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ンードラロギア  作者: ああああ


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第十五章:『雪の下の熱源、聖母の沈黙』

十五章です。

「雨降って地固まる」という言葉を象徴するかのように、昨夜のアルトの感情の爆発や、発覚した「月の蝕」という残酷な真実は、一行を激しい雷雨のごとく打ちのめしたはずだった。しかし、明けない夜はない。差し込む朝日はあまりに心地よく、昨日までの混沌を嘘のように清らかに照らし出していた。


アンジュは天幕の隙間から漏れる光に目を細めながら外へ出ると、冷たく澄んだ空気を胸一杯に吸い込んだ。ふと湖畔に目を向けると、そこには現実離れした光景が広がっていた。


朝霧の中に佇むエルキア。湖面に反射する光の粒子をその身に纏い、微動だにせず水面を見つめるその横顔は、この地に住まう古の女神が具現化したかのようだ。


「……綺麗」


思わず独り言が漏れる。アンジュは同じ女性として、その完成された、しかしどこか儚い美しさに溜息をついた。だが、その静寂を破る影が一つ。


「エルキアー!」


元気な声とともに、アルトが勢いよく彼女へと駆け寄っていく。だが、その足取りはどこかぎこちない。両手を後ろに隠し、肩をすぼめ、まるで初めての使いを頼まれた子供のようにそわそわと落ち着かない様子だ。


「……身を隠したまえ、アンジュ」


背後の茂みから、低く鋭い、それでいて妙に楽しげな囁きが響いた。


「ひっ!? 殿下!?」


驚き跳ねるアンジュの視線の先には、高級な旅装を泥で汚すことも厭わず、草むらに這いつくばって眼鏡を怪しく光らせるサーガイルの姿があった。


「まさか……エルキア殿を覗いていたのですか?」


「人聞きが悪いな。私はアルト君の見守りをしているんだよ。実は今朝早く、彼から彼から相談されてね。『昨日のことを謝りたいけれど、言葉だけじゃ足りない気がする。誰に渡しても喜んでもらえる花はないか』と。今の季節だ、雪の下でも耐えて春を待つユキシロハナを勧めたのだよ」


アンジュは絶句した。ユキシロハナ。雪に耐えて咲く白く美しい花。だが、その名前を聞いた瞬間、アンジュの脳内の「花言葉辞典」が真っ赤な警告音を鳴らした。


「……殿下。あの花の花言葉をご存じですか?」


「あぁ、もちろんだとも。『俺がお前のすべてを手に入れる』……あるいは『身も心もすべてを独占する宣言』という、実に情熱的で凄まじい意味を持つ花だろう? 花言葉など、いちいち説明もしておらんよ。草食な彼には毒が強すぎるかと思ったが、受け取りを拒否されても最後の一押しが肝心だと、伝えてある。」


アンジュは目の前が暗くなるのを感じた。


「解釈は概ね合っていますが、正確には『貴方の背負う運命は、今日から私も共に引き受けます』です! そんな、誰にあげても火薬にしかならないような劇薬を、『あの』アルト殿のために選んだんですか!? 下手したらラッシュ殿が受け取ることだってあるんですよ!?」


アンジュの脳裏に、ラッシュがアルトから花を受け取り、顔を真っ赤にして「……ふん、悪くねぇな。責任取れよ」と呟く謎の迷シーンがよぎり、彼女は思わず自分の頬を叩いた。


「……面白そうだろう? 王宮の近衛騎士たちも、このくらいの劇的な展開は大好物のはずだ。事実は小説よりも奇なり、と言うしな」

一点の曇りもない真顔で言い切るサーガイル。この男、面白ければ国が傾いても笑っていそうだ。


「そして、これはアンジュ!君がその対象でもあったわけだ。毒蛭での一件に改めて謝罪とともに、君の柔らかい肌に口づけをしたことに対してのユキシロハナ!!どうだ?悪い気はしまい?」

ドヤ顔を決めるサーガイル。


「……っ!!」

思わず首を押さえ、顔面が紅潮していくアンジュ。


(いけない…冷静になるのよ、アンジュ)


