第12話 けいおん厨VS厄介バンドマンVSオタクに優しいギャル
「たはーっ! ジャズマスターかぁ! いや良いと思うよジャズマスター! でもバンドといえばギタボがテレキャスでリードギターがジャズマスっていうのも、いかにも過ぎてなー! いやあたしは逆に一周回って良いと思うけどね! 逆にね!」
このオタクを解放している時の私みたいなテンションの人は誰か。私ではない。いつもクールフェイスのダウナーギャルを保っている結愛だった。
彼女はバンドが絡むとたまにこうなる。恵まれた顔面から放たれる馬鹿みたいな言動に、脳がバグりそうだ。さすがに私はもう慣れたけど。
私と結愛は休日に、2人で駅前の楽器屋に来ていた。そして私がフェンダー社のジャズマスターというエレキギターを手に取ると、何故か楽器を購入する私よりもハイテンションな結愛が、何やらいっぱい喋っていた。
なお私がジャズマスターを選んだ理由は、タイムリープする前の世界で結愛に勧められて買ったからだ。
結局、石田実咲委員長もバンド加入を承諾してくれて、私たちは本格的に学祭ライブに向けて練習することになった。委員長は神的に良い人だけど、安請け合いはしないタイプなので、色々考えてOKを出してくれたことが、私の数少ない安心材料になっていた。
ところで、2010年現在アニメ2期が放送されている「けいおん!」は、リアルの軽音部にちょっとした“分断”を生んでいた。
同アニメの影響で、軽音部や軽音サークルに入るオタクが急増したことは、よく知られている話。しかしその一方で、「けいおんで始めたにわかと一緒にされたくない!」という軽音部員も一定数存在した。元からのピロウズファンと、「フリクリ」でピロウズを聴き出したファンの分裂みたいなものだ。
そして結愛は、ゴリゴリけいおん厨を見下すタイプの厄介バンドマンだった。外でバンド活動をしている彼女が、急に学祭ライブをしようと言い出したのも、要約すると「けいおん!」でバンドを始めたにわかに目にもの見せて俺TUEEEしたい! っていうのが動機だった。
ちなみに、結愛がベースを始めたそもそもの理由は、「なんかバンドの曲を聴いてるとアガるから」というふわふわした理由だ。世界に向けて何かを訴えてやろうとか、自分を変えたいだとか、ぼっち脱却のためとか、そんなドラマチックな動機は一切ない。根っこの部分で結愛は快楽主義者なのである。
「あ、美樹! エフェクターも買っておきな? 最低限ブルースドライバーくらいは持ってないと! あとは弦とピックに…… シールドもプロビデンスのたっかいやつ買っちゃおうよ! 正直カナレのシールドとあんま違いわかんないけどアガるから!」
なんだこいつ店員か?
