呪われた家2
「お帰り」という声がして、私はハッと目が覚めたような気がした。
門の明かりに照らされて、綺麗で細身の女の人の姿が浮かんだ。
着物を着れば似合いそうな雰囲気の女の人だが、黒のワンピースにコートを羽織っている。
男の子が、私の顔を見て、ニッコリと笑った。
顔が似ている。
多分、男の子のお母さんなのだろう。
お姉さんかもしれないが。
「どうぞ。
お待ちしておりました」
門から中に入ると、真っ暗だった。
多分、庭なのだろう。
まさか家の中まで真っ暗ではないだろうな、と不安になったが、ガラガラッと戸を開けると、家の中は、明るくて温かだった。
家に入った瞬間、私は、ホッとして、目から涙が流れそうになった。
自分が一緒に旅してきた連中が、人非人のように思える。
この寒空の下、ウロウロするか、野宿でもしようという連中だ。
それに、プーンと味噌のいい香りがしている。
「何もありませんが、とりあえず、温かいものでも……」
囲炉裏が切ってあり、その中に三つの石がある。
その上に……
大鍋が……
蓋を開けると、豚汁が登場した。
隆さんが、少し動揺している気配がある。
そうか。
インスタント豚汁を買っていたっけ。
私は食べた。
食べましたとも。
コンビニ弁当をペロリと平らげると、何杯も豚汁のおかわりをして、鹿に奪われた以上に食べました。
隆さんの読みが正しかったのは、弁当を六人前買ったこと。
けど、豚汁は、ハズレ。ブー。
「春子、あんまり食い過ぎると、ブタになるぞ」と隆さんに言われたが、豚汁食って、ブタになれば、それは本望。
ちょっと男の子とお母さん(だと判明)に悪いな、と思ったのは、亡くなったうちの母と、息子の前世での父、それに、『春子ちゃん』という少女の霊まで、ついてきていることだった。
パタパタパタという、春子ちゃんの足音と、私の母の足を引きずる音が聞こえる。
グオオ、グオオ、という微かな息使いの音は、成仏するまで私達を困らせ続けた、息子の前世での父親だろう。
けどま、私を含めて、霊に関係ない人には、全然関係ない世界。
ゴホゴホと、男の子のお母さんは、時々、咳をしている。
「申し訳ありません。
年末に風邪をひいてしまいまして」
「それは、いけない」と隆さん。
「人間というのは、元々、風邪なんかひかない存在なのだ」と言わなくてもいいことを言う。
「その証拠に、私は、子供の時に一度風邪をひいてから、一度もひいていない」
それはやね、あんたが、バカやからでしょ。
フツーの人間は、年に何度かは、風邪をひくものなの、と私は、心の中でだけ思った。
「ここに横になりなさい」と隆さん。
ゲッ。
そうか。
コイツは、気功の先生だった。
私とは違って、素直な性格なのか、男の子のお母さんは、隆さんに言われた通りに、横になった。
隆さんは、顔を引き締めて、お母さんの全身を触っている。
その端正な横顔を見て、うーん、やっぱり、この男って、ハンサムだなあ、と思う。
最初、その顔にだまされて、胸をドキドキさせたこともあったっけ。
「足先にまで血流が行き渡っていない」と隆さんが言い、お母さんの足の裏を押し始めた。
「あ、痛い」とお母さんが言い、何か、胸がドキドキした。
「風邪のウイルスは、弱気につけこむ」
「はい」とお母さんは、素直だ。
「絶対に、風邪などひかない決心をすることだ」
「はい」
内心、アホちゃう、と思いながら、変に説得力がある。
「今日は、もう寝た方がいい。
明日には、治っているだろう」
「はい。ありがとうございました」
見ると、お母さんの顔の色が、かなりよくなっていた。
そして、同時に、元々若く見えていたお母さんの顔が、更に若くなったように思える。
隆さんの方は、急に、ガックリと疲れたような表情をしている。
「お布団は敷いておきました。
ゆっくり、お休みください」とお母さんが、先に立って、布団の敷いてある部屋に案内した。
その時になって初めて、何で、全員の人数が、会う前からわかっていたんだろう、という疑念が生じた。
男の子は、一人で旅していたんだろうか。
こんなに小さいのに。
しかし、そんな疑念も、目の前にある、温かな布団に打ち消された。
宿の手配もなく、見知らぬ土地をウロウロする心配もない、その折角の親切を、少しでも疑っては、申し訳ないではないか。
一番はじにある布団に潜りこむと、私は、すぐに寝てしまった。
翌朝、私は、やっと定住した家に、まだ、住んでいる夢を見ていたらしい。
そこは、築百年は経とうかという、古くて大きな家だった。
親子二人で住むには、広すぎる家だった。
しかし、その家では、次々と不思議な現象が起こった。
でも、やっと手に入れた、『我が家』と呼べる家。
その家の中に、一頭、また一頭と、鹿が侵入してくる。
何で、家の中に、鹿が?
でもまあ、いいか。
家の中に鹿がいて、私の顔をなめるぐらい……
何?
