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呪われた家  作者: まきの・えり
6/9

呪われた家6

 そう言うと、隆さんは、また、眠ってしまった。

 額に手を当てると、熱は、38度5分。

 下がっている。

 そして、全身に汗をかいている。

 私は、熊さん柄のパジャマを脱がせると、猫さん柄のパジャマに着替えさせた。

 熊さんパジャマは、汗でグッショリ濡れている。

 もう一枚か二枚パジャマがいる。

 息子に持って来させよう。

 隆さんが寝ている間に、パジャマを洗濯しようと思った私は、愕然とした。

 どこを探しても、洗濯機がない!

 そうか……

 手洗いなのか……

 手洗いはイヤだ、と心の奥から憤りが込み上げてくるのを、パジャマにぶつけて、私は洗濯をすませた。

 しっかし、脱水機か乾燥機はいるだろう、と思った私の目に、長い物干し竿が見えた。

 はい、はい。

 ここに干せば、乾くんですね。

 物干し竿にパジャマを吊るした時、ピンポーン、というインタフォンの音がした。

「はい」

「オレ」と息子だった。

 門まで出迎えれば、息子と一緒に、爺さんがいて、範子さんと顔のでかい旦那さんもいた。

「兄さんが風邪をひいたんですって、信じられない」と範子さんが言った。

 付き合いの浅い私だって信じられないんだから、幼い頃から知っている範子さんが信じられないのは、無理もない。

「まず、これ食べて」と何やら重箱にご馳走が入っている模様。

「それから、これ」と保冷バッグ。

 もう、超嬉しい。

 きっと、ビールに酒、ウイスキーまで入っているんだろう。

「で、どうなの?」と範子さん。

 やっぱり、お兄さんのことは、心配か。

「熱は下がってきていて、あと何回かパジャマを替えたら、大丈夫」と私は言った。

「兄はね、小さい時に、風邪で死にかけたことがあったらしいの」と範子さんが言った。

「で、その後、ちょっと変になったんだけど」

 ああ、それは、納得できる、と私は、何となく思った。

 熱で脳をやられたのね。

 それと、性格も。

「お母さん、これ」と息子が差し出したのは、多分パジャマの入ったカバンだ。

 そう。言いたくないけど、私は、自分の思考を全て、息子に読まれているらしい。

「フリーサイズだから」と息子は言った。

 しっかし、細身のお前のパジャマが、筋肉質の隆さんに合うかな、と思う前だったので、何となく、ムカッとした。

 思う前の思考まで、読まないでちょうだい。

「そやかて、お母さんて、わかりやすいねんもん」

 はあ、そうですか。

 私は、単純思考やからね。

 フン。

 で、多少、熱で弱っている隆さんに気を使いながら、ようやく、ようやく、お正月用のお節料理を食べて、お酒をいただくという、例年の正月態勢に戻った。

 ワハハ、ワハハ、とお酒で上機嫌になっていく私と平行して、どこまで話せばいいのかな、と考えている、至極シラフの私もいる。

「うっそー、信じられへん、鹿に全部食べられたん?

 お酒まで?

