孤児の記憶
ゲーム会場はこの街全体。つまり街の中ならどこに行ってもいい。
陽光を真正面から食らって光り輝くコンクリートの壁に、思わず目を細める。
「ここが病院。門が壊れてるけど、これは元々だから気にしないで。」
そう言って彼女は病院の門を押す。錆びた音と重たい空気が押し寄せる。カビ臭さが鼻を突いた。
敷地内はほとんどツタで覆われており、建設当初は鮮やかだったであろう壁画も色落ちしてすっかり青くなっていた。
「私の病室に連れて行ってあげるよ。」
階段を一段ずつ踏みしめる。コツォン、コツォンと気持ちのいい音が響いた。
二階の突き当り。
スライドのドアをずらすと、光り輝く病室が現れた。
靡くカーテンの隙間から差し込む陽光が、廃れた医療器具を細部まで照らしている。
…なぜか、鳥肌が立った。この病室にどこか見覚えがある。気持ちいいはずのそよ風に撫でられる感覚は、まるで『あの手に撫でられる』ように感じる。
あの手?何のことだろう…。そうぼんやり考えているとカリスが一歩前に出て言った。
「この病院はね、親を失った子供が通う精神病院なの。」
「じゃぁ…」
「そう。私も実は親がいないの。親が離婚して、ママについて行ったのだけど自殺した。
パパは多方面に恨みを買って殺害されたらしいわ。」
知っている。あなたの過去は知っている。父のことは初めて知ったけど。
彼女は窓際のベッドのシーツを整えた後、その隅っこに座った。私も正面のベッドに座る。
「もっと自分語りしていい?」
いいよ、と首を縦に振る。あなたのことを、もっと教えて。
プレイヤーとして。そして、友達として。
「元々は裕福な家庭だったの。でもパパが職場で不祥事を起こした。
それから三か月した晩、ママに言われたんだ。ママとパパ、どっちがより好き?って。」
あまりに残酷すぎる質問だ。でも、母親も精神を病んでいたのだろう。
「その時は答えられなかった。泣いてごまかしたんだ。結局ママが私を引き取ることになったの。離婚の原因はパパだし、正直予想はついてた。
でもママもその後死んで…気付いたらパパもこの世にいなくて…。
元々病弱で病院通いだったんだけど、知らないおじさんに病院を変えると言われた。
それで、ここに来た。」
少し強い風が窓から吹き込む。ブォオンと言う音と共にカーテンが大きく靡いた。
空を見る彼女の目には何も映っていなかった。
「でもね…そんな私の人生に、一輪の綺麗な花が咲いたの。」
彼女は俯いて、合わせた両手を胸に当てる。何かを祈るようなポーズだ。
「私、好きな人が出来たの。」
薄い笑顔をこちらに向けて彼女は言う。その目から悲哀の感情が見て取れる。
「私の担当医だったんだけどね、いつも私の知らない話を話してくれるの。」
「どんなお話をしてもらってたの?」
「笛の音で病気を治す医者さんの話。」
笛の音で病気を治す医者…。…?
そう言えばその話、結構前に同僚たちが噂していた。
「隣国にね、笛の音で病気を治す男の子がいるんだって。
白龍のように長く細かい髪。ラピスラズリのような深い青の瞳。
彼が吹く音色はいつも争いをせき止め、ノスタルジーな薫風の香りがするんだって。
で、その担当医のお兄さんは笛吹の医者に興味があるって言ってた。
だから私も、興味を引くために髪を白く染めたの。」
白髪は地毛じゃないのか。
なんだか、無垢なお嬢様の夢の話を聞いているようだった。
話がまるでプカプカしている。
純粋にこの恋バナを楽しめたらいいが、今こうやって彼女がゲームに参加したということは…話はここから堕ちるだろう。
「ここまではいい話だけど…何かがあったから、ここに来たんだよね。」
「…うん。」
彼女の顔から笑みが消える。
でもまたすぐ笑顔を作る。きっと無理して笑ってるのだ。
「その担当医のお兄さん、いなくなっちゃったんだ…。ホント、急にいなくなって。私の担当医も女性に変わったの。あのお兄さんがどこに行ったのか訊いても答えてくれなくて。
ここの病院も入院する患者が増えて、隣国の方の病院に転院したの。
でもある時、そこのテレビであの担当医が映されたの。『行方不明者』って。」
行方不明…。待てよ、カリスがこのゲームに参加した理由って確か…。
「その一週間後かな。私のもとに封筒が届いたの。
中には担当医の顔写真と、このゲームの招待状が入ってた。」
それで『人探し』か。
彼女が嘘をついていなかったら、これで彼女の大まかな情報がつかめた。
窓から流れ込む風が、彼女の長く白い髪を靡かせた。
「報告書」
【カリス・カンパネラ】
要求するもの:人物(特定)
〇元々裕福
→離婚…母についていくも他界、父も他界
〇孤独
→孤児精神病院に転院(一度目)
〇担当医に恋
・笛の音で病気を治す医者に興味ある担当医
→真似て髪を染める
〇担当医 失踪
→人探し(人物:担当医)