#44 母の想いは……
ラーズはゆっくりと歩きながら、部屋に置かれた巨大な彫刻を眺めていた。
初めてこのディー・オーンに来た時に通った部屋だ。あの時は目の前の光景に呑まれ、ろくに鑑賞することもできなかった。
彫刻はどれも見事な出来だ。仁王立ちをした、昆虫のような複眼をした寸胴の巨漢。爬虫類のような顔をした、鎧甲冑を着込んだ戦士。その隣では首の長い凶鳥が蝙蝠のような巨大な翼を広げている。一つとして同じ生物はなく、人、鳥、獣、様々な種族を組み合わせたような形をしていた。
これらはすべて大神アクローが使役する巨獣を描いたものなのだと、アイーシャは言っていた。どれも天地を砕く程の力を持ち、一騎で万の軍勢を退けるという。
「あなた様にはこれらすべてを扱う権利がございます。必要ならばいつでもお申し付けください」
そうは言われたが、ラーズにはこれを使う時が来ることなど想像できなかった。鹿や熊を狩るなら弓矢一つで十分だ。今の所、国を相手に喧嘩する度胸も予定もない。
ラーズは部屋を出て、炎のような彫刻が置かれた部屋に入った。ここがいわばディー・オーンの玄関だ。外からの客人は必ず先程の彫刻の間を抜けてここを通り、他の施設に向かう事になる。
炎の彫刻の前で、ラーズは座り込んだ。視線を上に向け、炎の登る先に目を向ける。果たしてこの炎はどこまで吹き上がり作られているのか。見ているだけで吸い込まれていきそうだった。
気配を感じ、ラーズはそちらに意識を向けた。背後から足音が聞こえて、誰が来たのか大体わかった。
「ラーズ様」
ラーズの背後に立ち、アイーシャが声をかけた。ラーズは少し背を反らし、逆さにアイーシャの心配そうな顔を見た。
「そのようなところで、どうかなさいましたか?」
顔だけではない。声の調子も抑揚も、全てが母と同じだった。
「アイーシャさん」
「さん、はおやめください。あなた様は我らの主。気を使うことなどありません」
「……ならそっちこそ、変に敬語を使うのをやめてくれよ。何度も言ってるだろ。母さんの顔でそんな風に言われたら、変な気分だ」
「あなた様がそのようにお思いでしたら、分かりました」
ラーズは嘆息した。果たしてアイーシャはどこまで分かっているのか。このやり取りは初めて会った時からずっと繰り返している。
ラーズ達がウルザットの塔からディー・オーンに来てから数日が経っていた。
アイーシャから大神の後継について話を聞いた後、ラーズ達はエルドレスの地に戻らずに日々を過ごしていた。
これはラーズが、天奏の秘術の継承者として認定されるにとどまらなかった事が大きかった。大神の後継と名指しされた事で、アイーシャを始めとする御使いはラーズをもてなし、ディー・オーンに関する知識を授けようとしたのである。
ラーズとしては戸惑うばかりだった。世界の秘密をこれでもかと教えられた後、自分達の主になれと言われて、はいそうですかと答えられる程には図太くない。
だがディー・オーンにいれば、ガレス王家や蛮魔から狙われる事がないのは魅力だったし、何より母と同じ顔と声で、感涙にむせびながら頼まれると、きっぱりと断るのも気が引けた。
幸いにもアイーシャはラーズが自分から後継者になろうとするのを待つ、と判断の保留を許してくれた。結果、エルドレスでのラーズの状況を改善する案が思いつくまでの間、ラーズはアイーシャ達アクローの御使い達の下、リンカ達と共にディー・オーンで暮らす事とした。
割り当てられた部屋で寝泊まりし、昼間は周囲を探索したりしているが、ここはどこに行っても奇妙なものばかりだった。
部屋を開ければ鎧甲冑に身を包んだもの言わぬ兵士が無数に並べられていたり、窓のない巨大な船のようなものが置かれていたり。見たこともない金属の塊や装置が複雑に絡み合う部屋を、凹凸のない人形が動いて掃除している事もあった。
エルドレスより遥かに発展した文明の大量に見せられ、ラーズ達は皆興奮を通り越して混乱するほどだった。見ていて飽きないのは事実だが、ずっと見ていると脳内での情報処理が追い付かなくなる。
ラーズにとって、ディー・オーンでの生活は興奮と驚愕に満ちた最高の毎日だ。だがここでの生活をずっと続けるわけにもいかなかった。
アイーシャ達の望む『大神の後継』とは、どういった存在になる事なのか。いつしかそんな事を考えながら、アクローが遺したものを見て回るのが日課となっていた。
(あるいは、母さんの……)
考えたくなかった事が頭に浮かび、ラーズは頭を軽く振って思考を切り替えた。
「なにか、嫌な事でもございましたか?」
アイーシャの言葉からは、ラーズを心配する気持ちが伝わってくる。目を閉じれば、母と全く区別がつかないほどだ。
だがそれだけに、ラーズの心に引っかかるものがあった。
