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#46 バリルの苦悩

 窓の外で、雨が激しく降っている。昼間であれば青々として鮮やかな草原に、太い雨粒が叩きつけられるように落ちているのが見える事だろう。


 ガレス王国の北端にあるアーバンク要塞。ガレスと隣接する国、ニグートに対する最前線に位置する城塞である。

 夜もふけて、既に外は暗闇の中だ。部屋の中にある松明だけでは、外の様子など伺うことすら難しい。

 だがバリルは、窓枠に手をかけた無防備な姿勢で、外をずっと眺めていた。その方角には、彼ら兄弟の故郷であるガレールがある。


「ハルダー……」


 苦々しげに、バリルはつぶやいた。部屋には一人きり、彼を情けないと叱咤する者も、お労しいと慰める者もいない。

 今頃あの弟は、ソーンへの進軍をどの程度進めている事だろうか。


 ハルダーの発したソーンへの宣戦布告を知った時、バリルの怒りは相当なものだった。周囲の視線も気にせずに怒号を吐き出す姿を、兵士たちはこの時初めて見た。

 バリルはラーズを逃して以降、ニグートとの戦の指揮を取る為、長い間王都ガレールを留守にしていた。ウェイナーとハルダーの仕事に口を挟むより、戦に出たほうが己を役立てる事ができると思ったからだ。


 しかしその結果、ハルダーがバリルを無視して残った軍を動かした。ウェイナーは病に倒れたという話だが、果たしてどこまでが真実なのかは分からない。

 国の頂点に立つ人物が不在となっている、現在のガレスの問題点が出たと言えた。


 バリルとしては一刻も早くハルダーの下に向かいたかったが、そうもいかなかった。ニグートはバリルが消えれば、混乱するガレスに対して本格的な侵攻を開始するだろう。ニグートとの和議を結びたかったが、向こうとしても降って湧いた絶好の機会だ。足元を見られるのは間違いない。

 そもそもバリルが今ハルダーに会いに行ったとしても、彼を止められるかは分からなかった。既にハルダーはウェイナーを無視して行動している。バリルの説得にも従うかは分からない。


