#09 王子が来た!
ラーズは見たこともない部屋にいた。
部屋の大きさは幅が六ハイデル(約十メートル)、奥行きは三十ハイデル(約五十メートル)ほど。天井までの高さは、ラーズの背の十倍はあるだろうか。おそらく王都にも、これほどの大きさの部屋は存在すまい。
壁は鮮やかな白一色に塗られていた。煉瓦や石を積み上げたような隙間もなければ、木材の木目のような模様もない。何でできているのかもわからなかった。そして壁際には戦士や神話の怪物、それに見たこともない生き物の姿を象った、巨大な彫刻が並べられている。
ここはどこなのか。見たことも聞いたこともない場所だった。だが何故か、ここに呼ばれたのだと感じられた。
ラーズは前方に歩きだした。彫刻達に睨みつけられながら、奥の壁にまでたどり着く。奥の壁の中央部に、鎧を着た戦士の彫刻が二体、ラーズを見下ろしながら並んでいた。
二体の彫刻の間の壁に向かって、ラーズは立ち止まった。どうすればいいのか何故か分かった。右手を伸ばして壁に押し付けると、壁は音もなく消え去り、人一人が通れるほどの大きさの穴が開いた。
穴を潜り、別の部屋に出る。そこには奇妙な光景が広がっていた。
先ほどの部屋と同じ白い壁に囲まれた、円形の部屋だった。その中央には磨き上げられた鋼のような色をした、吹き上がる炎のようなデザインをした構築物が、天に向かってそびえ立っていた。
ラーズは天を見上げた。声にならない感動の溜息が漏れた。
部屋の壁は高く高く積み上げられており、、天井は霞んで見えないほどだ。炎の構築物は天を遮るものがないのを幸いとばかりに、どこまでも高くに燃え上がっている。
こんなものを作れる者がいるのか。人間に作れるものとは思えない。それこそ人を超越し秘術を授けた大神だけなのでは?
この世のものとは思えない目の前の光景に、ラーズは感動すら覚えていた。
「あなた」
不意に声がして、ラーズは驚いて、声の方向に目をやった。構築物の根本の一部が、先程の壁と同じように崩れ消え去り、穴が開いた。
穴を通って、女が姿を表した。ウェーブのかかった黒髪で、青いロングドレスを身にまとっている。それに加えて、赤と白のラインが複雑に絡み合った仮面で目元を隠しているのが特徴的だった。
「あなた、私を感じ取れるのですか?」
女が更に言った。ラーズの胸が強く脈打った。甘く、優しいその声が、体と心に強く訴えかける。
ラーズは口を開こうとして驚いた。部屋に入る前と打って変わって、口を開くだけで多大な労力が必要だった。まるで体中が鉄に覆われたようだった。
「ここ……は……?」
女の口元が、笑いの形を作った。
「ここは秘術を受け継いだ者がたどり着くべき場所。あなたが来るべき場所」
「ば……しょ……?」
「秘術を継いだ者よ、待っていますよ、あなたが私達の下に来る日を」
遠い昔、どこかで聞いた気がする声だった。それがどこなのか浮かばないもどかしさを感じながら、ラーズは彼女に声をかけようとした。
「だれ……なんだ……?」
「待っていますよ、ずっと……」
「……きて、……おきて。ラーズ、起きて」
見えていた、聞こえていたものが、急速に闇に呑まれていく。
痛みに覚醒を促されて、ラーズの意識はまたたく間に現実へと戻ってきていった。
ラーズが目を覚ますと、ベッドの横に立ったリンカが、真剣な顔でラーズを見下ろしていた。
「やっと起きた。あんた寝付きいいんだね。どんだけ叩いたことか」
「叩いた?」
そう言われると、確かに両の頬が痛む。ベッドで夢を見ている間、ずいぶんとひどい目に合わされていたらしかった。
「どうしたんだよ、一体。まだ朝も明けてないぞ」
カーテンの切れ目から見える外の風景は、まだほとんど陽も上っておらず、わずかに薄明かりがこぼれはじめた程度だ。
昨日リンカに寝床として、ラーズの両親が使っていた部屋を提供していたので、彼女がラーズの家にいるのはおかしくはない。しかし、こんな朝早くから起こされるいわれはなかった。
ラーズの気持ちなど知らずに、リンカが苛立ちの顔を見せた。
「さっさと着替えて。外が騒がしいの。ひょっとしたら王家の兵隊が来てるのかも」
「王家の?」
思いがけない言葉に、ラーズの意識が一気に覚醒する。
リンカが部屋の外に出るのと同時に、ラーズは身支度を始めた。近くに置いておいた服に着替え、弓矢とナイフに荷物袋、いつも狩りに使用している装備を身にまとう。