「……別に。ただ母さんのことを考えてただけだよ」
ここに来て数日、ラーズはアイーシャを始めとした、いわゆる「アクローの御使い」の女たちにもてなされて生活していた。
朝起きて母と同じ顔をした女性に食事を提供され、外を歩いていると母と同じ顔の女とすれ違い、同じ声で挨拶される。だが交わされる挨拶は主人と従者のそれだ。
「俺はさ。俺がなんで天奏の秘術を授かったのか、理由を知りたかった。それでここまで来て、そうしたら母さんが大神と関係のある人間だってわかった」
「……」
「みんな、俺を大神の後継だ、ご主人様だって言ってる。そしたらなんか、変な事を考えちゃってさ。母さんが俺を産んで、育ててくれたのは、ひょっとして俺を、そういう存在にしたかったからなんじゃないかって」
大切な人が自分に向けてくれていた愛情に、裏があったのではと疑うのは辛い事だ。声の調子が弱く、悲しげになっているのが、言っているラーズ自身にもわかった。
「俺の事、母さんはどう思って育ててたのかなって。一度そう考えちゃうと、なんていうのかな。俺と母さんの関係が、すごい馬鹿馬鹿しい、安っぽいものに思えちゃってさ。この状況を、どう受け取ったらいいのか、分からないんだよ」
沈黙があたりを包んだ。
やがて衣擦れの音がして、隣に暖かいものが感じられた。アイーシャが膝をつき、ラーズの隣に座り込んでいた。
「アルーシャは私の前に生まれた、血縁関係としては姉の位置にあたる存在です。歳も近かったし、アルーシャの考えは分かるつもりです」
アイーシャは言った。
「私達はこれまで、十数年ごとに一人が大地に降り立ち、人々に秘術を授けて回ってきました。秘術を授かった人たちが成長し、我々を超える存在が生まれることを夢見て。皆役目を終えればディー・オーンに帰還し、ここでの仕事に戻るのです。ですが二十年程前、アルーシャだけは役目を終えても帰ってきませんでした」
ラーズはアイーシャの顔を見た。過去に思いをはせる彼女の目は、酷く寂しげだった。
「私達は彼女を探しましたが、結局発見できぬまま捜索は打ち切られました。獣にでも襲われたか、病に倒れたか。そう結論づけられたのです。ですがアルーシャは生きていた。愛する人と出会い、生まれた貴方を愛する為に故郷を捨てたのです」
「それは……」
「あなたが将来秘術を授かり、我らの主となる事を、姉が考えた事がないと言えば、おそらく嘘になるでしょう。ですが、あなたを大事に思わない日は一度もなかったはずです」
「アイーシャさん……」
「アルーシャが羨ましい。例え人生は短くとも、私達が過ごせなかった濃密な時を、あなたと過ごしたのだから」
アイーシャの手が伸び、ラーズの首に触れた。そのままラーズを胸元に引き寄せると、ラーズを抱きしめる。
いい香りがした。暖かく、穏やかな気持ちになれる感覚だった。久しく忘れていたものを思い出し、ラーズの視界がわずかににじんだ。
「私達はアルーシャと同じ体を持ち、同じ心を持つものです。彼女が愛したものを、私達も生涯愛します。ですからどうか、あなたも私達を導いてくださいね」
「……うん」
「ラーズー? ちょっとラーズ、大変なんだけど、どこに……」
リンカの声が途中で止まり、ラーズはアイーシャから離れて声の方を向いた。
左にある通路の出入り口付近で、リンカが見てはいけないものを見たような顔を作っていた。
「な、ちょ、なに、何してんだよ!」
声を詰まらせ、全身をわなわなと震わせながら、リンカが何とか言葉を口にした。
「い、いや。別に変な事をしてたわけじゃないよ。ちょっとアイーシャに話を聞いてもらってただけで」
「え、ほ……本当に?」
「ええ、私達がラーズ様をどれほど大切に思っているか、お伝えしただけです」
リンカと対照的に、アイーシャは涼しい顔で答えた。リンカは二人の顔を交互に見やると、小走りで二人に近づいた。ラーズを両手で掴み、引っこ抜くように立ち上がらせるとそのまま引っ張って部屋の隅に連れて行く。
「おい、なんだよ」
「いい、ラーズ?」
リンカは顔を近づけ、ラーズにだけ聞こえるように声をひそめて言った。
「いくら美人だからって、その……アイーシャさんに手を出そうとか、そういう事考えないようにね。あの人はアクロー様の御使いなわけだし、その……ラーズの叔母さんにあたるんでしょ?」
「そんな事しないよ……」
いくらなんでも発想が過激すぎだ、と続けようかと思ったが、先ほどのリンカが言っていた事が気になり言葉を止める。
「それよりリンカ、さっきなんか大変な事が起きてるって言ってなかったか? どうしたんだよ」
「ああ! そうそう、そうだよ!」
言われて思い出したらしく、リンカも声を荒げた。
「こんな事やってる場合じゃないんだ! ガレスがソーンに戦争を仕掛けてきてるんだよ!」




