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#27 惨劇の後に残ったもの

「一体何だったの、あいつ……」

 険しい表情でリンカは言った。その息は荒く、震えていた。


「ヴィジャ、だったっけ。ガレスの山にはあんな獣いなかった。世界は広いな」

「ソーンにだっていないよ、あんなの。まるで神話に出てくる怪物みたい……」


 リンカの声はどこか弱々しかった。謎の怪物がもたらした言いしれぬ恐怖が、いつもの気の強さを抑え込んでいた。


「どっちにしても、今ここにいてもしょうがない。みんなのところに戻ろう。あの女も捕まえないと」


 ラーズの馬は既に絶命していた為、リンカの馬に二人乗りで空き家に向かう事にした。

 馬が歩を進めて揺れる度、体が痛む。二人が空き家に到着した時、部屋の明かりはついたままで開け放った玄関から光が漏れていた。


 馬小屋の近くで二人は馬から降りた。ラーズは弓に矢をつがえ、リンカも斧を手に持ち、周囲を警戒する。ヴィジャを倒した事をクトラが気付いているかはわからないが、ヴィジャが一匹だけとは限らない。もし他にもあんな怪物がいたならば、作戦を立てないといけなかった。


 林の影に隠れて家に近づく。周囲に動くものの気配はなかった。壁沿いに玄関に向かうが、中からは何の音も聞こえてこない。

 リンカとラーズは頷きあい、一気に屋内に踏み込んだ。リンカが斧を持って前衛に立ち、ラーズが弓で援護する形で突入する。


 家の中は惨憺たる状況だった。赤い血が床のいたるところに飛び散り、倒れた兵士たちの死体が所々に転がっていた。どれも無残な姿であり、もしかしたら生きているかも、などと二人に希望を持たせる事すら許さなかった。


「……くそっ」


 ラーズは思わず小声で毒づいた。更に家の奥に入り、部屋を探ってみるが、クトラの姿は見えなかった。


「……逃げたかな?」


 ラーズは引き絞っていた矢を緩めた。リンカも周囲を軽く見渡し、何も気配がないのを確認してうなずいた。


「そうみたい。向こうにこんなのが落ちてたけど」


 リンカは手に持っていたものをラーズに見せた。

 それは奇妙な、手の形をした模型だった。五本の指が爪を立てた、人の手と同じほどの大きさをした模型である。しかし指の一本一本が鱗に覆われていたり、分厚い体毛に包まれていたり、それぞれ全く違う種族の指を模している。

 異形の手を見ていると鬼気迫るものが感じられて、ラーズは眉をひそめた。


「これ、あの女が残したのかな?」

「落とし物かもよ。ヴィジャを倒したのが、あいつにも感じ取れて、慌てて逃げた時に落としたのかも」

「そのまま姿を消してくれると、こっちとしてもありがたいんだけどな」


 ラーズはため息をつき、床の血のこぼれていないところにへたりこんだ。ヴィジャのような怪物と何度も戦わなければならないとなると、こちらも命がいくつあっても足りない。今回ラーズ達が生き残れたのは、クトラが家に来たときにラーズ達が外に出ていたという偶然によるものだ。


 もしクトラがもう少し慎重な女だったなら。あるいはラーズが外に出た時にクトラと出会っていたなら。おそらく彼らの中に、ラーズも含まれていたことだろう。


「……なんでなんだ」


 我知らず、ラーズはつぶやいていた。自分でも初めて聞く、酷く気の滅入った、暗い声だった。

 リンカが不安そうに、ラーズの方を見た。


「ラーズ?」

「なんで、そんなに俺を殺したがるんだ。天奏の秘術を手に入れたのは、俺の意志なんかじゃない。欲しけりゃくれてやるよ」


「……」

「話しもしないで、力に訴えて。もっとみんな丸く収まる手段だってあったはずだろ。結局被害が広がるだけじゃねえか。俺がさっさと死なないから、皆が死んだとでも言いたいのかよ。俺のせいだって……」


