#34 ハルダーの選択
既にウェイナーから言い含められていたらしく、兵士達は皆剣を帯びている。しかし王子に手を出さねばならぬ重圧から、皆緊張し、顔がこわばっていた。
ハルダーは立ち上がり、兄に詰め寄った。
「兄上、例え私情が入っていたとしても、私の行動はガレスの未来を慮ってしたことです!」
「なら何故俺達に相談しなかった。俺は兄なんだぞ。お前の兄なんだ」
もう聞きたくないとばかりにウェイナーは目を反らし、手を軽く振った。兵士たちは王子の指示に対し軽く頷くと、もう一人の王子を囲むように歩を進める。
ハルダーは歯を噛み締めた。ウェイナーは有言実行の男だ。言った通りに、ハルダーに対して強制的に「休息」をとらせることだろう。
その結果、ウェイナーは時間をかけ、波風を立てずにラーズを連れ戻す事に成功するかもしれない。そうしたならば秘術奪還の功を讃え、ウェイナーはガレスの次期王位に就く。そしてラーズは天奏の秘術を以て、王に仕える貴族となるだろう。
それは許せなかった。ハルダーが求めるのは、己が認める二人の兄との争いなのだ。
その思いが、ハルダーに口を開かせた。
「ヨグ!」
「はい、殿下」
声と共に部屋が暗黒の瘴気に満ちた感覚を、皆が味わった。
部屋にいた誰もが声のした方を向いた。家具など何もない部屋の隅に、先程までいなかったはずの老人が立っていた。
「な……!?」
ウェイナーが声を失った。ハルダーですら驚きに心臓が飛び出るかと思ったほどだ。
王族らしい豪勢なつくりではあっても、机と椅子、それにベッドがある程度のシンプルな寝室だ。隠れるところなどほとんどないに等しい。だがこの老人は、呼ばれるまで誰にも姿を見られる事なく潜み、現れた。
ウェイナーも兵士たちも、この老人に魔性の気配を感じとった。
「ヨグ。依頼だ。金は払う」
ただ一人、ハルダーが冷静に声を出した。
「この部屋にいる兵士たちと兄上を気絶させろ。絶対に殺すな」
「はい、殿下。お受けいたします」
不敵に言い放ち、ヨグはゆらりと前に出た。散歩のような気楽さで兵士たちに近づいていく。
一番近かった兵士がヨグを取り押さえようと手を伸ばした。
不用意な手付きを責めるように、ヨグが鼻で笑いながら片手を振った。腕を胸の前で軽く回しただけで、兵士の伸ばした手が棍棒で叩かれたような音を立てて弾かれる。
腕に走る痛みに目を白黒させる兵士の顎に、ヨグのもう片方の手が伸びた。軽く触れただけで頭が縦に揺れ、兵士はあっさりと昏倒した。
「貴様ッ!」
残った三人の兵士が我に返り、動き出す前にヨグは跳躍していた。一人が腰に手を伸ばし剣を抜く直前、ヨグの右足が兵士の手首を踏み抑える。剣を抜くのを邪魔された兵士は次の瞬間、顎にヨグの左膝を叩き込まれていた。
倒れる兵士と同時に着地したヨグは勢いそのまま、ハルダーを挟んで立っていた兵士二人のうち、向かって左側に走った。
「けひっ!」
怪鳥のような声をあげ、ヨグが歯をむき出しにして笑う。なんとか剣を抜いていた兵士が横薙ぎに剣を振るった。首筋目掛けて迫る刃を、ヨグは上体をそらしてかわす。
振った剣が戻ってくるよりも速く、ヨグの小柄な体が兵士の胸元まで飛び込んでいた。
胸元に皺だらけの掌が打ち込まれると、兵士は体当たりを食らったように後方に吹き飛んだ。
残った一人の不運は、ヨグと己の間にハルダーがいた事だった。王子を傷つけずにどう剣を振るうか、逡巡している間にヨグが動き、目の前に迫っていた。
まるで煙のようにとらえどころのない動きに対処できず、首筋に手刀を受けて最後の一人も倒れ伏した。
後にはウェイナーとハルダー、そしてヨグの三人だけが残っていた。
二王子は立場が違いながらも、二人共驚愕に目を丸くしていた。年齢が二人の三倍は下らないであろう外見をした老人が、鮮やかに兵士を片付けたのだ。この体術に一対一で勝てる者は、果たしてガレスにもどれだけいる事か。
「これが……蛮魔か」
ウェイナーが呻くように言った。あれほど激しい動きをした直後でありながら、ヨグは好々爺然とした顔を崩さなかった。
「はい、ウェイナー殿下。このエルドレスの地において、我らから逃れられる者はおりませぬ」
「くッ!」
ウェイナーが床に落ちた剣を拾おうと動く。剣に手が届く直前、ヨグの掌がウェイナーの額を軽く叩いた。
「が……っ」
苦悶の声をあげ、ウェイナーの長身があっさりとくずおれた。
「殺すな!」
慌ててハルダーが言い放つより早く、ヨグは手を止めていた。
「もちろんでございますよ、殿下。皆気を失わせたのみでございます。しかし妙なものですな」
ヨグは足元に倒れたウェイナーの顔を眺めながら言った。
「殿下としては兄君がお隠れになられたほうが、後々面倒が起きないと愚考いたしますが」
「私の兄なんだぞ。兄なんだ。そんな事ができるか……」
兄の姿から目を反らし、ハルダーは言った。
ヨグは不思議そうに、軽く眉を上げた。
「なるほど。前々から思っておりましたが殿下、あなたもいろいろとややこしい内面をしておいでのようですな」
「そんな事はどうでもいい。それより、現状は? ラーズ・ベルレイはどうなっている?」
「はい。現在奴はソーンを離れ、エフラムに向かっているとの報告を受けております」
「エフラム? ……そうか、ウルザットの塔でアクローの神託を受けるつもりか」
ハルダーにとってはまずい状況だった。もし神託によりラーズが秘術の継承者として大神に認められたと宣言されれば、こちらはラーズを罪人として扱うこともできなくなる。表立って彼に手を出す大義名分を失ってしまうのだ。
「誰か刺客を送ってはいないのか」
「荒事の得意な者を送っておりますが、塔に辿り着くまでに追いつけるかは微妙ですな」
ハルダーは知らず知らずの内に爪を噛んでいた。そう遠くない未来、ラーズは神託を受ける事だろう。そして天奏の秘術の継承者として認められる。公にソーン貴族の客人、あるいは臣下として安全が保証される。
それに対抗するには、こちらに残された時間はあまりなく、選択肢も少なかった。
(……なら今の内に、奴が帰ってくる場所をなくしてやる)
敬愛する兄にすら手を出したのだ。最早止まる訳にはいかない。
ハルダーの顔が邪悪に歪んだ。
頭に浮かんだ選択肢の中で、最も過激な選択をする事に決めたのだった。




