#25 クトラのしもべ
兵士たちの間に、瞬時に緊張が走った。
「あの……、もし。誰かいませんか?」
女の声だ。リンカとは違う、艶めかしい声色だ。その声で頼まれたら、男なら誰でも思わず願いを聞いてしまいそうな、そんな声だった。
シンバがラモンを見て、首をしゃくる。ラモンはうなずいて、扉の前に駆け寄った。
「どちら様です?」
ラモンの声に、女はすぐに返答してきた。
「一人で旅をしている者です。宿を探している途中で日が暮れてしまって、野宿かと思っていたところにこの家を見つけて。どこか寝る所を貸してもらう事はできませんか?」
ラモンはシンバに目をやった。
「開けてやれ」
シンバは小さく言った。ラーズとリンカの護衛の為、怪しい者との接触はできれば避けたいが、旅人を無下に断るのも気が引けた。こちらは男五人、女ひとりであればまず問題ないだろうという思いもあった。
扉を開けて、女は中に入ってきた。褐色の肌を旅装で覆っているが、唯一シャツの胸元がはだけているのが酷く扇情的だった。
「ありがとうございます。兵隊さん、ですか?」
女が軽く首をかしげ、疑問の表情を作る。町から離れて一人暮らす、奇特な男あたりを住人として予想していたのだろう。
シンバが皆を代表して口を開いた。
「そうだ。仕事の途中でね。我々もここを今日の宿として使わせてもらっている」
「そうでしたか。申し訳ありませんが、あたしもどこか部屋の隅を使わせていただけますか。お願いします」
女は美しい所作で、深々と頭を下げた。礼儀正しい言動に、シンバもひとまず胸をなでおろした。
「構わない。部屋はいくつかあるから、奥の部屋を一人で使えばいい」
「感謝します。馬に荷物を持たせていますので、取ってきますね」
「おっと、俺も手伝うよ。いいですよね、隊長」
ヘイジが率先して動いた。口も軽いが動きも軽く手も早い。隊では珍しくない光景だ。
「ああ。さっさと片付けろ」
「了解。お姉さん、名前なんて言うの?」
「クトラと言います。よろしくお願いしますね、兵隊さん」
馬の荷物は大したものではなく、二人がかりではあっさりと片付いた。
奥の部屋に荷物を置き終わった後、クトラは広間に上がって兵士たちにぺこりと頭を下げた。
「それじゃ、一晩お邪魔させてもらいますね」
「まあまあ、寝るまでまだ時間はあるだろ。少し話でもどうだい」
ヘイジはそう言いつつ、残っていた湯冷ましをカップに注いでクトラに手渡した。
「悪いけど茶葉は切らしててね。湯冷ましだ。飲むかい?」
「ありがとうございます。最近のソーンは暑いですね。去年より温度が上がってる気がします」
渡されたカップを両手で持ち、こぼさないように湯冷ましを飲む。その仕草や喋りに、どこか幼さが感じられた。男が放っておかない艶やかな外見に反して、内面は好き勝手に生きている子供のようだ。
今の状況もそうだった。兵士とはいえ、男たちの集まりの中に踏み込んで平然としている。服装は使い込まれ、旅慣れているように見えるが、はっきり言って隙だらけだ。
こんなんじゃ、道行く先で悪党共にいいようにされそうなもんだが。
兵士達の頭にそんな考えが浮かぶ。それを知らぬクトラは湯冷ましを飲み干すと、ふう、と一息をいれた。
「ありがとうございます。お優しいんですね、兵隊さん」
にこりと笑いかけるクトラに、ヘイジは内心を隠して笑顔を返した。
「なに、大した事じゃないって。それにしても、こんなところを一人旅ってのも珍しいね」
「よく言われます。でもあたし、強いんですよ? 困った時はあたしを守ってくれるしもべ君だっているし」
