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#06 故郷への道は険しい

 ガレスの地はエルドレス大陸のちょうど中央に位置し、北と南を険しい山脈に囲まれている。

 夏の盛り、王都ガレールの付近に広がる山々は、木々の鮮やかな緑に包まれる。『天奏の秘術』により管理された天候は、毎年変わらず豊かな自然を生み出し、この地に生ける者全てに分け隔てなく自然の恵みを与えるのだ。


 ラーズとリンカの二人もまた、そんな山々の一つに分け入っていた。人が入り込む事もなく、整理されてもいない森の中を、獣道を参考にしながら歩を進めていく。


「ねえ、本当にこっちで合ってるの?」


 ラーズの後方から、リンカが尋ねた。

 ラーズは振り向くと、リンカは手に持った山刀を無造作に振り回し、邪魔な枝を切り裂いていた。


 彼女の持つ刀は、ラーズのそれよりも刃の幅が広く、厚みもある。重量もかなり重たいはずだ。しかし彼女はそれを苦にもせず振り回し、枝を砂糖細工か何かのように切っていく。

 ソーン人はガレス人よりも大柄で筋力が強いと聞いてはいたが、実際目の当たりにすると感嘆せずにいられなかった。

 ラーズも負けじと山刀を動かしつつ、声をかけた。


「方角はこっちで合ってる。もう少し歩いたら、俺の地元の人たちが狩場にしてるところに入るよ。そうすれば村まですぐだ」


 ラーズ達が王都を出てから数日が経っていた。

 リンカとラーズが会ったあの日、二人は雨と闇にまぎれて王都を脱出した。その後、リンカは『転送門』を使ってラーズをソーンまで連れて行こうと考えていたが、ラーズはそれを保留にした。


「一度故郷の村まで戻って、家族に状況を説明してからにしたいんだ」

 ラーズはリンカをそう説得し、リンカとともに村に向かう事となった。


 当然、整備された街道を通った方が村まで安全かつ楽に行く事ができる。しかし天奏の秘術を授かったラーズを捕らえるように王家が伝令を発している事が考えられた為、二人は街道から離れた山道を通る事にしたのだ。


「ならいいけど、あたし疲れたよ。やっぱり『転送門』を使って、ソーンまで飛んだほうがよかったんじゃない?」


 リンカが愚痴る。『転送門』とは大陸中の各地に残る、遠距離の移動を可能とする建造物の事だ。大神アクローが各地に作ったとも、現存する王国より遥か以前の文明の遺したものだとも伝えられているが、詳しい事は分かっていない。

 転送門で移動できる距離や規模は門によって様々だが、門から門まで、一瞬の内に人やものを送り飛ばす事ができる。


「言ったろ。そう簡単にソーンに行くわけにはいかない、って。俺にガレスを捨てろって言ってるようなもんなんだぞ」


 ラーズは少しうんざりしながら言った。

 ラーズとしては、一度ソーンに飛べばもう二度と故郷に戻れなくなるかもしれない、という思いがあった。それに加えて何より、外に出る事でガレス王家とも和解の道がなくなる事が怖かった。


 人との交流も少ない山奥の村に住み、毎日狩りをして暮らすラーズにとって、外の国を旅するのは夢の一つだ。国に対する帰属意識もそれほど強いわけではない。しかしそれでも『国を裏切った男』という烙印を押されかねない行動にすぐ移るほど、彼は無神経でも考え無しでもなかった。


 リンカはしょうがない、と言いたげに軽く息をついた。


「あたしの案に乗ったほうが絶対いいと思うけどな。ガレスの田舎より、あたしの住む町で暮らしたほうが楽しいよ?」

「君と初めて会ってから大して日は経ってないけど、君について一つわかったよ。君はいつも自信たっぷりだ。自分の考えが一番正しいと思ってる」

「だって本当にそうだもん」


 リンカの言葉に思わず苦笑して、ラーズは前を向いた。成長しきった大柄で起伏のある体に比べて、彼女の心はどこか子供っぽい。


(世間知らず、ってやつなのかな)


