#47 直前に起きた異変
風が強く吹いていた。
西から吹く風は比較的乾燥していて、肌に心地よい。朝からずっと強いままの日差しに苦しむ兵たちを、天が少しは楽にしてやろうとしているようだった。
陽が東から上り、やがて頂点に達しようという時刻。ガレスとソーンの国境付近に位置するローアン平原で、両軍は睨み合っていた。互いに陣を整え、今にも相手とぶつかろうとしている。
ソーン軍のやや後方、シモンは陣形が整うのを待っていた。馬上で鎧に身を包んだ姿は貫禄十分、まさに歴戦の強者の佇まいである。
風がひときわ強く吹いた。隊列の間をすり抜けて、一陣の風がシモンの頬をくすぐる。
「ちっ……」
妙にむずがゆくて、シモンは舌打ちをした。久しぶりの戦の為に、自分でも気づかない内に緊張しているのかもしれない。
前方にはガレス軍が、いくつかの部隊に分かれて展開している。総勢二万を超える大軍は壮大な眺めだ。それに対し、こちらは一万三千。兵力ではかなりの不利だった。
ソーンの得意分野である騎兵を活かせる地の利と、将の差がどれほど有利に働くか。勝つという自信はあるからこその出陣だが、それでもどう転ぶか分からないのが戦というものだ。
視界の隅で動くものが気になって、シモンはそちらを向いた。近くに立っていた顔見知りの兵が、不安そうに肩を動かしたり、体を揺すったりしていた。
シモンは苦笑すると、馬の歩を速めて兵の近くに移動した。
「メント」
馬上から声をかけると、兵は弾かれたように顔を向けた。メントの若々しい顔が酷く強張っていた。
「はい! なんでしょうか!」
「落ち着け。お前が娘の為に、化物を相手にした時の事を思い出せ。ガレスの兵がどれだけ強かろうが、あいつよりは弱い」
「はい! だい、大丈夫です!」
鼻息荒く答えるメントに、シモンは薄く笑みを浮かべてうなずいた。元いた場所に戻る途中で、周囲の兵がざわつくのが聞こえた。
お前すごいな、領主様に顔を覚えてもらってるのか。メントと周囲の兵が、そんな会話をしているようだった。
ラーズとリンカの護衛任務を任された兵の中で一人だけ生き残ったメントは、二人を命がけで守った功を評価され、シモンの指揮する部隊に配属されていた。
元の位置に戻り、メント以外の兵もどうなっているか確認しながら、シモンは娘がどうしているか思いをはせた。
ラーズとリンカがエフラムに飛び、神託を得ようとウルザットの塔で姿を消して、既にかなりの日が経っていた。
二人の帰りを今か今かと待ち構えていたシモンだったが、そこに届いた報せは、塔への案内人が蛮魔を名乗る者によって重傷を負わされて発見され、二人は塔に向かったまま行方不明というものだった。
シモンは驚愕し、また絶望した。やはり自分の手元にラーズを置いておくべきだった。しかもかわいい娘まで行方しれずとは。あまりに衝撃的な内容にシモンは我を忘れ、報せを届けてきた者があわや斬り殺されるところだった。
更に続けてこの戦である。ラーズを抱え込んでいたのは事実な上に、当のラーズが手元にいないのだから、ろくに交渉すらできない。
国と自分達の未来を考えて行動した結果、酷い状況に追い詰められている。まさに弱り目に祟り目といったところだ。
(まあ、仕方あるまい)
自分の手が届かない事柄を悔やみ、目の前の事実から逃避するのは、シモンの趣味ではなかった。今は戦に集中するのみだ。
シモンは敵陣を睨みつけた。せいぜいこの鬱憤を晴らさせてもらうとしよう。その為に籠城ではなく、暴れ回れる野戦を選んだのだ。
不意に、空が白く光った。
シモンは目を細めた。ちょうどガレス軍とソーン軍の中間に位置するあたり、地上から二十ハイデル(約三十二メートル)程離れた空間に、白い光の球が現れた。
「……なんだ?」
思わずつぶやいた。
シモン以外の者も、光に気付いたようだ。ざわざわと、兵士たちがどよめきだした。
それは初めは爪の先ほどの小さな点に見えたのに、急激に膨れ上がっていった。球体は膨らむにつれて次第に円の形を取っていく。その直径はそこらの貴族の屋敷が入るのではと思う程だ。
その場にいる者全員が何事かと見守る中、やがて光の円から巨大な影が姿を現し、地に降りようとし始めた。
巨大な光は、当然ガレス軍の側でも確認されていた。
「なんだ、あれは……!」
ハルダーは光の円を睨みながら言った。
ちょうど陣容が整い、戦を始めようとした直前での異変だ。将兵は皆出鼻をくじかれ、目の前の光景に目を奪われていた。
光はどんどん膨れ上がり、空に巨大な円を描いている。まるで天に白い穴が空いたようだ。
