世にも不思議な男、肥田春充(ひだはるみち)の話
自分で切り開いた健康法で鍛錬していたら、超能力まで身についた、という男の一生のダイジェストです。
一目で、気力、体力が充実していると分かる男がいました。
みな、敬遠していましたが、ワケの分からないバカがいるもので、時々、襲いかかったりしました。結果、強そうな大男が、いとも簡単に投げ捨てられて、関節を決められて、参った、参ったとなるのでした。
幼少のころは、ひ弱で、病気がちだったというのですが、どうして、そんなに強くなったのだと思いますか?
実在の人物の話です。
亡くなったのは、昭和31年、つまり1956年ですから、若い人には、なじみはないにしても、高齢者の方には、同時代を生きて来た方もおられることでしょう。
透視能力や、予知能力といった、不思議な力も持っていたという男の話。
私は、直接会ったこともありませんが、こんな話は大好きなので、本で読んだこと、人から聞いたことなどを、私なりに、まとめて、書かせてもらいます。
他の資料も参考にしましたが、主として、雑誌「ムー」の1986年2月号の、100ページから113ページまで、高木一行氏の文を、参考にしています。
生まれたのは、明治16年(1883年)12月25日。キリストの誕生日と同じです。
山梨県都留郡西桂村小沼の医師川合立玄の5男でした。
家族みな病弱で、母親は、春充6歳の時、死亡。 その前後に、兄4人が、次々に亡くなっています。
春充本人も、痩せ細っていて、茅みたいというので、友だちからは、「カヤボウ、カヤボウ」と、からかわれていたそうです。
学齢になっても、通学出来ず、休み続き。
なんとかしなくちゃ、世の中に出ても、お役に立つ仕事は出来ないと考えて、体力強化の道を探し始めます。
父親の医学書の中にあった言葉、「細胞の新陳代謝」が、妙に気に入りました。
人間の細胞は、数ヶ月で、古いのが、新しいのに置き換えられているというのです。
自分の弱々しい細胞を、健康な細胞に置き換えることもできるのではないか。
そのためには、どうすればいいのか。
そういう研究に のめり込みました。食事の取り方、身体の鍛え方などです。
健康な身体を作るために、そういう考え方をするのは、誰でも当然でしょう。
しかし、彼のは、徹底して、シンプルでした。
水に浸した大豆3粒と、玄米ひとつまみで、一日の栄養は足りるというのです。
運動も、時間をかけて、長くやる必要はない。聖中心に、神経を集中できれば、
時間はかけなくても、身体は鍛えられるというのです。
子供のうちから、そこまで、徹底していたわけではありません。
成長するに連れて、そこまで到達してしまった、というのが、正しい言い方でしょう。
他の健康論者と、大きく違う点は、聖中心を最高に重視するという所にあります。
彼は、人体の構造とか、働きとか、そういう医学的な見方から、出発しています。
医者の子供らしいと指摘することも出来るでしょう。
ところが、たどり着いた境地は、最高の科学と宗教と武道の哲学とが溶け合って、
一つに結晶した、摩訶不思議な世界でした!
難病治癒とか、人体浮遊とか、そんなことまで出来る男になったのです。
彼が重視する聖中心とは何か、気になりますよねえ。
昔の武道家が言う所の「臍下丹田」だと思って下さい。
ここに力を貯めることが出来れば、どんな相手にも勝つ。ここが充実出来ない者は、何をやってもダメ。剣の達人も、格闘技の名人も、同じことを言います。
武道家たちは、体験に基づいて、そういう言い方をするのですが、彼の場合、人体の構造を図に描いて、ここがA点、ここがB点とか、説明出来るのです。臍下丹田の位置や、そのまた中心である、聖中心の位置も図解出来るのです。医学書をたくさん読み込んでいるので、そういう角度から、アプローチ出来るのです。
そして、その聖中心に神経を集中して、お勧めの呼吸法と同時に、スクアット的な動作をすれば、極めて短時間で、心身を鍛えることが出来る、と、主張します。
「簡易強健術」という本を出して、ベストセラーになったほどです。
身体が強くなると、頭脳もよく働くようになります。
明治39年(1906年)、4つの大学(中央の法、明治の政治と商学、早稲田の文)に、同時に入学して、明治43年(1910年)、すべてを同時に、「優秀な成績で」卒業したそうです。
ベストセラー出版も、この年でした。
この心身で、どこまで出来るか試してみたいと、明治44年12月、近衛歩兵第4連隊に入ります。あの時代に、上官から殴られたことが一度もなかったそうです。
それどころか、ただの一兵卒なのに、みんなの前で、強健術の実演をさせたり、
講義をさせたりしたそうです。「歩兵操典」の改定について、意見まで聞かれたそうです。
しかし彼は、名誉とか出世とかは、嫌いなタイプ。
伊豆八幡野の肥田家に養子に入ってからも、日夜、ただ一人、心身の鍛錬に励むという生き方です。何か、求道者のような感じです。
ここまでは、彼の生き方、共感出来ます。というか、私でも、分かります。
