トリックスター
カップを傾け、中の毒を口内に流し込もうとした、その時だ。
「ちょっと待つんだリリー。」
カサブランカが、カップを持っている私の手を押さえた。
「え?な、何?」
「喉、乾いてないんだろう?僕にくれよ。丁度飲み物が欲しかったんだ。」
そう言って彼は、私のカップを問答無用で奪い取り…中身を足元に垂れ流した。
カップの液体を全身に食らって、雑草が変色していく。
これには思わずミモザも驚いた表情をしていた。
やがてカップの中身を全部流し切り、沈黙の末カサブランカの吐息が聞こえる。
当たりを見渡すと、人込みの向こうでカリスとアスがこちらを見ていた。
きっと一緒にお喋りしていたのだろう。二人とも片手にワイングラスを掲げていた。
「カサ…ブランカ?」
「もう、やめにしよう。」
そう言ってカップを手放した。
自由落下するカップは変色した草々の上に転がり落ちる。
「どうして?どうして!?私の邪魔はしないって言ったじゃない!」
ミモザが正体を現し始める。やはり私を毒殺するつもりだったのだ。
カサブランカは黙ったままだ。口を開く気配すら感じない。
そんな空気感の中、何かを察したカリスとアスがこちらに近づいてきた。
人々の笑い声が遠く聞こえる。車椅子状態の私に逃げ道はなかった。
「ねえ、何か言ってよ!」
「きっと僕は、」
ミモザを黙らせる勢いで言葉が飛び出る。こちらに寄ってきていたカリスとアスも一旦歩みを止める。
「きっと僕は…もうすぐこのゲームで命を落とすだろうね。」
「は?」
「こんなにお人好しなんだ。僕に感謝しろよリリー。」
風が吹き込む。複雑に絡み合った冷気と熱気が吹き飛ばされた。
「サルビア。君は、ナハツェーラさえ殺せたら十分なんだろ?」
「えぇ、そうよ!ずっとそう言ってる!」
「もし僕がナハツェーラを名指しで言い当てたら、君はリリーを殺さずに済むのかい?」
「…まぁ…そうなるわ。」
怒りと困惑の混じったミモザの声。しかし僅かながら悲しみも感じた。
「そうか。そうか。そうなのか。」
「もしかして知ってるの?じゃぁ最初から教えてよ!ねぇ、ナハツェーラは誰!?」
いい加減周囲の視線も何割かこちらに向いてきた。真の修羅場はここだろう。
そんなことを考えていると…カサブランカが、呟いた。
「ナハツェーラは僕だ。」
周囲が凍り付く。私自身も一瞬思考がせき止められた。カリスやアスも、マネキンのように固まっていた。
「カs…え?」
「家族が、死んだ。初恋の人が、死んだ。だから、王を殺した。詳しくは後日話そう。少なくともこの宴にふさわしい話題ではない。」
そう言ってカサブランカは私の車椅子の向きを変え、歩き出した。取り残されたミモザを振り返ることなく。速足で。
こっそりパーティーを抜け出すようにホテルに戻った。
逃げ出す途中巡視員と目が合ったが、私が目で合図を送ると何かを察したのか見逃してくれた。
カサブランカは終始何も言わず私の車椅子を押して…ホテルの中庭に出た。
陽の光がよく当たる中庭。車椅子の向きを整えると、彼は私の横に座り込んだ。
「ここ数日、僕のせいで君に色々迷惑をかけたね。」
「あなたがナハツェーラだったのね。」
カサブランカに、私がナハツェーラかもしれないと告白したあの日。彼はそれを否定していた。根拠のない、私を安心させるための文句だと思っていたけど…彼は正解を知っていたのだ。正解を知っていた上で私にヒントを与えてくれていた。
「あぁ。僕が最前線で常識革命を指揮した。革命を言い出したのも僕だ。」
「何か事情があるの?」
深堀すれば、きっと彼の過去を知れるだろう。しかし今はメモがない。ただ…そんなことどうでもよく感じてきた。素の自分が、彼の声を欲している。
「王がしっかりしていれば…僕は、僕らは、幸せだっただろうに。」
「『僕ら』?」
「一緒に革命を計画した『友達』だよ。」
彼のうつろな目が空に向けられる。それは遠い日々を思い出しているようだった。
「君にだけ…僕の過去を全部語ろう。」
そう言って彼は、大きく息を吸った。




