あー! アルトのオヤジさんね!」

ラッシュが大声で、全力の割り込みをかける。

「そ、そちらの方は大丈夫なんですかね? いきなり動くぬいぐるみが家族増えて驚かないんですか?」


「あー、サーガイル様、それなら全く問題ないです。アルトのオヤジさんも……ええ、ウサギのぬいぐるみをしつけることくらい、朝飯前ですよ。ですよねっ、エルキアさん!」

「ええ……。あの人もとても『しつけ』が上手ですから」


(……)

ラッシュは、かつてオルダの「圧」に震え上がったことを思い出し、背中に冷や汗が流れる。


「ウサ…?」

(何を言っているのだ? この少年の父親は、羊飼いか何かか? 馬鹿馬鹿しいにも程があるぞ)

りっちゃんが一瞬の悪寒を気に留めず、鼻を鳴らす。


やがて、話題はアルトが放った不可解な魔法へと移った。

「アルト殿、身体の調子はもう良いのですか?」

アンジュが心配そうに尋ねる。


「はい、もう大丈夫です。すみません、急に力が抜けちゃって。お腹が空いた時みたいな感じでした」


「アルト殿の魔法は、私が知っている『魔術』とは本質的に何かが違っていました。魔法と言えば、呪文を唱え、杖から火や雷を導き出すものだと思っていたのですが」


「え? そうなんですか? 僕はただ、お母さんの魔法を真似してみただけなんだけど……」


「エルキア殿、失礼を承知で伺いますが、エルフと人では根本的に魔法の扱いが違うのですか?」


アンジュの問いに、りっちゃんが右前足にぐっと力を込めた。


(おぉ! ナイスだ騎士娘。失われた古代の、あるいは最新の、魔術理論をこんなに早く知ることができるとは! 我の知識欲が疼くぞ!)


「簡単に説明しますね」

エルキアが、教育者としての顔で静かに語り始めた。「魔法には『詠唱魔法』と『無詠唱魔法』がありますが、エルフも一般的には詠唱を用います。でも、私の教育方針として、この子には『無詠唱魔法』しか教えるつもりはありません」


「は、はぁ……教育方針、ですか……」


「以上です」

そそくさと話を切り上げようとするエルキアに、りっちゃんが内心で悶絶する。


(おい! 話が終わってしまったぞ! 騎士娘、ボンボン王子、もっと食い下がれ! 真理を聞き出せ!)


「あの……何か理由があって無詠唱魔法のみを教えられるのであれば、それを聞いてみてもよろしいでしょうか?」

サーガイルの真摯な問いに、エルキアは深く溜息をついた。


「……少し話が長くなってしまいますよ。それでもよろしいのですか?」


「問題ないさ。アンジュ、せっかくだしヤプールの北集落でもう一泊しよう。こんな話は滅多に聞けるものじゃない」


「殿下、少しはご自身の身分というものをわきまえてください。突然の宿泊、村長がどれほど肝を冷やし、気苦労を背負うと思っているのですか……。もてなしの準備だけで村の財政がかたむきますよ!」

アンジュの至極真っ当な心配を高笑いでスルーする。


(でかしたぞ、ボンボン! 素晴らしい知的好奇心だ!)


「アルト、貴方もよく聞いておきなさい。そしてわからないことがあればお母さんに聞きなさいね」


「はい、お母さん!」


「では……目の前に敵の魔法使いがいるとします。呪文を唱え始めました。この時に一番やってはいけないことは何? はい、ラッシュ君」


「うぇ!? え、えっと……ボーっとしていること?」


「ボーっとしているのは貴方です。間違いではないですが、敵の前でそれは普通に死を意味します。……次も当てるかもしれませんから、集中して聞きなさい」


「はっ、はい!」


「アンジュさん」


「はい。『守る』ことですね」


「正解です。魔法使いの攻撃は、どんな剣士の一撃よりも破壊力があり、致命的だと思いなさい。取るべき行動は、撃たれる前に攻撃を当て、呪文を中断させること。だから、遠距離攻撃を即座に行える相手は魔法使いの天敵。無詠唱魔法は、その高い攻撃力を『先手』として扱えるからこそ優れているの」


「でも、なんで世の中の魔法使いは、お母さんや僕みたいな方法を使わないの?」


(それをポンポンできれば苦労しないぞ、少年)とりっちゃんが心で毒づく。


「それはね、彼らが『魔導書』や『魔法教育』によって魔法を覚えたからよ。私にとって、それはゴミどころか害悪だわ。呪文なんて、自分が今から行う演算内容をご丁寧に敵に披露しているようなもの。お母さんなら、呪文の途中で触媒を破壊するか、あるいは魔力を中和して相殺できるわ」


(……は? 相手の演算を瞬時に先読みして、術式の行使を中和・相殺!? それは人間業ではない、神の如き所業だぞ! 理論上可能でも、それを実戦で行うなど計算能力が追い付くはずがない!)


エルキアはりっちゃんの驚愕を見透かすように、話を続けた。

「アルト。貴方が放った魔法は、『お母さんを守ろうとした意思』が魔力を変換した偶然の結果。お母さんがあのダンジョンで放った魔法……あれはどうイメージしたかと言うとね。**『朝ごはんの卵焼きを作るために、卵をボウルでかき混ぜるイメージ』**が、私には一番ぴったりだったわ」


(……)

言葉にできない沈黙が支配した。


「でも、このイメージは人によって違うの。自分の中だけの、魔法が外に出るためのイメージを見つけること。それが貴方のこれからの修行よ。これはとても難しくて時間がかかるわ。でも、一人でやると爆発したりするから、ちゃんとお母さんと一緒にやりましょうね」


「わかったよ! よーし、魔法の修行、頑張るぞ!」


「……エルキアさんの領域は常人が踏み込めるものではないことがよくわかったよ。アルト君、今後の君が歩む茨の道の険しさを察することができた……ご愁傷様」

サーガイルが遠い目をして、哀れみを含んだ視線をアルトに送る。


りっちゃんは、絶望の淵にいた。

(あ……あり得ない。我のこれまでの幾年月に積み上げた魔術理論が、至高の魔法人生が、料理の一工程で消し飛ばされてしまったのか……。魔法の深淵、ことわりとは、これほどまでにデタラメで、そして残酷なものだったのか……。)


その後も語られるエルキアの斬新かつ苛烈な魔法授業によって、不死の王はウサギのぬいぐるみの中で、ただの綿に戻ったかのように真っ白に燃え尽きていった。その魂はもはや、魔法の深淵を覗く恐怖よりも、明日の朝食の献立に怯えるという、かつてない境地に達していた。


十七章読んでいただきありがとうございます。「エルキア最強イメージ」を無くしたくて魔法の設定を追加したエピソードです。決して詠唱のセリフを考えるのが面倒くさいから無詠唱魔法にしたわけではありません。

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