以下は、ほんとに、そんなことがあったの? と言いたくなるようなことを書きます。
伊豆八幡野の家の裏に、大きな木があって、そこに小屋を作って、鍛錬していた時、
スカットの瞬間、床板が、足の形に、抜けてしまいました。
試してみると、同じことが、何度でも再現出来るのです。
科学の実験でも、再現可能かどうかが、正しいか間違いかの基準になります。
彼の場合、何度でも、再現可能でした。
彼は、鍛錬が成果を上げたことを喜びました。世界が、輝いて見えるほどの喜びだったと言います。肉体の力が、タマシイの力と一つになったという感慨があったのでしょう。霊肉一致の この境地にたどり着いた時、彼は40歳でした。
この身を社会に役立てたい、と思いましたが、なにしろ、世界の大勢は、第2次大戦の前夜。いくら超人でも、一個人で出来ることには限界があります。
それでも、政府転覆をたくらむ右翼の動きを知って、単身、白鉢巻の連中の所に乗り込んで、やめさせようとしました。道理を説いても通じません。それで、お得意の大喝一声、「バカモノ!」と、気合いで圧倒し、相手を平伏させたこともあるそうです。
この手のエピソードは、たくさんあって、左翼でも、ただの無頼漢でも、最後は、あの一喝で、相手は、平伏してしまうようです。
彼自身は、伯父さんの影響もあって、クリスチャンのような信仰心は持っていました。
だからこそ、臍下丹田の中心に、わざわざ聖の字を付けたりしたのです。
しかし、当時、多かった新興宗教などには、極めて攻撃的な言動をしていました。
訴えられて、裁判になったこともあります。ですが、ネチネチとした裁判の進行などは我慢出来ません。ええ加減にせんかということで、お得意の大喝一声!
その瞬間、裁判官も、相手の教祖も、ひっくり返って気絶したそうです。
沼津の裁判所には、公式の記録として、その話が残されているそうです。
こんな男ですから、政治家などにも、訪ねて来る者もいました。教えを乞いに来る者もいれば、相談に来る者も。
しかし、彼は、徒党を組んで何かをしょうという気持ちは、まったくありません。
対米開戦は日本を不幸にするとして、反対していました。
開戦後は、少しでも早くやめさせようとしました。うまく行きません。
思いつめた彼の取るべき道は一つしかありませんでした。
時の首相、東条に辞職勧告書をつきつけること、それが本気である証拠として、割腹自殺をして見せること。血染めの遺書まで、したためました。しかし、決定的な一突きをしようとした瞬間、天の啓示がありました。昭和19年2月11日、紀元節の日の深夜です。
「待て! まだ、やるべきことが果たされていない!
聖中心から見た宗教的真理について書き遺すこと。それが使命ではないか」
この時、肥田春充、62歳。
10年余、寝る間も惜しんで書き綴られた「宇宙倫理の書」の原稿は、積み上げると、身長よりも高くなったといいます。
ホンモノの宗教は、科学と矛盾しない。
「科学、哲学、宗教は、正三角形の頂点で、その中心にあるものが、絶対真理である」
全身全霊を集中した鍛錬も、短時間で、大きな効果があります。
70歳の時、村の若者5人と、畑を耕す競争をしてみました。最後は、スタミナ切れの若者よりも、彼の快勝でした。
「隣りの部屋に行って、どれでも、好きな本の、好きな所を、少し読んできて下さい」というので、やってみると、「何という本の、何ページの、こういう言葉を読んで来ましたね」と、見事に当てたといいます。
二重の鉄板などで目隠しをしていても、相手の手相や、シミの場所まで分かったとか。
以上、大変な透視能力があった、という話です。予知能力もあったようです。
彼が数十ケタの数字を紙に書きます。
別のところで、たくさんの人が、それぞれ、好きな数字を書きます。
それを、お互い、足したり、引いたり、掛けたりしながら、最後、大きな数字にまとめあげます。 結構、時間がかかります。 あーら、不思議! 彼があらかじめ書いていた数字に、ピタッと合致していたというのです。
たくさんのサイコロを、一斉に投げて、出て来る数字の合計を、瞬時に計算するというか、予告するというか、そして、後から確かめたら、彼の予告通りの数字になっていたという話もあります。
空中浮揚の話も残っています。
ユカの上に仰向けに寝て、腹の上には、方向磁石を置きます。
呼吸を整えて、気合をかけると、スッと浮きます。高さ2メートルくらいです。
本人が、「北」とか、「南」とか言うと、頭がそちらを向くように、回ったというのです。その場にいた者に、「下をくぐってみろ」と言うので、くぐってみたけど、支えているものは、何もなかったと言います。「キミなら、一緒に浮かせられるかも知れない」と言われて、姿勢を、指示されなようにすると、「私の体が、フワーっと浮き上がりました」という話です。
信じられないかも知れませんが、モーゼのようなことも、やって見せた話があります。 昭和30年、伊豆の海岸で、やったそうで、例の裂帛の気合いで、海の水がふたつに割れて、海底が出たので、そこへ行って、跳ねている魚を捕まえて、その場にいた者に見せたというのです。「正しい鍛錬をすれば、この程度のことは、誰でも出来るようになる。そういうことを分かってもらいたくて、やってみたんだよ」ということでした。
