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呪われた家  作者: まきの・えり
8/9

呪われた家8

 1月8日に家を明け渡した後、息子は、隆さんの家で、私は、範子さんの家で居候になった。

 範子さんは、息子も一緒に来るように熱心に勧めていたが、母としては、範子さんの熱心さに、かなりの不安を感じていた。

 可哀相なのは、何も知らない顔のでかい旦那さん。

 いい人だが、息子ほど若くもハンサムでもない。

 息子が、隆さんに教えて欲しいことがあるから、とキッパリ断った時、母としては、何となく安心した。

 超強力隆ウイルスが、まだ空気中に生息していたせいか、まず、顔のでかい旦那さんがインフルエンザで倒れ、旦那さんがようやく起き上がって、会社に行くようになってから、看病していた範子さんが倒れた。

 旦那さんも範子さんも、普通の人間で怪物ではない、と思ったのは、やはり二週間以上は、熱やら吐き気やら、悪寒やら下痢で苦しんでいたからだ。

 居候の私としては、せっせと範子さんの看病をした。

「明子さんにまで、うつったら大変だから」と範子さんは言ったが、どうやら、このウイルスは、私を避けているようで、私には感染しなかった。

「子供達にうつらなくてよかった」と範子さん。

 範子さんには、二三回顔を会わせたことのある、大学生の息子さんが二人と受験生の娘さんがいるのだが、息子さん達は、早い時期に、大学の寮に戻り、娘さんは、友達の家に泊まりこみで、受験勉強をしているらしい。

「ほんまやね」と私は、言った。

 強力隆ウイルスに感染したら、受験勉強どころではなくなるだろう。

 下手に霊障が出ても大変やし、と心の中で思った。


 月が変わって、とうとう、焼け落ちた家の再築が終わり、私と息子は、再び、あの家に戻ることになっていた。

「春子、散歩がてらに、家を見に行かないか」と隆さんが息子と一緒に、範子さんの家に誘いに来た。

「もう、兄さん、こんな夜に行かなくても、明日、行ったらいいやないの」と範子さん。

「予定よりかなり遅れたからなあ。

 今月から、稽古を再開すると言ってある」

 へえ、予定より遅れたんや。

「インフルエンザで、バタバタと職人が倒れてしまったらしい」

 ゲッ。

 隆ウイルスや、隆ウイルスに感染したんや。

 わあ、怖ー。

「インフルエンザが、流行してるんだ。

 範子達もやられただろう」

 あれかって、隆ウイルスや。

 超強力悪玉ウイルス隆菌や。

 ゴン、と隆さんが、私の頭を殴った。

「な、何するんですか!」拳骨で頭を殴るなんて。

「悪口は、人に聞こえないように、言え」

「な、何も言うてないやないですか」

 もう、自分が勝手に、人の考えを盗み読んでるくせに。

「盗み読んでなんかいない!

 お前の考えが浅すぎて、ダラダラ流れているせいだ。

 ちょっとは隠せ」

 んなこと、フツーの人間にできるわけないでしょうが!