 ふと頭に言葉が浮かぶ。そういうラーズ自身も、知っている世界といえば故郷の村以外は王都と近くの町が一つ二つ、それと周囲を囲む山々くらいだが。


「そういえば、君の話をまだ聞いてなかったな。リンカの実家ってどんなとこなんだ?」

「あたし? あたしの家はそうだね、まあそれなりのとこだよ。マロウに家を構えてて、お父様は領民の為に毎日大忙し。いつも自分が先頭に立って動いててさ。貴族なのに農民より肌が日焼けしてる、なんて笑い話になるくらい」


 マロウならばラーズも知っている。ソーンのガレスと接している地域であり、いつか金を溜めて旅行ができるようになったら最初に行ってみようと思っていたところだ。


「貴族の娘だったのか。それにしちゃ格好とか、色々とらしくないけど」

「あたしはまあ、他の貴族みたいにお人形やお花で遊ぶより、馬に乗ったり剣で遊ぶ方が好きだったから」


 リンカは照れくさそうに笑った。確かに彼女の体は、毎日のように動かしていなければ作れるものではない。上質で丈夫そうなシャツの上からも、肉感的な体の動きが見て取れた。


「それよりお腹すかない? ご飯にしようよ」

「ご飯つったって、今は保存食と水くらいしかないぞ」

「天奏の秘術で、鳥とか鹿の場所くらいわからない?」

「あのなあ、天奏の秘術をなんだと思ってるんだよ……」


 ぼやきながらもラーズは周囲を確認した。既に村の狩場には入って来ている。いつ獲物と遭遇してもおかしくない。

 周囲を確認していると、風が少し強く吹いた。風の中にかすかに獣の匂いがして、ラーズは気持ちを引き締める。


「いた。北西の方角」

「え? どこどこ?」

「姿は見えないけど、匂いがした。風上にいるよ」

「まさか、本当に分かっちゃったんだ……。あたしの角より敏感じゃん」


 リンカが目を見開いた。ラーズもまさか分かるとは思わなかった。自分でも気づかない内に秘術を使っているらしい。周囲の大気を操る事で、匂いや音について鋭敏になっているようだ。

 ラーズはリンカに顔を向けた。声を立てるなよ、と言う前にリンカは頷いて歩を進めていく。ラーズは苦笑して後をついていった。

 少し進むと、傾斜がなだらかに下り始めた。そして木々の間隔が広くなったところに、それはいた。


 ラーズ達から三十メートルほど先に、焦げ茶の鮮やかな毛皮に包まれた鹿が歩いていた。その歩調は軽やかかつのんびりとしている。まるで葉の切れ目から降り注ぐ日光を浴びながら、水場に向かおうと優雅な散歩をしているように見えた。

 木陰に潜んだままラーズは矢を取り、軽く弓を引いた。運よくこちらは風下で、鹿はこちらに気づいていない。気づかれずに十分狙える。

 姿勢をただし、矢を強く引き絞ろうとしたところで、リンカがラーズの顔の前に手を伸ばして制した。むっとして顔を上げると、リンカが自信ありげに顔をほころばせていた。


「任せてよ」


 小声で言うと、山刀を地面に突き刺し、荷物袋に手を突っ込む。そこから革に包まれたものを取り出す。革を外して出てきたものは、太い木の棒に板のような刃をつけた、無骨な投げ斧だった。

