ふたり、傘をさして歩く道
雨の日は、どこか心の輪郭をぼやかす。
ふだんなら気づかない気持ちが、静かな雨音に溶けて浮かび上がるようで――
そんな瞬間が、誰にでもきっとある。
第6話で少し近づいた九條とほのか。
けれど“友達”なのか、“ただのクラスメイト”なのか、
その関係に名前はまだついていない。
だからこそ、放課後の雨は、二人を優しく同じ傘の下へ連れていく。
“普通に過ごすだけ”だったはずの日々に、
気づけば小さな特別が増え始めていた。
そんな雨の日の物語を、どうぞ。
第7話:「ふたり、傘をさして歩く道」
その日は、朝からどんよりとした曇り空だった。
いつ降ってもおかしくない気配に気づきながらも、俺は傘を忘れて登校してしまった。
放課後。チャイムが鳴ると同時に、窓の外ではポツポツと雨音が響き始めた。
みるみるうちに雨脚は強くなり、昇降口の前には傘のない生徒たちが集まっていく。
――もちろん俺も、その中の一人だ。
「九條くん、傘、ないの?」
振り向くと、ほのかが立っていた。
いつもより少しだけ表情が柔らかい。
けれど、傘を片手に持っているのを見て、少し気まずさを覚えた。
「ああ、やっちゃった。朝は降りそうで降らなかったからさ」
「よかったら……一緒に帰らない?」
その言葉に、思わず返事が詰まる。
図書室で一緒にいることは増えたけれど、帰り道を並んで歩くのは初めてだ。
「……いいのか?」
「うん。だって九條くん、濡れて帰るの嫌でしょ?」
そう言って差し出された傘は、二人で入るには少し小さかった。
⸻
校門を出ると、雨は相変わらず強い。
ほのかが少し俺に寄る。
俺も自然と寄る。
すると、傘の下の距離が急に近くなったように感じた。
「……九條くんって、雨は好き?」
「ん? まあ普通かな。ほのかは?」
「私はね、雨の日って少し安心するの。
周りの音が少し消える感じがするから」
そう言って、彼女は空を見上げた。
傘に当たる雨粒が、ぽつぽつと規則正しくリズムを刻む。
「中学の時は、傘を持っててもちょっとひとりぼっちの気持ちだったけど……」
「……今は?」
「今はね、こうして“誰かと歩くのも悪くないな”って思える」
それは雨音に紛れ、聞き逃しそうなくらい小さな声だった。
でも俺には、はっきり届いた。
⸻
信号待ち。
赤い光に照らされながら、ほのかはふいに俺を見上げる。
「ねえ、九條くん。私、今の生活……すごく楽しいよ」
「それは……よかった」
「ううん。それだけじゃないんだよ?」
彼女は少し恥ずかしそうに言う。
「九條くんと話す時間があるから、楽しいの」
その瞬間、心臓が跳ねた。
なんて返せばいいかわからず、言葉が喉の奥で止まる。
信号が青に変わる。
彼女は何事もなかったように歩き出した。
俺はただ、その背中を追った。
⸻
家の近くの角を曲がると、ほのかが傘を止めて言った。
「ここでいいよ。九條くんの家、この先でしょ?」
「ああ……ありがとう。助かった」
「ううん、こちらこそ。
また……明日も、図書室で一緒に勉強しよ?」
「もちろん」
そう言うと、ほのかは小さく笑った。
雨に濡れた街灯の光が、その笑顔をぼんやり照らしていた。
彼女が帰っていく後ろ姿を見ながら、
俺の胸の奥に、静かに熱が灯るのを感じた。
――“普通の生活”だったはずの毎日が、
気づけばもう普通じゃなくなっていた。
でも、その変化は少しも悪くない。
———
次回予告:
第8話「図書室の小さな事件」
今回もお読みいただき、ありがとうございました!
第7話は、物語としては大きなイベントがあるわけではないものの、
二人の距離が“ゆっくりでも確実に近づいた”大切な回になりました。
傘を一緒にさす――
ただそれだけの行動なのに、
距離が近いと、普段は隠してしまうような気持ちが少しずつこぼれ落ちてしまう。
ほのかが見せた小さな勇気、
それを受け止めきれずに戸惑った九條の心。
そのどれもが、静かな雨音の中で自然に混ざり合うように描きました。
「普通に生きたい」と願う九條にとって、
誰かと帰る道はもう“普通”ではないのかもしれません。
でも、その変化がどこか心地いい。
そんな青春の一瞬を楽しんでいただけていたら嬉しいです。
次回は、図書室で起きる“ちいさな事件”がきっかけで、
二人の関係がまた新しい段階へ進みます。
それでは、また次回もよろしくお願いします!




