「でもそれは、あなたの名前で。」
サルビア(ミモザ)の古い記憶
それは、灰にまみれた父の書斎。
それは、死んだ小鳥を埋葬した小さな布切れ。
それは、これから燃える負の記憶。
「お母さんは、どこにいるの?」
毎晩父は私達に毛布をかけて子守歌を謳ってくれた。
それは私たちの知らない『外の世界』の魔法の言葉だ。外の世界の民衆は、きっと私達を見て指を指す。だから父は私達に諭し続けた。人は自分たちと違う人を受け入れられないものだから…って。
「遠くに、いるよ。」
そう言って毛布を掛ける。布の下には一つの体が、枕の上には二つの頭が。
「おやすみ。サルビア、ミモザ。」
それは、死の前兆。
それは、生の終点。
それは、常識が打ち砕かれる夜。
外で大人たちがマーチングバンドを組んで行進していた。
「あれは、何?」
みんなが松明を持ってる。だから、外が明るい。
サルビアとその光景を見ていた。父とその光景を見ていた。
まだ幼い私達に『変化の予兆』は早すぎた。今宵、一人を殺すために数多の犠牲者が生まれる。父は変わらず私達を抱きしめた。
「今晩は、真夏が見れるかもしれないよ。」
明るくて、あつくて、死にそうな真夏だとは思いもしなかった。
「サルビア!」
ぐったりと倒れた姉妹の頭を抱えて、私は炎の道を歩いていた。
「ミm…」
「サルビアッ!」
地獄を初めて目にしたのはこの夜だった。
あちこちで立ち上る炎の柱。歩けば足に誰かの体が当たった。
「国王はどこだッ!下劣な犬コロめがっ、ぶっ潰せ!」
炎の奥で男たちが駆けてゆく。それを妨害する様に坂道の上から人が降ってくる。
「誰か!誰か助けて!」
なんでみんな無視するの?炎のせいか疲労のせいか視界がモヤモヤと揺れる。
やがて意識は底なしの深淵に引きずり込まれた。
「成功して本当によかった!これは奇跡だよ!」
それは、奇跡。
「なんて難しい手術を…。うん、痕も数日経てば治るだろう。」
それは、欲していた平凡。
「サルビアちゃんは…しょうがなかったんだ。そう悲しい顔をしないでおくれ?」
それが、結末?
起き上がると、肩が軽かった。少し笑んだからか、安心して医者も微笑む。しかしそれを見て、またすぐ冷めた。
一つの心臓が二つの命の血を流せると思う?ましてや弱った心臓が。
渡された鏡で自分を見る。見えたのは、まるで最初から何もなかったように綺麗な首だった。
皮膚移植されたところは少し違和感があったけど、これも治るらしい。
つまりあと数日経てば、私はどこにでもいる女の子になるらしい。
でもその平凡に、サルビアはいない。なぜって?彼女は、燃えたから。
「ッッッ…カァァーー!!」
「姉ちゃん今日は調子がいいねぇ。いいことでもあったのかい?」
「逆逆ゥ、これから怖いことが怒るから酒飲むんだい!」
「怖い事?何かな気になるな。ハッハハハ!」
ジョッキにビールを注ぐマスター。こんな真昼間だから客も少なかった。
「マスター。」
「ん?」
「私、これから数日、顔出せそうにないや。」
「えぇっ!?どうしたんだい本当に…。」
「だからこれ。受け取ってよ。」
丈夫そうな黒い金属ケースをカウンターに三つ重ねる。
「なんだい、なんだい…」
「顔出せない期間申し訳ないからね。生活の足しにでもしてよ。」
マスターがケースを開けると、そこには札束がギッシリ詰まっていた。
「うぁ…ァ、えェー?」
「綺麗な金だから安心して受け取って。じゃ、私はこれで。」
コートを羽織り、帽子を深く被った私は席を立った。
「い、いいのかいサルビア?こんな大金…」
「大丈夫大丈夫。マスターにはいつもお世話んなってるから。お元気で!」
押し慣れた扉を押すと、店柄に合わない優しい鈴の音が鳴った。
肩に雨粒が当たる。
…これから雨でも降るのかな。
空を見上げたのも束の間、私は祖国を目指して歩き出した。
その手には何かの招待状が握られている。
「サルビア。私、ミモザは一人で生きるよ。
ただその前に…過去の憎しみを、清算しないと。」




