呪われた家8
1月8日に家を明け渡した後、息子は、隆さんの家で、私は、範子さんの家で居候になった。
範子さんは、息子も一緒に来るように熱心に勧めていたが、母としては、範子さんの熱心さに、かなりの不安を感じていた。
可哀相なのは、何も知らない顔のでかい旦那さん。
いい人だが、息子ほど若くもハンサムでもない。
息子が、隆さんに教えて欲しいことがあるから、とキッパリ断った時、母としては、何となく安心した。
超強力隆ウイルスが、まだ空気中に生息していたせいか、まず、顔のでかい旦那さんがインフルエンザで倒れ、旦那さんがようやく起き上がって、会社に行くようになってから、看病していた範子さんが倒れた。
旦那さんも範子さんも、普通の人間で怪物ではない、と思ったのは、やはり二週間以上は、熱やら吐き気やら、悪寒やら下痢で苦しんでいたからだ。
居候の私としては、せっせと範子さんの看病をした。
「明子さんにまで、うつったら大変だから」と範子さんは言ったが、どうやら、このウイルスは、私を避けているようで、私には感染しなかった。
「子供達にうつらなくてよかった」と範子さん。
範子さんには、二三回顔を会わせたことのある、大学生の息子さんが二人と受験生の娘さんがいるのだが、息子さん達は、早い時期に、大学の寮に戻り、娘さんは、友達の家に泊まりこみで、受験勉強をしているらしい。
「ほんまやね」と私は、言った。
強力隆ウイルスに感染したら、受験勉強どころではなくなるだろう。
下手に霊障が出ても大変やし、と心の中で思った。
月が変わって、とうとう、焼け落ちた家の再築が終わり、私と息子は、再び、あの家に戻ることになっていた。
「春子、散歩がてらに、家を見に行かないか」と隆さんが息子と一緒に、範子さんの家に誘いに来た。
「もう、兄さん、こんな夜に行かなくても、明日、行ったらいいやないの」と範子さん。
「予定よりかなり遅れたからなあ。
今月から、稽古を再開すると言ってある」
へえ、予定より遅れたんや。
「インフルエンザで、バタバタと職人が倒れてしまったらしい」
ゲッ。
隆ウイルスや、隆ウイルスに感染したんや。
わあ、怖ー。
「インフルエンザが、流行してるんだ。
範子達もやられただろう」
あれかって、隆ウイルスや。
超強力悪玉ウイルス隆菌や。
ゴン、と隆さんが、私の頭を殴った。
「な、何するんですか!」拳骨で頭を殴るなんて。
「悪口は、人に聞こえないように、言え」
「な、何も言うてないやないですか」
もう、自分が勝手に、人の考えを盗み読んでるくせに。
「盗み読んでなんかいない!
お前の考えが浅すぎて、ダラダラ流れているせいだ。
ちょっとは隠せ」
んなこと、フツーの人間にできるわけないでしょうが!
