呪われた家1
ガタコーン、ガタコーン、という電車の音が聞こえている。
昔懐かしい鈍行列車だ。
姫路までは新快速が走っていたが、そこから先は、丁寧に各駅に止まっている。
新幹線ならビュッと一気に行ける距離なのに、何で、私が各駅停車になんか乗って……
と内心思っている。
しかも、時は大晦日。
本来やったら、家で、年越しソバでも食べている時間だった。
ここ数ヵ月の出来事が、走馬燈のように蘇る。
かなり難はあったけれど、やっと、定住したと思った家は、住んでから二ヵ月で焼け落ちてしまった。
全焼だ。
「まあ、焼けてしまったもんは、しゃーないな」とは思ったけれど、これから先、どうしていいのかわからなかった。
一時的に、元雇い主だった不動産屋の顔のでかい男が斡旋してくれた家に住んでいた。
仮り住まいだ。
私も息子も失業者。
焼け落ちた家には、管理人として住み込んでいたのだ。
ガタコーン、ガタコーン。
色々なことは、もう考えたくなかったけれど、隣の四人掛けの座席には、息子が『お祖父ちゃん』と呼んでいる爺さんが腰掛けている。
話せば長いことながら、この爺さんと息子が、テレパシーで通じ合ったのが、事の起こりだったようだ。
もう、私は見たくない、と思うのだが、爺さんは、四人掛けの座席を占領して、一人で何やら楽しげに話している。
テレパシー・チャネリング・サイコキネシスに熱中している息子と暮らしている限り、こういう世界とは、離れられない宿命なのか……
言われなくても、爺さんが話しているのは、本年死んだ私の母と、息子の前世の父親とかいう霊なのだ。
それに、時折、『春子ちゃん』という少女の霊も加わっているらしい。
ちょうど、四人……死人に通じる。
あ、ごめん。
まだ生きている爺さんまで死人にしてしまった。
『もう、あんたらは、成仏したはずと違うん?』と私は、心の奥で思っているけれど、成仏するのと、この世に遊びに来るのとは、別の世界の話のようだ。
私の向かいの席で、平和に寝ているのが、隆さんという、ことの起こりの張本人。
「春子、お前も暇だろう」と言われて、釣られた私もバカ。
その横で、同じように、平和そうな顔をして寝ているのが、私の十八才の息子。
うーん、こうして並んで寝ているのを見ていると、前世で従兄弟同士だった、というのがうなずける。
年齢も親子ほど違い、普段は、全然似ているなんて思わないんだが、こうして見ると、骨格なんかが似通っている。
うーん。
前世の骨相を今生でも受け継ぐのだろうか……
私には、わからん。
この間の家焼失事件で、息子は、二週間ほど入院していた。
だから、病み上がりの身だ。
知らない間に、背中に大怪我をしていたらしい。
知らない間に、怪我をするな! と母は思うが、思っても無駄な世界。
ガタコーン、ガタコーン、と列車は走っている。
私の元雇い主から、新たな話があったのが、暮れも押し詰まった、21世紀へのカウントダウンが始める、四日前だった。
その時には、臨時に住んでいた家は売れてしまっており、新年早々に、明け渡すことになっていた。
「わけは、聞かないでください」と顔が人並み外れてでかい、元雇い主は言った。
こういう言い方には慣れていたけれど、家もないのに、21世紀が何やのん、と思っていた私は、思わず、「それは、何でですか?」と尋ねていた。
「日給にして、1万円出ます」
もう、その時点で、私は負けていた。
もう何でもいいです。
息子の入院費も、病院から催促され通し。
母子家庭やから、全額無料やと思っていた私は甘く、医療費は無料だったが、何やかやと余分なお金がかかってしまった。
区役所と病院を往復して、ようやく市民税非課税世帯用に安くはしてもらったのだが……
「やります」と内容を聞くより先に、私は返事をしていた。
もう、何でもやります。
しかし、ところで、なぜそれが、このような大晦日の鈍行列車の旅になるのかは、私の想像力を持ってしても、伺い知ることはできない。
当初和歌山を一周するはずが、列車の向かっているのは、西の方角。
岡山は過ぎ、もうじき広島だ。
もういい、何も知りたくない、何も聞きたくない、私も寝る、と思うのだが、どうにも眠れない。
目の前で平和に寝ている隆さんと、元大怪我人の息子が憎らしくなるほどだ。
しかし、だからと言って、爺さんの霊仲間と仲良くする気もない。
こういう時のためにと、ビールと日本酒とウイスキーをカバンに詰め込んできたが、どうも、一人では飲む気が起こらない。
その時、別の車両から、ダッフルコートを着た、5才ぐらいの男の子が、ドアをガッチャンと開けて歩いてきた。
どうやら空いている座席を探しているようだ。
まさか、コイツ、霊ではないだろうな、と思ったが、きちんと姿は見えるし、どこも透けていないし、車内の気温も下がらない。
うわ、ここに来るな、と思ったとたんに、男の子は、私の隣の席に座った。
その瞬間、私は、寝たフリをした。
自分の息子が18才にもなってしまえば、小さな男の子は苦手だ。
騒がしいし、うるさいし、鬱陶しい。
寝たフリをしてはみたが、余りにも静かなので、つい、目を開けてしまった。
ゲッ。
目が会った。
困惑の極致の私に、男の子はニコッと笑った。
エヘヘ、と私も、笑うしかない。
さあ来るぞ、鬱陶しい質問が来るぞ、と身構えたが、男の子はおとなしい。
隣の座席では、爺さんが心地好さそうに眠ったところだった。
一緒にいた霊も寝たのだろうか?
