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#30 龍人の国、エフラム

 転送門を使いエフラムの地に降り立った時、ラーズ達が真っ先に感じたのは熱気だった。太陽が肌を焼く熱に加えて、地面の底から吹き上がってくるような熱がこもっているのだ。


 ガレスから南方に位置するエフレムは熱帯に位置し、冬でもガレスの春に相当する暖かさだ。『太陽に最も近い国』と謳った詩人もいる、とラーズは母から聞いた覚えがあったが、納得の環境だった。


 人が住むには過酷な環境だが、ラーズ達が向かったカルマットの町にはかなりの往来があった。大陸で最大勢力の宗教であるアクロー教の聖地である為、ここには観光客だけでなく、修行者も大勢暮らしている。

 歩きながら、ラーズはまるで子供のようにきょろきょろと見回していた。ジュガン以上に多種多様な人種が通う様は、まさに壮観の一言だ。獣の特徴を持った亜人など、思わず駆け寄って声をかけたくなる。


「いきなり走ったりしないようにね。この暑さだし、激しく動いたら倒れるよ」


 動き出す前に、リンカが釘をさした。リンカは過去にシモンに連れられて何度か来た事があり、この地域の族長とも会った事があるそうで、道中の案内を請け負ってくれたのだ。

 シモンは渋るかと思っていたが、むしろ嬉しそうに送り出してくれた。かわいい末娘とはいえ、遊ばせすぎなのではないかとラーズとしては思うのだが、気心の知れた相手が同行してくれるのはありがたかった。


「こんな暑さで、走る奴がいるとは思えないけどな」


 ラーズは言いながら、隣に目をやった。共に転送してきた二人は、急激な環境の変化に体がついていかないらしく酷く辛そうだった。


「やべーな……暑いわ、ここ。外にいたら人間も干物になるんじゃねーかな……」


 レオが心底参ったという顔を見せた。アーシェラはレオの上背でできた影に隠れているが、それでも同じくきついようだ。


「別にキギルの屋敷で待ってても良かったんだぜ? シモンさんだって気にしなくていいって言ってたんだから」


 ラーズの言葉に、レオはかぶりを振った。


「どうせどこにいたって、俺達の危険なんて大して変わらんからな。それならお前の近くにいたほうがいいよ」

「それに、アクロー様のお参りしてみたかったし。父さん達にいい土産話ができるでしょ?」


 アーシェラが言った。

 ラーズとしては遊びで来ているわけではないのだが、無理に止める気にもなれなかった。既にラーズ達の居場所は敵も掴んでいる。やろうと思えばレオ達を人質に取り、ラーズと身柄の交換を迫る事もできるだろう。それなら互いに目の届くところにいた方がいいのかもしれない。


 ラーズは視線を前に向けた。人の流れの先に、巨大な山影が見えた。薄くちぎれた雲をまといながら、赤褐色の巨大な岩山が天に向かってそびえたち、人々を睥睨している。そしてその頂上には白い塔の姿があった。

 ラーズは山を指さした。


「なあリンカ、あれがひょっとして」

「そう、アクロー教団の聖地、ドーマント山とウルザットの塔だよ」


 巨大な円塔だった。山の上を削り取って平面にして作ったらしく、高さも幅も規格外だ。雲よりも高い位置にあのような巨大な建物が作り出されるなど、にわかには信じがたかった。

 確かにこれを見れば、人を越えた大神の力が存在すると納得できる。


「それじゃ、まずはお父様から預かった手紙を渡しに行こう。道中の護衛も借りられるといいんだけど……」


 リンカが荷物袋から手紙を取り出した時、前方でどよめきが上がっていた。

 視線を向けると、人混みの隙間から二人の男が言い争っているのが見えた。どちらも酷く酔っているのか、顔が赤い。


「なんだぁ、てぇめぇ!」

「あぁん!? うっせえぇ!」


 ラーズの耳にはそれだけが聞き取れた。他にも色々と怒声を浴びせあっているが、二人ともろれつが回っておらず、何を言っているのか分からない。

 ちょうど近くの建物に、酒場の看板がかかっているのが見えた。恐らく昼間から気分よく飲んでいた観光客が、ふとしたはずみから喧嘩にまで発展したのだろう。明日になれば自分たちが何をしたのかも思い出せず、ただ体の痛みだけが残るような下らない喧嘩だ。