「お前ならできる。
やろうとしないだけだ」
「もう、兄さん、何を一人で興奮しているのよ」という範子さんのことばで、隆さんは、ハッと我に返ったようだった。
フッ。これぐらいで興奮するようでは、まだまだ修行が足らんな、と思ったとたん、また、ゴン、と頭を殴られてしまった。
「人の頭を気安く殴らんとってください!」と私は怒った。
隆さんは、目を閉じて、呼吸を整えているようだ。
「隆さんの精神状態を乱せるのは、お母さんぐらいやな」とまた、息子が、変なところで感心していた。
それと、『華さん』やね、と思ったとたん、パッと頭をかばったが、拳骨は飛んで来ず、
「行くぞ」と隆さんは、背を向けた。
仕方無く、コートを着て、用心のためにマフラーと手袋もつかんで、範子さんの家を後にした。
外に出ると、マフラーと手袋は正解だとわかった。
夜の冷え込みはきつく、粉雪が舞い落ちていたからだ。
大阪では珍しいことだ。
「吹雪いてきたな」と隆さんが言った。
急に風が強くなり、粉雪が舞い踊っていた。
「引き返しましょうか」と息子が言った。
「何、すぐ近くだ。5分もかからない」
しかし、私は、風で粉雪が目に入って、目を開けていられない。
「フラフラ歩くな」と隆さんと息子に両脇を支えられてしまった。
もう私は、目を閉じていても大丈夫だという変な安心感がある。
しかし、もう5分が過ぎた頃になっても、二人はまだ歩いている。
「隆さん、これは、引き返しましょう」と息子が言った。
「そうだな。その方がよさそうだな」と隆さんも言う。
一体どうしたのか、と薄く目を開けると、粉雪が舞って視界ゼロ状態だ。
周り中が白一色で、ここがどこかもわからないほどだ。
ゾクッと寒気がした。
誰かが呼んでいる気がする。
「アカン。帰るにしても、何も見えない」と息子の声がする。
「家の近所で間抜けな話だ」と言って、隆さんが笑ったが、口の中に雪が入ったのか、笑い声は、すぐに止まった。
遠くから、鐘の音が聞こえている。
「除夜の鐘だ……」と隆さんが言った。
「そんなアホな……」と息子。
イヤッホー、という声がして、その方角を見ると、あの元旦の外国人バカ集団が騒いでいる。
今回は、鹿は出ないのか、と私は変なことを考えていた。
雪は小降りになってきて、ようやく視界が開けたが、ここがどこかはわからないままだった。
遠くで外国人集団が雪の投げ合いをしている。
「まさか、宮島やないでしょうね」と息子が言った。
「まさか」と隆さん。
その時、私の手を誰かが握るのがわかった。
今回は驚かなかった。
そんな気がしていたからだ。
ここは、この子の閉じ込められている、大晦日から元旦にかけての世界。
私は、少年を抱き上げた。
空気のように軽い子だ。
「ボクに会えて、嬉しい?」と少年が尋ねた。
「すごく嬉しい」と私は答えた。
「ボクも」
そう言うと、少年は、私に抱きついてきた。
「お母さんから生まれたら、こんな感じ?」
うん、けど、きっと、あんたのお母さんなら、もっと若くて綺麗やろうけど、と私は思った。
「お前は、何年さまよっている?
45年か」と隆さんが言った。
「知らない」と少年は答えた。
「でも、お姉ちゃんには会った」と言って、少年はニッコリ笑った。
「お母さんには内緒で。
お姉ちゃんは、僕が生まれてくるはずだった弟だと言った」
「やはり、春行と春子の弟か……」と隆さんが言った。
『グアア、オレの子かあ……』という声がして、また、息子の前世での父親の霊がついてきているのがわかった。
『オレの子かあ……
許してくれえ、許してくれえ』
この元悪霊にして、家に地縛していた霊は、生前、『華さん』に横恋慕したあげくに、自分の妻子を殺した極悪人だったのだ。
そうか。
殺してしまった奥さんのおなかに、この子がいたのか……
「お父さん?」と少年は瞳を輝かした。
「お母さんが待ってる」
そうそう。
最初から、そういけば、何の苦労もなく、めでたしめでたしだったのだ、と私は思った。
