#50 決断
ソーンのマロウ領、ジュガン。そこにあるキギル家の屋敷で、とんでもない騒ぎが起きていた。
当主であるシモンと息子達は皆、ガレス軍を迎え撃つ為に出陣している。屋敷には執事と使用人、そしてシモンの妻だけが残っている状況だ。
そんな中、屋敷の表門から堂々と現れた四人組に、屋敷にいた者達は皆、顎が外れる程に驚いた。
「ただいま!」
リンカはそう一言告げて現れた。更には戦争中だというのに顔を見せたラーズ。加えてウェーブのかかった黒髪が印象的な淑女に、目の覚めるような美形の男を連れている。人種もばらばらで皆特徴的な面子だった。
出迎えた執事が呆然とする中、リンカはラーズを指さして言った。
「彼の事は気にしないで。問題は起こさないし、家にも迷惑をかけない。私が保証するから。話は後でちゃんとするから、まずは美味しいもの食べさせてね」
執事は文句を言う気も起こらず、ただ頷くだけだった。
四人は通された部屋で、並べられた料理を次々と平らげていった。
皆すごい食欲で、料理を運んでくる召使いが驚くほどだ。アイーシャは食べたことのないソーンの味をいたく気に入ったらしく、ラーズが驚くほどの量を食べていった。
「なあ、やっぱり今は来ない方が良かったんじゃないか?」
羊肉の煮物に手をつけながら、ラーズは言った。香草を利かせて肉の臭みを抑えた味付けは、癖はあるが慣れると手が止まらなくなる。さすがは大貴族が抱える料理人の作った一品だ。
ラーズと向かい合って座っているリンカが、少し弱ったように眉を寄せた。
「だって、久しぶりにうちでご飯が食べたかっただもん。あそこを離れても大丈夫だって、ラーズが言ったんだし。ラーズだって食べたいから来たんでしょ?」
「それは……そうだけど」
ディー・オーンの転送技術をもってすれば、ローアン平原からここまでの距離を一瞬で飛び越える事ができる。それに加えて、平原に置いてきた二体の巨人からは常に周囲の情報が送られてきており、何か問題があればすぐに駆けつけられる。だからリンカの頼みを、ラーズも聞く気になったのだ。
御使い達による教育で知識を得たラーズだったが、アクローの遺産とも言うべき兵器や道具の数々は、使っていても驚くばかりだ。
「大体さ、もう戦争は終わり。お父様だって兵を引き揚げる事に同意してくれたし。もう何も起きないでしょ」
ディー・オーンの技術を見せつけ、エフラムの介入をちらつかせる事で停戦にまで持ち込もうとするラーズ達の策は、ひとまず成功したと言ってよかった。ガレスもソーンも、兵の多くはラーズが操る巨人の姿に驚き、戦意を喪失していた。
シモンもリンカの説得に応じ、ガレスとの停戦に応じる姿勢を見せた。ハルダーは一晩考えさせてほしいと返答を保留しているのが心残りだが、このまま話が上手く進めば、誰も傷つかないまま戦を止める事ができそうだった。
「使者としてのお仕事を受けてくれて、ありがとうございます、アーレンさん。ガニエル族長にも感謝していると伝えてください」
ラーズは隣に座るアーレンに言った。ガレスとソーンの戦に介入すると決めた直後に、ラーズ達はエフラムに飛んでトーバンに状況を話したのだ。トーバンは驚いていたが、アイーシャの姿に加えてディー・オーンの技術を見せる事で、ガレスに対して介入の書状を書いてくれる事を許諾してくれた。
「私は歴史に残る一大事を目の当たりにしたのだ。むしろ感謝させてほしいくらいだよ」
と、トーバンはにやりと笑いながら言った。元々キギル家との友好関係もあり、ソーンの敵となるガレスに敵対する事に関して、そこまで抵抗がなかったのも幸いした。
「いえいえ、私もこのような大役を受けられて感謝しております。ただ、喜ぶはまだ早いかもしれませんね」
アーレンは言った。
「ハルダー王子は理に聡い切れ者と聞いておりますが、私が書状をお渡しした際の彼はまさに憤懣やる方ない、と言った感じで。司令官があれほど感情的になっているのでは、まだひと悶着あるかもしれませんね」
「なるほど……」
改めて言われ、ラーズも少し不安になってきた。ラーズと天奏の秘術に対して強い執着を見せているガレス王家が、簡単に折れるとは確かに思えなかった。
「食事が終わったら、一度平原に戻るよ。ガレス軍が何かしてくるかもしれないし、」
「あ、じゃああたしも行くよ」
手を挙げるリンカに、ラーズは複雑な顔を見せた。
「それはいいけど、お母さんに色々説明しなくていいのか?」
何しろラーズ達が塔で生活している間、ソーンではずっと行方不明になっている扱いだったのだ。まともな親なら心配して当然である。
ラーズがリンカを屋敷に送る気になったのは、リンカにこれまでの状況を母親に説明させる為でもあった。事実、帰ってきたリンカを見た時の母の顔は、心配や不安で泣きそうになっていた。
リンカはばつの悪そうな顔をした。
「あー……。うん、戻る前に説明はするよ。ラーズも手伝って」
「俺が?」
「当然でしょ。あたしがこれまでやってきた事は、あんたの為なんだから」
「まあ、そう言われればそうだし、手伝うのは構わないけどさ……」