私はこの快楽主義ギャルバンドマンが、気持ちよくなるためにオリジナル曲で学祭ライブに挑み、嘘みたいに滑る未来を回避しなくてはならない。
…………
……
…
ところ変わってギターを買ったそのままの足でファミレス。葵と委員長が合流して、第1回バンド会議が始まったのだが、
「美樹~ お願いだよぉ~ オリ曲でやろうよぉ~ 軽音部のクソ寒い身内ノリに合わせてコピバンで出るとか嫌だよぉ~ あおたそもそう思うよなぁ?」
「みーちゃん…… これ、何?」
これとか言ってやるな、葵よ。葵は、未だかつて見たことないバンドマンモードの結愛に困惑していた。
恥も外聞も捨ててゴネゴネにゴネる結愛だったが、私はもちろん「絶対滑るからNO」の一点張り。私は委員長に「実咲ちゃんも何か言ってあげて」と助け舟を求めるが、
「うーん。そもそも論になってしまうのだけど、オリ曲ってそんなに失敗しやすい物なの? ごめんなさい、私あんまり学園祭ライブの空気感みたいなものを把握していなくて」
確かにそういう疑問を抱くのも理解出来る。でも滑るのだ。
実際、結愛が言っていた通り、学祭ライブは学校という閉鎖空間での“身内ノリ”が10割だ。つまり学校全体で高い地位にいる3年生のライブは、何をしても盛り上がる。逆に1年生は、まずその学校の“ノリ”に合わせることから始めなくてはならない。
前の世界で、私たちが2年生で雪辱を果たせたのも、演奏技術が上がったからではない。単純に進級したことで、学校内での地位が上がったからである。
で、学祭ライブは基本的にコピーバンドでやるという暗黙の了解がある。これを1年生で崩すのはほぼ不可能だ。
だからどうにかしてオリ曲ルートは回避しなくては、と、そこまで考えたところで、ふと天啓が舞い降りた。
「じゃあさ、今から取り敢えずスタジオ入ってみない? 色々考えるより、取り敢えずなんか弾いてみても良くない?」
「ククク…… 面白い、して、曲は?」
もはや誰だよこの結愛。
「そうね……スピッツとかどう」
「なるほどね、やるじゃん」
これは前の世界の結愛から聞いた話なんだけど、スピッツの曲はバンドの演奏力がはっきりと出る曲らしい。それと男性が歌うにはキーが高めの曲が多いので、実は女性が頑張らないで歌った方が、コピーバンドとしてはしっくりくるのだそうだ。
ただそんなことは関係無く、スピッツって言えば結愛が納得しそうだからスピッツにした。私の目的は、このまま「スピッツでいいじゃん」っていう流れにすることだった。
…………
……
…
で、スタジオ入り。
結愛曰く、委員長とは既に一度スタジオに入っており、一回教えたら基本的な曲は叩けるようになったらしい。なんでも一晩でやってくれそう。一方で葵は全くの初心者なので、今回はギター無し。なのでひたすら曲を聞いて、メロディと歌詞だけ覚えてもらっている。
そんな2人の準備が終わるまで、私と結愛はフロントのテーブルでくつろいでいた。
「でも驚いたな。美樹がギター弾けるなんて」
まぁ前の世界で、結愛にいっぱい教えてもらったからね。でも色々と面倒なので、私は元々ギターをやっていた人で通すことにした。そして挫折してギターを売ったことにした。
「でもそうか、辞めちゃったのか。そういえば今まで言ってなかったけど、あたしこれでも結構真面目にプロ目指してて」
何気なく自分語りを始める結愛に、私は驚いて顔を上げる。もちろん結愛がプロを目指していたことを知らなかったからじゃない。彼女がその夢を語ってくれたのは、前の世界だと高校を卒業する頃だったからだ。
さっきまでと比べてだいぶテンションが落ち着いてきた結愛は、
「あたしって結構その場限りで生きててさ、何も続かないんだ。でもベースだけは何故か続いててさ」
「だから学園祭で、身内ノリに負けたくない?」
「そう、色んなことどうでもいいって思うあたしだけど、だからこそ負けたくない」
私がオリ曲での学祭ライブを頑なに避ける理由は、もちろん自己保身がほとんどだけど、結愛を傷つけたくないからでもあった。あの学園祭クソ滑り事件後の結愛の落ち込み様は、もう見たくない。
ただ結愛が自分の曲で学園祭に出たいという気持ちも、彼女の親友としてよく分かっていた。ふわふわした理由でベースを始めた結愛だけど、今の彼女の熱量は決してふわふわしていない。
