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ンードラロギア  作者: ああああ


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第七章:静寂の森、湖底の遺産

七章です。

深い原生林が広がる「静寂の森」へと、一行を乗せた馬車が足を踏み入れていた。見上げるほどの巨木が天を突き、幾重にも重なり合った枝葉が陽光を遮り、地上には斑模様の淡い光だけが落ちている。昨夜の「惨劇」——すなわちエルキアによる容赦ない洗礼から一夜明け、車輪の立てるゴトゴトという低い音と、馬の蹄が腐葉土を踏みしめる湿った音だけが、静謐な森に響いていた。


「……アルト殿。昨夜は、その、大変でしたな」


馬車と並走し、愛馬の首を軽く叩きながらアンジュが声をかけてきた。少しだけ声を落とし、視線を泳がせるその姿には、昨日の「鉄の規律を具現化したような近衛騎士」の硬さは微塵もない。兜の隙間から覗く頬は、木漏れ日のせいか、あるいは自身の発言のせいか、わずかに赤らんでいた。どこか気恥ずかしそうな、年相応の少女の顔がそこにある。


「正直に申し上げると、私も辛い物は苦手でして……。幼少期、社交界の礼儀として無理に激辛料理を食べさせられた時は、アルト殿のように魂が抜けた顔をして震えていたと、後で母に散々笑われたものです。あの時の私は、誇り高き騎士の家系にあるまじき、実に情けない姿でした」


「えっ……アンジュさんも、苦手な食べ物あるんですか?完璧な方だと思っていました」


「ええ。ですから、昨夜の貴殿を見て、少しだけ……不謹慎ながら親近感が湧いたのです。あれほどの鋭い剣の腕をお持ちであっても、人として苦手なものの一つや二つはあるのだな、と。完璧な英雄ではない貴殿を知り、少しだけ心が軽くなりました」


アルトは意外な告白に目を丸くし、それから小さく吹き出した。


「ふふ、失礼。ですが、アンジュさんにそう言ってもらえると救われます。あの時は本当に、世界の終わりかと思いましたから。……でも、逃げ出さずに完食した僕の根性は本物でしょう?」


「ええ、実に見事な玉砕覚悟の突撃でした。あの精神力、戦場であれば敵を恐怖させたに違いありません」


二人は顔を見合わせ、声を抑えて笑い合った。アルトはアンジュの横顔を見つめ、改めて彼女の背負う重責に思いを馳せる。


「アンジュさんも、その若さで近衛騎士として王子の護衛をされているのは、本当にご立派です。僕なんて、自分の剣を振るうだけで精一杯なのに」


「あ、ありがとう……。だが、近衛騎士団の中では私はまだ見習いも良いところなのだ。今回は、殿下の教育係でもある奥方様から『厳しく、しっかり殿下をしつけるように』と直々に特命を承っている身でね。気が気ではないのだよ」


「サーガイル王子はご結婚されていたのですね。僕、今の今まで独身だと思っていました」


「ははは、無理もない。殿下のあの振る舞いを見れば、誰もが自由な独身貴族だと思うだろう。だが、殿下はああ見えて、奥方様のことをとても大事に……いや、もはや心酔されていると言ってもいい。彼女の言葉だけは、殿下の暴走を止める唯一のブレーキなのだ。……もっとも、昨夜のような『空気が読めない発言』については、彼女も少し頭を抱えているようだがね」


二人の間に流れる、穏やかで和らいだ空気。昨夜までの張り詰めた緊張感が、共通の「弱み」を晒したことで、心地よい連帯感へと変わっていた。


そんな二人の様子を、御者台から横目で見ていたラッシュが、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。彼は隣に座るエルキアへ向けて、肘で軽く突きながら茶化すように目配せを送る。


「……見てくださいよ、エルキアさん。あの二人、なんだか良い雰囲気じゃないですか。アルトの奴、村にいた頃は剣のことしか頭にない朴念仁だと思ってましたが、年相応のツラができるようになったもんだ。若いってのは、見てるこっちまで当てられますねぇ」


「……そうね。仲が良いのは結構なことだわ」


返ってきたのは、ラッシュの予想を裏切るほど冷めた、温度の低い相槌だった。 エルキアは前方の、影が濃く落ちる木々を見つめたまま、一瞥もこちらをくれない。その瞳には、射抜くような鋭さと、あるいは何かを拒絶するような頑なな光が宿っている。

(……おっと。虎ばさみを踏んじまったか?」

ラッシュは背筋に走った寒気に、思わず首をすくめた。 (アルトへの心配……いや、これは『母親ごっことしての独占欲』ってやつかねぇ。それとも、単に機嫌が悪いだけか? どっちにしろ、深追いは命取りだ)


ラッシュは手綱を握り直し、努めて明るい声でガイドとしての仕事に意識を切り替えた。


「……皆さん、少し前方を見てください。今はまだ風が通って視界がクリアですが、冬の終わりから春にかけて、この森は中央にある『アムヴィ湖』から立ち込める濃霧に包まれるんです。その霧はあまりに深く、自分の手先さえ見えなくなると言われています。ハンターにとっては、足元が見えなくて罠にかかったり、獲物を見失ったりと困りものですが……」


ラッシュは一呼吸置き、遠くに見える巨大な樹木を指差した。


「でも、その霧に含まれる水分とマナが、この森を豊かに、そして巨大に育てているんです。木々が意思を持っているかのように繁茂するのも、その霧のおかげだとか。……昔、引退した老ハンターと何度かここに来た時に教えてもらった受け売りですけどね。彼は『森が呼吸している証拠だ』なんて格好いいことを言ってましたよ。もっとも、その呼吸に飲み込まれて戻ってこなかった奴も大勢いるんですがね」