家の中に鹿がいて、私の顔をなめる!
「わけがわからん」という隆さんの声が聞こえて、私は、完全に目を覚ました。
何で、隆さんが、私の家に!
そう思う私の目の前に、優しくて上品そうな顔が見えた。
鹿だ。
数頭の鹿が、私の顔をなめている。
「うわっ」と叫んで、私は起き上がった。
何が何やら、わけがわかっていない。
「わけがわからん」と本気で言いたいのは、私だ。
「時計が戻っている」と隆さんが言った。
な、何ですとお?
「まだ、20世紀だ」
な、何ですとお?
完全にわけのわからん私は、また、再び、船に乗ることになった。
どうやら、まだ、あの島に残っていたらしい。
そして、船の中で、「ハッピー・ニューイヤー」の声を聞き、「本年もよろしくお願い
します」の声を聞く。
私は、子細に、自分の記憶を点検していた。
鹿に食べ物全てを奪われて、船で元来た場所に戻り、そこから電車に乗って、電車がなくなる地点にまで行き……
そして、あの男の子が現れて……
どうやって?
でも、現れるべくして現れて、コンビニに行って、そうよ、コンビニに行って、私の酒のつまみを買ってくれようとした。
で、私達は買い物をして、あの男の子の家に行って、豚汁をご馳走になって、布団を敷いてある部屋で寝た。
しかし、私は、混乱した。
どこからどこまでが、私の記憶で、どこからが、自分の夢なのか、わからない気がしたからだ。
ああ、もうイヤ。
これも夢なら、早く覚めて欲しい。
「春子、どこまで覚えている?」と隆さんに、非常にタイミングよく聞かれて、私は、自分の記憶にあった全てをぶちまけた。
もう、これで何とかして、元いた場所に戻らせて、という気分濃厚だ。
「そうか」と隆さんは、言った。
「では、また、現れるか」
「そうでしょうね」と息子まで同調するな。
私と一行は、また、前と同じように、電車のなくなる駅にまで行った。
私は、実は、内心、ビクついていた。
また、あの男の子が、突然、私の手を握った場合、どうすればいいのか、と思っていたせいだ。
すると、「ハーイ」と言って、バカ外国人集団が現れて、その中の黒人男性が、私の肩を抱いた。
「イエ、イエ、イエーイ」と叫んでいる。
前もこうだったんだろうか、と私は思い出そうとしていた。
今回、息子は、動かなかった。
私は、鹿に振り回されるように、その男に振り回されている。
「いい加減にしろ」と隆さんが、ついに言った。
くたびれ果てる前に、言ってちょうだい、と私は思った。
「ウオッホ、イエーイ」と言いながら、黒人男性は、私から離れた。
前回とは、微妙に違う。
その瞬間、私の身体は、ビクッと硬直した。
自分が、誰かの手を握っていることに、突然、気がついたからだ。
この手の感触は知っている。
あの可愛らしい男の子の手だ。
私が、強張った顔で手の方向を見ると、あの少年が無心な目で、私を見返していた。
一体、どうすればいいのか。
また、コンビニに行くのか。
同じことを繰り返すために。
その時、顔に何か冷たい物が触れた。
ゾクッとしたが、それは、雪の一片だった。
空を見上げると、細かい雪が、ヒラヒラと舞い落ちてくるところだった。
そうか。
雪か、と私は思った。
こんな雪の中、この子は、一体、何をしているんだろう。
今回は、コンビニには寄らずに、男の子は、直接、あの家に向かっているようだった。
私は、どうすればいい?
これを、どう考えればいい?
どこをどう歩いたのかわからないが、暗い通りをいくつか通り過ぎると、明かりの灯った門の前に出た。
前回と同じだ。
「お帰り」という声がして、私はハッと目が覚めたような気がした。
門の明かりに照らされて、この前同様、綺麗で細身の女の人の姿が浮かんだ。
やはり、着物を着れば似合いそうな雰囲気の女の人だが、黒のワンピースを着ている。
コートは着ていない。
男の子が、私の顔を見て、ニッコリと笑った。
顔が似ている。
やはり、男の子のお母さんなのだろう。
「どうぞ。お待ちしておりました」
門から中に入ると、真っ暗だった。多分、庭なのだろう。
まさか家の中まで真っ暗ではないだろうな、と不安になったが、ガラガラッと戸を開けると、家の中は、明るくて温かだった。
家に入った瞬間、私は、前はホッとしたが、今回は、何か身構えていた。
やはり、プーンと味噌の香りがしている。
「何もありませんが、とりあえず、温かいものでも……」
やはり、大鍋に豚汁が……
隆さんは、今回は、落ち着いているように見えた。
多分、コンビニで、インスタント豚汁を買っていないからだ。
パタパタパタという、春子ちゃんの足音と、私の母の足を引きずる音が聞こえる。
グオオ、グオオ、という微かな息使いの音は、私達を困らせ続けた、息子の前世での父親だ。
ゴホゴホと、男の子のお母さんは、時々、咳をしている。
「申し訳ありません。年末に風邪をひいてしまいまして」
この辺りは、同じだ。