第6話 オタクに優しいギャルの飯盒炊爨無双 (後編)
火起こしとは、突き詰めて言えば広葉樹の薪に火をつけることである。
新聞紙から細い枝や松ぼっくり、細い薪、針葉樹の薪と、火が付きやすい材料を順番に燃やしていき、最終的に火が安定しやすい広葉樹の薪に火をつける。そんなことを最初に佐藤先生がレクチャーして、班に分かれて各々作業を開始した…… のだが、
「何で、もう火が付いてる……」
葵が驚いた様子で目を見開く。
何って? 持参した火起こし器を使って100均の着火剤をこれでもかってほど使って火を起こしただけだが?
そう、火は金の力でも付けられるのだ。入学と同時に始めたバイトで稼いだ財力を見せる時が来た。
「ねぇ美樹、何これ」
私がクソデカリュックサックで持参したキャンプ用品の1つを手に取って、結愛が尋ねる。
「ん? 戦闘飯盒2型」
「せん…… え? はん…… え? 何?」
「戦闘飯盒2型。水蒸気炊飯でお米を焦がさずに炊けるよ」
「すっごいガチじゃん……」
本気だ。結愛様、今日は美味しいカレーを作るからね? だから引かないでね?
「源さんすごいわね! 私あんまり料理とかしないから不安だったけど、源さんと一緒ならなんとかなりそう! 同じ班になれて良かったわ!」
「私もこの班に実咲ちゃんがいてくれて良かったって思ってるよ」
石田実咲委員長だけは、私が望んでいた通りのリアクションをしてくれる。前の世界ではあんまり絡みが無かったけど、もう私の中では天使ちゃんマジ天使ってくらいの評価だった。ちなみに委員長は、実は中々のお嬢様らしい。属性盛り過ぎだろって思う。
「ではみなさん! 持ってきた材料を出して、さっそく調理に取り掛かりましょうか」
私を持ち上げるだけじゃなく、委員長らしく全体を仕切ってくれる。こういう人がいるとすごい助かる。特に結愛とか葵みたいな、根っこがソロプレイヤーな人たちがいる班だと。
そんな感じで、私がすっかり安心しきっていた時だった。鞄をガサゴソとしていた葵がこちらを見て、
「どうしよう…… カレールー、忘れたかも……」
葵の顔はすっかり青ざめて、この世の終わりみたいな顔をしている。それはそうだ、班員それぞれで担当の材料を持ち寄って作るカレー作りで、カレールーを忘れたのだから。でも大丈夫だ。私は自分のクソデカリュックサックの中に手を突っ込んで、
「全然問題ありません! そういうこともあろうかと、私がカレールーを持ってきました!」
「いやそういうこともあるって思うか?」
結愛から鋭いツッコミが入るが、私は知っていたのだ。今日葵がカレールーを忘れてくることを。
私にとって一周目の高校生活で、葵はこの日カレールーを忘れ、結愛から詰められて大号泣していた。いや、結愛も本当は葵を責めていた訳じゃない。ただ「カレー作るのにカレールー忘れるってw なんでだよw」みたいな感じで、ツッコミを入れたかっただけだ。
ただそれで実際に結愛から出力されたのが、真顔の「なんで?」だった。真顔が彼女のデフォルトなので仕方ないが、美人なダウナーギャルから真顔で放たれる「なんで?」には、大の大人ですら泡を吹いて倒れる程の迫力がある。
そんな不幸が不幸を呼ぶ負のスパイラルで、「α世界線」の葵の班はお通夜みたいな空気になってしまっていた。これが誠林高1年7組カレーライス事件である。
でもこの「β世界線」ではもう、そんな悲しい事件は起こさせない! 私がそう決意していると、葵が、
「良かった…… わたし…… とんでもない事をしたと思って……ど、どうしようかと……、源さん、本当にありがとう……」
辛うじて涙はこぼれてなかったけど、葵の声は震えていた。そんな彼女を見て、私はこの世界を、心のどこかで本当の現実だと思っていなかったことを痛感した。懐かしいアルバムを眺めるような気持ちで、この世界に接していた。でも彼女たちにとっては、二度とない現実なのだ。
それは怖かったよな。カレールーを忘れるってすごい怖い。これから少なくとも1年を共に過ごすクラスメイトとの最初の行事で、自分の失敗で誰かに迷惑をかけてしまうことは、すごい怖い事だ。
「大丈夫だって。結果的にカレー作れるんだし。もし無かったとしても、なんとかなったでしょそれくらい」
そんなことを言って、結愛が葵の肩を抱いて元気付ける。感慨深い光景だけど、それ私の役目じゃね? と思った。結愛様ってそういうところある。
「では今度こそカレー作り開始ですわね!」
委員長が空気をリセットするように明るく宣言するけど、それも私の役目じゃないか? これ以上感動シーンをスティールされる前に、取り敢えず雑に葵を抱きしめておいた。しかしこれは苦難の始まりに過ぎなかったのだ────。