あっちに行けば?
三人分席が空いてるんだし……
私は、仕方無く、カバンをガサガサ探して、みかんを取り出した。
「食べる?」
うん、と男の子はうなずくと、何と、ひざの上にポケットから出した綺麗なハンカチを広げて、みかんの皮をむき、私に半分くれた……
私と男の子は、黙々とみかんを食べた。
「食べる?」と次に出した、柿ピーも、何となく半分ずつ食べ、するめを出した時には、私は、ついでにビールも出してしまった。
「飲む?」とつい聞いてしまった私に、男の子は首を振った。
「うん」と言われた時の心の準備をしていなかったので、内心ホッとした。
二人で黙々とするめを食べながら、私は、ビールを飲んだ。
よくよく観察すると、可愛い顔をしている。
髪の毛はクセがあるのか、可愛い顔の周りでフワフワと踊っているようだ。
こんな小さな子供の前で、酒飲んじゃイカン、と思いながら、シュパッと二缶目のビールを開けた。
「お父さんとお母さんの所に戻らなくていいの?」と私の方が、詮索好きな子供状態になっている。
うん、と少年はうなずいた。
そ、それは、一体、どういうことなんでございましょう、と私は困惑した。
そうこうしているうちに、少年は私にもたれかかって、眠り始め、私も、つい二缶のビールのせいか、うとうととし始めていた。
「春子、降りるぞ」と私は、乱暴に揺り起こされた。
見ると、隆さんと息子、それに爺さんまでが、しゃんとして降りる準備をしている。
私は、ハッとして隣の席を見たが、もう、少年の姿はなかった。
そっか。
きっと、お父さんとお母さんのところに戻ったんだ、と思うと、なぜか理由なく淋しくなった。
もうちょっと何か話せばよかった、という後悔がある。
「本当に、よく寝るヤツだ」と隆さんに言われ、あれだけグッスリ眠っていたお前に言われたくないわい、と思った。
隆さんは、私よりも五才は年上のくせに、私よりも二十才は若く見える、異常な人種なのだ。
息子の気功の先生でもある。
それと、言いたくないけれど、私には、坂口明子というレッキとした戸籍上の名前があるのだが、このメンツには、『春子』と呼ばれるという暗い宿命があった。
ここはどこ?
私は誰?
のほろ酔い気分で列車を降りた。
一体、目的地はどこやったん?