「結愛、2人とも準備出来たって。取り敢えず行こうか」
結愛の手を引いて、といっても彼女はスキンシップが苦手だから実際に触れることはしないで、割り当てられた部屋の中に入る。スネアのチューニングを入念にチェックする委員長と、床に座って黙々と曲を聞いている葵。私は買ったばかりのエフェクターやシールドを、ギターとアンプに繋いでいく。
アンプの調整は、和音で音の輪郭がはっきりする、中音域を絞ったサウンド。これも全部結愛に教わったことだ。
準備が終わって、結愛に合図する。懐かしい感覚だった。でも今は見た目こそ同年代だけど、私はアラサーで、結愛は高校生。前の世界のように結愛と一緒に滑り散らかしてあげられないのは、私の失ったものでもあった。
────結愛の4カウントで、演奏が始まる。
曲はスピッツ34thシングル収録曲「若葉」。
この曲はボーカルがアコースティックギターを弾きながら歌う曲だ。でも葵はまだギターが弾けないから、ギターボーカルパートを私がエレキギターで代わりに弾く。
ドラムもなく、歌もなく、ギターのアルペジオとベースの低音だけが合わさる、シンプルな前奏。ゆったりしたメロディーで、結愛はちょっと退屈そうだ。彼女はもっとテクニカルな楽曲が弾きたかったのだろう。
そこに葵の声が乗る。
私は歌の上手い・下手がわからないから、葵の歌唱力がどの程度なのかわからない。でもそんな私でさえ、はっきりとわかる。葵の声質は、驚くほど透き通っていて綺麗だった。
結愛がベースを弾きながら、葵を見ていることに気付いた。さっきの退屈そうな雰囲気から一変して、葵の声に密かな高揚感を抱いていることが、ベースの音粒からも手に取るようにわかる。
曲の途中からドラムが入ると、演奏全体の音圧がにわかに高まる。委員長のドラムは、彼女の普段のイメージとは違って、雷鳴のような力強さがあった。
それでも葵の歌声は決して埋もれない。狭いスタジオを切り裂くように、透明な声が響き渡っていた。
カラオケでも思ったことだが、葵は歌う時に、まるで泣いているような表情になる。「ハレ晴レユカイ」を歌ってもそうなるので、本当に泣いているわけではない。ただそんな彼女の表情が、演奏に何とも言えないエモーショナルな印象を与えていた。
失った懐かしい日々を振り返る叙情的な歌詞が、私の胸にすとんと入ってくる。ボーカル的なテクニックなど存在しない、あまりにも素朴で真っ直ぐな歌い方。
だけどまるで何かに泣き叫んでいるような、ある種の必死さがあって、思わず目が離せなくなる。葵が歌う「若葉」には、そんな不思議な魅力があった。
そして結愛のベースは久しぶりに聞いたけど、やっぱり上手い。音がそう進むのが当たり前なのだと言うように、さも簡単そうに、そして正確なリズムで流れるようにベースラインが進行していく。それが荒々しいドラムと、繊細な歌声を繋げ、一つの曲として調和を取っていた。
最後に、私のギターと結愛のベースで音を重ねて、そっと曲が終わる。私のギターは特段上手いという訳ではないけれど、結愛のベースに引っ張られて、なんだか私もすごい演奏をしていたかのような、充足した余韻があった。
しばらく私と顔を見合わせていた結愛が、突然驚いたような顔をして、
「美樹、泣いてる?」
部屋の中のでっかい鏡を見て、私は自分が格好悪く涙をこぼしていたことに気付いた。どうやら私が思っていた以上に、この演奏が自分自身に刺さってしまっていたらしい。その事実が、なぜか急に恥ずかしくなってきて、
「うああああん!!! あおいいぃぃぃ!!!お歌良かったよぉ!!! よ~しよしよし」
「えへ、えへへ、へへっへ」
オーバーリアクションで葵に抱き着いて、照れ隠しをする。すると結愛も寄って来て、
「いやみんな期待以上だよ! これならマジいけるっしょ! オリ曲!」
また悪いバンドマンモードに戻った結愛が、私の顔色をうかがう。正直なところ、演奏の上手さと、滑る滑らないはまた別の話だ。しかし、
「仕方ないなぁ。いいよ。やろうオリ曲」
私はまた、この二回目の高校生活でも、結愛と一緒に学祭で滑る道を選んだのだった。はいはいエモいエモい。