『グアア、成仏してない霊はイヤだあ……』
と自分が成仏してしまうと元悪霊も勝手なものだ。
「何言うてんの。
あんたの罪滅ぼしでしょうが」と私は、霊を脅した。
『グアア、怖いー……』
『私も、怖い』という母の声。
そのとたんに、二人とも示し合わせたように、姿を消してしまった模様。
「もう、情け無い」と私は言った。
超自分勝手な役立たず霊共。
雪が上がってしまうと、遠くに、門の明かりが見えている。
「お母さんが待ってる」と少年が言った。
「これは……」と隆さんが言った。
「建て替えた、うちの家だ」
その時、外国人集団がやってきた。
雪遊びにも飽きたようだ。
「とてもサムーイです。
泊まるだけOK?」
「まあ、いいだろう」と隆さんが言い、ヒャッホー、と集団で抱き合って喜んでいる。
そうか、やっぱり、外国人隆集団も、本当は、寒かったか。
数えてみると、七名いる。
女の人も二名混じっている。
男ばかり百人ぐらいいるんじゃないか、と思っていたが、案外に小集団だったのだ。
「行くぞ」と隆さんが言った。
「はい」と息子。
「お待ちしておりました」と門の前で、和服姿の綺麗な女の人が出迎えている。
「ワオ、キモノ、キモノ」と外国人が騒いでいる。
「ビューティフル」
「リアル・ビューティ」という声も聞こえる。
私は、内心、この中のどれかを連れて行ってくれ、全員でもいいで、と外国人には悪いけど、思っていた。
「沢山のお客様、とても嬉しいです」と女の人は、控え目に微笑んだ。
けど、私は、あんたの目が釣り上がった恐ろしい顔も見てるで、と私は心の中でつぶやいている。
「坊や、おりなさい」と女の人が言い、男の子は、私の腕からおりた。
「どうぞ、お入りください」と女の人が言った。
門を開けると、中は真っ暗だった。
庭なんだろう。
でも、家の中は明るいはずだ。
ガラガラと格子戸を開けると、家の中は明るくて温かだった。
やはり、プーンと味噌のいい香りがする。
「ワオ」と外国人集団は、格子戸の点検をして、開けたり閉めたり揺すぶったりしている。
やはり、バカ軍団だ。
「タタキ、タタキ」と玄関先で騒いでいる。
「イローリ」と言うので見ると、台所には囲炉裏が切ってあり、三方に石がある。
そして、その石の上に、大きな鍋がかかっている。
以前に見たよりも、遙かに大きな鍋だ。
そうか、人数が多いからか、と私は思った。
自分の右手がギュッと握られるのを感じた。
男の子が、私の手を握っている。
パタパタパタという、微かな足音が聞こえる。
春子ちゃんだ。
男の子のお父さんは逃げてしまったけれど、春子ちゃんは、逃げなかったんだ、と私は、変なところで感心していた。
フと男の子の顔を見ると、ニッコリ笑っている。
そうか、この子には、春子ちゃんはお姉さんなのだ。
「寒いですので、温かいものでも召し上がってください」と女の人は、全員に、豚汁を振る舞っている。
「サンキュー」
「サンキュー」
「ありげとごぜまーす」と外国人集団は、大感激のようだ。
そりゃあ、寒い中凍えていたんなら、嬉しいだろう、と私は思った。
「どうぞ」と女の人は、まず私に、燗をしたお酒を勧めた。
ハハーン、と私は、思った。
邪魔な私を、まず酔わしてしまおうという魂胆か。
その手には、しかし、乗ってしまった。
「まあ、もう一杯」
うーん、と思案しながら、もう一杯。
「あなたも」と今度は、隆さんに擦り寄った。
「いや、オレは……」と言いながら、なぜか、隆さんも飲んでいる。
へえ、お酒も飲むんだ、と初めて知った。
女の人は、外国人集団にも、次々に、お酒を勧めている。
「賑やかで楽しいわね」と女の人は、男の子に言っている。
うん、としかし、男の子は、真剣な顔をしている。
「お母さんは、とても嬉しいわ」
うん、と男の子は、表情を変えていない。
一体どうしたんだろう、と私は思った。
ゴホゴホ、と女の人は咳をしている。
