#05 三王子
ガレス王城の中にある作戦室の中に、三人の王子が集まっていた。長兄ウェイナー、次兄バリル、末弟ハルダー。皆儀式の時に着ていた華やかな儀礼服を脱ぎ、簡素なシャツに袖を通している。
煉瓦作りの壁に包まれた、天井の低い部屋だった。部屋の半分近くを、中央に置かれた頑丈そうな木の円卓が占めている。それ以外にはなんの飾り気もない。出入り口の反対に位置した壁に、一つだけ窓がつけられている。そこから外で降り続ける激しい雨の音が、室内に入り込んでいた。
円卓に着席している三人は皆、出入り口の前に立った、一人の兵士に視線を向けていた。
部屋の空気は重苦しく、張り詰めていた。うかつに口を開くと、空気が刃となって突き刺さりそうだった。
兵士はこの仕事について以来、初めて上官を恨んでいた。
こんな時に、王子への報告を自分に任せるなんて。王子に顔を覚えてもらえるような任務をくれ、とは言っていたけれど、何も今日じゃなくてもいいじゃないか……。
「それで?」
ウェイナーの声に、兵士は思わず身を竦ませた。何気なく発せられたはずの一言なのに、兵士は王子の発した言葉が石の塊となって、胃の腑に押し込まれたように錯覚した。
「そ、その、対象はまだ見つかっておらず……」
「それは聞いた。落ち着きなさい。我々は現状を聞きたいだけだ」
「はっ! 申し訳ありません!」
気をつけの姿勢で硬直して、兵士はなんとか報告を続けていく。もしその声を聞く者がこの場にいれば、きっと誰もが気の毒に思った事だろう。
「げ、現在も捜索を続けておりますが……その、なにぶん捜索範囲が広く、雨のせいで対象の痕跡を見つけるのも難しい状況でして……」
説明を聞く三王子の瞳は三者三様だが、どれも兵士の言葉を一言一句逃すまいと、真剣そのものだった。
「兵の中には、初めて見た雷に怯える者もいます。……その、先代の国王陛下の頃には、このような大雨が起きたことなどありませんでしたから……」
ガレス王国に住む者にとって、天候とは事前に分かっている、管理された事象でしかなかった。
王都では月に一度、天気の計画表が掲示される。国民はそれを見て、自身の生活の予定を立てる。それがずっと続いてきていた。
雨具を忘れて通り雨に捕まり、ずぶ濡れになる。日照りのせいで川の水位が下がり、川底が見える。そんな日常のちょっとした事件が、異国を旅したガレス人の土産話の定番になるほどだ。
ガレスの民は今、初代国王が天奏の秘術を授かってから実に数百年ぶりに、荒れ狂う天の気まぐれさを初めて経験していた。
「兵士たち総出で、市民が何か見ていないか確認をとっておりますが、あまり芳しい情報は上がっておりません。その、天奏の秘術を受け継いだものを追い立てるような真似をするのは、大神の怒りに触れるのではないかと、回答を渋る者もおりまして……」
「なんだと? 今なんと言った?」
冷徹な声に、兵士が引きつった声を上げた。
椅子から立ち上がったハルダーが兵士を睨みつける。微笑むだけで人を虜にするその美貌も、今は怒りに歪んでいた。
「よくもそんな事が言えたな。大神より祝福された偉大なるガレス王国と、その民を治めてきた我々王家を侮辱しようと言うのか?」
「い、いえ、私が言ったわけでは……」
ハルダーが兵士に詰め寄り、長い人差し指を兵士の胸に突きつける。ガレス人の平均からすれば若干小柄であるハルダーだが、今の兵士からすれば、斧を担いだ食人鬼を目の前にするよりも恐ろしい事だろう。
「よせよ、ハルダー。そんなに怯えさせてやるな」
ため息混じりのバリルの声に、ハルダーの気配がふと和らいだ。兵士に突き立てた指をおろして振り向く。
「しかし、バリル兄上」
「彼を問い詰めてもなんにもならんだろう。怒る相手を間違えるなよ」
「……」
そこまで言われて、ハルダーの顔からやっと、怒りの相が消えた。兵士に向き直ると軽く頭を下げ、
「すまない。状況が状況なだけに、少し気が立っていた。今後も頼む」
「しょ、承知しました!」
ハルダーが再び席につくを待って、ウェイナーが後を引き継いで口を開く。
「引き続き捜索を頼む。状況に変化があり次第、逐次報告に来てくれ。頼む」
「はっ!」
退出する兵士を見送った後、ウェイナーは軽くため息をついてハルダーを見た。
「落ち着け、ハルダー。我々が急いてもどうにもならん」
「しかしウェイナー兄上。この状況で一体、どうやって落ち着けというのです?」
ハルダーが反発するが、その表情はどこかやりづらそうな色が見えた。ハルダー自身も、今の状況を騒いで変える事はできないと分かっている。しかしどうしても、言わずにはいられないでいた。
「ガレスの行く末を決める重要な『継承の儀』を台無しにされ、秘術を奪ったものは未だに逃走中。状況は時が経てば経つほど悪化します。一刻も早く決着をつけねば、この国の未来に関わるのですよ?」