「お前ならできる。

 やろうとしないだけだ」

「もう、兄さん、何を一人で興奮しているのよ」という範子さんのことばで、隆さんは、ハッと我に返ったようだった。

 フッ。これぐらいで興奮するようでは、まだまだ修行が足らんな、と思ったとたん、また、ゴン、と頭を殴られてしまった。

「人の頭を気安く殴らんとってください!」と私は怒った。

 隆さんは、目を閉じて、呼吸を整えているようだ。

「隆さんの精神状態を乱せるのは、お母さんぐらいやな」とまた、息子が、変なところで感心していた。

 それと、『華さん』やね、と思ったとたん、パッと頭をかばったが、拳骨は飛んで来ず、

「行くぞ」と隆さんは、背を向けた。

 仕方無く、コートを着て、用心のためにマフラーと手袋もつかんで、範子さんの家を後にした。

 外に出ると、マフラーと手袋は正解だとわかった。

 夜の冷え込みはきつく、粉雪が舞い落ちていたからだ。

 大阪では珍しいことだ。

「吹雪いてきたな」と隆さんが言った。

 急に風が強くなり、粉雪が舞い踊っていた。

「引き返しましょうか」と息子が言った。

「何、すぐ近くだ。5分もかからない」

 しかし、私は、風で粉雪が目に入って、目を開けていられない。

「フラフラ歩くな」と隆さんと息子に両脇を支えられてしまった。

 もう私は、目を閉じていても大丈夫だという変な安心感がある。

 しかし、もう5分が過ぎた頃になっても、二人はまだ歩いている。

「隆さん、これは、引き返しましょう」と息子が言った。

「そうだな。その方がよさそうだな」と隆さんも言う。

 一体どうしたのか、と薄く目を開けると、粉雪が舞って視界ゼロ状態だ。

 周り中が白一色で、ここがどこかもわからないほどだ。

 ゾクッと寒気がした。

 誰かが呼んでいる気がする。

「アカン。帰るにしても、何も見えない」と息子の声がする。

「家の近所で間抜けな話だ」と言って、隆さんが笑ったが、口の中に雪が入ったのか、笑い声は、すぐに止まった。

 遠くから、鐘の音が聞こえている。

「除夜の鐘だ……」と隆さんが言った。

「そんなアホな……」と息子。

 イヤッホー、という声がして、その方角を見ると、あの元旦の外国人バカ集団が騒いでいる。

 今回は、鹿は出ないのか、と私は変なことを考えていた。

 雪は小降りになってきて、ようやく視界が開けたが、ここがどこかはわからないままだった。

 遠くで外国人集団が雪の投げ合いをしている。

「まさか、宮島やないでしょうね」と息子が言った。

「まさか」と隆さん。

 その時、私の手を誰かが握るのがわかった。

 今回は驚かなかった。

 そんな気がしていたからだ。

 ここは、この子の閉じ込められている、大晦日から元旦にかけての世界。

 私は、少年を抱き上げた。

 空気のように軽い子だ。

「ボクに会えて、嬉しい?」と少年が尋ねた。

「すごく嬉しい」と私は答えた。

「ボクも」

 そう言うと、少年は、私に抱きついてきた。

「お母さんから生まれたら、こんな感じ?」

 うん、けど、きっと、あんたのお母さんなら、もっと若くて綺麗やろうけど、と私は思った。

「お前は、何年さまよっている?

