#39 塔、目の前にして
ラーズ達は皆口を聞かず、ひたすらに山を登っていた。
周囲の山ももはや見下ろすだけとなっている。耳に届いてくるのは黙々と歩く、皆の靴音と息遣いだけだった。
戦っているアーレンがどうなったか、ダゴナスがどうなったのか、気にならない者はいない。しかしそんなことを話している間に、ダゴナスがあの魔獣の姿で追いつくのではないか。そう思うと誰もが来やすく口を開く気になれずにいた。
「もう少しだ、きっと」
ラーズは言葉少なに、皆を鼓舞するように言った。むき出しになった岩盤が林のように突き出た場所を避けながら歩いたり、見上げるほどに高い崖の下を迂回して歩く。険しい道だが、かつての巡礼者達が通った道があるおかげで、どう進めばいいか迷わないのはありがたかった。
やがて、ラーズ達の目の前で崖が途切れ、山頂に向かう曲がり角が見えてきた。急ぎ足で道を曲がる。
曲がった先に、これまでとは打って変わった開けて平坦な道が広がっていた。巨大な刃物で削り取ったようになめらかな斜面が頂上へ向かって続いており、一面は根雪によって白く染まっていた。
そしてその先に、ラーズ達の目指す塔の入口が見えていた。
「やった……!」
思わずラーズは会心の笑みを浮かべた。ついに目的地を目の当たりにした喜びが、これまでの疲れを忘れさせる。
「アーシェラ、どうした?」
レオの慌てた声が聞こえて、ラーズは振り向いた。後方でアーシェラがレオに体を預け、荒い息を繰り返していた。
「だ、大丈夫だよ、兄貴……。ちょっと気分が悪くなっただけだから……」
「顔色が悪いぞ。本当に大丈夫か?」
しっかり立たせようとするレオを、リンカが手を伸ばして制する。かがんでアーシェラの顔色を確認し、
「たぶん、高山病だよ。あんまり動かさないほうがいい」
既に頂上近くまで来ており、空気はかなり薄くなっている。本来ならば途中で休憩をとり、時間をかけてここまで歩いてくる為、高山病にかかる事はそうそうない。だがダゴナスに追われて急ぎ足で進んできた為に、体力が最も低いアーシェラの心肺機能が薄い空気に耐えられなかったのだ。
気づけばアーシェラだけではなく、皆かなり息が荒くなっていた。塔までわずかの距離だが、塔が見えた喜びで急いでいたならば、全員アーシェラ同様に高山病で苦しんでいた事だろう。
「一緒にこれ以上登らせるのは危険だよ。アーシェラちゃんは下山させたほうがいい」
「つってもよ、下にはあのバケモンがいるんだぜ。下りてる最中に鉢合わせなんてなったら、それこそ助からねえよ」
レオは妹の肩に手をかけながら、泣きそうな顔で言った。
「でも他に方法がないよ。高山病はかかったら下に降りるまで治らないって、アーレンさんも言ってたじゃん」
「いや、ここまで来たんだ。俺がおぶって塔に連れて行ってやる。塔の中なら大神様がどうにかしてくれるはずだぜ」
「それこそレオも一緒に倒れるだけだって。大体塔の中なら大丈夫なんて保証はないんだし……」
リンカの言葉は不意に途切れた。険しい顔を作り、首を振って周囲に目を配りだす。どうした、と声をかける寸前、ぞっとするような気配がラーズの五感を刺激した。
跳ねるような勢いで顔を上げた。先ほどラーズ達が通ってきた道の後方十ハイデル(約十六メートル)ほど先に、あの魔獣が姿を見せていた。
殺意によって鈍く光る瞳の色が、遠くからでもはっきりと見えた。
「みんな、下がって!」
言うと同時に、リンカが手斧を投げつけた。見事なフォームで放たれた斧は目で負うのも困難な速度で回転しつつ、ダゴナスの首筋へとまっすぐ飛んでいく。
突き刺さる直前に、ダゴナスの手が翻った。獣毛に覆われた太い手が顔の前に動くと、斧は吸い込まれるように手に収まり、動きを止めた。
回転する斧の柄を見事につかみ、獣も一撃で仕留める威力を完全に殺している。
だがラーズにもそれは想定内だ。既に秘術を使う準備はできていた。
ラーズ達の頭上に、幼児が入る程の大きさの、輝く光球が生じていた。リンカが斧を投げるとほぼ同時に生み出していた雷の球は、もう抑えきれないとばかりにバチバチと音を立てる。
「行け!」
声と同時に、引き絞っていた意識の矢をダゴナスに向けて放つ。雷球はそれを追うようにダゴナスに向かって飛んだ。
ヴィジャも一撃で焼き殺した雷だ。例え獣の反射神経と速度を持っていてもこれをかわすことはできない。
雷球が物体にぶつかり、一気に弾けた。轟音と熱と光が周囲に一斉に広がる。
全員思い思いの方法で目をふさぎ、光を防ぐ。
「おわ!」
「きゃん!」
悲鳴のような叫びが、わずかにラーズの耳に入った。
やがて光と熱が消え去り、ラーズは顔を向けた。数多の巡礼者によって整備された山道は見事に破壊され、あとにはぞっとするような焼け焦げの跡が残っていた。
「やった、のか……?」
レオが茫然とした表情で言った。
周囲は元の静けさを取り戻し、音を立てるものは何もなかった。
「……みんな、これから塔まで走るぞ」
ラーズの言葉に、レオが目を丸くした。
「何言ってんだよ、ラーズ。アーシェラは高山病なんだぞ」
「そこは俺が秘術でどうにかする。さっさとここから逃げないとやばい!」
狩人として生活してきたラーズの第六感が、ここは危険だと伝えていた。陰から獣がこちらを狙っている、危険な気配。狙っているのがこちら側ではなく、向こう側だ。
「走れ!」
ラーズの言葉を引き金に、皆が山頂に向かって駆け出した。
瞬間、巨大な影が岩陰から飛び出してきた。ダゴナスの巨体が猫科の猛獣のような美しい動きで、ラーズ目掛けてまっすぐ飛び掛かる。
横っ飛びに跳んだラーズの左肩を爪がかすった。硬い砂利道を転がり、膝立ちで立ちあがる。体中がすりきれる感覚がするが、文句は言っていられなかった。肩の肉が服の裾ごとごっそりとほじくられ、赤い血で染まっていた。