「そうは言うがな、ハルダー。悪化するきっかけを最初に作ったのは、お前じゃなかったか?」
横からバリルが口を挟んだ。ハルダーの顔がまた険しくなるが、バリルは末弟の怒りを軽く笑って受け流した。
「あいつが秘術の核を取り込んだ後、兵士に『殺せ』と命令したのはお前だったろう? あれじゃ逃げたくなってもしょうがない。自分はただ儀式を見てただけなのに、しかも秘術を受け継いだ身なのに、殺されてたまるか、ってなるだろうな。俺だってそうなる」
「ならどうすればよかったというのです、バリル兄上。彼をあの場で壇上に上らせて、次代の王と称えよと? 冗談じゃない。兄上達のどちらかが王になられるというのなら、私だってやぶさかではありません。臣下として喜んでお仕えいたしますよ。しかし奴の格好を覚えているでしょう? 奴はあの場にいあわせただけの、ただの平民ですよ?」
ハルダーが一気にまくしたてた。
天奏の秘術がガレス王家に伝えられたのは、今から三百年前とされている。当時内乱で混乱していた王国内に、大神アクローの使いを名乗る女が現れた。彼女は当時のガレス貴族の一人に秘術の核を授け、
「この国を支配するに相応しい者が、代々この力を受け継ぐように」
と遺して去っていったという。
その後、秘術を授けられた貴族はその力を使って王国領土を統一した。それ以来王家は神の使いの言葉を守り、国王が死ぬ度に継承の儀を民の前で行い、その結果、王家の者が代々その力を受け継いできた。
ガレスにとって天奏の秘術とは超常的な、神秘の力であるというだけではない。それを得た者がこの国の覇者であると、神が認めた証であったのだ。
それが今、天奏の秘術は王家に残る三人の王子ではなく、ラーズを選んだ。
ハルダーの憤懣は当然のものと言えた。
「我々ガレス王家の正当性を示すには、奴の存在はあってはならないものです」
「そうとは限らんじゃないか。ひょっとすると、彼が親父の隠し子という線もあるかもしれんぞ」
「な……!?」
「なんせ俺たちからして、全員母親が違うんだ。親父殿がもう一人くらい手をつけていても、俺は驚かんね」
絶句するハルダーの前で、バリルが愉快そうに笑った。彼らの父親である先代国王アルザーは艶福家で知られていた。若い頃から女性絡みの逸話は数知れない。側室の数も多く、王子が三人しか生まれなかったのは王家の不思議の一つと言われるほどだ。
「まあ、実際にそうだったとしても、いきなり誰も知らん奴を王として迎えるのは難しいしなあ。そこはどうにかせんといかんが」
「いや、そんな事を考えるまでもありません。奴の存在が、我らの国を危険にさらしているのですよ?」
「二人とも、そこまでだ」
加熱しだした二人の議論を、長兄が鋭く断ち切った。
「想像で話を進めてもしかたあるまい。まず事実を基に考えろ。秘術の核は我々以外の者が持っている。そして彼の行方はつかめていない。これだけだ。我々に必要なのは、彼をどう扱うかではない。まず彼をどう探すかだ」
ウェイナーの言葉はいつもよどみなく、理論だてて語られる。その才覚は若い頃から既に有名で、王の存命時から国政にも積極的に参画していた。秘術の継承が存在しなければ、臣下の誰もが次代の王に相応しいと認めるところだろう。
「外見から考えて、彼はガレスの民だ。服装からして、恐らく王都で暮らしている人間ではない。背に荷物を抱えていた。近くの村から商売のついでに儀式を見に来たように思えるな」
「そんなところだろうな。それが正しければ、彼と商売をした人間を探すのが一番の近道かな」
「うむ。当面は引き続き、捜索と聞き込みを続けるしかあるまい。彼が都まで商売に来ていたならば、彼の人となりを知る者がいるかもしれん」
「では都の外での捜索は、俺に任せてくれ。見つかり次第、俺が指揮して兵を出す。できるだけ無傷で連れてきて、後は話し合いで穏便に処遇を決める。それでいいな、兄上?」
自分を指差すバリルに、ウェイナーがうなずいた。国内では無双の武勇を誇るバリルは兵士からの信頼も厚い。兵を動かすなら最適の人選だ。
その後、今後の政務についての方針を決めると、ウェイナーは椅子に背を預け、苦い顔をした。
「なんにしても、天奏の秘術については、できるだけ早く片付けたい事だな」
弟たちも同意する。儀式が中途半端に終わってしまった以上、王座は空位のままである。ラーズを見つけない限り、ガレスという国は様々な制約を課せられる事になるのだ。
室内に沈黙が漂った。
ふと、何かに気づいたように、ウェイナーが顔を上げた。
立ち上がって背後にある窓に近づき、窓を開けて外を眺めた。
先程まで滝のごとく天から降り注いでいた雨は、いつの間にか嘘のように止んでいた。黒く覆っていた雲も消え去り、空には星星と月光が輝き、大地を照らしていた。
天奏の秘術を受け継いだ逃亡者が降らせていた、大雨が止んだ。その理由は一つしかなかった。
「……どうやら、彼は王都を脱出したようだな」




