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ンードラロギア  作者: ああああ


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第十二章:糸車が紡ぐ歌

十二章です。

エルキアが振る舞ったスープは、まさに魔法だった。

「……はぁ。五臓六腑に染み渡るとは、まさにこのことだな」

サーガイルが、最後の一滴を惜しむように飲み干し、陶酔の溜息をつく。

そのスープは、旅の泥臭い疲れで凝り固まった彼らの胃壁を、温かな羽毛で撫でるように解きほぐしていた。それは単なる栄養摂取ではなく、次なる「主役」を迎え入れるための完璧な儀式、洗練された「余白」の創出であった。


ちょうど良い頃合いだった。

「よし、最高の焼き加減だぜ!」

ラッシュが、革の手袋を嵌めた手で「獲物」を裏返す。


今夜のメインディッシュは、ラッシュが薪を拾うついでに仕留めた野ウサギのステーキだ。熱した平石の上で香草と共に焼き上げられた肉は、表面がキャラメル色に焼け、宝石のような脂が弾けている。アルトが手元のナイフで肉を割ると、閉じ込められていた清冽な肉汁が、まるで命の残り香のように溢れ出した。一目でその肉の美味さが見て取れる。


「くぅ〜! この柔らかさ、そして溢れ出す肉汁! 野営の食事とは思えん……!」

パチパチとはぜる焚き火の傍らで、サーガイルは一口運ぶなり、そのあまりの美味に頬を緩ませ、天を仰いで悶絶した。 「このハーブの配合……肉の野性味を殺さず、それでいて貴族の晩餐会で供される一皿のような高貴な香りに昇華させている。ラッシュ君、君は宮廷料理人を目指すべきではないか?」


「ははっ、そいつは買い被りだ。新鮮な肉ってのは、それだけで正義だからな。熟成した塩漬け肉の、あの噛めば噛むほど出てくる塩辛い旨味も旅情があっていいが……やっぱり、さっきまで生きてた奴の生命力を直接喰らってるこの感覚。これだよ、これ!」 ラッシュは豪快に肉を頬張り、焚き火の光をその瞳に反射させて笑う。その姿は、過酷な旅を謳歌する冒険者そのものだった。


宴が最高潮に達しようとした時、アルトがふと、不思議そうに首を傾げた。 その視線は、肉の下に敷かれた「平らな石」に向けられている。


「ねえラッシュ、前から気になってたんだけど……よくそんな手頃な石を持っていたね。あんなに平らで、熱を均一に通すなんて。どこで見つけたの? ずっと背負って歩いてたのなら、かなり重かっただろうに」


ラッシュは口いっぱいに肉を放り込んだまま、リスのように頬を膨らませて、クイクイと親指で背後の暗闇を指した。 「……んぐ、ぷは。いや、それ。そこらに半分埋まって転がってた石碑の破片を使ったんだよ。ちょうどいい厚みとサイズだったろ? 火を通しても割れないし、最高の天然鉄板だぜ」


「……な、何だと!?」

サーガイルの顔が瞬時に引き攣った。

「き、貴殿……いま何と言った? 石碑だと!? 人類の至宝、失われた古代の記憶が刻まれているかもしれない、考古学的に測り知れない価値を持つ遺物を……あろうことかウサギを焼くための『鉄板』にしたというのか!? 畏れ多くも何たる不敬、何たる蛮行……!」


「硬いこと言うなよ。ただの石だろ? 捨て置かれて風化するのを待つより、俺たちの腹を満たして役に立つ方が、石だって本望さ」


「本望なわけがあるか! 浪漫だ! 冒険者の風上にも置けん罰当たりめ……!」


冒険者じゃねぇしなと毒づくラッシュに、サーガイルは半狂乱で詰め寄ろうとしたが、ふと自分の皿に残った、一切れの肉を見つめた。 脂が乗り、香草の香りを纏い、石碑の熱で完璧に焼き上げられた肉。 彼はゴクリと唾を飲み込み、震える手でそれを口に運んだ。


「……いや、しかし。だからこそ、この深みのある味になるのか……? 悠久の時を経て蓄積された大地の魔力が、石を通じて肉に染み渡っているというのか……。恐ろしい、歴史の味がするぞ!」