「へぇ、ラッシュ、詳しいんだな。すごいね」

アルトが窓から顔を出し、素直な感嘆の声を上げる。ラッシュは「おうよ!」と照れくさそうに鼻の下を人差し指でかいた。


「へへ、そりゃ仕事だからな。伊達にハンターギルドに顔を売ってねぇよ。知識は命を守る盾、技術は敵を倒す矛……ってな」


一行の会話を聞いていたサーガイル王子が、退屈そうにしていた表情を一変させ、馬車の中から身を乗り出した。彼の瞳は、未知の玩具を前にした子供のようにキラキラと輝いている。


「サーガイル様。今回の目的地である『静寂の石碑群』は、本来は湖のそば……あるいは湖底にあり、普段は水没している場所ですよね? 雨が極端に少なかった今年、あえてこの過酷な時期に調査を行うということは……湖面の水位が記録的に下がったことを狙ったもの、と考えて間違いありませんか?」


アルトの鋭い問いに、サーガイルは満足げに深く頷いた。


「まさにその通り! 察しがいいね、アルト君。やはり君は筋が良い。僕が狙っているのは、そこらに転がっている風化した石柱などではない。その中枢、最も古い層に納められているはずの『クリスタルレコード』だ!」


「クリスタル……レコード?」


「いいかい? 順を追って説明しよう。通常の石や金属は、数千年の時を経れば風化し、錆び、朽ち果てる。だが、超高純度の魔力結晶体——すなわちクリスタルは、実質的に劣化することがない。つまり、現代のいかなる魔法を以てしても、その表面に傷をつけることさえ不可能なんだ」


サーガイルの声は熱を帯び、身振りが大きくなっていく。


「つまり、そこに何らかの文様や情報が刻まれているとすれば、それは失われし古代の超技術、あるいは現代とは比較にならない高密度の超魔術によって刻印された『記憶媒体』ということになる。この世界の成り立ち、あるいは神々の時代の叡智……。それを想像するだけで、全身の血が沸騰しそうじゃないか!」


独演会に拍車がかかる。彼はアンジュが制止するのも聞かず、熱弁を続けた。


「少なくとも有史以前、この地に我々とは比較にならない高度な文明を持った『何者か』がいて、何かを後世に遺そうとした。その刻印技術の一部を読み解くだけでも、人類にとっては……いや、失われし文明の再興を悲願とする僕にとっては、大陸全ての金貨を合わせても足りないほどの宝となるんだ! それが、普段は厚い水底に眠り、数十年、あるいは数百年に一度しか姿を現さない場所にある。行かない理由があるかい?」


サーガイルの言葉は、単なる知的好奇心を超えた、執念に近い響きを帯びていた。その「再興」という言葉に込められた熱量は、傍目には危ういものにさえ映る。


その時、アルトは隣に座るエルキアの指先が、ピクリと微かに、しかし確かに震えたのを見逃さなかった。彼女は相変わらず無表情を貫いていたが、その膝の上で握りしめられた拳には、白くなるほど力がこもっている。


森を抜け、視界が開ける。


「……着きましたぜ。ここが『アムヴィ湖』の北岸だ」

ラッシュが馬車を止め、一行は外へと降り立った。 森を抜けた先に広がっていたのは、幻想的で、どこか不気味な光景だった。 かつては豊かな水を湛えていたであろう湖は、干上がった泥濘ぬかるみを晒し、そのいたるところに巨大な、異様なまでに白い石柱の群れが姿を現していた。


石柱には、見たこともない複雑な幾何学模様が刻まれており、水没していた跡を示すように、上部だけが変色している。一行は、サーガイルを先頭に、ぬかるんだ地面を踏みしめながら、かつては水底だったエリアへと足を踏み入れた。


まだ完全には渇ききっていないその石床には、這いつくばるような水草や、不気味な色をした苔がびっしりと茂っている。腐敗した有機物の匂いが鼻をつき、空気が一段と重くなったように感じられた。


サーガイルは石柱の文様には目もくれず、一心不乱に奥へと突き進む。彼が目指すのは、さらに低い位置にある、ひときわ巨大なドーム状の遺構だ。


「……皆さん、ここからが完全な水没エリアです。足場が不安定なだけでなく、地質もマナの干渉を受けている可能性があります。十分に注意をしてください」


その声に、全員の足が止まった。

エルキアだった。彼女の声は、これまでにないほど鋭く、氷の刃のように冷徹だった。彼女の視線はサーガイルの背中を通り越し、その先の遺構を、まるで天敵でも見るかのように凝視している。


「これより先は、生身の人間が踏み入るべき場所ではありません。……アルト、剣を抜きなさい。ラッシュ君、いつでも避難できるようにしておいて」


「え、あ、はい……」

アルトはエルキアのただならぬ気迫に押され、愛剣の柄に手をかけた。ラッシュも無言で頷き、腰の短剣を確認すると、アルトに小さく目配せを送る。その目は、「ここからは遊びじゃねぇ」と告げていた。


これまでモンスターとの遭遇はなかったが、これからはそうはいかない。

「静寂」という名の境界線を越えたことを、誰もが肌で感じていた。



七章を読んでいただきありがとうございます。アンジュ嫌いなもの…辛い物…没案のつもりだったのですが、そのままにしていました。異なる世界の食べ物…なかなか思い浮かびません。スーパーでいつでもなんでも買えるわけではない世界では、嫌いな食べ物ってどのような扱いだったのでしょうか?

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