 このままでは皆が迷惑するが、割って入るのも逆に迷惑だろうか。ラーズがそんなことを考えていると、頭上で巨大な音がした。

 羽ばたきの音と風の唸りに、何事かと頭を上げる。そこにいたのは巨大な翼を生やした異形の二人組だった。


 二人は共に、全身を硬そうな鱗に覆われていた。長く突き出た顎からは鋭い牙を生やし、凶悪な顔を見せている。唯一頭から生えている髪の毛が人間らしい痕跡を残しているようで、妙なギャップがあった。

 龍と人の間の子。一言で言えばそんな姿をした二人が、軽装の鎧を身に着け、槍を手に空をぐるぐると回っていた。


「なんだ!?」

「ひょっとして、あれが蛮魔ってやつか?」


 ラーズとレオが思わず身構える。荷物袋から武器を取りだそうとする二人を、リンカが笑いながら手で制した。


「落ち着いて。あれはエフラムの衛兵だよ」

「衛兵? あれが?」


 ラーズは思わず聞き返した。大陸には多種多様な人種がいるのはラーズも知っているが、あそこまで人の姿から離れた者は見たことがなかった。


 衛兵は急降下し、酔っぱらい二人をそれぞれ踏みつけた。巨大な足に肩を捕まれ、二人は情けない声をあげながら地面に叩きつけられる。


「なんだっ、なんだぁてめっ!」

「黙れ! 天下の往来で騒ぐな!」


 龍人が口を開いた。擦過音が酷く、喉の奥から嵐が吹き出しているような声だった。

 龍人は自分の声に苛立ったように首を振った。するとそれを切っ掛けにして、龍人の全身が痙攣を始めた。

 何事か、と思うよりも早く、龍人の体に変異が起きた。鱗は色を失い肌と一体化していき、翼は折り畳まれて背中に張り付く。突き出た顎は次第に縮まっていき、やがて四角くいかつい人間の顔が現れた。


「天下の往来で騒ぐな、酔っぱらいが。一晩牢屋で頭を冷やせ!」


 龍人から人に変わった兵士が、男の首根っこを掴んで持ち上げる。龍人の頃より体は一回り小さくなったが、荒々しい気性は変わっていないようだった。

 突然の変異にあっけに取られるラーズ達を、リンカは面白そうに眺めていた。


「エフラムに伝わる、龍相の秘術だよ。エフラムの兵士はみんなああやって龍に変身できるのさ」

「龍相……あれも秘術なのか」


 大陸に出てくる神話や伝説の獣は様々なものがあるが、龍という存在はどの地方でも別格だ。どの伝説でも高い知性と強さを誇り、大神アクローが使役した事でも有名だった。まさかそれに変身する事ができる人間が、この世にいたとは。


「すごいな。こんな遠くまで来た甲斐があったよ」

 エフラムに来た理由を忘れるほどに、ラーズの胸は興奮に沸き立っていた。




 エフラムは複数の部族が連合して作られた国であり、カルマット一帯を支配しているのはガニエル家という一族である。聖地を領内に収めていることからも分かるとおり、部族の中でも最大勢力だ。

 そしてその領主こそ、シモンと親交のある相手だという話だった。ラーズとしては非常に都合がいい話だった。変に手間取っていては、その間に何が起こるか分からない。


 ラーズ達は転送門で到着して後、近くで宿をとった。ひとまず荷物を置き、ガニエル家の屋敷に向かうと決めていたのだ。


「俺達は多分中に入れないだろうし、二人で行ってこいよ。俺達が荷物を見張っててやる」


 レオにそう言われて、ラーズとリンカは二人で屋敷に向かう事にした。

 町の中央にあるガニエル家は、無骨ながらも風格のある石造りだ。リンカがシモンから託された手紙を門番に渡すと、二人はあっさりと屋敷の中へと通された。


「ようこそ」


 現れた男の野太い声には温かみがあった。

 背はラーズと同程度だが、横幅は二回りは大きい男だった。太い寸胴体型のせいで初見はデブの印象を受けるが、内側にはごつい筋肉がついている為、体がたるんでいるようには見えない。

