お風呂にはいるということ
みなさんにとって、お風呂とは。
みなさま、こんばんは。
おはよう。
あるいは、こんにちは。
晴間あめです。今日の天気はどしゃ降りの雨でしたが、今は風がごうごうと音を立てています。少し怖い。
ただ今の時刻、深夜一時過ぎ。良い子はもう寝る時間です。わたしも例外ではないので、明日のためにも早く寝ないといけないのですが、書きたいエッセイが浮かんでしまったのだから仕方がありません。
もう少しだけ、睡魔と格闘しようと思います。
みなさん、お風呂は好きですか?
「突然ですが。」とは言いません。ラブストーリーはいつだって突然なのです。
わたしはお風呂、大好きです。
どれくらい大好きかというと、恋人と同じくらいに、です。
恋人のいるみなさん、想像してみてください。
どんなに疲れていたとしてもストレスが溜まっていたとしても、恋人とハグをすることによって、それが溶けてなくなりませんか。多幸感で満ち溢れませんか。
強いていえば、そんな感じです。
まあ、恋人いないんですけどね。
恋人のいないみなさんは、大好きなペットや、自分が元気になれるものを想像してください。
わたしにとってお風呂は、そういう存在なのです。
しかし、お風呂という存在は非常にやっかいなもので、はいるまでが、ものすごく面倒くさい。
大事なことなので、声を大にしてもう一度言います。
はいるまでが、ものすごく面倒くさい。
「面倒くさいって、本当にお風呂好きなのかよ」
と思った方、大好きと面倒くさいは別問題なんです。
今の時期は仕事が忙しいため朝八時から夜二十二時前まで働いて、憔悴しきった体を引きずりながら帰ってくる毎日。興味のないテレビをぼんやり眺めながらままが温めてくれたままの美味しいごはんを食べる。そうすると気づけば時刻は二十三時半になっているんです。
疲れきった体、あと三十分で変わる日付。何より体が動かない。
お風呂にはいるには、まず悲鳴をあげながら重たい体を持ち上げて、二階に上がって自室へ行き、着替えを用意し、また一階に降り、脱衣所へ行き、着替えを置き、今度は洗面所へ行き、コンタクトを外して、化粧を落として、お風呂に入る前の僅かな時間も乾燥を防ぐために化粧水とクリームを塗り、そのあと寒い中服を脱ぎ、そしてようやく、お風呂場のドアを開け、お風呂にはいる。という流れになる。
文字にしただけで五分もかかってしまう程だ。それでも文字にするのは簡単だが、これを疲れきった体でしろというのは、アメとムチならぬ、ムチとムチだ。つまり辛い。
もちろん、分かっているのだ。お風呂に入るところまで頑張れば、あとは極楽浄土が待っているということを。分かっているから、辛いのだ。
自分はそれでも、この全身の疲労に抗えない。
そうして大抵、夜はお風呂にはいらず、朝にシャワーで済ませてしまう。
そうして疲れが蓄積し、ついに体にガタがくるのだ。
下半身(特に太ももやふくらはぎ)の倦怠感、凝りきった肩。痛む腰。
少し前二十一歳になったばかりだというのに、先が思いやられる。
そうして体に限界が来た時、ついに糸が切れるのだ。
「そうだ、お風呂に入ろう!」
糸が切れたわたしは、もう自由だ。
体の底からお風呂を、温かい湯船を求める原動力を、もう阻止する者はいない。
目指すは湯船。迷いはない。お風呂の温度は三十九度。いざ、ゆかん。
「あ"あ"〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」
実際にこのような声を出しているかどうかは記憶にないが、気持ちはまさにこれなのである。
湯船に足を浸した瞬間に襲ってくる熱気、熱すぎる、暑すぎる。でも、熱すぎるくらいがちょうど良い。
疲れた体に喝を入れてくれる、そしてそのあとは、じんわりと内側から優しく温めてくれる。
それはまるで「今日もよく頑張ったね。」と全肯定してくれている、聖母マリアのような。
この上勝る極楽なし。
という言葉が一番しっくりくるのである。
とにかく入ってよかった、と心の底から思えるのだ。
お風呂からあがった後まで幸せな気分は続く。
まず、ぽかぽかする。少しも寒くないわ。
そして、内側から温まっているため質の良い睡眠へと誘導してくれる。わたしは努力をしなくとも寝ようと思えばすぐ寝れる体質なので、これはそんなに重要ではないが、気分的に違う。
そしてなにより"夜にお風呂に入った"というだけで、なんだかまともな人間になれた気がする。
ワンランク上の、人間らしい生活をする人間、になれた気がする。
これを自分以外のみんなが当たり前のようにできているなんて、わたしは信じないぞ。
だって人間は、誘惑に弱い生き物なんだもん。
簡潔に言わせてもらうと、お風呂は最高です。ということです。日本人の心。でも恋人と同じでね、いつか冷めちゃうからね、みなさんはいる時は、ちゃんと追い炊きしてね。今日も読んでくれてありがとう。みなさんがお風呂に入る気力が湧きますように。