風雨の奔流
「外、雨降ってるよ。アスお兄ちゃん。」
シオンは病室の窓に張り付いて外を見つめていた。
雫だらけの窓。デカい一つの雫に指先を当て、その行く先を指でなぞっていた。
「この雨も夕方には止むらしい。」
「何で知ってるの?」
「奇跡の神様が教えてくれたからだよ。」
正確には天気予報を見ただけだった。しかしシオンは奇跡の神様と言う言葉を聞いて目を輝かせる。
「奇跡の神様は、なんでも知ってるの?」
「うん。何でも知ってるし、何でもできるよ。」
「じゃあさ、シオンの病気はいつ治る?」
一切曇りのない視線を送られる。真実を知る僕にとって、それは眩しすぎた。
「あはぁ…そ、それはね、シオン。」
「うん!」
「明確に『この時期に治る!』っていうのは決まってないんだよ。」
「え?」
「シオンの病気が治るのは、奇跡の神様がシオンにキスした時さ。」
「奇跡の神様はいつシオンにちゅーしてくれるの?」
「シオンが祈りを捧げ続けたら…いつか…絶対に…ね。」
後半は自信なさげな声になってしまったが、幼いシオンはそれを信じて無邪気に両手を合わせた。
「奇跡の神様!シオンの病気を治してくださいッ!」
「そんな大声あげなくても…」
そういいながら一緒に手を合わせた。それは無意識だった。
しかし直後。
「ゥ…」
シオンが胸を押さえて悶絶し始めた。
「あぁあ!」
急いで壁の赤いボタンを押す。
するとものの数秒でナースたちが駆けつけてきた。
「至急、PICU空いてる!?」
「空いてます、運んで!」
僕は病室の隅っこに寄せられ、シオンはベッドごと運ばれていった。
「アス君、ボタン押してくれてありがとね。」
いつものナースがそう微笑みかけてきた。
「今日のはいつもに増して苦しそうだったけれど…治りますか?」
「うん、もしかすると治療挟むかもしれないね。」
治療…。今月でもう三回目だ。
「隣国の国立病院なら十分な治療をさせてあげられるだろうけど…今あの国は忙しいもんねぇ…。」
『忙しいあの国』。僕の祖国だ。革命が起きて崩壊寸前の僕の祖国だ。
「うん…」
窓に目をやる。
雫と、シオンの指紋がくっきり残っていた。
「シオンちゃん、一時的ではあるけど…なんとかなったよ。」
そう言って病室に戻ってきたシオンは気持ちよさそうに眠っていた。でも…信じられないくらい顔色が悪い。
「麻酔が切れたら起きると思うから、お兄ちゃんも側にいてあげて。」
「はい。ありがとうございました。」
一礼すると、ナースたちが病室から出ていく。
ベッドの横の木製椅子に座った。いつの間にか猫背癖がついてしまっていた。
壁側を見る。床頭台の上には二人で描いた絵が三枚と、僕のフルート。そして…祖国からの封筒が置かれていた。さっきも見たけど、もう一度封筒を手に取って中身を取り出した。
そこには『ゲーム』の招待状と、小さな紙の切れ端が入っていた。
紙には五線譜と、その上に書きなぐられた音符記号があった。
紙を裏返すとシオンの病名が載っている。
「…ふぅ」
前に一度だけこの紙きれの音をシオンに吹いてやったことがある。すると不思議なことに、その時はシオンの顔色が激的によくなったのだ。まぁ三分もすればまた悪くなったんだけど…。
この楽譜はシオンの病気を治す楽譜だ。
祖国から送られたゲームの招待状。これに参加すれば完全な楽譜を手に入れられるのか?
その答えは招待状の下の方に書いてあった。
『アス様がゲームに参加された場合、我々はアス様に完全な楽譜を提供します。最後まで生存したら今住んでいる住居に帰還できます。』
生存と書かれている。これはつまり、死亡する可能性があるゲームということだ。俗にいうデスゲームだろう。
こんなの夢物語だと思っていたが、まさか自分にその招待状が送られるだなんて。
でもこれもシオンの為…。僕は荷物をまとめた。
荷物といっても、それはフルートと招待状だけだった。あと、家族のペンダント。
「怖がらないで、シオン。お兄ちゃんはシオンの心の中にずっといるよ。」
握った小さな手の、今にも消えそうな温もりを僕は見逃さなかった。か弱く、震える手が握り返す。彼女の額にキスをした。
前にもこんなことがあったな。
あれは確か…使用人のミスで家が燃えた翌日の晩だった。
うずくまって泣くシオンの額にキスをして僕は誓ったのだ。
「大丈夫。僕が君を守るから」…と。兄として。そして医者として。
病院を出る。
もう雨は止んでいた。
「祖国に、帰ろう。」
全てを失う前に。




