無自覚な敗北者たち
どうせ何にも反論が浮かんでいない人間ほど、
「自分で考えろ」
と言う。
あれは魔法の言葉だ。
便利で、強くて、そして卑怯だ。
考えていない側が、考えている側の立場に一瞬で立てる。
説明を放棄しながら、思考しているふりだけはできる。
まるで自分が一段高い場所にいるかのような錯覚を与える。
「自分で調べろ」も同じだ。
もちろん調べることは悪くない。
でもそれは会話の代わりにはならない。
聞きたいのは検索結果じゃない。
あなたがどう理解しているかだ。
あなたの頭の中を通った言葉が欲しいだけなのに、
リンクの代わりに沈黙を渡される。
そして一番ずるいのが、「お前に言っても分からない」
言ってもいないのに、分からないと決めつける。
可能性を試す前に切り捨てる。
それは相手の理解力を否定しているようでいて、
本当は自分の説明力を守っているだけだ。
本当に分かっている人は、相手を切らない。
伝わらないなら言い方を変えるし、
例えを探すし、時間をかける。
理解させようとする。
それができないから、あの三つの言葉に逃げる。
その瞬間、議論は終わる。
いや、正確には始まってすらいない。
言われた側は怒るより先に、静かに悟る。
ああ、この人はここまでなんだな、と。
もう何も聞かなくなる。
疑問があっても口を閉じる。
どうせ最後は同じ言葉で閉じられるのだから。
本人は勝ったつもりかもしれない。
場を制したつもりかもしれない。
でも実際に失っているのは、信頼だ。
会話を重ねるはずだった未来だ。
盾は便利だ。
けれど盾を振り回し続けた人の周りには、
いつの間にか誰もいなくなる。
残るのは、
「俺は正しい」
と思い込んだままの静かな孤独だけだ。
そしてそれに気づけないことこそが、本当の敗北なんだと思う。




