夢スイッチ〜夢に起きる〜
「君は、本当に“目覚めて”いると言えるか?」
夢とは何か。
覚めているとは何か。
これは、夢の中で現実に迷い、現実の中で夢に目覚める──
そんな一人の青年が体験する、不確かな“目覚め”の物語。
読み終えたとき、あなたが“どちらの世界”にいるかは、わからない。
飛行機の中。今日は、夢だった“世界一人旅”の初日だ。
エンジン音を聞きながら窓の外を眺めていると――
ビービー!突然、辺りが暗くなり、警報が鳴り響いた。
「皆さん、落ち着いてください!」
CAの声が、機内にこだまする。
だが、なぜか自分は冷静だった。
足が勝手に動き、無意識にコックピットへ向かう。
「僕が操縦します!」
そう言って、操縦席に座った自分は……少年だった。
操縦桿を握る手が震える。機体は制御不能になり、急降下していく。
そして――
地面が迫る、その瞬間。
ガバッ。
目が覚めた。
「……夢、か。」
額の汗を拭いながら、スーツに袖を通す。
いつも通り、会社に向かう。
ただ、胸の奥に何かが引っかかっていた。
「なあ、お前、5億年ボタンって知ってるか?」
同僚が、昼休みのコーヒー片手に話しかけてきた。
「あぁ、なんか押すと、何もない空間で5億年過ごして――戻ってきたら100万円もらえるってやつ?」
「そう。で、その5億年の記憶は消えてて、現実世界じゃ一瞬しか経ってないって話」
「それがどうした?」
同僚は、カップを見つめながら呟いた。
「ふと思ったんだけどさ。俺たち、もしかしたら…無意識のうちに、そういう“ボタン”を押してるんじゃないかって」
「無意識のうちに?」
「あぁ。たとえば――トイレの電気をつける。あれが実は“スイッチ”で、気づかないうちに“別の空間”に行ってるとしたら?」
青年は黙った。
「記憶は戻らない。でも、たまに夢で、ほんの断片が出てくる…そう考えると、ちょっと面白くないか?」
「あんまりピンとこねぇな」
青年は席を立ち、オフィスへ戻った。
仕事を終え、家に帰る。
「フゥ……今日も疲れたな」
靴を脱ぎ、暗い廊下を歩きながらトイレへ向かう。
ドアを開け、スイッチを探す指先。
闇の中、不意に思い出す――昼間、同僚が話していた『別空間説』。
“無意識のうちに別世界に入り込むことがあるんだ”
「……無意識に、別空間か……」
青年はゴクリと唾を飲んだ。
「あの夢……もしかして俺はあっちの世界で生きていて、飛行機事故で死んだ。だけど死ぬ直前、こっちに戻ってきた……?」
誰にも確かめようがない。ただ、夢とは思えないほど“リアルな死”だった。
疲労に負け、ベッドに倒れこむ。
ジリリリリ!!
目覚ましの音で目を覚ました青年は、無意識にアラームを止めた。
「もう朝か……。あのまま寝てしまったようだ」
ぼんやりとした頭でベッドから起き上がり、朝食の準備を始める。
パンをトースターに入れ、コーヒーを淹れる。まだ瞼が重い。
焼きあがったパンにかじりつきながら、ふと呟いた。
「今日も夢を見た気がするけど……どんな夢だったっけ?」
脳の奥に何か引っかかっているような感覚はある。
だがその輪郭は、朝の光に溶けるように曖昧だった。
「まぁ、大した夢じゃないだろ」
青年はコップを流し台に置き、会社へ向かって出発した。
⸻
ガヤガヤ。ガヤガヤ。
駅前に近づくにつれて、人々のざわめきが耳に入ってきた。
「なんか騒がしいな……何かあったのか?」
足を止めかけたが、そのまま歩き続けた。
――が、何かがおかしい。
視界に映る景色。店の看板、通行人の動き、空の色。
どれも現実のはずなのに、どこかで見たような既視感。
「……この感じ……なんだ……?」
心臓の鼓動が少し早くなる。額にじんわりと汗がにじむ。
「確か、この光景……どこかで……」
考えようとした瞬間、
「おい!逃げろ〜!!!」
突然、野次馬の一人が叫んだ。
その言葉と同時に、青年の脳裏に何かがパチンと弾けるように蘇った。
――そうだ。
俺はこの後、通り魔に刺されるんだ。
震えが走る。
「やばい……逃げなきゃ……でも、どこに?」
目の前で群衆が波のように動き出す。
青年は迷う暇もなく、その波に逆らうように走り出した。
「とにかく……生き延びなきゃ……!」
「ハァ、ハァ……」
「……なんとか、逃げ切ったか……」
肩で息をしながら、青年は壁に手をついた。
頭の中はまだパニックの渦中にある。
──だが、不意に思い出す。同僚の言葉。
「“スイッチ”で、気づかないうちに“別の空間”に行ってるとしたら?」
「記憶は戻らない。でも、たまに夢で、ほんの断片が出てくる」
「……そうか!!」
青年の目が見開かれる。
「さっきの“デジャヴ”……あれは、今朝の夢だ!!」
ぼんやりと、通り魔に刺される直前の映像が浮かぶ。
逃げ場がなく、振り返った瞬間──
鋭い刃が目の前に迫っていた。