 45年か」と隆さんが言った。

「知らない」と少年は答えた。

「でも、お姉ちゃんには会った」と言って、少年はニッコリ笑った。

「お母さんには内緒で。

 お姉ちゃんは、僕が生まれてくるはずだった弟だと言った」

「やはり、春行と春子の弟か……」と隆さんが言った。

『グアア、オレの子かあ……』という声がして、また、息子の前世での父親の霊がついてきているのがわかった。

『オレの子かあ……

 許してくれえ、許してくれえ』

 この元悪霊にして、家に地縛していた霊は、生前、『華さん』に横恋慕したあげくに、自分の妻子を殺した極悪人だったのだ。

 そうか。

 殺してしまった奥さんのおなかに、この子がいたのか……

「お父さん?」と少年は瞳を輝かした。

「お母さんが待ってる」

 そうそう。

 最初から、そういけば、何の苦労もなく、めでたしめでたしだったのだ、と私は思った。

『グアア、成仏してない霊はイヤだあ……』

 と自分が成仏してしまうと元悪霊も勝手なものだ。

「何言うてんの。

 あんたの罪滅ぼしでしょうが」と私は、霊を脅した。

『グアア、怖いー……』

『私も、怖い』という母の声。

 そのとたんに、二人とも示し合わせたように、姿を消してしまった模様。

「もう、情け無い」と私は言った。

 超自分勝手な役立たず霊共。

 雪が上がってしまうと、遠くに、門の明かりが見えている。

「お母さんが待ってる」と少年が言った。

「これは……」と隆さんが言った。

「建て替えた、うちの家だ」

 その時、外国人集団がやってきた。

 雪遊びにも飽きたようだ。

「とてもサムーイです。

 泊まるだけOK?」

「まあ、いいだろう」と隆さんが言い、ヒャッホー、と集団で抱き合って喜んでいる。

 そうか、やっぱり、外国人隆集団も、本当は、寒かったか。

 数えてみると、七名いる。

 女の人も二名混じっている。

 男ばかり百人ぐらいいるんじゃないか、と思っていたが、案外に小集団だったのだ。

「行くぞ」と隆さんが言った。

「はい」と息子。

「お待ちしておりました」と門の前で、和服姿の綺麗な女の人が出迎えている。

「ワオ、キモノ、キモノ」と外国人が騒いでいる。

「ビューティフル」

「リアル・ビューティ」という声も聞こえる。

 私は、内心、この中のどれかを連れて行ってくれ、全員でもいいで、と外国人には悪いけど、思っていた。

「沢山のお客様、とても嬉しいです」と女の人は、控え目に微笑んだ。

 けど、私は、あんたの目が釣り上がった恐ろしい顔も見てるで、と私は心の中でつぶやいている。

「坊や、おりなさい」と女の人が言い、男の子は、私の腕からおりた。

「どうぞ、お入りください」と女の人が言った。

 門を開けると、中は真っ暗だった。

 庭なんだろう。

 でも、家の中は明るいはずだ。

 ガラガラと格子戸を開けると、家の中は明るくて温かだった。

 やはり、プーンと味噌のいい香りがする。

「ワオ」と外国人集団は、格子戸の点検をして、開けたり閉めたり揺すぶったりしている。

 やはり、バカ軍団だ。

「タタキ、タタキ」と玄関先で騒いでいる。

「イローリ」と言うので見ると、台所には囲炉裏が切ってあり、三方に石がある。

 そして、その石の上に、大きな鍋がかかっている。

 以前に見たよりも、遙かに大きな鍋だ。

 そうか、人数が多いからか、と私は思った。

 自分の右手がギュッと握られるのを感じた。

 男の子が、私の手を握っている。

 パタパタパタという、微かな足音が聞こえる。

 春子ちゃんだ。

 男の子のお父さんは逃げてしまったけれど、春子ちゃんは、逃げなかったんだ、と私は、変なところで感心していた。

 フと男の子の顔を見ると、ニッコリ笑っている。

 そうか、この子には、春子ちゃんはお姉さんなのだ。

「寒いですので、温かいものでも召し上がってください」と女の人は、全員に、豚汁を振る舞っている。

「サンキュー」

「サンキュー」

「ありげとごぜまーす」と外国人集団は、大感激のようだ。