一方、アンジュは青ざめた顔で、脂が滴る焼き石を凝視していた。 彼女の脳裏には、もっと現実的で、不吉な想像が渦巻いていた。 「石碑って……その、もしも『墓石』だったりしたら……。あるいは、怨念の籠もった封印の礎だったりしたら……。祟りや呪い、そういう類のものはないのでしょうか……?」


「それは確かに気味が悪いですね。ラッシュ、食べ終わったらちゃんと元の場所に返して、お祈りしてくるんだよ!」


アルトの正論混じりの叱咤に、ラッシュは肩をすくめた。

「へいへい、わかったよ。ったく、便利に使ってやったのに文句ばっかりだぜ」


「……大丈夫よ。この石碑、墓石ではないわ。これは手紙……いえ、詩のようなものね」

静かな、しかし確かな重みを持った声。 肉には一切手を付けず、愛用のカップでエルキアのスープのお代わりではなく、自家製のハーブティーを啜って指先を温めていたエルキアが口を開いた。 彼女の水晶のような双眸は、焚き火の爆ぜる光を反射し、脂でギトギトになった石の表面を透視するように見つめている。


「これは……一種の手紙ね。あるいは、祈りを込めた詩のようなもの」


「読めるのですか!? この磨り減った古代文字を!」

サーガイルが鼻息荒く身を乗り出した。エルキアは露骨に嫌そうな顔をして身を引いたが、隣でアルトもまた、キラキラとした好奇心の入り混じった眼差しを向けている。 彼女は小さく溜息をつくと、脂の浮いた、そして一部が肉の焦げ跡で隠れた石の表面を、白く細い指先でそっとなぞった。


「1,000年ほど前に、この地で栄え、そして砂に消えたとされる小国の言語ね。文法構造は今の公用語の祖形にあたるから……そうね、今の言葉に訳せば、大体こんなことが書かれているわ」


エルキアは目を閉じ、千年前の風をその身に受けるかのように、たどたどしく、しかし丁寧に言葉を紡ぎ出した。その声は低く、まるでおやすみの合図を送る母親の守り歌のように、夜の空気に染み込んでいく。


『季節は移ろい、星は巡る。 けれど、私の心に吹く風はあの日から止まったまま。 あなたの帰りを、私はここで待ち続けます。

たとえこの身が枯れ果て、天国に召される時が来ても。 私の想いだけは、この乾いた地に遺るように。 この石に、私の魂を深く刻みつけます。』

「……ごめんなさい。詩なんてよくわからないから、こんな説明じみた言い回しになってしまったわ」

少し困ったように眉を下げて、内容を告げるエルキア。主観に満ちた「情愛」や「未練」を言語化することは、どこか面映ゆい作業だったようだ。


「くぅー!! 切ない! 切なすぎるぞ!!」

サーガイルは再び天を仰ぎ、今度は本当に大粒の涙を流した。


「千年の時を超えた恋文! その上で焼かれたウサギ! 塩味の正体は千年前の乙女の涙だったのか! これはもはや食事ではない、時空を超えた心の交流だ! 嗚呼、歴史万歳!」


一人で「歴史の叙事詩」に感動しているサーガイルに対し、ラッシュはあくまで現実的な反応を示して鼻を鳴らした。


「……理解できねぇな。なんでだよ、そんなに好きなら自分から会いに行けばいいじゃねぇか。ただ場所も動かず、来るかどうかもわからねぇ奴を待ち続けるなんて。それはただ自分を呪って、苦しめてるだけだろ。な、アルト?」


同意を求められたアルトは、複雑な表情で焚き火の芯を見つめた。


「うん……そうだね。もし僕がその人の知り合いだったら、なんとかして会わせてあげたいって思うよ。あるいは、もう待たなくていいんだよって、手を引いてあげたい。だって、ずっと一人で待ち続けるなんて……それは、あまりにかわいそうだよ」