寝室を出ると、リンカが窓をわずかに開け、外の様子を伺っていた。
「ああ、もう。遅かったよ」
リンカからため息交じりの声が出た。
「状況は?」
「やばいよ。もう家の周りに兵隊がぐるり。蟻の這い出る隙間もない、ってやつ」
ラーズはリンカの隣に行き、窓の外を眺めた。普段なら畑の緑と木々がちらほらと見える風景だが、代わりに鎖帷子を着た兵士たちが立ち並び、鈍い銀色でラーズの家を囲もうと迫ってきていた。
遠くには騎兵の影もいくつか見える。規模から見て、兵数は二百は下るまい。一人の狩人を追いかける為としては法外の数だ。
「こんな早くに場所を突き止めるなんてな……」
ラーズは唸るような声で言った。おそらく王都の住人に、人海戦術で片っ端からラーズについての情報を聞いて回ったのだろう。王都には以前からラーズと定期的に取引している商人が何人かいる。ラーズがどこに住んでいるか、話した事のある相手も多かった。
「んー……ラーズ兄、リンカ、どうかしたの?」
声に振り向くと、アーシェラが寝ぼけ眼をこすりながら、リンカと同じ寝室から出てくるところだった。昨夜は話が深まり、アーシェラはリンカと同じ部屋で寝たいと言い出した為だ。
さらには居間のソファから、毛布をどかしながらレオが目を覚ました。レオもアーシェラに何かあった時、または何かしでかした時の為にと、お目付け役として居間で寝ていたのだ。
「あー、頭痛え……」
上体を起こして頭をかきながら、レオは周囲に目を配る。何かが起きている事に気付いたか、眠そうな顔を歪めた。
「どうしたんだよ。外で何かあったのか?」
「レオ。アーシェラも、ちょっと二人共奥の部屋にいてくれ」
「ラーズ! ラーズ・ベルレイ!」
家の外から、鋼のような大音声が届いた。窓の外に目をやると、ちょうど前方に集まっていた兵隊が左右に割れ、そこから巨大な戦馬に乗った、鎧騎士姿の男が出てきた。
鎧をまとった馬は見る者に威圧感を与えるが、馬に乗る男はそれに勝るとも劣らない威容の持ち主だった。巨体を包む鋼の鎧に刻まれた翼の紋章が、王家に属するものであると教えていた。
「バリル王子だ……」
ラーズは少し驚いて言った。まさか王子直々に来るとは思ってもみなかったのだ。
ラーズが天奏の秘術を受け継いだ日に見たものと寸分変わらぬ精悍な顔立ちが、ラーズの家をまっすぐ見据えていた。
「そこにいるのだろう。どうか出てきてほしい! この間はあらぬ誤解から、君を追い立てるような真似をした。だが、今日はそんなつもりはない!」
バリルの声には真摯さがあった。三王子の中では最も民から人気があり、彼の情に厚い逸話はいくつも流れている。彼を信じて外に出て、天奏の秘術について話をする。そうしたら全てが丸く収まるだろうか。
(ひょっとしたら)
甘い希望でしかないかもしれない。自分がそう信じたいだけなのかもしれない。ラーズの頭に、ふとそんな気持ちがよぎった。
王子たちにとって、ラーズは異物であり、存在自体が危険なのだ。それこそ山奥に住む村人一人、殺してしまった方が後腐れもない。
どうしたらいい。ラーズは自問自答した。出れば殺されるかもしれない。だがこのまま出て行かなければ、バリルは兵士に自分を捕らえるよう命じるだろう。
たとえ天地を支配するという秘術を得ても、未来を知る事はできないし、人の心を見抜くことなどできはしない。どういう行動が最善かなど分かりはしない。
未来を決める重大な決断に、ラーズの心は同じ考えをぐるぐると回り続けていく。
「ラーズ」
肩を抱きすくめられて、ラーズは驚きに身を固くした。リンカの花の香りが強く漂った。
「落ち着いて。もしここで捕まって殺されそうになったら、あたしがあんたを助けてあげるよ」
「リンカ」
「言ったでしょ。あたしの家って、結構裕福なんだよ? ソーンまで一緒に逃げればいい。だから今は、前に出るしかないよ。ここは腹を括らなきゃ」
リンカの力強い笑みが、ラーズの震える心を鷲掴みにした。落ち着いて背後を見ると、レオとアーシェラが不安そうにラーズを見ていた。
そうだ。ここでどう行動しても、ラーズには危険がつきまとう。だが少なくとも、ここで家にこもっていれば、皆を危険に晒す事になるのだ。
外からバリルの声がまた聞こえた。
「ラーズ、聞こえるだろう? いないのか?」
「いるよ。これから出る。武器は持たない。だから、殿下と話をさせてほしい!」