 肩まで伸ばした長髪も、それに負けじと伸ばした顎髭も真っ白だった。岩の塊に毛皮をまとわせれば似たような印象を受けるかもしれなかった。

 塊はラーズと向かい合う形で、大股開きで椅子に座った。


「君がラーズ君、だね。はじめまして。私がトーバン・ガニエルだ」

「は、はじめまして。ラーズ・ベルレイです」

「お久しぶりです、トーバン様。リンカです。覚えてますか?」

「おお、リンカ。シモンの娘、覚えてるとも。来たのはもう十年は前だったか?」


 リンカに笑いかけるトーバンの顔は、これだけ見れば好々爺のような空気がある。しかしかつてのトーバンはかなりの荒くれ者だったと、ラーズはリンカから聞いていた。シモンとは義兄弟の契りをかわした仲で、昔は二人で大陸各地を巡り、様々な逸話を残したという。

 確かに老いたとはいえ、太く強靭な体だ。今でも喧嘩なら負けなしだろうし、鹿くらいならば素手で解体できそうに見えた。


「手紙は読ませてもらったよ。あいつめ、また面倒ごとを押し付けてきたようだな」


 トーバンはこめかみを軽く指でかいた。


「天奏の秘術に、ガレス王家、そして蛮魔衆。ずいぶんと派手な話だ。奴がここにいたら『夢でも見てるのか』と笑ってやるところだな。しかし娘を連れてきているということは、満更冗談でもないらしい」

「はい。既にラーズを護衛していた兵士が、蛮魔の一人に何人も命を奪われています。だからガレス王家がラーズを狙う事ができないように、アクローの神託を受けさせてやりたいんです」

「なるほどなあ……」


 リンカの言葉に、トーバンは何かを考え込むように頷いた。


「迷惑ばかりおかけするつもりはありません。自分にできる事であれば、なんでも力をお貸しします」


 ラーズは言った。いくら義兄弟の頼みとはいえ、いきなり来られて命を狙われているから手を貸してくれ、などと言われても困る事だろう。

 しかしトーバンは軽くかぶりを振って応えた。


「いやいや、礼などいらんよ。我らエフラムの民にとって、アクローが授けた秘術を持つ者は皆価値ある存在だ。それに、天候を操作してもらっても、俺達にはあまり意味がないからな」

「そうなんですか?」


 ラーズには意外な言葉だった。人間がどれだけ権力を得ても、天気だけはままならないものだ。それだけに天奏の秘術は強力な秘術であり、ソーンの旅でラーズが力を使えば、皆が感謝を示した。エフラムの地も寒暖の差が激しい為、皆苦労していると思っていたのだが。


「意外か?」

 考えが顔に出ていたらしく、トーバンはにやりと笑った。


「確かに天奏の秘術の力は絶大だ。だが俺達エフラムの民には龍相の秘術がある」


 トーバンがぐるりと頭を回すと、まるで手品のように龍の顔が現れた。鋭く尖った鱗に覆われた顔が軽く吠えて、ラーズは思わず体を硬直させる。


「ちょっと、やめてください、トーバン様」


 リンカもラーズ同様に、身をこわばらせながら言った。トーバンは再度頭を回すと、あっさりと元の顔に戻る。


「見ての通り、エフラムの民は龍に姿を変える事ができる。この秘術を授かって以降、我らは常人には過酷な環境にも適応し、生きていく事ができるのだ」


 現状で十分満足しているエフラムの民にとっては、天奏の秘術は無用の長物というわけだ。

 シモンがラーズ達をエフラムに送る気になったのは、それを知っていたからかもしれない、とラーズはふと思った。天奏の秘術に価値を見出さないエフラムが、ラーズを欲しがることはないと判断したわけだ。


「さっそく巡礼の用意をさせよう。何日か待っていてくれ。巡礼の案内人も用意させる」

「ありがとうございます、族長」

「なに、大神アクローとの約定において、秘術を授かった者を保護するのはエフラムの使命だ」

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