少年の純粋な同情。それは、人と人とが触れ合い、結ばれることこそが正解であるという、光の側に立つ者の倫理観に基づいたものだった。


しかしその瞬間、エルキアの瞳の奥で、氷の結晶が鋭く揺れるような、冷たく透明な光が走った。


「……それは違うかもしれないわ、アルト」


エルキアの声が、夜の冷気と混ざり合い、重く、どこか決定的な響きを持って届く。

「それが、この人の選んだ『運命』だったのよ」


彼女の視線は、もはや石碑を見ていなかった。その視線は、遠い過去か、あるいはすでに確定してしまった絶望的な未来の一点を見据えているようだった。


「私は、この人を哀れだとは思わない。……だって、この詩を詠んだ人は、最期の瞬間まで好きな人を想い続けることができた。ただ、その一点にすべての存在意義を捧げることができた。それだけで……誰にも、神にさえも邪魔されないその想いだけで、彼女は幸せだったはずよ。だからこそ、自分の存在が消えても、想いだけが遺るように石に魂を刻んだの。それは悲劇ではなく、ひとつの完成された、永遠の形だわ」

その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているようでもあり、あるいは未来の自分に向けた「遺言」のようでもあった。


その言葉が、誰よりも深く、鋭くアンジュの心に突き刺さった。


騎士として、そして一人の多感な女性として、アンジュはエルキアの献身に潜む「異常性」を常に肌で感じていた。エルキアがアルトに向ける、あの全知全能を投げ打つような眼差し。それは慈愛であり、執着であり……そして何より、「自分という個を完全に抹消した、永劫の孤独」を孕んでいる。


(エルキア殿……貴女も、そんな想いでアルト殿の傍にいるのですか?)


(千年前の石碑と同じように、貴女もまた、……アルト殿の心に何を遺すかだけを考えて、今を生きているのですか?)


アンジュの脳裏に、いつか来るであろう別れの日が、鮮明な悪夢のように過ぎった。 エルキアの強大すぎる力が、あるいはその深すぎる愛情が、いつか彼女自身を焼き尽くしてしまうのではないか。その時、彼女はこの石碑のように、動かぬ記憶の残骸として、砂漠の中に独り取り残されるのではないか。


(それは本当に幸せなのですか……? 貴女は、いつか後悔することになりませんか!?)


(貴女は……本当に、今のままの想いを貫いた結果、冷たい石碑に想いを遺すだけで……一人きりの充足で、満足できるのですか!?)


エルキアの選んだ道の険しさと、その果てにあるかもしれない絶対的な虚無。 それを予感した瞬間、アンジュの目には、目の前の「完璧な聖女」が、あまりにも脆く、今にも崩れ去りそうなガラス細工のように見えてしまった。 エルキアのことが、たまらなく愛おしく、そして恐ろしく、救いようがないほど心配になった。


気づけば、アンジュの瞳から、大粒の雫が溢れていた。


「え!? おいおいアンジュさん、詩に感動しちまったのかよ!?」

ラッシュが驚愕の声を上げ、最後に残しておいた一番良い部位の肉を落としそうになる。


「あらあら、アンジュさんは本当に感受性が豊かで、やさしい人なのね」

エルキアは、自分の「幸福論」に共感して泣いてくれたのだと、無垢な勘違いをしたのか、慈しむような微笑みを浮かべた。 彼女は座っていた岩から立ち上がると、泣きじゃくるアンジュの肩を、敬意と労わりを込めてそっと抱き寄せた。


完璧で、冷徹で、しかしあまりに孤独な「女」の腕。 人間離れした美しい肌から伝わる、微かな、しかし確かな体温。 その温もりに触れた瞬間、アンジュの中で張り詰めていた理性の糸が、音を立てて断ち切れた。


「う、うわあああああん……っ!」


彼女はお気に入りの人形を失くしてしまった幼い少女のように、エルキアの胸に顔を埋め、わんわんと声を上げて泣きじゃくった。

それは、救いようのない運命の足音に対する抗議であり、そして、目の前で微笑む、あまりに危うい「母性」への、届かぬ悲痛な叫びだった。


千年前の報われない想いと、現代の絶望的な献身が、荒野の夜に奇妙に共鳴していた。


十二章読んでいただきありがとうございます。エルキアさんの説明が悪いわけではありません。作者の詩に対する造詣が浅すぎるのが原因です。

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