「天真療法」というものもあります。
「純自然体休養姿勢」をして、食事療法を併用すれば、自然治癒力が有効に働いて、
難病でも治るという例が、多く見られたそうです。しかも、病人に直接会わなくても、指示通りにすれば、「10日で座れるようになる。20日で歩けるようになる。そしたら、庭の散歩でもしてごらん」と言って、予言通りになったと言います。
言うことを聞かずに、栄養のあるものを食べさせようとかすると、かえってダメだったという話です。
もちろん、すべて、無報酬です。世のため、人のためになることをしたい、それだけです。今、話題の宗教などと、対照的な姿勢ですよね。
これだけ素晴らしい能力をもっていたら、どれだけでも幸せになれそうですよね。
我が身に ひきくらべてみれば、宝くじが当たるように念力を使うとか、もっと確実に、当たる馬券だけを買うとか。
好きな女性の心が、こちらに傾くように仕向けるとか。
しかし、彼には、自分のために そういう能力を使うという 利己的な思いは、ひとかけらも なかったようです。だからこそ、彼の心の鏡は、澄みに、澄んでいて、一点の曇りもなかったようです。
遠く離れた箇所の光景も、映画を見るように、鮮明に見えたそうです。
遠い未来の出来事も、映画のように、くっきりと見ることが出来たそうです。
予言書でも書けば、どれだけ売れたか、そう思います。
しかし、彼にとっては、不幸な能力でも、あったようです。
1000年も先の人類が、どんなに苦しんでいるか、心の鏡に鮮明に映って見えるというのです。 胸が 張り裂けるように、つらい!
毎日、そういう日が続きました。
こんな映像は、これ以上見たくない。 どうしたらいいか。
心の鏡を壊したい。
私などは、ちょっと利己的な気持ちになれば、鏡は すぐ曇って、1000年先の人類がどんなに苦しんでいるか、そんな映像が見えることはないと思うのですが、世のため、人のために生きる、それしかない彼には、そういう発想はあり得ません。
自分の心の鏡を壊すには、自分そのものを壊すしかない。
そう決意したら、実行力は、誰よりも強いのです。
水も飲まない、食べ物も食べないという断食を始めます。
そして、49日目、蜘蛛の糸が切れるくらいに、静かに、臨終を迎えたといいます。
昭和31年(1956年)8月24日22時でした。享年72。
そのころ、計算してみると、私は、彼のことは、まったく知らない、悩み多き高校生でした。…………そんなことは、どうでもいい?
そうですよね。自分でも、そう思います。しかし、彼のことをここまで書いて来て、
その勢いで、書いてみたいことが、もう少しあります。 よかったら、もう少し、お付き合い下さい。
その後、縁あって、本の世界だけで、彼の考えに接し、傾倒しました。
今も五七五調が好きですが、若い時も、そうだったらしく、こんなものを作ったことがあります。60年経っても、まだ、頭の隅に残っています。
臍下丹田 球がある 球を縮める その力 心に集まり その心は 地に突き刺さり 反作用 脳を通りて 天に伸ぶ これぞ悟りの秘法なり
自分では、肥田式強健法の真髄を、端的に捉えた いい作品だと思っています。
私は今84歳。前立腺に小さなガンがありますが、それは、1日1錠の薬を飲むというホルモン療法でコントロール出来ています。血液検査の結果を見ても、他の内臓に悪い所は見られないと、医者は言います。
小学生のころは、ひなたにいると、すぐ気分が悪くなるような子でした。
青年期になっても、風邪を引きやすい男でした。
ここまで生きて来られたのは、他の理由も大きいとは思いますが、不真面目な鍛錬しかしていませんけれど、肥田式のマネごとみたいなことを、ずっと、心がけていたことも、一因には、なっていると思います。
もう一つだけ、書かせてもらいます。
肥田氏が、健康法に取りかかったキッカケは、「細胞の新陳代謝」に目をつけたことでした。私も、大昔、テレビを見ていて、いわゆる美熟女が、司会者に、「何か秘訣を教えて下さい」と言われて、「ここの指圧をすれば、新陳代謝が良く出来ると聞いて、
それだけは、続けています。他のことは、何もしていません」と答えていたのを聞いて、以後、毎日、寝る時には、布団に入ると、必ず、第一に、この指圧をしています。
それは、眉の起点のすぐ下の眼窩に、両手の親指を当てて、下から上に、奥から手前にという感じで、ゆっくり、1、2、3、という感じで、40回ほど指圧をします。
とても、気持ちのいい指圧です。これで新陳代謝が促進されるなら、こんな簡単なものはありません。
シンプル イズ ベスト です。
カネはかけずに、健康は保てます。肥田式も、指圧も、私は自分でやれることをやっています。
御参考になりませんでしたでしょうか?
信ずるか、信じないか、それは、あなたの自由です。……………