「フォイル将軍。あなたはあのようなもの、今まで見たことはあるか?」
ハルダーは隣にいた初老の男に訪ねた。ガレスで長年に渡って戦い抜き、堅実だが高く評価される名将である。その経験を買い、今回はハルダーの補佐として出陣していた。しかしそんな彼も、光の円に対しううむ、と唸り、首を横に振った。
「今まで目にしたことも、聞いたこともありませんな。一体何が起きているのか、想像もつきませぬ」
「そうか……」
何が起きるのかも分からないものを無視して、軍を進めて戦を始めるべきではないかもしれない。こんな時バリルならば、どう判断して行動するのだろう。そんな考えがハルダーの脳裏に浮かぶ。
「戦ってのは何が起きるか分からん。人の集まりは時に、理屈で測れん事をやらかす。それが大変で、面白いなところだ」
そんな事を笑いながら言っていた、兄の姿が思い起こせた。
(理で判断のつかないものは嫌いだ)
ハルダーはせわしなく指を動かし、擦った。小柄な体を銀色の鎧で包んだ姿は、若いのに中々見事な風格だ。しかし彼の神経質そうに手足を動かす癖のせいで、見事に台無しになっている。
ハルダーが戸惑い、次の手を考えている間に、光を見上げる兵士たちの間で、どよめきが波のように広がり始めていた。
「なんなんだ、あれは……」
「まさか、アクロー様が奇跡を起こしているのでは……」
「やっぱり天奏の秘術が奪われたせいで、大神がお怒りになられてるんだ」
切れ切れだが、そんな風な言葉がハルダーの耳に届いた。
(天奏の秘術)
ハッとして、ハルダーは光を見上げた。
「まさか、ラーズ・ベルレイがここに来ているのか?」
ハルダーの言葉に、周囲の者が驚きの顔を見せた。
ハルダーの頭が瞬時に推測を立てる。天奏の秘術であれば、こういった謎の自然現象を起こす事も可能かもしれない。ラーズはソーンと手を組み、幻を見せる事によってガレス軍を浮足立たせ、戦況を有利に運ぼうとしているのでは?
「あれは天奏の秘術を使った虚仮脅しに違いない。我らを動揺させて、ソーンの援軍が来るまで時間を稼ぎたいのだ」
ハルダーは断言した。だとしたらこのまま判断を先延ばしにすれば、ソーンを利するだけだ。
「兵を動揺させる為の幻影、というわけか」
「なるほど……。ありえますな」
将軍や副官も同意する。
真実は分からずとも、推測さえ立てば思い切った行動をとりやすいものだ。そういった意味では、ハルダーの推測は役立ったと言えた。ガレス軍が行動する為の推測は立った。後は行動あるのみ。
「進軍を開始……」
せよ、と言おうとしたところで、兵が大きくどよめいた。
ハルダーは顔を上げた。光の円に変化が現れていた。
光の円から、黒い麦の粒のような形をしたものが無数に姿を見せた。人一人が入れる程の大きさをしたそれは地面へと落下していき、地面に突き刺さるように落ちる。するとそれの表面にいくつも切れ目が入る。
不意に粒の表面が切れ目ごとに分かれて広がると、中から長い手足の生えたものが現れて立ち上がった。あっという間に、天から降ってきた黒い粒は、全身を鎧で包んだ一・四ハイデル(約二・二メートル)程の人型に姿を変えた。
「なんだ!?」
ハルダーが困惑している間にも、粒はどんどん地面に落下していく。それぞれが鎧姿へと姿を変え、平原の中央が謎の兵隊で黒く染まっていく。
やがて天から粒が落ちなくなった頃には、黒い兵士達は二千程の大軍となっていた。中央に大きく穴を空けて二つの方陣を組み、ガレスとソーン、両軍を警戒する形を取る。一糸乱れぬ見事な隊列だった。
「フォイル、あれは何だ? どこの軍だ!?」
「分かりませぬ。今まで見た事もない連中で……」
慌てる二人を尻目に、天に輝く光円から、さらに巨大な影が姿を現していた。
先ほどの粒とは大きさも形も全く異なっていた。光に拘束されているのかと思うほど、焦らすようにゆっくりと姿を見せていく。光を潜り抜け、足が、胴が見えてくる。やがてその全貌が明らかになった。
その二体は全身を鋼鉄の鎧で包んだ、巨人のような姿をしていた。一体は太い手足と胴体をして、まるで御伽話の食人鬼のようだ。もう一体は長い尾と首が特徴的で、蜥蜴や龍の類と人が組み合わさったようにも見える。
不意に光が消えると、巨人達は自身を掴んでいた見えない手が消えたように、重力の影響を受けて地面に落下する。黒い兵士達が作った方陣の中間に落下し、膝を曲げて衝撃を吸収しながら着地すると、地震が起きたように大地が揺れた。
ガレスの兵から悲鳴のような声が上がった。
二体の巨人は立ち上がると互いの背中を合わせるようにして立ち、ガレスとソーン、両軍を睥睨した。