 そりゃあ、寒い中凍えていたんなら、嬉しいだろう、と私は思った。

「どうぞ」と女の人は、まず私に、燗をしたお酒を勧めた。

 ハハーン、と私は、思った。

 邪魔な私を、まず酔わしてしまおうという魂胆か。

 その手には、しかし、乗ってしまった。

「まあ、もう一杯」

 うーん、と思案しながら、もう一杯。

「あなたも」と今度は、隆さんに擦り寄った。

「いや、オレは……」と言いながら、なぜか、隆さんも飲んでいる。

 へえ、お酒も飲むんだ、と初めて知った。

 女の人は、外国人集団にも、次々に、お酒を勧めている。

「賑やかで楽しいわね」と女の人は、男の子に言っている。

 うん、としかし、男の子は、真剣な顔をしている。

「お母さんは、とても嬉しいわ」

 うん、と男の子は、表情を変えていない。

 一体どうしたんだろう、と私は思った。

 ゴホゴホ、と女の人は咳をしている。

「ごめんなさい。年末に、悪い風邪をひいてしまいまして」

「それはいけない」とは、今回の隆さんは言わなかった。

「人間というのは、元々、風邪なんかひかない存在なのだ」とも言わなかった。

 そりゃあ、言えんわな、と私は思った。

 自分がひいておいて。

 私は、注がれるままに、お酒を飲んでいた。

 わかっていますって。

 飲んでる場合やないことぐらい。

 けど、酔わん程度に飲むのは、いいでしょうが。

 ここに来るまで、物凄く寒かったんやから。

 息子はと見れば、眠っているかのように静かな瞑想状態に入っている。

 もしかすると、眠っているのかもしれないけれど。

 隆さんも、ウンでもなければスンでもなく、黙って、注がれるままに飲んでいた。

 へえ、さすが酒豪の範子さんのお兄さん、結構いける口やったんや、と私は思った。

「お布団を敷いておきましたので、休まれる方は、お休みください」と女の人は、一番広い大広間に、食べて飲んで、フラフラ状態の外国人集団を案内している。

 きっと、人数分の布団が敷いてあるんだろう。

 何で前もって、人数がわかるのかは、私にはわからない世界だが。

 結局、台所というかダイニングには、私に息子に隆さん、それから、まだ真剣な目をしている男の子が、綺麗な女の人と一緒に残された。

 かなり長い沈黙の後、「成仏する気か」と隆さんが言った。

「はい」と女の人は、答える。

「この子のために」

「それは、いい心がけだ」と隆さんは言った。

 私は、内心、ヤッター! と思った。

 そうか、そうか、そうか。

 とうとう成仏する気になったのか。

『この子のために』

 クウ、泣かせる……

「ですから、今宵は、最後の夜。

 お三人共、私に付き合ってくださいましね」

 わかった、と私は、思った。

 本当に、内心、ホッとして、涙が出そうだった。

「はい」とお酒を注がれると、グイッグイッと飲んだ。

 この女の人の淋しい気持ちを、少しでも慰めてあげたかった。

「この子は、この世界を抜け出せば、数年後に生まれることになっている」と隆さん。

「本当?」と男の子は、真剣な目をして隆さんを見た。

「本当だ」

 そう言ったとたん、ガクッと隆さんの態勢が崩れた。

「アカン」と息子が目を開けた。

「馬鹿もの、もっと集中しろ」と隆さんが言い、息子は、また目を閉じた。

 私には、何が何やらわからない。

 酔いが、ボウッと身体中に回ってきていた。

「春子は、その子を守れ」と言われて、私は、自分の横にいた少年を、わけもわからずに、抱き寄せた。

「お母さん、やめて」と少年が言った。

「ボクは、生まれない。

 ずっとお母さんと一緒にいる」

「嘘をおつき」と女の人の目が釣り上がっていった。

「嘘はつかない」と少年が言った。

「じゃあ、どうして、お前は、あの子と会っていた」

「それは……」と少年が口ごもった。

「ボクのお姉さんになる人だったから」

「それを、どうして、私に隠していた」

「だって、お母さんが、淋しい思いをするから」

