#51 ローアンの戦い
妙な気配に、ラーズは眉をひそめた。巨人兵の足元で一晩を過ごし、ちょうど目を覚ましたところだった。
ローアン平原に、東の空から朝日が差し始めた直後だった。エルドレス大陸は龍の船の中にあるので、星々の動きなど本来は存在しない。この光も龍の船が映し出している幻のようなものなのだが、大陸に住まう全ての命はそんな事を知らず、その恵みを受けている。
ラーズの視線の先、鉄人兵達の向こうには、昨日と同じくガレスの軍がある。その軍勢が一部、太陽の恵みを受けながら、妙に慌ただしい動きを見せていた。
(まさか、本当に戦をやる気か?)
ラーズは舌打ちすると、左の手首にある腕輪にそっと触れた。アイーシャが昨晩、ディー・オーンに帰還する前に、連絡を取る為の道具として渡したものだ。
銀色の腕輪に触れると、軽快な音が鳴った。その直後、ラーズの前方に半透明に光り輝く、アイーシャの姿が現れた。転送門の門同士で通信する技術と同じで、向こうの姿を投影しているのだという話だが、初見だとまるで幽霊か何かのようにも見える。
「おはようございます、ラーズ様」
アイーシャが挨拶をする。早朝だというのに、当然のように昨日と同じ見事に整った姿をしていた。
「アイーシャさん。どうもガレスの軍勢が動き出しているみたいなんです。そちらで確認できますか?」
「はい。ローアン平原の状況は逐一、こちらでも確認しております。ラーズ様の仰るとおり、ガレス軍は開戦の為、陣形を整えている模様です。ですがその数はおよそ三分の一ほど、残りは後方に退く動きを見せています」
「後ろに?」
奇妙な話だった。いまだ近くにいるソーン軍を警戒してと考えられなくもないが、わざわざ後方に下げる理由が分からない。
「ガレス軍の中にも、ディー・オーンの軍勢と戦う気が起きない者がいるのかもしれませんね」
突然、アーレンがアイーシャの隣に投影される。リンカとアーレンには昨日アイーシャと共にディー・オーンに泊まってもらっていたのだ。
「アーレンさん? ずいぶん早く起きてますね」
「規則正しい生活が染み付いてますので。美しい女性と話す機会は一秒でも多い方がいいですし」
ラーズは思わず何か言ってやろうかと思ったが、なんとかこらえた。そんな事で言い争っている場合ではない。
「それより、戦う気がないっていうのは? 鉄巨人のせいですか?」
「それもありますが、ガレスは信心深い者が多いですから。ソーンとは戦えても大神アクローに手を出すなどもってのほか、と考える貴族も多いでしょう」
「なるほど……」
それでもかなりの数だ。三分の一だとしても六千はこちらに向かってくる事になる。
「アイーシャさん、ソーンの方は?」
「こちらは全くやる気を見せておりません。状況に気付いているにしても、ラーズ様とガレス軍の戦いを静観する構えのようです」
「元々ガレスが狙っていたのはソーンではなく、ラーズ殿ですからね。ラーズ殿と大神アクローの軍勢がどれほどの力を持つかを見たいのでしょう」
アイーシャの説明をアーレンが引き継いで解説する。ラーズは腕を組み、少し考えた。
「要するに、俺がエルドレスに対してどの程度の影響力があるか、いい機会だから確認しようとしてるわけですね……」
元々戦争をしたかったわけではない。だが向こうがやろうとしてくるのに、ここで逃げてはアクローの権威が落ちる事も考えられた。
大神アクローとその力は、例え国を相手にしても揺るがない圧倒的な存在だと、ここで示さなくてはならなかった。誰も手を出せない存在だと示さない限り、ラーズとその周囲を狙う動きが消える事はないだろう。
(やってやる)
一度腹を決めると、気持ちは早かった。
「アイーシャさん。俺はガレス軍と戦う事にしました。あんまり殺さないようにはするけど、あいつらを叩きのめしてアクローの力を見せつける。手伝ってくれますか?」
「もちろんです。私達も援護できるよう、戦闘態勢をとります」
「お願いします」
再度腕輪に触れると、アイーシャの姿がかき消えた。
ラーズは左手を伸ばし、頭の中で指令を出した。それに反応して、前方に白い光が現れる。次の瞬間、前方に金色の刃をした槍斧が現れた。
柄を握り、軽く振る。使い方はディー・オーンで学び、リンカと共に指南を受けた。恐らく使う事はないだろうが、持っておくにこしたことはない。
ラーズは槍斧を天に掲げた。朝陽を浴び、刃が煌めく。
「総員、戦闘態勢!」
ラーズの鋭い声に、それまで彫像のように動きを見せなかった鉄人兵と鉄巨人が反応した。
大神の代理人として、ラーズの初陣が始まった。
やめておけばよかった。