 バリルの動き次第では、ガレスを二つに割ることになりかねなかった。


「あいつめ、何故俺達に相談せん……!」


 苛立ちを言葉にしても、腹の奥に淀んで固まった気持ちは吐き出されはしなかった。

 別に俺は王になんかなれなくたって構わない。優秀な弟が継ぎたいというなら、好きにさせたものを……。


 またため息をつく。ふと、現状を引き起こした原因となった人物が思い出された。

 ラーズ・ベルレイ。果たして彼は今どこにいて、この状況をどうする事を望んでいるのだろうか。ソーンとの戦を止める事ができるのは、当事者である彼だけなのに。

 外の雨は止む気配を見せなかった。


 突然、バリルの背後で強い光が産まれた。驚いて窓から目を離して振り向くと、部屋の中央で楕円形の光球が輝いていた。

 人一人が中に入れるほどの大きさをしたそれは、松明の発する光とは全く違う白い光を発していた。


「なんだ!?」


 思わずバリルは口走っていた。見たこともない不可思議な光景に面食らいつつ、思わず腰の剣に手をかける。

 私室の扉は固く閉じられており、石造りの壁にある窓はバリルが外を見ていた一つだけだ。バリルに気づかれず、部屋に侵入する事はできない。


 ではこれは何かの魔術の類か、そう考えた時に、バリルは気付いた。これと同じ光を見たことがある。転送門を用いて人が移動する際に、門が発する光と同じだった。

 やがて光が消えた時、そこには一人、今会いたかった人間の姿があった。


「ラーズ・ベルレイ……」

 バリルは茫然としながら、その男の名を呟いた。




「ご無礼をお許しください、殿下」


 ラーズはバリルの動きに注意しながら、頭を下げた。一国の王子の部屋に無理矢理訪問したのだ。下手をすれば問答無用で斬り捨てられかねない。

 幸いな事に、バリルは動こうとしなかった。目の前の現象をどう判断すればいいのか、分からなかったのかもしれない。


「お前、あの、ラーズか……?」


 少し間を空けて、バリルはやっとそう言った。


「はい。殿下」

「今の光は? 転送門の発する光に似ていたが」


「アクローの御使いより、お力をお借りしました。ディー・オーンからはエルドレスのどこへでも転送する事が可能なんです」

「なに?」


 バリルが素っ頓狂な声を出した。


「ディー・オーン? つまり、お前は大神アクローの住まう地にいるのか」

「まあ、そうです。詳細を話すと長くなるので、別の機会に。私がここに来たのは、今、ガレスとソーンで起きようとしている戦争を止める為です」


 ラーズの言葉に、バリルの表情が一変した。混乱と戸惑いをあっさりと捨て、緊張と集中を取り戻す。

 狩人が獲物を見つければ臨戦態勢に入るように、戦の話となればあっさりと我を取り戻すのが名将というものなのか。

 ラーズは心中で感心した。


「兵から報告は受けている。うちの愚弟が王都から軍を動かした、とな。天奏の秘術の奪還と言えば聞こえはいいが、後先を考えん無茶な振る舞いだ」

「俺は確かに一度ソーンで保護されましたが、今は離れて別の地にいます。どれだけソーンを攻めたって得るものは何もない。やるだけ無駄な戦です。俺はどうにかして戦を止めたいと思っています」


「君はそれを言う為にここに来たのか。俺に戦を止めろと?」


 バリルは言った。


「気持ちは分かる。俺だって無駄な戦は嫌いだ。だが俺はここから動けん。ニグートは頻繁にちょっかいをかけてくるし、無理に俺がハルダーを止めようとすれば、最悪の場合、国が割れる」

「分かっています。だから俺が止めます」


 バリルは驚いたようにラーズを見た。


「君が? 確かに君は今回の戦の原因と言っていいが、ここまで来て君が両国に働きかけても、戦が始まる前に話が上手くまとまるとは思えんぞ」


 いくら天奏の秘術の継承者でも、戦を止められるとは到底思えない。リンカ達と話していた時、ラーズも思った事だ。

 だが今は違う。


「俺は天奏の秘術の継承者として動くんじゃありません。大神の代理人として、二国間の戦を調停したいと考えています」

「なに!?」


 目が点になったバリルに、ラーズは続けて口を開く。


「それを行う前に、あなたにお会いして話をすべきだと思ったんです。俺はできるだけ、誰も傷つかないように戦を止めるつもりです。ですがそれでもハルダー王子が止まらないなら、どうなるかわかりません」

「まさか……」


 何も知らずに聞けば、誇大妄想も甚だしい放言だ。だがラーズの真剣な表情にバリルも一笑にふせないものを感じているようだった。


「君は、ディー・オーンから来た、と言ったな。それはつまり、君は大神アクローから神託を得たのか」

「それ以上のものを」


 バリルは顔を歪めて沈黙した。外の雨音がやけに激しく聞こえた。


「……俺はハルダーの兄だ。弟を思う気持ちは誰にも負けんと自負している」


 悲痛な顔を見せながら、バリルは口を開いた。


「だが、それ以上に俺はガレス王家の一員だ。兵と民に無駄な血を流させようとしている弟は、止めなくてはならん」

「俺だってそうです。今でも俺はガレスの民です。そしてソーンも好きだ。だから俺はこの戦を止めたいんです。ガレスにもソーンにも、無駄な血を流してほしくないんです」

「……もしハルダーが止まらなかったら、頼む。お前にできる事をやってくれ」


 その言葉を忘れないように、ラーズは強くうなずいた。

「全力を尽くします」


 ラーズはディー・オーンに向けて軽く念じた。こちらからの指示を伝える、アイーシャ達の教育で得た秘術の一つだ。

 それに反応して、転送の光がラーズを包む。まぶしそうにバリルが顔の前に手をかざした。

 やがて転送が完了し、ラーズの姿が光と共に消え去った後には、部屋にはバリルがただ一人残った。


 バリルは目の前で起きた出来事を思い出して、大きくため息をついた。

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