表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ンードラロギア  作者: ああああ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/52

第八章:閉鎖空間の受難(前編)

八章です。

アムヴィ湖の湖底。そこは自然の浸食が作り出した単なる洞窟というよりは、冷徹な意志によって緻密に切り出された石の回廊――「ダンジョン」と呼ぶべき不気味な閉鎖空間だった。湖底に沈んでいたはずのその場所には、今は不思議と水がない。代わりに、重く湿った空気が肺の奥にまとわりつく。


「空気、問題なさそうね。毒素も、窒息を招くような淀みもないわ」

エルキアは空気が問題ないことを確かめる。


普段は水没していたこともあり、モンスターが巣喰っていることは無さそうだが、だからこそ「何が潜んでいるかわからない」という未知の恐怖が、一行の足元から這い上がってくる。モンスターとの遭遇戦を想定して布陣を敷いて慎重に進むことになった。前衛に嗅覚を持つラッシュと魔力感知ができるエルキア、中央にこの探索の主賓でありながら今は生きた心地のしていないサーガイル、そして後衛を実戦経験の無いアルトとアンジュが固める。


「エル…お、お母さん、大丈夫?」

アルトが、震える声を押し殺して背中に問いかけた。母であるエルキアの背中は、いつになく頼もしく、そしてどこか神聖な気配を纏っている。同時に、彼女から漏れ出る「息子を害する者は塵一つ残さない」という殺気混じりの保護欲が、アルトの背筋を別の意味で震わせていた。


「ありがとう、アルト。周囲のマナや魔力の揺らぎを感知しているから大丈夫よ。でも……もし本当のピンチになったら、その時は一番に助けにきてね? お母さん、アルトに守られたら感動して泣いちゃうかもしれないわ」

エルキアが振り返り、慈愛に満ちた――というには少々熱量の高すぎる、蕩けるような微笑みを向ける。


「ま、まかせてよ。僕が後ろをしっかり守るから」

アルトは自分の胸をドンと叩いた。その幼さの残る仕草に、エルキアは「ああ、なんて愛おしいのかしら。このまま連れて帰って永遠に閉じ込めてしまいたい」と言わんばかりに頬を赤らめ、悶えている。


(……ここは魔王城か何かなのか? そんなピンチ、魔王クラスでも出てこない限り訪れないだろ。というか、その魔王すらエルキアさんにワンパンで沈められそうだ)

と心の中でツッコミを入れるラッシュ。


「いいか、アルト。感覚を研ぎ澄ませろ。俺が止まれと言ったら心臓も止めろ」

ラッシュの低い声が、石壁に反響して重低音となって響く。冗談めかした忠告だが、その瞳には一切の笑いがない。


「わかった―…って止めたらダメだろ!心臓は!」

アルトが、喉元まで飲み込みかけたニンジンを勢いよく吐き出すような勢いでツッコミを入れた。

そのあまりに真っ当な、そして年相応な反応に、通路を支配していた重苦しい緊張が一瞬だけ霧散する。


「ははは、その意気だ。冗談を返せる余裕があるなら、後方の警戒も疎かにはなるまいよ」

ラッシュが口角を上げる。


理屈ではわかっている。遭遇戦において、敵が正面から来れば前衛が食い止める。後衛は比較的安全なはずだ。 しかし、アルトの心臓はさっきから不快なほど激しく、早鐘を打っていた。


(落ち着け。落ち着くんだ……。これはただの洞窟じゃない。生きて帰るための戦いだ。訓練とは違う。ここでは、一歩間違えれば、本当に死ぬんだ)

(……落ち着け。訓練とは違う。ここは、死ぬかもしれない場所だ)


握りしめた剣の柄は、手の汗でじっとりと滑る。何度も服の裾で拭うが、拭ったそばからまた湿り気を帯びていく。 一歩進むごとに、石の床を叩く自分たちの足音が、まるで巨大な怪物の咀嚼音のように聞こえた。


壁は至る所が青白い苔で覆われ、足元は極めて不安定だ。溜まった泥水がチャプチャプと音を立て、不規則なリズムを刻む。時折、天井から滴り落ちる水滴が甲冑を叩く音が、銃声のように響いて肩を跳ねさせた。