 リンカが軽く息を吸い、全身が緊張に包まれる。そしてそこから大きく振りかぶると、全身を大きく使った豪快なスローイングで、鹿目掛けて振り抜いた。

 風を切り、形が視認できない速度で回転し斧が飛ぶ。鹿が飛来するそれに気づいた時には既に遅く、次の瞬間、斧の刃は鹿の太い首筋に突き刺さった。


「やった!」

「よっし!」


 二人は同時に喜びの声をあげた。悲鳴もあげられずに倒れた鹿に急ぎ近づいていく。

 急所を貫いた斧を抜き取り、リンカは得意満面の顔をラーズに見せた。


「どう? 天奏の秘術はないけど、あたしにはこの角と斧があるってわけ」

「確かにすごいよ。お見事」

「でしょ? もっと褒めてくれていいよ?」


 子供っぽく笑うリンカの顔は、肌の色と角が持つエキゾチックな要素とあいまって、ひどく美しかった。


「それじゃ、こいつをさっそくいただこう。近くに川原がある。そこで食べよう」

「了解。さばくのは任せるからね」


 二人がかりで鹿を川原まで運び、さっそくラーズは鹿の解体を始めた。

 小さく丸い石が並ぶ川べりに鹿を横たえて、ナイフで手際よく皮をはぎ、内蔵を取り出す。分厚いもも肉を切り分けて、串に刺して塩をふる。


 その隣では、リンカが焚き火を起こし、湯を沸かし始めていた。焚き火の周りに串を並べ、手持ちの塩をかけて肉を炙る。その間にも、ラーズは解体を続けていく。すぐに食べないぶんはあとで燻製にし、毛皮はなめす。角は買い手の多い貴重な財産だ。


「リンカは角とか毛皮とかいらないのか? 売れば結構金になるぜ」

「あたしは狩りはするけど、それで商売とかしたことないもん。あんたにあげるよ。その代わりソーンを助けてよね」

「鹿一頭で、ずいぶんでかい取引を言いだすなあ、おい」


 軽口を叩いている内に、肉が焼けた。加えて保存食として持っていたパンに、移動中に摘んだ薬草を入れたハーブティー。やっとありつけた食事に、しばしの間二人は何も語らず、黙々と食事を続けるのだった。


「さっきの斧はすごかった」


 食事を終えて、ラーズは切り出した。


「ソーンじゃみんな斧で狩りをやるのか?」

「そだね。弓も使うけど、獲物が大きいと歯が立たないし。斧で獲物を仕留めて一人前、なんてよく言われるよ」

「こんど教えてくれよ。俺は弓専門だったけど、あれも楽しそうだ」

「いいよ。あたしの国に帰ったらね」


 二人が笑いあった時、森の奥から音が届いてきた。


「やっぱり。誰かがいるよ、兄貴」

「今日村で狩りに出てる奴いたっけ? やべーな」


 少女と少年の二人組の話し声だった。それと同時に、草を踏み分ける音が聞こえてくる。

 やがて森の中から、二人が姿を表した。ラーズと同年代の長身で細身の優男と、それより年下らしい小柄で丸顔の少女。なんとも対照的だ。二人共手に弓矢を持っており、装備から狩りの途中だったと見て取れた。


「レオ。アーシェラ」

「ラーズ? お前なんでここにいるんだ? まだ王都にいるんじゃねーの?」

「それより兄貴、ラーズの一緒にいる人、ひょっとしてソーン人じゃない?」


 困惑しつつも、兄妹はじろじろと遠慮なくリンカを眺めた。想定していなかった状況に、ラーズは眉を寄せた。一度村まで帰り、状況を説明してからリンカに会わせるつもりだったのだが、それもご破算だ。

 悩むラーズに、リンカが声をかけた。


「知り合い?」

「従兄妹だよ。ちょっと口数が多いけど悪い奴らじゃない。悪い奴らじゃないんだけど、嘘がつけないっていうか、秘密を隠せない性質っていうか……」

「なあなあ、ラーズ。いいから紹介してくれよ。この美人のお姉さん一体誰なんだよ」


 長身の兄──レオがにやけ顔でラーズの肩を叩く。妹のアーシェラも近寄り、ラーズとリンカに視線を行き来させながら、


「まさか王都で知り合ってそのまま一目惚れ、とか言うの? うっわ、兄貴より先に春が来ちゃった。どうすんの兄貴」

「う、うるせえな。俺だってちょっと町まで行きゃ入れ食いだっつーの」

「嘘は自分を惨めにするだけだよ、兄貴」


 ぺちゃくちゃと話を進める兄妹に、どうしたものかとラーズはため息をついた。

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