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壊れない距離、侵食しない声

Ⅰ.不穏な職場、という測定器

 職場の雰囲気は穏やかではない。仕事はそれなりにこなしているつもりだが、性格や人格を否定するような物言いをする先輩や上司がいる。機嫌が悪いと無視をされ、機嫌がよくなると何事もなかったように話しかけてくる。責任をこちらに押しつけてくる後輩もいる。彼らが悪人だとは言い切れない。ただ、人は都合によって距離を変える。その事実だけが、毎日積み重なっていく。私はここで、距離の取り方を間違えた気がしている。

――――――――

Ⅱ.絶望ではなく、けちが始まる夜

 絶望という言葉は、少し大げさだと思っている。実際に起きるのは、もっと小さなものだ。夜から始まる、ほんの些細なけち。何気ない違和感。小さなつまずき。

 家電の故障、家具の破損、人間関係の軋み、体調不良、金銭の不安。一つひとつは修理できる。買い替えられる。距離を置くこともできる。けれど、けちが連なり始めると、踏ん張っても転がり落ちていく。修理できるものと、できないものがある。過去の出来事は、もう直せない。

――――――――

Ⅲ.声だけが安全だった場所

 当時、よく聴いていたのは女性パーソナリティのラジオだった。キャラクターの声とは違う、生活の中の声。家族の声は騒音だったが、ラジオの声は侵食してこなかった。

 自分の声も、容姿も、好きにはなれなかった。中学生の頃はラジオと過ごし、高校ではバイトに追われ、家の中は荒れていった。早く家を出たかった。

――――――――

Ⅳ.番組表というラブレター

掃除の時間、彼女は無愛想な私に話しかけてきた。昨日あったことを、マシンガントークのように話す人だった。声が聞き取りやすく、話がうまい。すべてが整っているように見えた。彼女が聴いているラジオ番組表を、手書きでもらった。まるでラブレターをもらったような気がして、何度も見返した。距離が一瞬だけ縮まった。それで十分だった。

――――――――

Ⅴ.距離を失った時間

就職してから、家の状況はさらに悪化した。警察や病院に世話になることもあり、家族全員が疲弊していった。私の睡眠時間は二時間ほどだった。始発で通勤し、往復四時間の電車で眠る。その生活が四年続いた。ラジオを聴く余裕はなかった。白線の内側に下がれない自分がいた。

――――――――

Ⅵ.再会と、再起動

終電で帰った夜、コンビニの外に女の子が座っていた。タバコを吸っている姿がなぜか気になった。成人式以来、会いたかった彼女だった。ラジオの番組表をくれた人。変わらない声と笑顔。短い会話だったが、嬉しかった。

その後、パソコンを手に入れた。動画を見て、ブログを書き、再びラジオを聴くようになった。自分で距離を選び直せるようになった気がした。

――――――――

Ⅶ.近づきすぎないという技術

SNSは便利だが、近すぎる。名前や居場所が見えてしまう距離は、私には重かった。何年も続けていたブログやTwitterをやめ、ラジオ投稿と視聴だけに戻った。近くて遠い関係。そのくらいが、私にはちょうどよかった。

――――――――

Ⅷ.たった一言で、傾く

 たった一言。

「   」

 その言葉で、今まで平気だった心が傾き始める。大した言葉ではない。相手も苛立っていただけ。それでも、確かに傷は残る。

 求めすぎない。近づきすぎない。傷つけず、傷つかない距離を選ぶ。それが逃げだとしても、壊れるよりはいい。私は今日も、壊れない距離を測っている。


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