「しもべ?」
ヘイジは訝しげに眉を寄せたが、クトラは意味深に笑うだけで答えようとしない。どうやら秘密の内容のようだった。
仕方ない、とヘイジは話を切り替えた。
「君、ソーン人じゃないだろ。どこの出身?」
「北の、ウルシュラから来ました。仕事の関係で、各地を旅しているんです。今は帰国の途中なんですが、その途中でいろんな人から、奇跡を起こす人を見たって聞いて」
「奇跡?」
「ええ。ガレス人なんですけど、なんでも天気を自由に変えられるとか。その人が祈りを捧げると、晴れでもいきなり雨が降るとか、昼を夜に変えられるなんて言って。すごいと思いません?」
聞き耳を立てていたシンバ達の間に、緊張が走った。そんな事を知らぬか、クトラは一人話を続けていく。
「それで、その奇跡を起こせる人に会ってみたくなって。その人がどっちに行ったか訪ねたら、ケイガの方に行くって言うんです。だから急いで、ケイガの方に向かってたって訳なんです……?」
言葉の途中で、クトラはシンバ達の雰囲気の変化を感じ取ったようだった。胸の前で軽く両手を叩き、
「あれ、ひょっとしてあたし、当たりを引いちゃいました? 兵隊さん達、その奇跡を起こす人のしもべか何かなんですね?」
「しもべって、あのね……」
ヘイジが悩むようにうめいた。彼女の言動はどうも調子が狂う。
「じゃあその、奇跡を起こす人、今どこにいるんです?」
「お嬢さん」
シンバが話を切り上げるように言った。
「確かに我々は、彼の護衛を務めているし、彼は近くにいる。しかし、我々は彼を見世物にするつもりはないし、興味本位で彼に関わってもらいたくない。いいね?」
クトラの言動は外見以上に幼く無邪気で、悪意が感じられない。そのためにシンバ以外の兵士たちも、彼女をどう扱ったものか迷い悩んでいる。
しかし、ラーズを護衛するのが任務である兵士としては、怪しい相手には対処しなくてはならない。そう思えばこそのシンバの言葉だった。
シンバの意志が伝わったかどうか、クトラは口をつぐんだ。まるで楽しみを奪われた子供のような顔を見せ、軽く息を吐く。
「まあ、いいです。奇跡を見るのを楽しみにしてたんですけど、居場所は分かったんだし」
「あんたねえ……」
ヘイジが頭をかいていると、不意にクトラが両手を口に当てた。そのまま前のめりになり、苦しげに嗚咽を繰り返す。
「う、うぅ、うぇえ……っ!」
「お、おい、どうした? 大丈夫?」
クトラは答えず、吐くような動きをくり返していた。まだ出るものは出ていないが、このまま待っていれば何が起きるかは目に見えている。
「ラモン、ヘイジ、彼女を外に連れて行け。ここで吐かれたら大変だ」
シンバの命令を受けて、二人がすばやく動いた。体を持ち上げ、そのまま居間の外に運んでいく。
「失礼、流石に人が吐いた後の部屋で寝るのは、ご勘弁願いたいもので」
ラモンがぼやきながら運び終えた頃には、クトラの吐く動きは更に酷くなっていた。そして流し台に出ようとする直前で、ついに彼女は中身を吐き始めた。
「ああもう……!」
「しゃあねえ、このまま吐いてくださいよ」
ラモンとヘイジが互いに顔を見合わせて、苦笑いした。仕方ないとクトラを下ろして離れると、彼女の口から透明な液体が吐き出されていく。
奇妙だった。彼女は何度も嗚咽を繰り返すが、それに対して出るものが出ようとしない。出てくるのはわずかな粘液だけだ。
まるで何か、腹の中にある大きな塊を無理に出そうとしているように。
「うげっ、げえぇっ……!」
やがて、彼女の口から何かが現れた。