 とりとめもなく、文句と愚痴を並べていく。酷く嫌な気分だった。アーシェラが傷を負い、追われるようにして村を出ていってから、ずっと溜め込んできていた怒りの感情だった。


「……あたしはさ、口下手だし、あんまり大した事言えないけど」


 熟考し、言葉を選びながら、リンカが口を開いた。


「あたしはラーズがアーシェラちゃんの為に、ソーンに渡ったのを知ってる。ソーンでの旅で、ずっと人の為に働いてきたのを知ってる。世の中をよくする為に自分の力を使おうとする奴に、悪い奴はいないって、あたしは思ってる」


 ラーズと向かい合って、リンカは座り込み、ラーズの目を真っ直ぐ見据えた。生命力と意志が輝くような美しい瞳に、ラーズは思わず息を呑んでいた。


「あたしは、あんたが責任を感じなきゃいけないような事なんて、何もないって信じてる。悪いのは全部、あんたを殺そうと狙ってる奴らだよ。あんたのせいなんかじゃない。絶対」

「……」

「さっき、あんたはあたしに会えて良かったって、言ってくれたでしょ。あたしもそう思うよ。だから、自分を責めないでよ」


「……ありがとう。ちょっと、暗くなっちゃったな」

 ぎこちなく笑顔を作るラーズに、リンカはうなずき笑い返した。


 ラーズは立ち上がり、軽く息を吐いた。今の状況で、愚痴ばかり言ってはいられない。

「せめて、皆を埋めてあげよう。このままにはしておけない」

「そうだね……」


 突然、弾かれたように、リンカが周囲に目を配った。


「リンカ?」

「……ちょっと待って、外に何かいる」


 集中し、何かを感じ取ろうとするように、リンカが目を細めた。ラーズも気を張り詰め、周囲を警戒する。


「誰かいるのか」

「みたい。弱々しいけど、何か……」


 リンカは外に向かって歩きだした。ラーズも後をついていく。

 家の外に出て林の方に向かう。何がいるか分からないので、音を立てないように木々の間を歩いていくと、やがて前方からがさりと音がした。


「うぅ……」

「メントさん!」


 聞こえてきたうめき声に、ラーズは思わず駆け出した。木々をかきわけた先に、メントが地面に仰向けに倒れたまま苦しげにうめき声をあげていた。

 ラーズとリンカはメントの下に駆け寄った。二人でゆっくり上体を起こすと、メントはやっとラーズの姿に気付いたらしく、目を何度か瞬かせた。


「や、やあ……、君か……。大丈夫、だったかい……?」

「メントさんのおかげで時間を稼げて、なんとか逆転できましたよ。あの化け物は倒しました。安心してください」

「そう、か……。それは、良かった。君をむざむざ死なせたら、隊長に申し訳が、立たないからね……」


 しゃべる度に体が痛むのか、メントは引きつり気味の笑みを浮かべた。

 ヴィジャの一撃を受けてメントが絶命しなかったのは、まさに幸運と言っていいだろう。ヴィジャがラーズという標的を優先した為、メントの死を確認しなかったのもメントには幸いだった。



「ありがとう、メントさん。生きていてくれて」

 一人でも生きていた。その事実が、ラーズの心に喜びをもたらしていた。


「なんだい、改まって。なんだか、気恥ずかしいよ。それより、いい加減ここから離れよう。悪いんだが、手を貸してくれるかい」

「もちろん」

「あたしも手を貸すよ」


 二人は左右の肩を担ぐようにして、メントの体を持ち上げた。


「す、すみません、お嬢様……」

「気にしないの。ケイガまで行けば、快癒の秘術を使える人がいるはずだから、それまで辛抱してね」

「ケイガまでですか、ちょっと、遠いですね……。迷惑を、かける事になりそうです……」


 苦笑いするメントに、ラーズは心配させないように笑みを見せた。


「大丈夫ですよ。何も悪いことは起こりません。俺が起こさせません、絶対」

 自分に言い聞かせるように、ラーズは力強く言った。

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