「……きゃっ」

背後で、短い悲鳴が上がった。 アンジュが苔に足を取られ、その重厚なフルプレートの重みに振り回されるようにして体勢を崩したのだ。


「危ない!」

反射的な動きだった。アルトは考えるより先に手を伸ばし、彼女の腰をぐっと抱き寄せて支えた。

ガシャン、という激しい金属音。 腕に伝わってくる、フルプレートの冷たい感触。そして、その硬質な装甲の奥にある、女性らしい確かな重みと、かすかに伝わる心臓の鼓動。


「あ……す、申し訳ない。感謝する、アルト殿」

アンジュが顔を赤らめ、凛々しい瞳を泳がせる。


「いえ……滑りやすいですから、気をつけてください。アンジュさんの装備は重いですから、一度転ぶと立ち上がるのも一苦労でしょう?」

アルトが爽やかな、それでいて無自覚な気遣いを見せた、その直後だった。


前方を歩いていたエルキアの肩が、ピクリと不自然に揺れた。 彼女は振り返っていない。視線は前方を向いたままだ。しかし、背後で起きた「不純な密着」を、彼女の鋭敏すぎる感覚が見逃すはずもなかった。


「…………ギリ……」


静まり返った通路に、硬い石同士が擦れ合うような不吉な音が響く。エルキアの歯ぎしりだ。


「いつまでくっついているつもりかしら…?」

その独り言に一滴の温度も含まれていなかった。ただの音。殺意という名の振動。


(……ひぃっ! エルキアさんの殺気がモンスターより怖え!)

ラッシュは戦慄し、冷や汗を流しながら話題を無理やり切り替えた。


「……しっかし、ダンジョンってのは相変わらずクソだな。ここは未踏破だからマシだが、臭い、汚い、暗い、そして危険もある・・・それで苦労して見つけた品物が金になるわけでもない。大抵の場所は盗掘者の残飯や、その後に『出したくなったもん』がそのまま放置されていて、臭いで鼻が曲がるんだ。勇者様の冒険なんておとぎ話の中だけの話なんだよ、勇者様だってするものはするし…」と、両手を広げて肩をすくめながら話すラッシュ。


「ラッシュ殿、汚いです! 夢を壊さないでください!」

アンジュが、アルトの腕から離れながら憤慨した。


「勇者とは、幾度となく困難なダンジョン攻略を重ね、その果てに真の強者へと至る……民草の誰もが憧れる英雄像なのです。それを、排泄物の話と一緒にしないでください!」


「夢? 現実を見ろよ。伝説の勇者のおとぎ話なんて、全部嘘っぱちか、よっぽどのバカが書いたもんだ。まず、第一に食糧問題で詰む。水や酒だけで数週間生きられるエルフやドワーフならともかく、人種ヒューマンや亜人がそんな真似できるか。荷物持ちを何十人も連れていかなきゃ、一週間も持たねえよ。それに、暗闇での排便がどれほど精神を削るか知ってるか?人種や亜人がやるもんじゃねえんだよ」

ラッシュは自嘲気味に笑い、捲し立てる。


「ラッシュ君の言う通りね」

追撃をかけたのは、冷徹さを取り戻した(あるいは怒りを別の方向へ向けた)エルキアだった。


「アルト、よく見て。この狭い通路で、あなたの自慢の長剣はどれだけ自由に振れると思う? 縦に振れば天井に当たり、横に振れば壁に弾かれる。練度を高めたはずの剣技の半分も発揮できないわ。それに、下手に高出力の魔法を使えば、衝撃で天井が崩落して全員生き埋めよ。……戦える場所にだけ都合よくモンスターがいるわけじゃないのよ」


アルトは、自分の腰にある剣の柄に触れた。確かに、今の立ち位置では大きく踏み込むことすら難しい。剣を抜くこと自体が、壁に当たって遅れをとる原因になりかねない。


「あなたがさっきから緊張している本当の理由は、未知の敵への恐怖だけじゃない。自分の力が発揮できない環境への本能的な拒絶よ。ダンジョン攻略は、極限状態での生存術は身につくかもしれないけれど、純粋な『強さ』を磨く場所としては効率が悪すぎるの。こんなのはただの拷問よ」


アルトとアンジュが抱いていた「ダンジョンでレベルアップして強くなる勇者様」のキラキラとしたイメージが、現実という名の泥水に沈んでいく。


「……それなら、大勢の人間を雇って、松明と盾を何重にも並べて、床の苔を掃除し、足場を固めながら進む『人海戦術』が一番現実的なんじゃないかな? きれいな空気を送る魔導具と、潤沢な資金さえあればだけど」