 鹿って、何でも食べるんや」という範子さん。

 もう、飲み友達状態全開です。

「ええと、新しい契約条件を作成してきました」と言うのは、範子さんの旦那さんで、私の元雇い主の顔のでかい男。

 不動産会社の偉いさんです。

「大体、以前と同じ条件で、家の管理運営していただくということで、管理費を支払います。

 隆さんが、以前同様の、稽古場の維持管理をお願いしたいということで、その件に関する契約も、同時にお願いします」

「けど、家を新築しはるんやったら、誰かに売らはるか、貸すかしはった方が、得なんと違いますか?」と私は、それまでに蓄積していた疑問を述べた。

「それに関する話を、ここでさせていただいて、よろしいですか?」と顔のでかい男が言った。

 聞きたいけど、何となく聞きたくない気もした。

「うちのかみさんと、隆さんの意見を入れて、以前と同じ間取りの家を新築しているんですが、前から、あの家を売って欲しいという話は、星の数ほどあるんです。

 駅近、住宅街一等地、閑静な地域。

 けど、あきません。

 今回も、一応試しに広告を打ってみて、それこそ、何十件も問い合わせがあったんですが……」

 私は、ゴックンと唾を飲み込んだ。

「ここに住みたいと言い張っていた当人の急死。

 買いたいと言っていた会社の突然の倒産。

 老後の住居にと言っていた、ご夫婦の離婚。

 前からそうやったんです。

 ここは、あきません。

 遺言通りにしかできません」

 遺言。

 前世での、春行と春子の伯母である、華さんの遺言。

『ここは、春子ちゃんと春行が戻って来た時のために』

 元どおりに。

「もう、あんなことのあった後やから、明子さんはイヤかもしれへんけど、私も兄も、それから、父も、あなた達に、ここに住んで欲しいのよ」と範子さんが言った。

「誰か知らん人に売ったり、住んでもらったりするより、何か、その方が心が落ち着く気がする」

 うーん、と私は思った。

 それは、非常にありがたい話だった。

 特に、我が家のように、収入もなく仕事もなく、行くあてのない家族にとっては。

 しかし、私は、かなり実際的な人間だった。

 あの家は、確かに、不気味で異常な現象の起こる家だったけれど、多分、今では、もうその全てがOKになっている。

 はずだ。

 私が、家主なら、誰かに売るか、貸す方向にいくだろう。

 その家に、私達一家が住まわせてもらうというのは、金持ちのお情け、金持ちの道楽、金持ちの慰みになってしまうことではないだろうか。

 私は、母子家庭とはいえ、一家の主だ。

 息子に乞食のような生活の手本を見せるわけにはいかなかった。

「春子……」とその時、弱々しい声が聞こえてきた。

 ゲッ。

 弱々しい声なんか似合わない隆さんだ。

「お前達が来て、家は蘇った。

 ずっと、あの家は死んでいたのだ……」

 んなことを言われても……

 結果的に、家は全焼してしまったんだし。

「……だから、今、建て直している……」

 んもう。

 そんな弱った声で言わないでよ。

「春子と春行のために……

 建て直している……」

「そうなのよ、明子さん!」と範子さんが、その華奢な外見に似合わない強い力で、私の両手をガシッと握った。

「お母さん!」と息子までが、相手の味方だ。

「春子ちゃん、な、な?」と爺さんも、わけがわからないまま、私を説得している。

 私に、乞食になれと言うのか、この全員は。

「知らない場所で乞食になるのなら、ここで、乞食になれ……」

 隆さん、あんたのその一言、ほんまに、説得力がある……

 けど、あんたまで、私の考えを勝手に読まないでちょうだい。

「お前の考えは、わかりやす過ぎる」と弱っていても、偉そうだ。

 そっか、乞食になろう、と私は思った。

「それでは、ご厚意に甘えさせていただきます。

 よろしくお願いします」と私は、頭を下げた。

 はい。

 私は、ここで、乞食になります。

 一瞬の沈黙の後、何度も繰り返した新年を、もう一度繰り返すことになった。

「やったー! おめでとう」と範子さんが叫び、

「やったー」とわけのわからないまま、爺さんが繰り返し、

 ホウ……と隆さんは安堵の溜め息をついて寝てしまい、

「契約条件で不備なところがあれば」と範子さんの旦那さんが言い、息子までが、何となくホッとしていた。

 まあ、これで、私と息子のこれから先の居場所は決まったことになった。

 範子さん達と、ご馳走を食べ、お酒を飲んでいる間も、私は、どこかで酔えないでいた。

 まず、隆さんの霊障のことがある。

 あの女の人のことも、奇妙に気になる。

 そして、多分、自分の心の中で、一番気になっているのは、あの可愛すぎる男の子だ。

 あの子の小さな手の感触が、いつまで経っても、消えてはくれない。

 なぜ、あんな雪の中をさまよっている?

 お母さんのために、お客さんを探している?

 お父さんになってくれる人を探している?

 どうせ探すなら、霊の中から探せ、と私は思った。

 四人も連れて行ってるんだから。

 あ、ごめん。爺さんは、まだ霊じゃなかった。

 それに、なぜ、何度も何度も、同じ時を繰り返させる?