…………
……
…
「ちょっと結愛ちゃま! 猫の手!」
「あぁすまん。こんな感じか?」
食材を切るんじゃなくて指を詰めようとしてる? みたいな包丁さばきの結愛。
「あ、実咲ちゃん。お米研ぐ時はスポンジ使わなくても大丈夫だよ。洗剤もね。洗うって言ったけど『研ぐ』だからね」
「あら、そうでしたの?」
しっかりしているようで、料理という行為が完全初見なお嬢様の実咲。
「源さんにんじん切ってきたよ! あっ!」
「────っ!」
そして料理の基本的なことは出来るけど、ひたすらドジっ子(オブラートに包んだ言い方)な葵。今も、切ったにんじんを入れたボウルを持ちながらコケそうになったところを、私が間一髪で受け止めたところだ。
比較的早い段階で私の脳内は、「すごい美味しいカレーを作ろう」から、「最後まで楽しくみんなでカレーを作ろう」にシフトしていた。もちろん全部私が一人で作るという選択肢もあって、実際のところそれが一番クオリティの高いカレーが出来そうだが、飯盒炊爨の本来の目的は親睦を深めること。
それなら私は知識とキャンプ用品をフル活用して、みんなが快適に作れるようにサポートに回ろう、と考えていた。しかし考えが甘かった。
「源さんじゃがいも剥いてきたよ! あっ!」
「────っ!!!!!!」
なんだこれは…… 世界線の収束ってやつか? 私がカレールーを持って来ても、「カレーが作れなかった世界線」に収束するのか? 私は「カレーが完成する世界線」を目指して、何度もタイムリープを繰り返さなきゃいけないやつか?
いやそんなことはない、この班に致命的に料理が出来ない人が集まっただけだ。
「あちっ! えへへ……またやっちゃったぁ」
周りを見るとくじを交換した橋本さんも、別の班で何やら失敗しているらしかった。もしかしてこの班、仮に葵がカレールーを持ってきていたとしても、カレーを作れなかったのでは?
しかしこの「β世界線」では私がいる! 何としてでもちゃんと食べられるカレーを作ってやるからな! うをおおおおおおおおおおオオオォオオオォオッ!!!
「源さんお肉切って来たよ! あっ!」
「────っ!!!!!!!!!!!」
…………
……
…
「みなさんカレーは行き渡りましたね? それではいただきましょう」
「「「いただきます!」」」
佐藤先生の掛け声で、クラスメイト全員がそれぞれの班で作ったカレーを食べ始める。そんな中で私たちの班のテーブルには……、
「カレーだ……」
果たして、カレーが完成してた。そう、私たちはやり切ったのだ!
「へぇ……、美味しいじゃん」
珍しく、結愛が感動したような声を出す。ちょっと玉ねぎが焦げてたり、野菜が不揃いだったりするけど、ちゃんとカレーだった。
「大丈夫? わたしがちょっと玉ねぎ焦がしちゃったけど…… 食べられる?」
葵は玉ねぎ焦がしに責任を感じているから、自分が食べることよりも周りの反応が気になって仕方がない感じだ。だから、
「はい、葵。あーん」
葵はちょっと驚いた様子だったけど、不意打ちでやったからか思ったよりも素直に食べてくれた。
「美味しい?」
「うん…… 美味しい」
「良かった!」
本当に良かったと思う。葵が悪者にならなくて。
実は「α世界線」では誠林高1年7組カレーライス事件の後、「葵が結愛を怒らせてしまったのでは?」という憶測が広まり、しばらくみんなが結愛を忖度するような空気になった。そして露骨な嫌がらせがあったとかではないけれど、相対的に「葵が悪いのでは?」みたいな感じにもなった。
誰が悪いとかじゃなくて、それは多分当たり前の流れだ。だから、そうならなくて本当に良かったと、私は心の底から安堵していた。
「あの、源さんは…… どう? 美味しい?」
「え? 私?」
葵が少し上目づかいで、そんなことを聞いてきた。あざとい感じのやつじゃなくて、本当に私の顔色をうかがっている上目づかい。多分私が張り切ってすごいカレーを作ろうとしていたことを、葵は気にしているのかもしれない。
美味しいかって? 不味い訳がない。みんなで頑張って形にしたカレーだ。それに私が監修したのだ。
ただそういう感情論を抜きにして、一つの料理としては「すっごい美味しい!」って程でもない。キャンプ場の美味しい空気と、みんなでやり遂げたという達成感があって、はじめて美味しくなるカレーだ。
だから葵の「美味しいか?」という質問に、ちょっとだけ意地悪な笑みを作りながら、私はこう答えるのだ。
「うーん、とねぇ。ユニーク」