「…いやいや、その相談は、アルト殿が昨夜の非礼を詫びるために、エルキア殿に花を贈りたいという流れ……それ以外にありますか!?」


「……まぁ、そうなるな」

もう少し、アンジュをからかいたかった、そう言わんばかりに少し声のトーンが下がる。


「であれば! わざわざユキシロハナをチョイスする殿下のセンスを疑います!悪魔ですか!?」


「ふむ……面白そうではないか。あの二人の空気感、最初からどことなく違和感があったのだ。アンジュ、このまま温かく見守ろう」

何を言っても動じないサーガイルに、アンジュは眩暈を覚えた。


「それは、確かに夫の連れ子であり、後妻なんですから実の親子ではないからですよ。エルキア殿が困りませんか…? 何かあれば、責任を取ってフォローに行きましょうね!」


アンジュは胃を抑えながら、湖のほとりに立つ『親子』を見守ることにした。


一方、その頃。


エルキアは、湖面に反射する朝日を片手で遮りながら、立ちのぼる柔らかなマナを感じていた。

思考は昨夜の出来事から離れずにいる。


(……あぁ、思い出すだけで、また……)


昨夜、暗闇の中で響いたアルトの決意。


『守るんだ!エルキアを!そのために誰よりも強くなる!!』


(……私を、守ると……あの子が……)


エルキアの鉄面皮の裏側で、制御不能な愉悦が再び泡立ち始める。誇らしさ、愛おしさ、そしてその奥底で、彼女自身すら正体のつかめない微かな「熱」が、冷たい朝気の中でも消えずに燻っていた。


そこへ、当のアルトが真っ赤な顔をして、背中に何かを隠しながら駆け寄ってくる。


「あの、エルキア! ……これ、受け取ってほしいんだ!」


突き出されたのは、雪のように白い、眩いばかりの花束。ユキシロハナ。


(……!? それは、ユキシロハナ……?)

エルキアの思考が一瞬、白く弾けて停止した。博識な彼女が、その花に込められたあまりに独占的で重厚な意味を知らないはずがなかった。


(アルト……あなた、この花の意味を分かって……? いえ、そんなはずは。でも、もし彼が確信してこれを選んだのだとしたら……?)

少年の真っ直ぐな、射抜くような瞳。そして昨夜の「守る」という誓い。それが彼女の胸の奥底、凍てついた封印の扉を激しく叩き、揺さぶり始めた。耐えきれず、エルキアは数歩後退り、背後の大樹に体重を預ける。


「アルト、これを私に……?」

(どうしましょう。心臓が、昨夜よりも、もっと……うるさいくらいに……)


「うん、これが一番ピッタリだと思ったから……」

(エルキアの銀髪や白い肌にお似合いの白い花だと思ったんだ)


(ピッタリ!? 運命を共に引き受けるという意味が、自分の『守る』という誓いと重なっていると……!? いけない、これ以上は……これを受け取っては、私はもう、ただの保護者ではいられなくなる……!)


「そう……なのかしら。でもこの花は……気持ちだけ受け取っておこう……かしら?」

(気持ちも受け取る…これだけでも罪深いことなのではないかしら!?あぁ、この場を収める言葉が見つからないわ!)


拒絶に近い、震える声。だが、ここで「師匠」サーガイルの教えがアルトの脳裏に閃いた。


『アルト君、女性は一度は遠慮するものだ。だが、そこで引いては漢が廃る。最後の一押し……相手の逃げ道を塞ぐくらいの気迫が必要だぞ』


アルトは逃げようとするエルキアの行く手を阻むように、木に手を押し付けた。

至近距離で重なる視線。吐息がかかるほどの距離。世に言う「木ドン」の形になったその光景に、周囲の時間が止まった。


「受け取ってほしいんだ、エルキア」


「あ、、あぁ、待って、アルト、受け取るわ。でも貴方の覚悟は……」

(待って、待って! 私の、血に汚れた過去も、呪われた運命も、全てを貴方が引き受けるというの!? その情熱は……美しすぎて、報われないわ!)


「うん、わかってる。今は無理だってことを! いつかエルキアを守れるくらいになるその日までは修行するよ!」


「……わかったわ。私もその日がくるまでは、気持ちをこの花に込めて、今は答えないわ。答えてはいけないのよ」

(ごめんなさい、アルト…私には今はその覚悟がないの。貴方に汚れている私を見せられないの)


(答えない……? よくわからないけど、この疑問を口に出すのはまた子供扱いされるだけだ!とりあえず受け取ってもらえただけでも良しとしよう!)