 それは、私には、理解できないことだから、余計に心にひっかかるのだろう。

「明子さん、今日、うちに来なさいよお」と言う、範子さんに断りを入れた。

「ええ、何でえ?」

「今日は、隆さんについています」

「うっそお。

 明子さんって、兄さんに惚れてたん?」

 あんたねえ、言っていいことと悪いことがあります。

 そういう問題ではない。

「今日は、ついています」と私は言った。

 もう、惚れてると思いたいなら、思いなさい、という心境だ。

「オレも残る」と息子が言った。

 多分、その方が心丈夫かもしれない。

「わしも」と言った爺さんのことばは誰も聞かず、範子さんと旦那さんに連れられて帰って行った。

「お母さんは、強いな」と隆さんの枕元で、二人きりになった時に、息子が言った。

「何がやのん」

「怖がらずに、霊と対等に話してる。

 もし怖いんやったら、別に、範子さん家に行ってもよかったやんか」

「あ、そうか」と初めて、気がついた。

 そういうことは、考えていなかった。

 隆さんの額に手を当てると、更に熱は下がっていた。

 37度8分。

 汗ビッシャリだ。

 息子の前でどうか、と思ったが、もうどうでもいいわい、と思って、息子の持ってきた、格子柄のパジャマに着替えさせた。

 パジャマがなくなるといけないので、また、手洗いして、竿に干した。

「隆さんて、いいガタイしてんな」と息子に言われ、ちょっと赤面した。

 確かに、いい身体だ。

「お母さんて、どれぐらい、男とエッチしてへんの?」

 ガーン。

 そ、それは、こういう場所で言うことと違うやろ。

「そんなこと、関係ないでしょ」と私は動揺する。

「あんたこそ、どうなん」と息子に振った。

 振ってやった。

「オレは……」

 オレは?