「うわ、やったー!」と隆さんと息子が歓声を上げている。
「船もいける!」
私には、なぜに、二人がそれほど喜んでいるのかわからない。
「お弁当、お弁当、範子のお弁当」と爺さんまで、はしゃいでいる。
範子というのは、爺さんの娘で、隆さんの妹。
ここ数ヵ月の間に、私の飲み友達になった人物だ。
料理の腕は天下一品。
この旅行でも、全員にお弁当を作ってくれていた。
昼用は、電車の中で食べ、今夜用を食べようとしているのだ。
「青春だ」と隆さんが言い、「オレだけ18才」と言いながら、息子が何か紙片を振っている。
「それに、もうじき21世紀だ」と隆さんが言った。
「20世紀と21世紀を、またにかけた旅だ」
私は、訳の分からないまま、大勢の人と一緒に船に乗って、どこかの島に渡った。
爺さんは、船の中で弁当を食べていた。
さすが、範子さんで、一人ずつ弁当の内容が違う、と知ったのは、島に渡って、全員が弁当を開けた時だった。
昼用は、全員同じ散らし寿司だったが、夜用は、それぞれに違っている。
船の中の爺さんの弁当は、焼き鮭とか野菜の煮物が詰まっていた。
島に渡って、あちこち歩いた後で、階段のところで広げた隆さんのは、精進料理みたいな弁当で、私の弁当は、ごはんがほとんどなく、酒のつまみのようなものが詰め合わされていて、私は、それをアテに日本酒を飲むことにした。
息子の弁当は、全員の中で一番豪華。
若いからかもしれないが、鳥の唐揚げ・カツ・フライに、彩りの美しいサラダが添えられていた。
島のあちこちに、上品な顔立ちをした温厚そうな鹿が座っていたが、私達が弁当を開くと、ジワジワと品よく近づいてきていた。
私が、食べるより先に、日本酒の瓶を出そうとすると、上品な顔をした鹿が、私のカバンに首を突っ込んだ。
ウワッと思う間もなく、鹿は私のカバンから、酒のつまみにと持ってきたピーナツの袋を口にくわえた。
それを合図にしたように、鹿が私に群がり寄って来て、そのうちの二頭が、争うようにして、私のカバンに顔を突っ込んだ。
「何も入ってないって」と私は、笑ったが、その笑いはすぐに凍りついた。
鹿は、私の下着の入った袋を口にくわえ、それを慌てて取り戻そうとする私の手にした弁当を、数頭が寄ってたかって、奪い取った。
あ、あ、あ、と思う間もなく、私の弁当は、十数頭の鹿に食い荒らされ、カバンの中に入っていた全てが、鹿に玩ばれている。
もう、私は飲んだり食べたりする状況になく、必死で下着やノートや財布を取り戻そうと、あがいていた。
ハッと気がつくと、私が、今飲もうとしていた酒まで、鹿がなめている。
「鹿にまで、なめられるな」と悠然と弁当を食べ終えた隆さんに言われる頃には、私は、食べ物飲み物全てを鹿に奪われて、下着と財布とノートを取り戻して、茫然としていた。
「お母さん、この残り食べてもいいよ」と息子に弁当の残りを勧められる始末。
な、何で私だけ……
息子にもらった弁当の残りも、アッという間に、鹿に奪われてしまった……
「お前は、トロ過ぎる」と隆さんには、罵倒され、酒をなめて酔っぱらったのか、何頭かの鹿には、顔までなめられてしまった。
その後、1時間余り、「おお」とか「ああ」とかいう隆さんと息子の声を聞きながら、私は島のあちこちをウロウロしたが、築500年の建物も、樹齢何百年の樹木も、後ろから私をつつく鹿に邪魔されて、全然楽しむことができなかった。
大晦日から元旦にかけて、一晩中運行しているという船に再度乗船して始めて、私は、鹿軍団から解放された。
船に乗っている途中で、21世紀に突入した瞬間があったらしく、各所で「おめでとうございます」とか「本年もよろしく」の声が聞こえていたが、私は、全然めでたくなかった。
「どうだ。世紀の移り変わる瞬間だ」と隆さんが言い、「ほんまですね」と息子が答え、
「春子ちゃん、21世紀やで」と爺さんが言ったが、私には、鹿に奪われた食べ物と飲み物の方が大事だった。
船を降りる時、今まで以上に大勢の人が乗船を待っていた。
なぜ?
「初詣に行くんだろう」と隆さんが、こともなげに言った。
ええ、初詣ができるんならしたかった、と私は思ったが、この大勢の人にもまれての、初詣は、荷が重いかも。
「さあ、これで、念願は果たせた」と隆さんが言った。
念願?
隆さんの?
それを後で聞いた私は、ああ、聞かなければよかった、と思った。
「さあ、行こう」と隆さんが言い、私達は電車で行けるところまで行ったが、そこで、電
車は無くなっていた。
「おかしいな。
大阪なら、大晦日から元旦にかけては、一晩中動いてるんだが」と駅から出ながら、隆さんは言った。
「ほんまですね」と息子まで同調するな。
その時、同じ電車の車両で騒いでいた外国人バカ集団がやってきた。
私は、外国人は、外国人だから、外国人らしく外国人だと、この年まで信じてきたのだが、おとなしくて優美で優しいと信じてきた鹿軍団同様、私達の周囲で騒いでいたかと思ったら、突然、その中の一人、優美で美しい黒人男性が、私に抱きついてきた。
わあ、突然、何をする!