「今朝の夢と、今の現実がリンクしてる……?」
だけど、夢の中では確かに刺された。
なのに、今の自分は生きている。
「……ということは、夢の“俺”は死んだ。でも、こっちの俺は生きている……」
「じゃあ、リンクしてる部分と、ズレてる部分があるってことか……?」
頭が混乱し、呼吸が荒くなる。
視界が揺れ、脚の力が抜けた。
「くっ……!」
青年はその場に倒れ込み、うずくまった。
──目を覚ました青年がいたのは、白い天井が静かに広がる病院のベッドの上だった。
意識がぼんやりとしている。
視線を動かすと、すぐ隣から聞き慣れた声がした。
「……あ、やっと目を覚ました? 体調はどう?」
その声に反応するように、青年の記憶がゆっくりと戻る。
──長年付き合っていて、結婚も考えていた彼女の声だ。
「うん、大丈夫……全然平気」
「よかった。先生呼んでくるね」
そう言って、彼女は病室を出ていった。
部屋に一人残された青年は、ゆっくりと周囲を見渡す。
窓から差し込む光、机の上の花瓶、
綺麗にカットされた果物の盛り合わせ。
その果物を見て、ふと食欲が湧いたが──
「……身体が、うまく動かない……」
そう感じた瞬間、ドアが開いた。
彼女が、白衣の医師を伴って戻ってくる。
医師はにこやかに言った。
「順調に回復してるよ。
このままいけば、あと1ヶ月ほどで退院できると思う」
青年は混乱した。
「……順調に回復……?
あと1ヶ月で退院……?」
「俺は確か、通り魔に追われて……逃げて、逃げて……その途中で倒れたはず……」
そのとき、ふと違和感を覚えた。
「……なんだこれは……」
自分の身体を見下ろすと、
腕も足も胴体も、包帯だらけだった。
頭の中がざわつく。
思考が追いつかない。
すると、彼女が少し安堵したような声で言った。
「あと1ヶ月だって!
本当に……一時はどうなるかと思ったけど、順調に回復してよかった……!」
だが、青年には彼女の言葉の意味が理解できなかった。
「待って……俺はただ倒れただけだ。
どうして、こんな姿に……?」
彼女は首をかしげ、不思議そうな顔をして答えた。
「倒れただけって……
あなた、バイク事故にあったのよ?」
「まだ寝ぼけてるんじゃない?(笑)」
彼女は明るく笑った。
続いて、医師が口を開く。
「そうだよ。君は2ヶ月前にバイク事故で病院に運ばれたんだ。……もしかして、記憶がないのかい?」
青年は黙り込んだまま、少し考えた。
──記憶が“ない”んじゃない。
違う“記憶”があるんだ。
ふと、さっき彼女が言った言葉を思い出す。
「やっと目を覚ました」
──それは意識を失っていた人に対して使う言葉だろうか?
むしろ、“眠っていた”人に対して言うような気がする。
それに、部屋の様子も妙だった。
綺麗に整えられた花瓶。
新鮮な果物が丁寧にカットされて並べられている。
──たった数時間、意識を失っていただけの人間に、ここまでするか?
いや、違う……。
今の俺は、“意識を取り戻した”んじゃない。
眠りから“目を覚ました”んだ。
──そう考えると、見えてくるものがある。
さっきの通り魔に追われる夢。
あれは夢だったのか?
でもその夢の中で、俺は“飛行機の墜落”という別の夢を見ていた。
まるで、夢の中に夢が重なっているような感覚。
でも──もし同僚の言っていた「別世界」説が本当なら。
俺はどこかのスイッチを通って、何度も別の空間へ移動し、
その断片だけを“夢”として思い出しているのかもしれない。
そう考えると──
俺は今、夢から目覚めた“現実”にいる……はずだ。
でも……この“現実”でさえ、どこかおかしい。
まるで、どこかで見た記憶のコピーみたいに。
「……一体、どういうことだ?」
青年は、ぐらつく頭を押さえた。
思考が渦巻く。
現実のはずの世界が、どんどん薄く、曖昧になっていく。
意識が遠のいていく。
──そうして、青年はゆっくりと目を閉じた。
……
ガバッ!!
「……なんだ、夢か」
青年は額の汗を拭いながら、ベッドから起き上がった。
「やけにリアルな夢だったな……
まぁ、昨日は疲れてそのまま寝てしまったし……そういう時もあるか」
淡々とそうつぶやくと、青年はいつも通りの身支度を始めた。
シャツのボタンを留め、靴を履き、家を出る。
変わらない朝。変わらない通勤路。
変わらない“はず”の一日が始まる──
……終わり。
夜、部屋の電気をつけるとき。
いつも通りの“ただの動作”──そう思っていませんか?
でも、もしその瞬間、あなたが**「別の世界」へ移動していた**としたら?
それはあなたが覚えていないだけで、
たまに“夢”というかたちで断片的に思い出す──そんな可能性は、ないのでしょうか。
この物語は、“スイッチ”ひとつで別世界へ行けてしまうかもしれない、
そんな曖昧な現実と夢の狭間を彷徨う青年の話です。