ヤダと言いたい
『ヤダ』という言葉を、口に出したい。
頼まれたら、断れない。
自分の素直な気持ちを、通せない。
嫌われるかもと考えたら、「イイよ」としか言えない。
……できれば、『ヤダ』を、積極的に口に出したい。
『ヤダ』と言えるようになるため、頑張ることにした。
『ヤダ』と口にする瞬間を求めて、人付き合いを考えてみることにした。
何気ないこと、些細なこと、目についたこと…。
ふとした触れ合い、他人とのやり取り、日常のワンシーン…。
『ヤダ』と言いたい気持ちはあるというのに。
『ヤダ』という言葉が出てきてくれない。
レジの店員が卵を落として謝ったから、イイよって言った。
歩きスマホのサラリーマンがぶつかってきて、ごめんなさいって言った。
警察官に高圧的に指導されて、スミマセンって頭を下げた。
突然お年寄りに怒鳴られて、泣きながら謝り続けた。
旦那がイライラしながら帰ってきたから、気をつかう言葉をかけた。
姑に晩ごはんのおかずがマズいってゴミ箱に捨てられたから、ごめんなさいと謝った。
遠くで暮らす息子から電話がかかってきて、母さんは大丈夫だからと返した。
生ごみを撒き散らしていった誰かのフォローをしながら、ゴミ収集の人にごめんなさいねと謝った。
選挙で○○さんに入れてねとお願いされて、わかりましたと言って投票してきた。
……『ヤダ』と、言いたい。
私は、『ヤダ』と言いたいの。
言いたいのに言えない、自分の弱さに…腹が立つ。
自分の気持ちが二の次になってしまうのは、地獄そのものだから。
常に、自分以外の誰かのために心を捻じ曲げている、現実。
自分だけが相手に合わせ続けている、偽りの世の中。
私が気持ちのいい返事をするものだと決めつけて、自分勝手な言い分を押し付けて平然としている人だらけ。
ごく普通に生きているだけなのに、不平不満がたまっていく。
自分の都合を押し付けることができる人が、うらやましい。
自分の事しか考えないで生きていくのって、どんな感じなんだろう。
『ヤダ』と言えない私は、わがままな人がいなければ…何もできない人間なのかも?
誰かのために生きることが、私の生き方なのかも知れない。
自分の気持ちを通すことは、私にはできない事なのかもしれない。
『ヤダ』と言いたいのに、言うことができない、現実。
「勝子さん、あたしゃ煮物はヤダっていただろう?」
「俺、こういう柄のネクタイ嫌いなんだよ」
「私役員やりたくないから、勝子さんやって!」
「ええ…僕イヤです、絶対やりません」
「すみません、品切れなんで別のやつでもいいですか?」
「ごめんなさい、ちょっと汚れちゃって…」
「一つ足りないんですけど、これで納品させてもらってもいいですかね?」
「ごめんなさい、予約が重複してまして、もう1人の方が絶対に譲れないとおっしゃってて…」
「無理です、お受けいたしかねます」
「お取り寄せは難しくて、今回は我慢していただくというわけには…?」
「すんませーん、落としたけどコレでもいいっすか?」
気軽に『ヤダ』を口にしている人を見るたびに、感心してしまう。
口癖のように『ヤダ』を連発する人に出会うと、尊敬のまなざしを向けてしまう。
……私も、『ヤダ』って、言えばいいのに。
「すみませんでした、作り直しますね」
「じゃあ、将太に送るわね」
「私でよければ、やりますね」
「嫌々やってもらうのも、ね。じゃあ今回だけ、引き受けるわ」
「品切れなら仕方ないですね、いいですよ」
「どうせすぐ汚れるもの、いいわよ」
「次の納品の時におまけしてくれると嬉しいわ?」
「私が折れて丸く収まるなら…いいですよ」
「そうですか…わかりました」
「じゃあ、次回に期待しておきますね」
「食べものじゃないし、ちょっと凹んだくらいだから平気よ」
口から出てくるのは、『ヤダ』とはかけ離れた言葉ばかり…。
私は、私は……。
ヤダと…言いたい、言ってみたいの……。