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#31 アクローの御使いの伝説

 鷹揚にうなずくトーバンを見ながら、ラーズは前からあった疑問が再度頭に浮かぶのを感じた。

 エフラム、ソーン、ガレス。この大陸中、アクロー教が伝えられた地域には様々な秘術が存在している。どれも常人が持ち得ない強大な力を持ち、数百年に渡って受け継がれてきた。

 アクローがこの力を、人々に授けたのはなぜなのか。たった今秘術に翻弄されているラーズにとって、それは重要な問題だった。


「ガニエル族長」


 ラーズは思い切って口を開いた。聖地の守護者であるトーバンであれば、この疑問に答える事ができるかもしれない。


「どうした?」

「俺はついこの間、天奏の秘術を授かりました。だけど、なぜ俺が秘術を受け継いだのかわかりません。大神アクローは、秘術を人に授けて何をしたいんでしょうか?」

「ほう……」


 トーバンは感心するような目をしながら、手で髭をこすった。


「珍しい疑問だ。ここに来て神託を得ようとする者は大抵、大神の意志など尋ねない。自らが秘術を得たのは運命だと信じているし、それを疑うのは大神に背く事だと思っているからな」

「すみません。あまり信仰深い人間ではなくて」

「いや、いいさ。ではついてきたまえ」


 言うとトーバンは立ち上がった。扉の方へと進みつつ、ラーズ達についてくるように催促する。


「君の求める答えとなるかはわからんが、いいものを見せてあげよう」


 ラーズ達はトーバンの後をついて歩き出した。廊下を曲がって突き当りにあった扉をトーバンが開け、一行は中に入った。

 古物が置かれた部屋にありがちな、独特な匂いがした。暗い室内にトーバンは踏み込み、窓に取り付けられた木戸を観音開きに開ける。


 太陽の光が入り込んで室内を照らすと、部屋の中に飾られた様々な美術品が目に入った。


 長方形の部屋で窓がある壁は一方のみで、残りの三方に大小様々な絵画が掛けられている。美しい風景画に歴代のガニエル家当主を描いたらしい肖像画など、どれも見事な筆致だ。

 ガニエル家がこれまで集めてきた美の数々に、ラーズは目を奪われると同時に緊張した。いくら田舎者でも、果たしてこれらがどれほどの価値があるかは分かる。


「ガニエル家所蔵の品がここに集められている。リンカは前に来たことがあったな」


 トーバンの問に、リンカはうなずいた。


「お父様に連れられて来た時、一度だけ。素晴らしいものを見せていただいた事を覚えていますが、ラーズの質問に何か関係があるのですか?」

「うむ。その前にラーズ君、君は大神アクローとその伝説についてどの程度知っているかね?」

 トーバンが言った。

「あまり詳しくは。確か大昔、世界中から色んな人々を助けてまわって、エルドレスに移住させたんですよね。だから世界にはガレスとかソーンとか、いろんな人種が存在しているとか」


 幼い頃、母から寝物語に聞かされたおとぎ話だ。


「ふむ。それはアクローの創生神話だな。細かいところが少々おざなりだが」

「すみません」

「謝る事はない。少々補足しよう。遥か昔、大神アクローは巨大な龍の船に乗り、様々な世界を旅してまわっていた。そしてその途中、アクローはまさに滅びようとしている世界を見つけると、そこに住む人々を助ける為、龍の船の中に乗せて住まわせたのだ」


 トーバンその光景を想像するように目を閉じた。


「なんとも壮大な伝承だ。これに似た伝承は大陸の各地に残っていたが、どれも呼び名はバラバラだった。それらの伝承が同じ一つの神を指すものだと伝えたのが、我らエフラムの民の前に現れたアクローの御使いだったのだ」


 トーバンは目を開き、部屋の奥を指さした。


「あの絵を見てみたまえ」


 扉と反対側にある壁に、ラーズは目を向けた。他よりも大きな油彩画が、この部屋の主役とばかりに飾られていた。


 神話か伝説を描いた、宗教画の類だろうか。絵の左側には荒廃した大地に倒れ伏し、苦しむ人々が鬼気迫る筆致で描かれている。右側では対照的に、龍の姿を得た人々が生気と歓喜に満ちた姿でいきいきと描かれていた。

 そしてその中央に、美しい女性の姿が描かれていた。ウェーブのかかった黒髪を垂らし、ブルーのロングドレスを身にまとった女性の表情は慈愛に満ちていて、龍人達に笑顔を向けていた。