「ごめんなさい。年末に、悪い風邪をひいてしまいまして」
「それはいけない」とは、今回の隆さんは言わなかった。
「人間というのは、元々、風邪なんかひかない存在なのだ」とも言わなかった。
そりゃあ、言えんわな、と私は思った。
自分がひいておいて。
私は、注がれるままに、お酒を飲んでいた。
わかっていますって。
飲んでる場合やないことぐらい。
けど、酔わん程度に飲むのは、いいでしょうが。
ここに来るまで、物凄く寒かったんやから。
息子はと見れば、眠っているかのように静かな瞑想状態に入っている。
もしかすると、眠っているのかもしれないけれど。
隆さんも、ウンでもなければスンでもなく、黙って、注がれるままに飲んでいた。
へえ、さすが酒豪の範子さんのお兄さん、結構いける口やったんや、と私は思った。
「お布団を敷いておきましたので、休まれる方は、お休みください」と女の人は、一番広い大広間に、食べて飲んで、フラフラ状態の外国人集団を案内している。
きっと、人数分の布団が敷いてあるんだろう。
何で前もって、人数がわかるのかは、私にはわからない世界だが。
結局、台所というかダイニングには、私に息子に隆さん、それから、まだ真剣な目をしている男の子が、綺麗な女の人と一緒に残された。
かなり長い沈黙の後、「成仏する気か」と隆さんが言った。
「はい」と女の人は、答える。
「この子のために」
「それは、いい心がけだ」と隆さんは言った。
私は、内心、ヤッター! と思った。
そうか、そうか、そうか。
とうとう成仏する気になったのか。
『この子のために』
クウ、泣かせる……
「ですから、今宵は、最後の夜。
お三人共、私に付き合ってくださいましね」
わかった、と私は、思った。
本当に、内心、ホッとして、涙が出そうだった。
「はい」とお酒を注がれると、グイッグイッと飲んだ。
この女の人の淋しい気持ちを、少しでも慰めてあげたかった。
「この子は、この世界を抜け出せば、数年後に生まれることになっている」と隆さん。
「本当?」と男の子は、真剣な目をして隆さんを見た。
「本当だ」
そう言ったとたん、ガクッと隆さんの態勢が崩れた。
「アカン」と息子が目を開けた。
「馬鹿もの、もっと集中しろ」と隆さんが言い、息子は、また目を閉じた。
私には、何が何やらわからない。
酔いが、ボウッと身体中に回ってきていた。
「春子は、その子を守れ」と言われて、私は、自分の横にいた少年を、わけもわからずに、抱き寄せた。
「お母さん、やめて」と少年が言った。
「ボクは、生まれない。
ずっとお母さんと一緒にいる」
「嘘をおつき」と女の人の目が釣り上がっていった。
「嘘はつかない」と少年が言った。
「じゃあ、どうして、お前は、あの子と会っていた」
「それは……」と少年が口ごもった。
「ボクのお姉さんになる人だったから」
「それを、どうして、私に隠していた」
「だって、お母さんが、淋しい思いをするから」
「生まれたこともないくせに、何を生意気なことを」
「生まれたこともないボクを、お母さんは育ててくれた」
「そうよ。
それなのに、今になって、お前は、私を捨てて、平気で生まれるつもりでいる」
「ボクは、生まれない」
「フン。生まれていきたいくせに」
「生まれていきたいけど、それで、お母さんが淋しい思いをするなら、生まれない」
「嘘をおつき」と女の人の目は、ますます釣り上がっていった。
それと同時に、若々しかった顔が徐々に老けこんでいった。
「嘘は言わない」と少年の顔は真剣だ。
「証拠をお見せ」と女は言った。
「さっきから、その辺りをウロウロしている子に、ハッキリお言い」
「うん。ボクは、一緒には行かない」
パタパタパタという微かな足音が止まった。
「それから、その子に、元いた場所に帰るように、お言い。
二度と会わないとお言い」
あ、という声を出して、息子の態勢も崩れた。
「アカン」と息子は言った。
