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#36 魔獣、ダゴナス

 何者にしても、こうしてはいられなかった。エルックは近くにいた兵士の下に駆け寄った。三人ほど集まって軽く談笑しているのは皆、エルックも顔なじみの者たちだ。


「みんな、大変だ」

「おう、どうしたエルック。そんなに慌てて」

「寺院を経由せずに、山を登ろうとしている奴がいる」


 三人は一様に、驚きの顔を返した。そんな人間と遭遇するなど、全員がこれまで仕事をしてきてはじめての経験だった。


「まさか、冗談だろ?」


 三人のうち、最年長の男が言った。しかしエルックが無言で山腹を指さした先を見て、兵士達は顔色を変えた。

 緊急事態であった。影の目的が何にせよ、このまま放置しておく事は許されない。


「ロブハー、お前は上に報告に行け。俺達は先にあの男を捕まえに行く」


 最年長の男が、仲間の一人に指示を出した。エルック達三人は全身に力を込め、龍相の秘術を発動した。

 全身の血が逆流するような感覚と共に、体が変化していく。瞬く間に龍人へと姿を変えた三人は翼をはためかせ、空を舞った。


 上空からだと、男の動きがよく見えた。岩がごろごろと転がり積み重なった場所を、男は器用に手足を動かして進んでいく。時には岩から岩へ飛び移り、時には岩の出っ張りに片手を引っ掛け、勢いよく体を持ち上げる。とてつもない身体能力と平衡感覚がなければこうはいかない。エルック達が龍相の秘術を使っている時でも、同じ事ができるかどうか疑問だった。


 やがて岩が比較的少ない、開けた場所で男は立ち止まった。エルック達の羽ばたき音を聞きつけたか、エルック達を見上げて観察する。

 男を囲むように、エルック達は着地した。三人とも槍を構え、三方から男に向けて突きつける。


 異相の男だった。人より大柄な部類に入るエルックが、見上げるような上背をしている。この辺りではほとんどの者が身につけているマントもなく、薄手の布の服を身にまとっているだけで、岩の塊のような筋肉が服を破らんばかりに主張している。四角い顔に刃物で傷をつけたような細い目が、エルック達を睨めつけていた。


 目があった時、エルックは背が凍りつくのを感じた。人の皮をかぶった魔獣の類いが立っているようだった。

 隣にいたサヴェンという兵士もそれを感じ取ったらしく、手に持った槍を改めてしっかりと握りしめる。


「何者だ!」

「観光と、退屈しのぎの運動だ。と言って、信じてもらえんか」


 男は軽く笑った。目の前の槍も、龍人の姿も気にもとめていないようだった。


「冗談はよせ! 我々アクロー教団の許可なしに、ドーマント山を登るのは許されていないのを知らんのか!」

「知っている。隠していても仕方ないので言うと、許可を得て巡礼をしようとしている者を探していてな。ソーン人の女に率いられた、ガレス人の団体だ」


 誰の事を言っているのか、エルックには見当がついた。今朝アーレンに護衛され、塔へと向かった者たちの事だ。

 ガニエル家からの巡礼許可を頂いた彼らのうち、ソーン人はガニエル家と親交のあるキギル家の関係者で、ガレス人の一人は天奏の秘術を授かった者だと、寺院の者の間で話題になっていたのだ。更にガレス人はガレス王家から命を狙われている、とも。


 その話を聞いた時、エルックは本気にしていなかった。ガレス王家からすれば確かに秘術は重要だろうが、アクロー教団を敵に回してまで彼らを狙おうとするとは、どうしても思えなかったのである。

 兵士の間に緊張が走った。今目の前にいる大男が、噂に上がっていた刺客の一人なのだろうか。


 エルックが男を見つけたのは、ほとんど偶然だった。もしあの時見逃していれば、男はドーマント山の岩陰で監視の態勢を取り、密かに標的を狙っていたのかもしれない。

 男は兵士の顔を眺め、皮肉げに笑った。


「気配が変わった。どうやら本当に、ここにいるらしいな。あるいはもう塔に向かったか」

「帰れ! ここに外の争いを持ち込むことは許さん!」

「それはできんな。ついでに言えば、俺はお前たちを帰す気はない」


 男の言い方に、サヴェンの堪忍袋の緒が切れた。勢いよく突き出された槍の穂先を、男はあっさりと体をひねってかわす。そのまま右腕で槍を掴み、思い切り引っ張った。


「ふん!」


 呼気と同時に、サヴェンの体が舞った。サヴェンの体を槌のように使い、背後にいた龍人に叩きつける。


「ガッ!」

「げっ!」


 石がぶつかるような音を立てて二人が衝突した。そのまま転がる二人に目もくれず、男はエルックに向かう。


「ひっ!」


 悲鳴のような声と共に、エルックは槍を突き出した。訓練の賜物、無我夢中でも槍は男の鳩尾を目掛けて奔る。

 目標を貫いた感覚はなかった。男が左手で槍を弾きながら放った横蹴りが、逆にエルックの腹に突き刺さった。


 丸太のような足による一撃は、同じ太さの鉄槌をぶつけられたような衝撃だった。エルックの体は後方に吹き飛び、岩に激突する。

 激痛が判断力を放棄させようと、全身で暴れまわる。岩にぶつかった際に頭を打ったせいで、視界に星が飛ぶ。無敵の龍人の肉体がたった一撃でここまで痛めつけられるなど、初めての事だった。


 どれほどの時間、我を忘れていただろうか。おそらく十秒にも満たない時間でなんとか痛みに慣れ、戦いに復帰しようと顔を上げた時だった。

 二人の兵士を見下ろす男の背中が見えた。

 二人とも、龍相の秘術は既に解けていた。地に伏し首をあらぬ方向に折り曲げ、虚ろな瞳でエルックを見ていた。


 まさか、と思った。あの短い時間で、二人が命を奪われるなんて。

 男が振り向き、エルックはさらなる異状に気付いた。


 ふいに、エルックは奇妙な音を耳にした。自分の歯の根が噛み合わず、がちがちと鳴らしているのだと気付くまで時間がかかった。龍相の秘術は既に解けていた。

 男だったものが近づいて来る。初めて見た時、人の皮をかぶった魔獣だと感じたのは間違いではなかった。この男は魔獣だ。古代に大神アクローが封じた魔獣が、何かの間違いで蘇ったに違いないと思った。


「一人生きていれば話は聞ける」

 ダゴナスという名の魔獣が口を開いた。


「俺の探している連中は、今どこにいる?」

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