 部屋中にある絵の中でも、これは別格だった。見る者を圧倒する、何か強大な力が発せられているようだった。


「エフラムの民が龍相の秘術を得た時の光景を、当時の巨匠が描いたものだと言われている」


 トーバンが自慢げに言った。


「今から七百年以上も昔、領土を奪われこの地に追いやられたエフラムの民は、過酷な環境に苦しんでいた。そんな時、ドーマント山から一人の女が降りてきた」

「降りてきたって……ウルザットの塔からですか?」

「そうだ。あれは我らがこの地に住む前から存在していた。山は険しく、それまで誰も登った者はいなかった。しかし女はそこから来たと語ったそうだ」


 かつてのエフラムは今よりも痩せて乾いた地であり、人々の暮らしは厳しかった。アクローの使いと名乗った彼女は、エフラムの民に様々な知恵と恵みを与えた。医術により人々を助け、痩せた土地でも実る作物を与えた。そして最後に、エフラムに住む人々に龍相の秘術を授けた。


「彼女はアクローの御使いと名乗り、こう語ったそうだ。『私はこの地に住まう人々に力を授けて回る。血を繋ぎ、受け継ぐ中で、いずれ人はより高みへと登るだろう。いつの日か、その中から私が求める者が現れん事を望む』」


 ジュナが語ってくれた、快癒の秘術についての伝承ともよく似ていた。あれも秘術を与えた人々に、より高みに登る事を求めていた。


「その、求める者というのは?」

「わからん。しかしエフラムの民は御使いに感謝し、後世に彼女の偉業を伝えていく事とした。そしてその後、大陸中で御使いはここと同様に様々な奇跡を起こし、秘術を授けた。そして彼女に感銘を受けた者たちが集まり、アクロー教を立ち上げた」


 アクローの御使いが人々に秘術を授ける伝説は、エルドレスの各地に存在する。天奏、快癒、龍相、それぞれ伝説の内容自体はどれも似ているが、伝承の間隔が百年以上で離れているのが不思議だった。


 ラーズは語られた伝説について考えるように、目をつむった。御使いが各地で授けた様々な秘術。それが『求める者』につながる理由とは何なのか。ラーズもその『求める者』の高みにあるとされたからこそ、天奏の秘術を授かったのだろうか。

 ラーズはもう一度絵を眺めた。絵に描かれた御使いはラーズの疑問に答える事はなく、穏やかな微笑みを浮かべて龍人達を眺めている。


「……?」


 不意に、ラーズの脳裏にひらめきが稲妻のように走った。かつての面影と絵の女性が与える印象が繋がり、強固な絵を紡ぎ出す。


「……母さんだ」

「あ、確かにそうだ! ラーズの母さんそっくり!」


 つぶやきを聞きとって、思わずリンカも大きな声を出した。目の前の絵に描かれた女性とラーズの家にあった母の肖像画の類似に、リンカも気付いたのだ。


「ラーズのお母さんが、アクローの御使いってこと?」

「いや、そりゃ……ないだろ。この絵が描かれたのは七百年前だって話だし」

「でもアクローの御使いなら、そのくらいできるかもしれないじゃん。なんせ神様が遣わした存在なんだから」

「二人とも、一体何を言っている?」


 状況を理解できていないトーバンが、顔に疑問符を浮かべて尋ねた。


「なんていうか、この絵に描かれたアクローの御使いが、ラーズのお母さんにそっくりなので」

「なに? まさか。面白い偶然もあるものだな」

「偶然……そうですよね」


 半ば放心しながら、ラーズはつぶやくように答えた。

 トーバンの言うとおり、数百年前も絵に描かれた女の姿と母が似ていたとしても、それはただの偶然でしかありえない。しかしそこに天奏の秘術が関われば、偶然が奇妙な符号に思えてくる。


 ラーズの母は謎の多い女性だった。生まれ故郷について断片的に話す事はあっても、どこから来たかは言いたがらなかった。大陸の端から端までの様々な逸話を知っていた。医学薬学を始めとして、様々な先進的知識を揃えていた。親戚はいたのか、友人はどうか。全く語らないまま、母は父と共に流行り病でであっさりとこの世を去った。


 ラーズが天奏の秘術を受け継いだのは、母に大きな関わりがあるのだろうか。

 絵に描かれた御使いは、何も語りかけはしなかった。

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