「隆さん、オレでは、無理や」
「春子……その子を……春子」と隆さんは、つぶやくと、相変わらず、音も立てずに、その場にくずおれた。
もう、私には、何が何やらわからへん。
「おばさん、さようなら」と男の子が立ち上がると言った。
『ダメ』という春子ちゃんの声が聞こえた。
「アカン」と私も思わず言った。
「本当に、邪魔な憎たらしい女め」と今では、老婆のような凄まじい形相になった女がうめいている。
「これ以上、邪魔をすると、この子を頭から食ってしまうよ」
「食えるもんなら、食ってみろ」と私は、言った。
「ボクは、いいよ」と男の子が言う。
クソ。食うんなら、私から食え。
「それも、いい考えだねえ」と老婆は言った。
「けど、お前はまずそうだから、まず、お前の息子から食ってやろう」
このヤロー、人の一番痛いところを、よく知っている。
その時、ふすまのガラリと開く音がして、外国人の一人が、「トイレ、すみませーん」と起きてきた。
その瞬間、女の顔は、元の若くて美しい顔に戻った。
「どうぞ」としとやかに、男性をトイレに誘導している。
うーん、やっぱり女やなあ、と私は、変なところで感心していた。
「今、逃げて」と男の子が言った。
もう、小さいくせに、泣かせる。
子供に『逃げて』と言われて、逃げられるかよ。
しかし、隆さんは倒れたままで、息子もグッタリしていて、使い物にならない状態だ。
どうする、と思ったとたん、外国人集団が、次々と、トイレに立ち始めた。
食うんなら、コイツラを食え、と私は、思った。
もしかしたら、国際問題に発展するかもしれないけれど、まさか食われてしまったとは、誰も思うまい。
国際的蒸発事件ですむ。
うん。
この線で、あの女を説得してみよう。
「おー、コワイトイレット」
「ボットンベンジョオ」
「すごく落ちまーす」
という外国人集団の声を聞いて、私は、内心、ウソッ! と思った。
隆さん、まさか昔を再現して、汲み取り式トイレにしたのでは、と思ったからだ。
いや、いや、これは、この女が閉じ込めている世界だから、本当の新築の家は、絶対に、水洗だ。
ああ、いらないところで、心が乱れる。
外国人集団が、また寝てしまった後、元通りの緊迫した場面が蘇った。
「私のこれからすることを教えてやろう」と私が、説得のことばを発見するより先に、女が言った。
さ、先を越されてしまった……
「まず、うまそうな、お前の息子を食ってやる。それから、あの……」と言って、まだ若くて綺麗な顔に戻ったままの女は、ポッと頬を赤らめて……言った。
「あの方を連れて行く」
もう息子を食わずに、あの方だけ連れて行って、と切羽詰まった私は思った。
「お前達が連れてきた客は、その後の楽しみだ」
や、やっぱり、国際的蒸発事件、発生か……
「この子は……」と女は、男の子をジッと見ていた。
この子は、生まれさせることにした?
と私は、期待に胸をふくらませた。
「私を裏切った」
な、何やと!
「この子が、いつ、あんたを裏切ったんよ!」と思わず、私は、叫んでいた。
「私の知らないところで、生まれる準備をしていた」
「当たり前やないの。
生まれてくる子なんやから」と私は言った。
「それやのに、生まれることを完全に諦めて、あんたのために、あんただけの淋しさを埋めるために、あんたとずっと一緒にいる、て決めたんやないの」
そ、そんな子を、何で、自分を裏切ったなんて言えるん。
お前は、鬼か……
やっぱり……
「こんな年中寒くて淋しい世界の中で、あんたのために、自分の新しい人生を捨てるつもりでいてるやないの。
まだ、こんなに小さいのに」
「けど、私を裏切った」
「あんたねえ」と私は言った。
「どんな人生を生きてきたんか知らんけど、ここまで、あんたのことを思ってくれる子を、裏切ったて言えるんは、あんたの生きてきた人生そのものが間違ってるんと違うの」
「……お前は、最初から嫌いだ。
何でも、自分が正しいと思っている」