日本人のおっさんに抱きつかれるようなイヤな気はしないし、仲間と思ってはしゃいでいるのはわかるけど、鹿に顔をなめられたのと同じ気分がする。
息子が、男の前に立つと、男は自然に私から離れ、私は、ヘナヘナと、その場に座りこんだ。
「お前には、隙がありすぎる」と隆さんには怒られる。
あなた、自分に隙がないんでしたら、もっと早く救ってちょうだい、と内心思う。
「さて、どうするかな」と隆さんの落ち着いた声。
その時になって初めて、この旅は何の目的もない旅、宿泊場所も決まっていない旅であったのだ、ということがわかった。
「どこでもいいから……」
泊まりましょう。
寒いし、おなかもすいてるし……
「始発までブラブラするか」と隆さん。
「それもいいかもしれませんね」と息子まで同調するな。
唯一の救いは、もう眠くて、フラフラしているだろうお爺さん、と思って見ると、爺さんは、少年のように、目をランランと輝かしている……
「私、泊まるところを探します」と私は、意を決して言った。
もう、あんたらとは付き合ってられへん。
あんたらは、どこでも眠れるし、どこででも生きていける。
しかし、私は、普通の人間で、しかも、もう若くはないおばさんや。
「予約もなしに、元旦の夜更けに、どこに泊まる」
うわあ。
そうやったんや。
元旦の午前零時を回ってるんやった……
自分が、完全防備をしていることを、内心自慢したいぐらいだった。
出発前には、そこまでいらんと思っていた、超温かいコート、しかもフードつき、厚手のマフラーに手袋。
「来たぞ」と隆さんが言った。
急に、寒い上にも寒くなった。
別に、雪が降り出したわけでもないのに。
「来ましたね」と息子も言った。
もう、私は、そういうあんた達が、大嫌い。
フッと気がつくと、誰かが私と手をつないでいた。
その方向を見ると、電車の中で出会った、あの可愛い男の子だった。
私は、本当に、こんな場所で、また、この子に出会えたことを、心の底から嬉しく思った。
もう、ほんま、おばちゃんは、あんたと別れてから、大変やったんやから。
こっち、という風に、男の子は、私の手を引いていた。
その時、私は確信した。
この子は、健気にも、電車の中で出会って、みかんと柿ピーとスルメをくれたおばちゃんを、自分の家に招待してくれている。
ガキの恩返しだ。
もう、そうでないとどうします、と心とおなかと懐が非常に淋しい私は思った。
男の子は、私をコンビニの中にまで引っ張って行った。
さすが、コンビニエンス・ストア。
元旦の夜中でも開いている。
コンビニの中は温かかった。
まさか、ここがお家でもあるまいに。
「何か欲しいものがあるんだろう」という隆さんの声が、すぐ横で聞こえて、私はギョッとした。
一緒に来ているなら来ているで、気配を消さないでちょうだい。
男の子の私を握っている手に力が入った。
ごめんね、こういう怖いおじさんなのよ。
男の子は、私の目をジッと見てから、ポテトチップスの袋を手に取った。
それから、柿ピーとスルメの袋を私に渡した。
私は、胸がジーンとした。
これは、私用の買い物だ。
もっとジーンとしたのが、レジで、自分のコートのポケットから、小さな財布を取り出した時だった。
「ダメ、ダメ」と私は言った。
ええい、もう懐が淋しいなんて言うておられん。
高いので絶対コンビニでは買わないチョコレートとクッキー、ええい、もってけ泥棒、とアイスクリームも追加して、私はレジでお金を払った。
心は温かいが、懐は寒い。
隣のレジを見ると、隆さんがコンビニ弁当を買っている。
数えて六つ。
それと、カップの豚汁も同じだけ。
「温めますか?」
「はい」
隆さんがコンビニで買い物をする姿も奇異だが、なぜに六人分?
息子が続いて、ホッカイロを買っていた。
野宿する気か?
爺さんは、山ほどの週刊誌と漫画と各種新聞とケーキを抱えていたが、隆さんに、ケーキ以外は、元の棚に返されていた。
ガサガサとコンビニの袋をぶらさげて、私達は、コンビニを後にした。
イヤッホー、という声がして、その方角を見ると、バカ外国人集団が、走り回っている。
きっと、外国の隆さん集団なのだろう。
無謀にも、泊まるところもなく、電車がなくなってしまったのだ。
しかし、私と違って、隆さんや息子や爺さん並みに元気だから、始発の電車が動くまで、そうやって、はしゃいでいるのだ。
私は、急に、ガクッと疲れた気がした。
すると、男の子の手に力が入った。
そうか。
また、手をつないでいたのか。
どこをどう歩いたのかわからないが、暗い通りをいくつか通り過ぎると、明かりの灯った門の前に出た。