「えっ? 答えない……? ……よくわからないけど、わかった! 追い越してみせるよ!」


「アルト……この花を、私の全魔力を用いたマナの結晶体に封じ込めても良いかしら。……いいえ、そうさせてもらうわ」

(永久に、一瞬の劣化も、一粒の塵の付着も許さず、私の命が尽きるまで保存しなければ……!)


「うん、大事にしてね。それじゃあ稽古してくる!」


少年の後ろ姿を見送りながら、エルキアは火照る頬を隠すように、白く輝く花束を抱きしめた。


―――一方、そのやり取りを隠れて見ている二人。


「ほら! 見てくださいよ、あの神妙な様子! アルト殿、絶対に意味を知ってやってますよ! あ、差し出した!」


「ふむ……エルキアさんもまんざらではない様子……だが、一度は逡巡したな。葛藤が見えるぞ」


「アルト殿の猛アタックに困っているに決まっているじゃないですか!!旦那様がいるんですよ!?あぁ、複雑な三角関係が出来上がってしまう…!」


「お?後ろにたじろいだ。これは、ひょっとするとひょっとするな……!禁断の扉が開く音が聞こえるぞ」


「何を冷静に素頓狂なことを言っているのですか! あぁ、二人の会話が聞こえない……っ!」


「あ! 『木ドン』をしたぞ。やるなぁアルト君。若さゆえの暴走か、あるいは天然を装った稀代の策士か。どちらにせよ私の教え通りだ」


「あああああ!! ダメよ! 応援したい……エルキア殿のあの凍てついた孤独を救えるのは、旦那様では無く、確かにアルト殿しかいないのかもしれない! でも、家庭の崩壊が!倫理が! 王国の法が! それは大罪だと叫んでいるわ!!」


「うっかり本音が漏れてるぞ、アンジュ。だが安心しろ、あの親子の罪くらい目をつぶってやる器量は持ち合わせているぞ、我が国は」


アンジュは頭を抱えた。自分の恋路でもないのに、顔が沸騰しそうなほど熱い。


(……待て。落ち着け、アンジュ・ド・ヴィランシィ。深呼吸よ)


相手は、あの「天然記念物級の無自覚台風男」ことアルトだ。自分も身をもって、その嵐に巻き込まれたじゃないか。花言葉など知るはずもないし、きっと「白くて綺麗だったから」程度の理由に決まっている。


(……そうよ。あいつは、ただのバカなのよ。そうに決まってる……。そうじゃないと、私の心臓が保たないし、この後の旅の空気が気まずすぎて死んでしまうわ……!)


アンジュは岩陰で深く、長い吐息を漏らした。王宮の近衛騎士の間で密かに流行っている文学「禁断の恋物語」シリーズに自分も毒されていたのだと、激しく自戒する。

これは外野が首を突っ込んだら最後、あの母親は覗き見の断罪として、その首を切り落としかねない。これはただの微笑ましい一幕。そう自分に言い聞かせる。記憶をそっと封印しようと決めた。


しかし、その後の出立の荷造りの際。


エルキアが、マナの結晶体に閉じ込められたその花束を、まるで壊れ物を扱うように、あるいはまるで愛おしい赤子を抱くかのように慈しみ抱きかかえていた。そんなエルキアと目が合わせた瞬間に、普段の彼女からは想像もできないほど狼狽えて視線を泳がせたのを、アンジュはハッキリと見てしまった。


(……やっぱり、ダメかもしれない……)


アンジュは朝日に輝く空を仰ぎ、この「秘密」を墓場まで持っていくことを、静かに、そして固く決意した。


十五章読んでいただきありがとうございます。冬に花か…まぁ椿の花もあるしと軽い気持ちで作ってみたのですが、椿は生存戦略的によく考えてることを知り、ユキシロハナ…こんな花実在するなら真っ先に絶滅危惧種なんだろうなと思いました。こういう時、色んなこと勉強していないとダメだなぁと思い知らされます。

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