「そんなこと思ってないわ」と私の目から、涙が吹き出してきた。
「自分の可愛い子は、きちんと可愛いと思え」
「思っている……」と女の勢いが、少し落ちた。
「そしたら、その子にとって一番いい道を考えるのが、親やろ」
「そうか。それが、親なのか……」
よし。もう一息かも、と私は思った。
「そんなものが、親なんだったら、私は、親ではない」
逆ギレにきたか、と私は、ガックリした。
霊を居直らせてしまった……
「食いつくしてやる、何もかも」
ま、それもいいかもね、と私は、酔って疲れてきたのもあって、かなり投げやりな気分になってしまっていた。
もう、私を最初にして、全部気がすむまで食べてちょうだい気分だ。
これ以上、あんたの相手はイヤ。
「オレを連れて行けば、気がすむのか」と隆さんの声がした。
女の人が、ポッと頬を染めるのが、見えた。
はあ、やっぱり、霊にとことん惚れられてしまってたのね、隆さん。
倒れていた隆さんが、ゆっくりと起き上がった。
悠然という感じを装ってはいたが、身体中が細かく震えているのを、私は見逃さなかった。
この馬鹿隆、回復するまで、もっと寝ておれ。
「ここに来い」と隆さんが言った。
ま、多分、今の状態なら、自分からは動けないだろう。
女の人は、多少、オズオズと隆さんの前に行った。
「横になれ」と隆さんが言った。
あんた、言い方は偉そうやけど、身体が横に倒れかかってるで、と私は思った。
「まだ、風邪が治っていないんだろう」と隆さんが言うと、女の人は、「はい」と恥ずかしそうに答えた。
「いつから、ひいている風邪だ」
「年末から」と女の人は、消えいるような声で答えている。
「それで、元旦に死んだのか」と隆さんが言い、女の人がうなずくと同時に、目から涙が、あふれ出た。
「人間は、風邪なんかひかないようにできている」と自分のことを棚にあげて、隆さんは言った。
「はい」
「その前に、何があった」
「……」
「まあ、いい」と隆さんは言った。
「お前は、身体中に邪気をためている。
きっと、辛いことがあったのだろう。
だから、身体中の血の流れが滞って、何でもない風邪で死んだのだ」
「……」
「答えなくていい」
そう言うと、隆さんは、女の人の全身をさわり始めた。
ま、また、そんなことをしたら、インフルエンザに……と思ったが、私は、何も言わなかった。
インフルエンザですめば、安いものだということを思い出したからだ。
「子供ができていたのか……」と隆さんがつぶやいた。
ウッという声をあげると、女の人は、両手で顔を覆った。
「それなのに、好きな男に裏切られた」と隆さんは言う。
「その恨みで、手や足先にまで血が通わなくなったのだ。
だから、お前は、いつまで経っても、手や足先が冷たい」
隆さんは、丁寧に、女の人の足の裏を押し始めていた。
押すだけでなく、ねじったり曲げたりもしている。
「あ、痛い」
「痛いはずだ。
けれど、お前の心は、もっと痛かった。
もっと早くわかってやれば、よかった」と隆さんは言った。
「痛い、痛い」と女の人は、涙を流し続けていた。
「お前は、風邪で死んだのではない。
恨みという邪気をためすぎて、死んだのだ」
「ああ、恋しい。
ああ、恨めしい」
「お前と一緒に死んだ、生まれなかった子供のことも考えてやれ」
「考えた、考えた、何百回も、何千回も考えた」
「そうか」と隆さんは言った。
ガックリと疲れ切っているように見えた。
その反対に、女の方は、急に蘇ったように若々しくなった。
「あなたがいれば、淋しくなんかない」と女が言った。
「そうか……」と隆さんは、疲れ切ったままで、言った。
「オレを連れて行けば、誰も食わなくても、いいのか……」
「そんな必要はない」
「そうか……」
隆さんの身体が細かく痙攣し始めている。
「あ……あの子のことも、もういいのか……」
「もう、あんな子は、いらない」
「そうか……それは……よかった……」
「そう、あんな子は、もういらない」