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#32 妙な案内人

 大陸中央部に位置する山岳国家、エフラム。そこにある大陸一の高さを誇るドーマント山には二つの重要な建物がある。


 一つは山の頂上に建てられたウルザット塔である。塔は大神アクローが自らの手で建てたものだとされており、またアクローの御使いがその塔から降りてきた事もあって、アクロー教では最大最高の聖地とされている。


 そしてもう一つは、山の中腹に建てられたエルゼフ寺院。三代目教皇が大神を祀り、ウルザットの塔への巡礼者の中継地として建てさせた、教団の歴史と権威を象徴する寺院の一つである。

 歴史的に見ても非常に価値のある建築物であり、各地から来た参拝者もここを聖地として拝みに来るのだ。


 塔へと登る事ができる時期は限られている上に、一般人の塔への参拝は基本的に禁止されている。塔へと登る事を許されるのは教団かエフラムの族長より許可を得た者や各国の王族、そして御使いより授かった秘術を受け継いだ者だけであった。


 トーバンより登山の許可を得たラーズ達は、まず一週間ばかりエルゼフ寺院の隣に建てられた寮で生活する事となった。

 山の空気に体を慣らす為である。ドーマント山は周辺では有数の高山でかなり空気が薄い。塔がある頂上に辿り着く前に薄い空気に耐えきれず、登頂を断念した者もいるという話だ。


「確かに標高は高いが、山自体は比較的なだらかだし、参拝者の為に道も用意されている。案内人もつけるので、落ち着いて行けば日が登ると同時に出て、日が沈む前に帰ってこれるだろう」


 トーバンはそう言って、ラーズ達に登山の許可を出した。


 体を慣らす間、ラーズ達は寺院で暮らす僧侶達の手伝いを行う事になった。寮で出される食事は質素だが滋味に溢れていて、毎日がゆっくりと過ぎていくようだった。自分が危険な状況に置かれているという事実が、遠い過去の思い出と錯覚しそうな程だ。


「なんていうかさ。このまま生活していくのも、一つの幸せなのかもな」

 食事を済ませて外で軽く体を動かしていた時、レオがふと呟いた。


「なんだよそれ」

「いや、なんていうかさ。お前が秘術を授かってから、慌ただしかったからな。こういう世間の騒々しい事から離れて毎日穏やかに過ごすって、すごい贅沢な事だと思ってさ」

「うーん……。まあ、贅沢だとは思うけど、俺はいいかな」


 レオの言いたい事はラーズにも分かる。ここの聖職者達のように、穏やかで変化のない中で神に仕える日々を過ごすのは、それはそれで素晴らしい事だろう。

 だがおそらくラーズがここで生活していれば、一ヶ月と持たずに外に出ていくだろう。今のラーズの興味と好奇心を、このまま飼い慣らす事は難しかった。今の自分が置かれている状況さえなければ、ラーズはすぐにでも山を下りるだろう。


「レオ兄ー、おじいさんみたいな事言わないでよ」


 隣で聞いていたアーシェラも、ラーズに同意するようだ。リンカと蹴り合っていた蹴鞠を足元で止めると、半眼で見ながら呆れるような顔を見せる。


「そういう事言っていいのはさ、結婚して子供を育てて、孫の顔まで見た人だけだからね。あたし達がそういう事言ってたら、働く人がいなくなるでしょ」

「あのなあ、俺だってずっとこうしていたいってわけじゃねえよ。ただ人間には休息も大事だって言ってるんだ」

「あたしはもう休息は十分とっちゃったよ。ねえリンカさん、もうそろそろ登ってもいいんじゃない? あそこにさ」


 アーシェラが指さした先、ドーマント山の頂上に、目的地である塔が見えた。塔は薄い雲をその身にまといながら、山頂に鎮座する王のようにそこに佇んでいる。


「体はもうだいぶ慣れたと思うけど、トーバン様が連れてきてくれるっていう案内人がまだ来ないんだよね。そろそろ来てもいいはずなんだけど」

 リンカは軽く悩むようにうめいた。


「もー、このままここにいたら体がなまっちゃうよ」

 アーシェラはむくれながら、鞠を大きく蹴り上げた。リンカは胸で受け止めた後、足元で何度か鞠を蹴って体勢を整えてから蹴り上げる。

 鞠は勢いよく宙を舞い、アーシェラの頭上のはるか上を越えて言った。


「あ! ごめん!」

「リンカさん、蹴鞠下手すぎだよー」

「こういう遊びはやった事がないから……」


 リンカの言い訳を笑顔で受け流し、アーシェラは鞠を取りに歩いていこうと振り向いた。


 ラーズが飛んで行った鞠の方に目をやると、視線の先に男がいる事に気付いた。風よけのマントで身を包んでおり、唯一表に出ている整った顔には、薄い微笑みが浮かんでいた。

 よく跳ねて転がっていた鞠を、男はかがんで拾い上げた。マントの切れ目から覗く手足はすらりと長かった。


 男はアーシェラに近寄っていくと、優しい素振りで鞠を差し出した。


「どうぞ、美しいお嬢さん」

「あ、ありがとうございます……」

「いえ。あなたのお役に立てたなら良かった」


 鞠を受け取り、顔を真っ赤にして硬直したアーシェラに、男は爽やかに笑いかけた。二の句が告げられないまま、アーシェラはあたふたしながらレオの所に駆け寄った。


「兄貴、どうしよ兄貴。あたし生まれて初めてお嬢さんなんて言われちゃった!」

「落ち着け。お前だってそりゃ見た目は悪くないんだから、黙ってりゃお嬢さんだよ」

「なにそれ! ムカつく!」

「だからそういうとこだって」


 騒ぐ二人を尻目に、男はラーズの方へと向かってきた。ラーズよりも頭一つほど背が高く、見上げる形になってラーズは思わず身構えた。


「あなたがラーズ殿ですか?」

 男が尋ねた。

「え……はい。そうですけど」

「自己紹介が遅れました。わたくし、トーバン・ガニエル族長の命によりあなたがたの案内役を任されました、アーレン・アーゼルと申します」


 男は深く頭を下げて礼をした。どう動けば他人から格好よく見られるか、一挙手一投足を計算しているような動きだった。


「あなたが案内役? ずいぶん遅かったのね」

 いつの間にか近くに来ていたリンカが声をかけた。


「キギル家のご息女と、天奏の秘術の継承者を案内する、重要な任務ですからね。ガニエル様も誰を派遣するか、ずいぶんと悩んだようでして」


 無理もない、とラーズは声に出さずに同意した。いくらトーバンとシモンが親友でも、娘に何かあれば謝罪では済まない事だろう。下手をすれば戦争だ。


「それで、色々選考に時間がかかったんですね」

 確かにアーレンをよく見れば、格好をつけていながらも動きに隙がなく、姿勢にぶれがない。おそらく軟派な見た目に反してかなり鍛えているのだろう。


「ええ。族長も悩まれた結果」

 アーレンはばさり、とマントを翻し、妙に芝居がかった仕草で自分を指さした。


「実力と美しさを考慮して、最終的に私に決まったという訳です」


「……」

「……」

「……あの、何か?」


 ラーズとリンカの視線に気付いたか、アーレンが不思議そうに問いかけた。


「いや、そこまで自信たっぷりに言い放つ人、俺初めて見たから……」

「うん、なんて言うか、反応に困っちゃって」

「そうですか? これは失礼、失敗しました。エフラムの女性なら、あれで皆が私に黄色い声をかけてくれるのですが」


「……」


 先ほどまでの彼への評価と信頼が一気に揺らぐのを、ラーズは感じていた。

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