この戦に参加して以来、男はずっとそう思っていた。
男はガレス軍に歩兵として参加し、ひたすら前に向かって突撃していた。前方で同僚の兵士達が、敵の鉄人兵になぎ倒されていくのが見える。
恐ろしい戦いだった。普通なら戦は敵と味方の叫び声がこだまするものだ。しかしこの戦場で聞こえてくるのはガレス軍の喚声と、泣きそうな悲鳴ばかりだった。
男は元々、キーストン要塞で番兵として勤め、変化のない日々を過ごしていた。退屈な人生に飽き飽きしていた頃、ハルダーがソーン侵攻の為に各地から兵士を集めだしたのだ。
男は真っ先に志願した。兵士として手柄を立てれば、このくだらない仕事から離れる事ができる。もともと退屈な田舎から離れたくて兵士になったのだ。願ったりかなったりだった。
「なあ、やめた方がいいんじゃないか」
志願する意志を伝えた時、同僚は言った。成り上がりたい一心で二人して兵士になった幼馴染だった。
「ソーンには天奏の秘術の継承者がいるっていうじゃないか。あれの恐ろしさはもう味わっただろう?」
同僚の言葉にも理はあった。ラーズ・ベルレイがキーストンの転送門を使う際に、二人は居合わせた。ラーズが起こした雷が幾重にも降り注ぐ恐怖は、筆舌に尽くしがたいものがあった。
それでも男は戦に出たかった。一度でいい、掴んだ機会に手を伸ばさなければ一生このままだと思ったのだ。同僚を説得し、二人で一緒に遠征に参加した。相手はソーンの人間である。彼らがいくら強くても、天奏の秘術を相手にするよりは気楽なはずだ。
完全な思い違いだった。
相手にするのはソーン人より恐ろしい鉄の兵士だった。彼らが持つ棍が振り回されるたび、兵士が痙攣して倒れていく。
男が夢見ていた戦とは、もっと血沸き肉躍るものではなかったか。これでは一方的な蹂躙だった。処刑人が武器を振るうのを待つような心持ちで、男はそれでも必死に前進した。
不意に、男の前にいた兵が投げ飛ばされた。
男の目の前に、巨大な黒い兵士が姿を現した。自分の二倍近い背をした兵士が、ごつい鎧に身を包み、無感情に男を見下ろしていた。
「ヒッ!」
敵を目の前にして、男の頭にあった考えは全て消え去った。訓練も何もない。持っていた剣をそのまま振り回す。
剣が鉄人兵の胴体に当たると、鈍い音と共に剣が跳ね返った。衝撃に手が痺れ、思わず剣を落としそうになる。まるで鉄の塊を殴ったような感覚だった。
鉄塊が当たった事を気にもせず、鉄人兵は手に持った棍で男を突いた。
無造作な一撃が胸当てに触れた瞬間、男の全身に衝撃が走った。全身に針が突き刺さったような痛みが走り、体が麻痺していく。
最早立っている事もできず、男はその場にくずおれた。
やっぱりやめておけばよかった。
頭にそんな考えがよぎった直後に、男の意識は消えた。
ハルダーを司令官としたガレス軍とラーズ軍の戦いは、綺麗に真正面からぶつかって始まった。
ガレスとしては、歩兵の数的優位を考えて決定した戦い方だった。この戦いで最も危険視すべきは二体の鉄巨人である。何しろ今まで見たことない代物だ。ガレス軍の歴戦の将軍達でも、あれに対処する方法は思いつかなかった。
故にハルダーは、早々に部隊を乱戦に持ち込み、鉄巨人に手を出させない状況を作る事とした。そのまま数に勝るこちらが敵陣を突破し、一気にラーズを討ち取ってしまうのだ。鉄巨人といえど、使えない状況さえ作ってしまえば文字通り無用の長物である。歩兵同士なら勝てると考えての策だった。
しかし、ガレス軍は皆、鉄人兵の強さを読み間違えていた。一人一人が異様な強さを誇っているのである。雨のように矢を射っても、その鎧が全てを跳ね返してしまう。ならばと槍で突撃しても、異様な怪力で槍を掴み、吹き飛ばす。彼らの手に持っている棍で突かれると、兵士は全身を叩かれたような衝撃を受けて昏倒する。
ガレス兵が勝つには、鉄人兵一人に対し五人がかりでしがみつき、鎧の隙間に剣を突き刺さなければならなかった。それでもすぐ全身の動きが止まればいい方で、片腕片足が使えなくなる程度だと、鉄人兵は気にせずに戦い続けた。
ガレスの兵士は恐怖した。鉄人兵は苦痛に対する激情も、戦う相手に向ける憎悪も何もない。感情を見せず、死ぬ事を恐怖せず、殺しても死なず、自分達より遥かに強い兵士。これほど恐ろしい敵はない。後年、ローアンの戦いと呼ばれるこの戦に出た兵士達は「アクローが率いる兵は人間ではなく、泥人形の類だ。そうでなければ幽霊に鎧を着せている」と語った。
事実、鉄人兵は金属を組み上げて作り上げた、からくり仕掛けの兵士たちである。人間を遥かに越えた耐久力と力を持った、一騎当千の兵士たちだった。