「生まれたこともないくせに、何を生意気なことを」

「生まれたこともないボクを、お母さんは育ててくれた」

「そうよ。

 それなのに、今になって、お前は、私を捨てて、平気で生まれるつもりでいる」

「ボクは、生まれない」

「フン。生まれていきたいくせに」

「生まれていきたいけど、それで、お母さんが淋しい思いをするなら、生まれない」

「嘘をおつき」と女の人の目は、ますます釣り上がっていった。

 それと同時に、若々しかった顔が徐々に老けこんでいった。

「嘘は言わない」と少年の顔は真剣だ。

「証拠をお見せ」と女は言った。

「さっきから、その辺りをウロウロしている子に、ハッキリお言い」

「うん。ボクは、一緒には行かない」

 パタパタパタという微かな足音が止まった。

「それから、その子に、元いた場所に帰るように、お言い。

 二度と会わないとお言い」

 あ、という声を出して、息子の態勢も崩れた。

「アカン」と息子は言った。

「隆さん、オレでは、無理や」

「春子……その子を……春子」と隆さんは、つぶやくと、相変わらず、音も立てずに、その場にくずおれた。

 もう、私には、何が何やらわからへん。

「おばさん、さようなら」と男の子が立ち上がると言った。

『ダメ』という春子ちゃんの声が聞こえた。

「アカン」と私も思わず言った。

「本当に、邪魔な憎たらしい女め」と今では、老婆のような凄まじい形相になった女がうめいている。

「これ以上、邪魔をすると、この子を頭から食ってしまうよ」

「食えるもんなら、食ってみろ」と私は、言った。

「ボクは、いいよ」と男の子が言う。

 クソ。食うんなら、私から食え。

「それも、いい考えだねえ」と老婆は言った。

「けど、お前はまずそうだから、まず、お前の息子から食ってやろう」

 このヤロー、人の一番痛いところを、よく知っている。

 その時、ふすまのガラリと開く音がして、外国人の一人が、「トイレ、すみませーん」と起きてきた。

 その瞬間、女の顔は、元の若くて美しい顔に戻った。

「どうぞ」としとやかに、男性をトイレに誘導している。

 うーん、やっぱり女やなあ、と私は、変なところで感心していた。

「今、逃げて」と男の子が言った。

 もう、小さいくせに、泣かせる。

 子供に『逃げて』と言われて、逃げられるかよ。

 しかし、隆さんは倒れたままで、息子もグッタリしていて、使い物にならない状態だ。

 どうする、と思ったとたん、外国人集団が、次々と、トイレに立ち始めた。

 食うんなら、コイツラを食え、と私は、思った。

 もしかしたら、国際問題に発展するかもしれないけれど、まさか食われてしまったとは、誰も思うまい。

 国際的蒸発事件ですむ。

 うん。

 この線で、あの女を説得してみよう。

「おー、コワイトイレット」

「ボットンベンジョオ」

「すごく落ちまーす」

 という外国人集団の声を聞いて、私は、内心、ウソッ! と思った。

 隆さん、まさか昔を再現して、汲み取り式トイレにしたのでは、と思ったからだ。

 いや、いや、これは、この女が閉じ込めている世界だから、本当の新築の家は、絶対に、水洗だ。

 ああ、いらないところで、心が乱れる。

 外国人集団が、また寝てしまった後、元通りの緊迫した場面が蘇った。

「私のこれからすることを教えてやろう」と私が、説得のことばを発見するより先に、女が言った。

 さ、先を越されてしまった……

「まず、うまそうな、お前の息子を食ってやる。それから、あの……」と言って、まだ若くて綺麗な顔に戻ったままの女は、ポッと頬を赤らめて……言った。

「あの方を連れて行く」

 もう息子を食わずに、あの方だけ連れて行って、と切羽詰まった私は思った。

「お前達が連れてきた客は、その後の楽しみだ」

 や、やっぱり、国際的蒸発事件、発生か……

「この子は……」と女は、男の子をジッと見ていた。

 この子は、生まれさせることにした?

 と私は、期待に胸をふくらませた。

「私を裏切った」

 な、何やと!