アルトが、沈黙を破ってひらめきを口にした。


「いやいや、アルト。それじゃリターンが合わねえんだよ。だからドワーフ族は鉱床を掘るために穴を掘るが、得体の知れないダンジョンをわざわざ攻略したりはしねえ。命の値段が安すぎるからな。金塊が出るならともかく、歴史の遺物なんて腹の足しにもならねえだろ?」


ラッシュが肩をすくめて答える。その現実的なやり取りを聞いていたアンジュは、ふと、自分たちをこの場所へ連れてきた「依頼主」へ疑念の眼差しを向けた。


「殿下」

アンジュの声が、鋭くサーガイルを射抜いた。

「アルト殿の言う通り、物資と人員を揃えて安全を確保するのが最善であるなら、なぜ王都の正規兵や騎士団を動員しなかったのですか? 私一人の護衛ではなく、工兵隊や一個小隊を動かせば、このような不衛生で危険な行軍を強いる必要はなかったはずです。王室の権限を持ってすれば容易だったはずですが」

淀みのない、そしてあまりにも正当な問いに、中央を歩いていたサーガイルの肩がギクッと大きく跳ねた。


「それは……大々的に人を動員すると、『大きな問題』になるから……ですよね? サーガイル様」

エルキアの視線が王子の喉元に鋭利なナイフを突き立てるように注がれる。彼女の声は、どこか楽しげですらあったが、その奥にある氷の刃が見え隠れする。


「今回のお目当てが『クリスタルレコード』だなんて、私は聞いていませんでしたわ。これがどこかに知れれば、殿下の首と胴体はサヨナラしていたことでしょう。」


「……なっ!?」

アルトとアンジュが絶句する。


「サーガイル様。今回、この件を秘密裏に処理するために雇われたのが、口の堅い我々で本当に良かったですね。これがもし、野心家の貴族や情報屋にでも漏れていたら……今頃ここは血の海でしたわよ」

エルキアの囁きは、もはや警告の域を超えていた。それは、逃げ場のない真実を突きつける「確定した未来」の宣告だ。


「も、猛省します……! すみません……本当にすみません……! 出来心だったのです、ただの好奇心に勝てなかったのです……!」

アムヴィ湖の泥水が溜まった石床の上で、王族としての威厳をかなぐり捨て、サーガイルは深々と頭を下げた。今にも土下座しそうな勢いだ。というか、既に膝が震えて泥に浸かりかけている。


「そんなに危ないことだったのですか、殿下! 次からは本当にお気をつけください! 騎士として、私は命をかけてあなたの命を守る義務がありますが、自ら死地に飛び込むような真似は看過できません!」

アンジュからも激しい叱責が飛ぶ。王族が護衛の少女に怒鳴られ、必死に謝罪を続けるという、極めて奇妙な光景が繰り広げられた。


「……王族をあそこまでヘコませるエルキアさん、マジで世界最強だろ。アルト、お前……本当によく今日まで無事で生きてこれたな。俺なら三日で心臓が止まってるぜ」

ラッシュの同情がアルトに突き刺さる。アルトは苦笑いするしかなかった。確かに、母の機嫌を損ねた時の恐怖は、どんな魔物の咆哮よりも恐ろしいことを彼は身をもって知っている。家庭内での生存戦略こそが、彼の真の特技だったのかもしれない。


だが、皮肉にもその「弛緩」と「焦燥」が、さらなる悲劇を呼び寄せた。


「あ、ああ、わかった! 前を向いて進もう! 立ち止まっていては何も始まらない! さあ、行こうじゃないか!」

狼狽し、顔を真っ赤にしたサーガイルが、逃げるように足を速めた。足元の苔に滑りそうになり、慌ててバランスを取ろうと、とっさに壁のレリーフに手を突く。


その先には、古びた、しかし精緻な装飾が施された、眼球のような形のレリーフがあった。


「あ、王子、そこは――!」

ラッシュの制止の声は、間に合わなかった。 サーガイルの手が、壁の特定の石を強く押し込む。


カチッ。

小さな、しかし致命的な音が、冷たく静まり返った通路に響いた。

刹那。


――地鳴りのような轟音。


「えっ」

アルトが声を上げた瞬間には、天井の隙間から数トンはあろうかという巨大な石の格子が、凄まじい速度で自由落下してきた。


ドォォォォォォォン!!


凄まじい風圧と共に、舞い上がる砂埃と、石同士が激突した際に生じた火花。

通路が完全に分断される。


八章読んでいただきありがとうございます。作者はド〇クエで育ちました。ラッシュ君の意見はあくまでラッシュ君の意見です。作者の意見ではありませんので、あしからず。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