それは一般に見る吐瀉物とは全く違う、奇妙なものだった。薄いピンク色の膜に包まれ、粘液に濡れた肉の塊のようなものが、彼女の美しい口を通って外に出てくる。
彼女の腹のどこにはいっていたのかと思う程に長く、巨大なそれが吐き出されていくのを、兵士達は不気味な恐怖を感じながら眺めていた。
誰も一言も発せないまま、ついにクトラはすべてを吐き出した。
犬一頭が丸々入るような大きさをした奇怪な肉塊が、彼女の前にうずくまっていた。
クトラは荒い呼吸をくり返していたが、やがて落ち着いてきたらしく、呼吸も正常に戻っていく。
「……その、大丈夫ですか……?」
状況を把握できずにいた兵士たちだったが、それでもまずラモンが我を取り戻した。クトラの横に立ち、表情を把握しようと膝を曲げて中腰になる。
瞬間、ラモンの体が跳び上がった。
勢いよく上昇し、屋根に激突して落下し、そのまま地面に頭からぶつかる。
兵士達が皆、驚きに目を見開いた。
ラモンは地面に落ちた姿勢のまま身動き一つせず、自分がぶつかった天井を驚きの表情のまま見つめていた。何が起きたのかわからない、そう言った顔だった。
その首は硬い塊を高速でぶつけられたように途中で潰れ、痛々しく折れ曲がっていた。
「ありがと、しもべ君」
間の抜けたクトラの声に、弾かれるように顔を向ける。先程と同じ四つん這いの姿勢でいたクトラの隣で、赤黒く長い腕が天に向かって伸びていた。
クトラの吐いた肉塊から腕が膜を破って伸び、ラモンの首を下から殴りつけたのだと気づくまで数瞬の時がかかった。
「なんだぁ!?」
ヘイジが叫びながら剣を抜く。その直前に、赤黒い何かはヘイジに跳びかかっていた。
ヘイジが剣を振るうより早く、それの長い両手が肩を掴んでいた。鋭い爪が肩に突き刺さり、肉をえぐる。
痛みに叫び声を上げるよりも早く、それの牙が灰色の喉笛に噛み付いていた。
声にならない声を上げながら、ヘイジが剣をめったやたらに振り回す。その腕の力がなくなり、剣が手から離れ、やがて全身が動きを止めた。
獲物が絶命したのを感じ取って、それは立ち上がった。
吐き出された肉塊はせいぜい犬ほどの大きさだったのに、それは既に兵士達が見上げる程の大きさになっていた。
それは全身を赤黒い肌に覆われていた。二本足で立ち、腕は足と同程度に太く、長い。肩の上にある頭は犬のように顎が前方に伸び、鋭い乱杭歯が無数に生えている。その代わりに耳も鼻もなく、鋭く大きな目が光っていた。
体毛のない大猿と狼を混ぜ合わせたような、そんな雰囲気の外見だ。しかしこれを見た者は、皆一言で言い表そうとするだろう。
「化物……!」
シンバが呻くように、それを口にした。だが体が動かない。トーゴもメントも、皆驚きと恐怖に体が動かなかった。
人との戦いなら何度も行ってきた。人に害をなす猛獣と戦った事も、一度や二度ではない。
だがこんな奇妙で恐ろしいものを見たのは初めてだった。美女の口から吐き出された肉塊から、今まで兵士たちが見たこともない、魔性の獣が現れたのだ。
魔獣を生み出す女。こんな冒涜的な存在がこの世にいるとは、この場にいる誰も思いもしなかった。
「近くにガレス人の彼もいるんでしょ?」
いつの間にか、クトラが立ち上がっている事に兵士たちは気がついた。
クトラは魔獣に近寄り、愛しい飼い犬に触れるように優しく魔獣の腕を取り、頬ずりをした。
「あたしのしもべ君にあなた達を皆殺しにしてもらって、彼に奇跡を見せてもらって、それから彼を殺せば完璧。ごめんなさい、兵隊さん」
魔獣を生み出しながら平然として、クトラは今までで一番美しく笑った。




