#35 巡礼開始
翌朝、ラーズ達はアーレンと共に、ドーマント山の巡礼路を登り始めた。
麓からから見ていた通りに山肌には草木がほとんど生えておらず、大小様々な岩がゴロゴロと転がっている。それでも何百年と巡礼者が通ってきた為、山にはある程度なだらかで歩きやすい道ができていた。
「皆さんは頂上までまっすぐ歩けば一番楽だと思っているでしょうが、そういう訳ではないのですよ。岩や傾斜のせいで至るところに進みにくい道が存在しますので、まっすぐ進むよりも迂回する方が楽だったりするのです」
アーレンがそう解説しつつ、山道を先導していく。ラーズも山で狩りをして暮らしていた人間だし、自力でやれるという自信はある。だがこんな高山は初めての体験だし、アーレンの方が経験豊かだ。ここは大人しくアーレンに従う事にした。
「ねえアーレンさん、こんなにたくさんの荷物、本当にいるんですか?」
後方からアーシェラが声をかけた。アーシェラの言うとおり、全員が背に大きな荷物袋を担ぎ、袋の中には携帯できる食料や着替え、寝袋に天幕まで入っている。
「頂上までは日帰りで登れる距離なんでしょ?」
「順調にいけば、そうですね。しかし山をなめてはいけません。今はきれいに晴れていますが、昼過ぎには大雨に変わるなんて事も珍しくない。何か事故が起きて山に留まる事になったとき、袋の中の備えが大事になるのです」
「なるほど……」
もっとも、とアーレンはラーズに視線を向けた。
「今回は天奏の秘術の継承者が巡礼しているわけですから、そこまで気にする必要はないかもしれませんね。しかしもしもの備えは必要です」
「はは……ども」
「ラーズ殿は巡礼を受けて、教団から秘術の継承者として認可を得たいのでしたね」
「はい。それに……なんで俺が秘術を授かったのか、大神に直接聞くことができたら、って思って」
継承の儀で天奏の秘術を授かって以来、ずっと頭に浮かんでいた疑問。それを今日、やっと解決できるかもしれない。そう思えば足の疲れも気にならなかった。
「アーレンさんは、ずっと案内人の仕事をしてるんですか?」
「そうですね。私も一応軍人なのですが、出身がこの近くなせいか、よく山の仕事を割り当てられるのです。今は寺院の警備と、巡礼の案内が半々といったところですか」
「大変そうですね……」
ラーズの頭の中で、アーレンの毎日が想像された。通常の兵士としての訓練と警備に加え、巡礼者の護衛も任務としてい入るわけだ。国境沿いのように戦に関する緊張はないだろうが、共に山を登るのは体を酷使する仕事だろう。
「そうでもありませんよ。私はどうも毎日同じ仕事をするのが苦手なタチでして。こうやって案内人を務めている方が楽しいのです」
「へえ」
「それに、警備よりも案内人をする時の方が、今回のように美しい女性に出会う事が多いので」
そう言うと、アーレンは流し目でリンカとアーシェラを眺めた。初見の女性ならば息を呑み、思わず惹かれるような美しい表情だ。しかしリンカは妙なものを見るように、苦々しい表情を作った。
「あの、それ、どう反応すればいいか分からないからやめてください……」
期待した反応が返ってこず、アーレンは軽く肩をすくめた。
「残念です。どうもリンカ様には私の魅力が通じないようで」
「アーレンさん、普段それで本当にモテてるんですか……?」
ついつい、ラーズは胡乱な目をアーレンに向けた。
「もちろん。何なら仕事が終わり次第町に繰り出しましょう。私がどれだけ世の女性に愛されているかお見せします」
自信満々に答えるアーレンに、ラーズはあいまいに笑って前を見た。とりあえず山頂に進むことを優先する。
ちょうど突風が吹いて、思わずラーズは身を竦めた。麓ではあんなに暑かったのに、ここでは肌寒く感じられるほどだ。登る前にアーレンに言われて、風よけのマントを用意していたのは正解だった。
風の吹いてきた方角に顔を向けて、ラーズは感嘆の声を上げた。 空は吸い込まれそうなほどに青く、高い。周辺には緑の山々がドーマント山を王として崇めるように連なっていて、その隙間の平地に、エフラムの町並みがわずかに見えた。
ひときわ大きく輝く太陽の光は鮮やかで、大陸一の山から見る最高の景色を鮮やかに彩っていた。
「綺麗だね」
隣に立っていたリンカが言った。
「ああ。俺、これからどうなるか知らないけれど、これが見れたなら来た甲斐はあったよ」
その男に最初に気付いたのは、衛兵のエルックだった。
ラーズ達一行が朝に塔への巡礼に向かい、静かになった寺院でエルックはちょうど暇を持て余していた。
エルックはアーレンと同じく、エルゼフ寺院の警備を主な仕事にしている兵士の一人である。同僚であるアーレンは登山の知識と技術が豊富なため、巡礼者が来るとその護衛を命じられる事もある。エルックは残念ながらそういった能力はない為、見張りが主な仕事だ。とはいえ、俗世間から離れた僧侶が暮らす寺院で事件などほとんど起きない。寺院の参拝者がたまに騒ぎを起こす程度の退屈な任務である。
(アーレンの奴が羨ましい)
代わり映えのしない景色を眺めながら仕事をしていると、そう思うこともあった。
アーレンは自信過剰で妙に気障なところが見え隠れするが、実力は確かだ。何より巡礼者の中に女性がいると、巡礼から戻ると大体仲良くなっている。恐らく今回もそうなる事だろう、とエルックは考えていた。
その時のエルックは巡回の途中で、寺院の入り口の近くを通っていた。今日は比較的寺院の参拝者の数が少なく、見張りも楽だと思っていた時だった。
土塀に囲まれた広い敷地内には、人もまばらだ。同僚や僧侶以外は、危険性など感じさせない老人ばかり。どうしても緊張感を持てず、手持ち無沙汰になってしまう。
どうしたものかと、エルックは土塀の外に視線を向けた。周囲の山々はドーマント山を守るようにそびえ立ち、青空との絶妙なコントラストを作っている。
ぐるりと顔を向け、ドーマント山の山腹に顔を向けた時だった。
エルゼフ寺院より高所の山肌に乱雑に置かれた、象のように大きな岩と岩の間を通る、奇妙な青い影が見えた。
はじめは見間違いかとも思った。ドーマント山は至るところに岩と崖が存在する急峻な山だ。アクロー教団が整備した、エルゼフ寺院を中継地点とする道以外は獣もほとんど通ろうとしない。
そもそもドーマント山は聖地であり、寺院より上に登るのは許可を取らなければ許されないのだ。
エルックは目を凝らして影を追った。
注意して見ると、やはり間違いではなかった。山肌の色に紛れた格好の為わかりにくいが、岩と岩の間を隠れるように通っている者がいる。それも恐らく、生身の人間だ。
(何者だ!?)
退屈な気分など完全に吹き飛んでいた。
エフラムの兵士のように龍相の秘術をもって空を飛ぶならともかく、手足を使って登る者がこの世にいるなど思いもしなかった。