ラーズが言うと、かすかな笑い声が聞こえた。目をやると、リンカの隣でアイーシャが口元に手を当てて笑っていた。
「あら、ごめんなさい。あなた達を見てというわけではないのだけど。なんだかこうして、皆さんと食事をしていると楽しくて」
アイーシャは言った
「私達はアクローの管理の為に作られた身です。秘術を授ける為に地に降りる以外で、あるのは見知ったディー・オーンの中での交流ばかり。ほとんど変化のない毎日を過ごしていました。それがラーズ様を迎えて以来、大きく変わりました」
「アイーシャさん……」
「いいものですね、未知の経験をするというものは」
ローアン平原に吹く風は、夜になって激しさを増したようだった。
頭上には綺麗な満月があった。煌々と輝く月光が大地を照らしている。そのおかげで、二体の巨人が仁王立ちしている姿がよく見えた。
司令部として建てられたテントの中、ハルダーは一人椅子に座り佇んでいた。
外に出る気にはなれなかった。出ればあの巨人の姿を見ずにいられない。そして巨人と自分を、怯えた目で見比べる兵士たちの顔も見てしまう。
たった二体の巨人と、一通の書状によって、ガレス軍は完全に機能不全に陥っていた。ラーズを大神の代理人としたアクローの御使いと、それに追随するエフラムと教団の為に、ハルダーが立ち上げた大義名分は完全に瓦解してしまったのだ。
部隊を指揮する貴族の中にも、今回の戦をこれ以上続けるのは無理だという声が出ていた。ガレス国民のほとんどはアクロー教徒である。万の軍勢であろうと立ち向かう強兵も、神の権威の前ではあまりに弱々しい。今ハルダーが声を上げても、命令に従ってついてくる兵はおそらく、三分の一にも満たない事だろう。
「おのれ……」
悔しかった。出陣の際に身にまとい、あれほど誇らしく見えた己の鎧姿があまりに滑稽だった。戦い敗れて死ぬならそれでも良かった。だが今、ハルダーはただの一度も戦わず、一人の兵も失う事なく敗れ去ろうとしていた。
最早ソーンと停戦し、王都に帰る以外に道はない。そして帰って待っているものは、民から侮蔑の視線を送られる日々だ。
ハルダーは思わず頭を抱えていた。
テントの入り口から人が入ってくる足音がして、ハルダーは顔を上げた。
「フォイル将軍」
「殿下。ご気分でも?」
実直を絵に描いたような顔が、ハルダーを心配そうに見ていた。
ハルダーは自嘲気味に笑った。
「気分は悪くない、と言えば嘘になるかな。情けないところを見せた。すまない」
「いえ。このような大事を経験した者は、ガレスの歴史でも殿下が初めてでしょう。心中お察しいたします」
今のハルダーには、フォイルの言葉は何よりもありがたかった。
フォイルとはハルダーが王家の一員として暮らすようになって以来の付き合いだが、彼の言葉にはいつも裏がない。自身の為に他者におもねったり、おべっかを使う人間ではなかった。
計算や私心のない言葉を使うので、時には乱暴で、人を怒らせる事も言う。だがそれだけに、後までひきずるような腹立たしさも起きない。そんな男だった。
そんなフォイルが、ハルダーを案ずる言葉を発している。
「ありがとう、フォイル」
ハルダーには珍しく、素直に感謝の言葉を口にできた。
「それで、状況は?」
「あの二体の巨人には、共に動きがございません。一時期ラーズ・ベルレイが姿を消しておりましたが、先程戻ってきたようです」
「兵はどうだ?」
「多くの者が意気消沈しております。ソーンと戦うならばともかく、あの巨人を相手にするのは嫌だと公言する者も現れているようで」
「無理もない」
フォイルが目を丸くした。まるで近寄るものを焼き尽くす炎のようだったハルダーが、妙に落ち着いているのが気になったのだろう。
人は一生の内で、どうしようもないような障害にしばしば直面する。それに対し反発するか、諦めるか。ハルダーは常に前者を選んで来たタイプの人間だ。それが大神という強大な存在を前に、ついに転換する事になったのか。
フォイルがそう考えたのも無理はなかった。しかしハルダーが心中で決断していた事は、少し違っていた。
「将軍。仮に兵の中から戦う気のある者を選ぶとしたら、数はどの程度になると思う?」
「は? そうですな、殿下の近衛部隊は恐らくほとんどが従うでしょう。それに加えて志願者を募り、せいぜいが……」
具体的な数を言いかけて、フォイルの顔が険しくなった。
「殿下、まさか」
「最後に一度だけ、奴に攻撃を仕掛ける。巨人を倒す必要はない。ラーズ・ベルレイさえ倒せば、奴の計画もご破算だ。天奏の秘術も奪い返せるだろう」
「殿下!」
フォイルの目に怒りの色が差した。
「正気とは思えません。おやめください」
「もう決めたことだ」
「自殺行為です」
「私が死んでも、ガレスには兄上達がいる。いや、愚弟が消えた事で兄上達もやりやすくなるだろうよ」
「殿下。それこそ愚か者の考えですぞ」
「いいんだ。後ほど詳細を伝える。少し一人にしてくれ」
そう言うとハルダーは椅子に背を預け、目をつむった。フォイルは何度か声をかけてきたが、ハルダーが反応しない事に諦め、やがて出て行った。
一人になったテントの中で、灯明の火がじりじりと音を立てた。