「いつでも、準備OKや。

 ただ、相手がおらんだけで」

「ワハハハハ、一緒やな」と私は笑った。

 笑いながら、なぜか、息子に見えない側の額から、汗が一筋流れ落ちた。

 この汗は、一体、何やねん。

「ごめんな、オレは、ちょっと嫉妬してるかもしれへん」と息子が言った。

「お母さんは、オレだけのもんやと思ってたけど、違うねんなあ、と思って」

 そう言われて、私は、ホッとした。

 何で、そこでホッとするねん、と突っ込む私もいるけれど、まあ、取り合えず、ホッとしとこう。

「けど、よかった。

 熱が下がってきて」と私は言った。

「お母さん」と息子は言った。

「多分、今夜は寝られへんで」

「うん」と私は、仕方無く答えた。

 まあ、何となく、そんな気がしないでもなかった。

 あれぐらいで、霊が諦めるとは思えなかったからだ。

 息子の前世の父親も、最後の最後まで、しつこかったし。

 そう思ったとたん、グオオ、グオオという息使いが聞こえた。

 まだついてきてるんかいな。

 もう、いい加減、あの世に帰りなさいよ。

「お母さんて、霊になつかれるタイプやねんな」と言うと、息子はおかしそうに笑った。

「それでいて、霊障が出たりせえへんし」

 そう言えば、前の家でも、トイレの電球はよく割れたが、息子や隆さんのように、肉体的な損傷を受けたことはない。

「けど、また、あの家に住めるんやなあ」と息子が言った。

 声が嬉しそうだ。

 パタパタパタという足音が聞こえる。

「春子も喜んでる」

 前世で強い霊的能力を持っていたという『春子ちゃん』。

 七才で死んでしまった春子ちゃん。

「春子ちゃんが守ってくれてるんかもしれへん」

「そうかもしれんなあ。

 お母さんと春子が合体したら、ほとんど無敵やもんな」

「ほんまかいな」と自分では、あんまり覚えていない。

『私も嬉しい』という微かな母の声が聞こえたような気がした。

 何か生きている間は、あんまりしてなかった親孝行を、母が亡くなってから、ようやくできたようで、私も嬉しかった。

「あの子も焼けてしまったし……」と息子が言った。

「けど、今でも、あの子がどこかで生きてるような気がして仕方がない。」

『あの子』というのは、息子が可愛がっていた、美形の日本人形だ。

 私も、『あの子』は可愛かった。

 あの子だけでなく、人形達はみんな可愛かった。

 しかし、息子の可愛がりようは、ちょっと常軌を逸していたので、母としては、人形に惚れられたらどうする、と心配していた。

 案の定、人形に惚れられてしまったが、健気な人形で、いつも小さな身体で息子を守ろうとしていた。

 あの火事の時も、小さな身体で、巨大な影に立ち向かって行った。

 人形達は、全員、発火して、あの影の中に突入して、燃え尽きてしまった。

 そう言えば、『華さん』という人の生まれ替わりだとかいう、あの綺麗な女の子は、どうしたのだろう。

 何となく、息子に好意を持っていたような気が……

 ゴホッ、と息子が咳き込んだ。

「ちょっと、春樹、あんたまでインフルエンザ?」

 または、私の思考を、また読んでいた?

「うん、何か身体がだるい」

 しまった。

 インフルエンザは、すぐに感染するのやった……

 そやから、インフルエンザ、流行性感冒なのだ。

 それに、考えておくべきだった。

 子供の時に風邪をひいて以来一度も風邪をひいたことのないという、異常な人間がかかるウイルスは、超強力やということを。

 ま、何を思っても、後の祭りだ。

 息子の額に手を当ててみれば、37度9分。もうじき38度になる。

「寝なさい」と私は言った。

 安静第一。

「今日は、大丈夫やから」とキッパリと言ったが、自信はない。

「いや、万一のことがあるから」と息子。

 あかん、目が潤んできている。

「いいから、寝なさい!

 万一の時のために、早く寝て早く治しなさい」

 隆さんの横に布団を敷いて、パジャマに着替えさせて、無理やり寝かしつけた。

 息子は、隆さんと違って、きちんと栄養を取った。

 寒い中で発病したわけではない。

 発病して、すぐに横になる。

 若いし、治りは早いはずだ。

 しかし、すぐにパジャマが足りなくなる、と私は思案した。

 パジャマの代わりになりそうな衣類を物色する。

 トレーナー類がいくつかある。

 そうだ。

 範子さんに電話をかけて、寝巻を持ってきてもらおう。

 私は、家中、電話を探し回ったが……

 どこにもなかった。

 ああ、このテレパシー男、電話がなくても、こと足りているのか……

「お母さん」と息子が鼻声で言った。

「オレ、お祖父ちゃんに、頼んでみる」

 それはいい考えだが、そういう能力を使った後は、ガックリと体力が低下してしまうことを、息子を見ていて、知っている。

 たかがパジャマのために、インフルエンザが悪化する。

「やめなさい」と言った。

 最悪、バスタオルを身体に巻きつけて、汗を吸収させたらいい。

「そんなことより、早く寝なさい」

「うん。けど、お母さんも寝た方がいいよ」

「あんたが寝たら、私も寝るから」

「起きてる気か、一晩中」

 もう、考えてないことまで読むなって。

「とにかく、あんたが起きてる限り、私は寝られへんからね」

「わかった」そう言うと、息子は、スウッと眠りに落ちていったようだ。

 私は、なぜか、このインフルエンザにはかからない気がしていた。

『人間というのは、元々、風邪なんかひかない存在なのだ』という隆さんのことばを何度も聞いたせいかもしれない。

 マインドコントロールされてしまったのかも。

 または、私は、霊障には、大丈夫にできている?

 何事も起こらないまま、時間は刻々と過ぎていき、零時を回った。

 その間に、二人の着ているものを、着替えさせ、洗濯はせずに、家の中で乾かすことにした。

 私って、頭いい。

 これなら、あるだけで間に合う。

 しかし、息子の弱り具合が気になった。

 隆さんは、段々と回復しているのがわかる。

 元々鍛えているせいもあるのだろう。

 熱は37度にまで下がり、汗の出も止まった。

 呼吸も楽そうに思える。



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