「この子が、いつ、あんたを裏切ったんよ!」と思わず、私は、叫んでいた。

「私の知らないところで、生まれる準備をしていた」

「当たり前やないの。

 生まれてくる子なんやから」と私は言った。

「それやのに、生まれることを完全に諦めて、あんたのために、あんただけの淋しさを埋めるために、あんたとずっと一緒にいる、て決めたんやないの」

 そ、そんな子を、何で、自分を裏切ったなんて言えるん。

 お前は、鬼か……

 やっぱり……

「こんな年中寒くて淋しい世界の中で、あんたのために、自分の新しい人生を捨てるつもりでいてるやないの。

 まだ、こんなに小さいのに」

「けど、私を裏切った」

「あんたねえ」と私は言った。

「どんな人生を生きてきたんか知らんけど、ここまで、あんたのことを思ってくれる子を、裏切ったて言えるんは、あんたの生きてきた人生そのものが間違ってるんと違うの」

「……お前は、最初から嫌いだ。

 何でも、自分が正しいと思っている」

「そんなこと思ってないわ」と私の目から、涙が吹き出してきた。

「自分の可愛い子は、きちんと可愛いと思え」

「思っている……」と女の勢いが、少し落ちた。

「そしたら、その子にとって一番いい道を考えるのが、親やろ」

「そうか。それが、親なのか……」

 よし。もう一息かも、と私は思った。

「そんなものが、親なんだったら、私は、親ではない」

 逆ギレにきたか、と私は、ガックリした。

 霊を居直らせてしまった……

「食いつくしてやる、何もかも」

 ま、それもいいかもね、と私は、酔って疲れてきたのもあって、かなり投げやりな気分になってしまっていた。

 もう、私を最初にして、全部気がすむまで食べてちょうだい気分だ。

 これ以上、あんたの相手はイヤ。

「オレを連れて行けば、気がすむのか」と隆さんの声がした。

 女の人が、ポッと頬を染めるのが、見えた。

 はあ、やっぱり、霊にとことん惚れられてしまってたのね、隆さん。

 倒れていた隆さんが、ゆっくりと起き上がった。

 悠然という感じを装ってはいたが、身体中が細かく震えているのを、私は見逃さなかった。

 この馬鹿隆、回復するまで、もっと寝ておれ。

「ここに来い」と隆さんが言った。

 ま、多分、今の状態なら、自分からは動けないだろう。

 女の人は、多少、オズオズと隆さんの前に行った。

「横になれ」と隆さんが言った。

 あんた、言い方は偉そうやけど、身体が横に倒れかかってるで、と私は思った。

「まだ、風邪が治っていないんだろう」と隆さんが言うと、女の人は、「はい」と恥ずかしそうに答えた。

「いつから、ひいている風邪だ」

「年末から」と女の人は、消えいるような声で答えている。

「それで、元旦に死んだのか」と隆さんが言い、女の人がうなずくと同時に、目から涙が、あふれ出た。

「人間は、風邪なんかひかないようにできている」と自分のことを棚にあげて、隆さんは言った。

「はい」

「その前に、何があった」

「……」

「まあ、いい」と隆さんは言った。

「お前は、身体中に邪気をためている。

 きっと、辛いことがあったのだろう。

 だから、身体中の血の流れが滞って、何でもない風邪で死んだのだ」

「……」

「答えなくていい」

 そう言うと、隆さんは、女の人の全身をさわり始めた。

 ま、また、そんなことをしたら、インフルエンザに……と思ったが、私は、何も言わなかった。

 インフルエンザですめば、安いものだということを思い出したからだ。

「子供ができていたのか……」と隆さんがつぶやいた。

 ウッという声をあげると、女の人は、両手で顔を覆った。

「それなのに、好きな男に裏切られた」と隆さんは言う。

「その恨みで、手や足先にまで血が通わなくなったのだ。

 だから、お前は、いつまで経っても、手や足先が冷たい」

 隆さんは、丁寧に、女の人の足の裏を押し始めていた。

 押すだけでなく、ねじったり曲げたりもしている。

「あ、痛い」

「痛いはずだ。

 けれど、お前の心は、もっと痛かった。

 もっと早くわかってやれば、よかった」と隆さんは言った。

「痛い、痛い」と女の人は、涙を流し続けていた。

「お前は、風邪で死んだのではない。

 恨みという邪気をためすぎて、死んだのだ」

「ああ、恋しい。

 ああ、恨めしい」

「お前と一緒に死んだ、生まれなかった子供のことも考えてやれ」

「考えた、考えた、何百回も、何千回も考えた」

「そうか」と隆さんは言った。

 ガックリと疲れ切っているように見えた。

 その反対に、女の方は、急に蘇ったように若々しくなった。

「あなたがいれば、淋しくなんかない」と女が言った。

「そうか……」と隆さんは、疲れ切ったままで、言った。

「オレを連れて行けば、誰も食わなくても、いいのか……」

「そんな必要はない」

「そうか……」

 隆さんの身体が細かく痙攣し始めている。

「あ……あの子のことも、もういいのか……」

「もう、あんな子は、いらない」

「そうか……それは……よかった……」

「そう、あんな子は、もういらない」



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